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薄命の月華と呼ばれましても~あやかし後宮成り代わり譚~  作者: 真崎 奈南
第五幕

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駆け引き

 居所きょしょに戻ると、煌月えんげつをおもてなしすべく明明めいめい紅玉こうぎょくが慌ただしく動き出した。


 椅子に腰かけることなく、居心地が悪そうに室内を見回している煌月を、翠蘭すいらんは落ち着いた眼差しで観察する。


黒焔こくえんによると、煌月様の魂の傷はまだ完全に癒えていないらしいけど、……そのあたりのことは、やっぱり私程度では感じ取れないみたい)


 すぐそばで集中して観察すれば、なにかわかるかと考えたが、思ったような成果は得られない。


 それでも諦められずにじいっと見つめ続けていると、煌月が廊下を通りかかった紅玉を呼び止めた。彼は自ら歩み寄り、なにやら話し始める。


 真剣な面持ちから、煌月が紅玉に興味を持っているのは明白だ。


 一方で、俯く紅玉の顔は緊張で強張っていて、うまく言葉を返せないでいる。


(煌月様が気に入っているのは私ではなく紅玉だわ。前に、そんなことを誰かが言っていたし。……ええと誰だったかしら)


 発言の主を思い出せず、翠蘭がわずかに首を傾げたところで、明明が茶器を持って室内に入ってきた。


 明明がお茶の準備をし始めたため、つい翠蘭は椅子に手を伸ばしたが、煌月より先に腰かけることはできず動きを止める。


 ちらりと煌月へ視線を向けると、ちょうど目が合い、彼は察した様子で翠蘭の元へやってきた。


「すまない。ちょっと気になることがあったから」

「ええわかりますよ。紅玉はとても可愛らしいですからね」


 にこやかに返ってきた翠蘭からの言葉に、煌月は「は?」と面食らった顔をする。


 しかし、すぐに翠蘭から「どうぞお座りになってください」とにこにこ顔で促されたため、煌月はそれ以上何か言うこともなく、椅子に腰かけた。


 続く形で素早く椅子に座ったところで、翠蘭は早速質問を開始する。


「煌月様、ご体調はいかがですか?」

「俺か?」

「はい。お祖母様から煌月様がお辛そうだったと聞きまして」

「ああ……平気だ、問題ない」


 視線を伏せながらの返答に、翠蘭ははぐらかされたような気持になる。ちょっとばかり眉根を寄せつつ、次の質問を繰り出した。


笙鈴しょうりんさんは回復されまして? もちろん、お見舞いは行かれましたよね」

「何度か立ち寄らせてもらっている。こう笙鈴も翠蘭を気にかけていたな」


 魂化術こんかじゅつに関してなんらかの発言はなかったか気になったが、それ以上触れることはせず、翠蘭は「そうですか」と朗らかに微笑んだ。


 小さく咳払いを挟んでから、今度は煌月が翠蘭に話を切り出す。


「そっちは随分と長く床に臥せっていたな。静芳からはただの風邪だと聞いたが、それは本当か?」


 思わず翠蘭は明明へ確認するように目を向ける。


 すると、明明も初耳だったようで小さく首を振ってみせるが、煌月からちらりと見られたのに気づくと、そそくさと部屋を出て行ってしまった。


(明明は何も聞いていないみたいね。先ほどお兄様も何も言っていなかったけど……お祖母様がそう言ったなら、笙鈴さんが悪鬼と戦っていたあの時、居所にいた私は風邪で寝込んでいたということになっているのかもしれない)


 翠蘭は頭の中で即座にそう判断し、にこやかな面持ちを崩さず、こくりと頷き返した。


「……ええ。お恥ずかしいですけど、その通りです」

「そうか。てっきり俺は、この前のように大量に霊力を消費したかと思っていたが」


 煌月の眼差しが鋭い輝きを帯び、翠蘭は思わず動きを止める。


(嘘だと勘付いていらっしゃる?)


