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薄命の月華と呼ばれましても~あやかし後宮成り代わり譚~  作者: 真崎 奈南
第四幕、確かな信頼

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暗雲の兆し1

 翠蘭すいらんが菓子の箱に顔を近づけて、微かに漂ってくる甘い香りにうっとりしていると、ぱたぱたと足音を響かせて明明めいめいが戻ってくる。


 すぐさま、手に持っていた羽織りを翠蘭の肩にかけて、煌月えんげつに対して申し訳なさそうに視線を伏せて後ろへと下がった。


 その様子に煌月は思わず苦笑いを浮かべるものの、表情を引き締めて話を続ける。


「無茶をせずに動いてくれ。それから、些細なことでも報告をあげて欲しい。……できれば直接」

「わかりました。そのようにいたします」


 ちょっぴり拗ねているようにも聞こえる煌月の言葉に、翠蘭は目を大きくさせたあと、再び柔らかな微笑みを浮かべて、心を込めて拱手した。


「体調が優れないところ邪魔をしたな。失礼する」


 最後にそう言って煌月は踵を返し、屋外へと歩を進める。当然の顔で翠蘭が後に続くと、それに気づいた煌月が戸惑いがちに声を掛けた。


「自室に戻れ」

「もうしっかり回復しておりますので、気遣い不要でございます。お菓子までいただきましたし、お見送りくらいさせてください」


 にこやかな面持ちでさらっと言葉を返した翠蘭だったが、外へ出て数歩進んだところで、はたと思い出し、煌月にしか届かない声量で問いかけた。


「ああそうそう。煌月様、ひとつ聞いても?」

「なんだ?」

黒焔こくえんという名に心当たりはありますか?」

「黒焔?」


 繰り返すと同時に、煌月の足がぴたりと止まった。眉根を寄せてしばし考え込むものの、ゆるりと頭を横に振る。


「知らないな」

「そうでございますか」

「もしかして、その黒焔とやらが、あの蜘蛛を操っていた者の名前か?」

「あっ、いいえ、違います。ただのあやかしでございます」


 翠蘭は煌月の勘違いをすぐさま正すと、煌月は「そうか」と短い呟きを挟んで、再び思考を巡らせた。


「あやかしか。だとしてもそのような名前のものは記憶にないな。どのようなあやかしだ?」

「ええと……」


 煌月に黒焔の姿を見てもらった方が手っ取り早いかと考え、翠蘭はちらりと建物を振り返るが、小さな姿は見当たらない。


(気配は感じても姿は見えず)