 これ以上煌月に疑問を抱かせたら最後、魂化術を行っていたという事実にたどり着かれてしまいそうで、翠蘭は肯定も否定もできずに黙り込んだ。


 わずかに目を泳がせて動揺する翠蘭に対し、煌月は淡々と自分の考えを述べた。


「高笙鈴の元に放たれた悪鬼で手いっぱいだったとはいえ、こんなにも消耗する相手と翠蘭が戦っていたというなら、助けに行けなかったことを申し訳なく感じていたところだ。しかし、ただの風邪ならそれでいい。気が楽になった」


 そう言いつつも心の底では信じていないらしく、煌月は動揺の意味を問いかけるかのように翠蘭を真っすぐ見つめる。


 翠蘭は目を合わせられないまま、謝罪の言葉を口にした。


「笙鈴さんが危ない時に駆け付けられず申し訳ございません」

「いいや。此度の悪鬼の件、汀洲ていしゅうと共に、静芳じんふぁんからも多くの報告を受けている。裏でしっかり動いていたようだな。さすが静芳というべきか、物事を解決に導くだけでなく、高笙鈴の占術師せんじゅつしとしての才能まで見事に引き出していた」


 納得するように並べられる言葉を聞いているうちに、翠蘭ははっとし、顔色を変える。


(この流れでは、解決に導いたのはお祖母様で私は大して役に立っていないということになってしまうわ!)


 自分に不利な流れになっていることに翠蘭が焦り始めると、煌月が怪訝そうに眉根を寄せた。


「どうした?」

「兄や祖母から報告を受けていて、なにより、こうして後宮にも足を運んでいらっしゃる煌月様ならもうお気づきだと思いますが、後宮を脅かしていた厄災はひとまず消え去りました。……ということは、私はもう後宮を出ていいということですよね」

「ああそういえば、そんな約束だったな」

「宮廷占術師への口利きの件、お忘れになられておりませんよね?」


 縋るように問いかけると煌月に意地悪く笑われ、翠蘭の動揺が一気に大きくなる。


「俺は翠蘭に、解決してみせよと命じた。途中まではよくやっていたと思う。しかし、最後の最後でお前は静芳に丸投げした。俺はそう受け取っているが、反論はあるか?」


 うまい反論の手札が手元にない翠蘭はただただ唇を震わせて、煌月を見つめる。


「宮廷占術師となった暁には、必ずや俺の力になると力説していたが、その言葉は信じるに値するのか? 最後の最後で役に立たない者など必要ない」


 最後の言葉がぐさりと胸に突き刺さり涙目になった翠蘭へ、煌月はもったいぶるように告げた。


「翠蘭にチャンスをやらなくもない」

「そ、それはいったい!」

「豊穣祭の舞の練習に参加しろ。面倒くさい顔など一切せずに懸命に取り組め。俺の皇后候補でありながら、舞姫を決める試験に練習不足でのぞむ、さらには参加しないなどと言語道断。俺の面目を潰すなら約束はなかったことにさせてもらう」


(……ど、どうしましょう。面倒くさい顔をしないでいる自信がない)


 難易度の高さに呆然としている翠蘭へと、煌月は更なる一手を放つ。


「宮廷占術師の一次試験は先日終わったばかりで、次は一年後。俺なら二次試験、もしくは三次試験の名簿に翠蘭の名前を追加させることが可能だ」

「が、頑張らせていただきます!!」


 まるで目の前にぶら下げられた人参に飛びつくかのように、翠蘭は勢いよく立ち上がり、力いっぱい宣言した。


「完璧など求めないから、その調子で元気に踊ってくれ」


 煌月は苦笑いでそう呟くと、壁際に置かれていた二胡に目を止める。


「……なあ、ひとつ我が儘を聞いてくれないか」

「なんでしょう」

二胡にこを弾いて欲しい」


 ほんのりと甘えるように発せられた声に、翠蘭はほんの一瞬きょとんとしてから、ふわりと微笑む。


「はい。喜んで。何の曲がよろしいですか」

「最終試験で弾いていたあの曲が良い」

「わかりました。心を込めて弾かせていただきますね」


 そんな短いやり取りに続いて、翠蘭の居所内に二胡の音色が響き渡る。


 優しい音色は絶え間なく、日が暮れてもなお鳴り続けたのだった。




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