 ため息が出かかった瞬間、翠蘭はわずかな段差に足を取られ、小さな悲鳴と共に転びそうになる。


 すかさず、煌月が手を伸ばし、前のめりに倒れかけた翠蘭の体をしっかり受け止め、自分の元へと引き寄せた。


「大丈夫か?」

「……は、はい。ありがとうございます」


 抱きしめられた格好に翠蘭が気恥ずかしそうな視線を煌月に向ける。


 煌月は穏やかに見つめ返しながら、翠蘭の肩からずり落ちそうになっていた羽織りを掴んで戻した。


 まるで心を寄せているかのようなふたりの様子はとても絵になり、明明はもちろん、煌月の付き添いである宦官も、目を奪われて息をのむ。


 そして、翠蘭と煌月の姿を見ていたのは彼らだけではなかった。


 門の出入り口から悲鳴に近い声が発せられ、翠蘭と煌月は揃ってそちらへと顔を向ける。


 中を覗き込むように立っていたのはきん雪玲しゅうれいで、嫉妬にかられているのが手に取るようにわかるくらい顔を歪めていた。


 翠蘭はわずかに目を見開く。一瞬の苦笑いを挟んだあと、怒り心頭の雪玲に対し無表情を貫く煌月にこっそり話しかけた。


「煌月様、他の皇后候補の皆様にもお菓子をお配りくださいね」


 面倒そうな表情を返しつつ、宦官を引き連れて足取り重く歩き出した煌月を、翠蘭はその場から見送る。


 煌月は雪玲へ軽く挨拶の言葉をかける程度で、その傍らを通り過ぎようとしたが、雪玲は煌月を逃がさない。


 案の定、雪玲は「もしかして、翠蘭になにかお渡しになったのですか?」と声を震わせて煌月を追いかける。


 自分に火種が飛んでくる前に退散すべく、翠蘭はそそくさと居所内へ戻ったのだった。




 煌月からの贈り物の焼き菓子を、翠蘭が目を輝かせてぺろりと平らげてから二週間後、居所内に優美な笛の旋律が響き渡っていた。


 椅子に腰かけて、横笛を吹いている翠蘭の傍で、明明がうっとりとした顔で聞き入っている。


 閉じられていた翠蘭の目が開き、ふつりと音色が途切れた。


 横笛を下ろすと同時に、翠蘭はゆっくりと立ち上がり、窓に近づいていく。


「……少しだけ気配が濃くなったわね」


 翠蘭に言われて明明も気づいたらしく、途端に不安で表情を曇らせた


紅玉こうぎょくはまだでしょうか。迎えに行った方が?」


 今、紅玉は翠蘭の望みを叶えるべく、町に出ている。


 煌月からもらった焼き菓子が大変美味しくて、即座に翠蘭のお気に入りとなったのだが、隣国のお菓子だと聞いていたため、入手は諦めていた。


 しかし三日前、汀州ていしゅうと面会しその話をしたところ、町に売っている店があるという情報を得て、翠蘭は歓喜し、紅玉がお使いを買って出たのだ。


 自分のために外出してくれた紅玉が、確実に増した悪鬼の気配に巻き込まれていないだろうかと翠蘭も不安を覚え、すぐさま決断する。


「そうね。笛の練習でもしながら門の近くで紅玉の帰りを待ちましょうか」


 翠蘭は手に持っている横笛を軽く掲げてみせてから、頷いた明明と一緒に歩き出した。


「それにしても、翠蘭様は多才でございますね。二胡にこの音色も素晴らしいですが、横笛も心を掴まれます」


「そう聞こえる? 横笛もしばらく触ってなかったし、なにより先生が厳しいから少し練習して勘を取り戻しておくべきかと思ったけど、そんなに聞き苦しくないなら、もう練習しなくてもいいかも」


 これも皇后選定試験の一環であり、二胡以外の楽器を用いて煌月に披露せよという課題を受けたのだ。


 汀州との面会で横笛を受け取り、披露日が明後日と迫ってきていることもあり、こうして練習をしているのだ。


 というのも、最近、皇后教育に取り組むにあたって翠蘭の熱意が足りないのを講師に見抜かれてしまったらしい。


 指導に一気に熱が入り、練習不足で披露しようものなら大目玉を食らうことになるだろう。


 こう笙鈴しょうりんの居所の横の小道を通り過ぎながら、建物へちらりと視線を向ける。


(……瘴気が濃くなっている)


 ここにきてさらに悪鬼の気配が濃くなったため、やはり次の標的は笙鈴だと確信する。


 屋敷が纏っているどんよりとした空気に明明も気づき、眉をひそめながら「翠蘭様」と小声で囁きかけ、翠蘭は真剣な顔で頷き返す。


 そのまま歩を進めていくと、後宮の門が遠くに見えたところであたりに金切り声が響いた。


 声が上がったのは庭園からで、金雪玲とその女中たちが紅玉を取り囲んでいるのを見つけると、翠蘭と明明は慌ててそちらへと向かっていく。


「私の女中がなにか問題を?」


 困り顔の紅玉をみんなで責め立てている構図に、翠蘭はためらいなく割って入る。


 その瞬間、紅玉は安堵の顔となり、すぐさま翠蘭の元へ移動し、一方で、雪玲達は不満の視線を揃って翠蘭へ移動する。


 すっと、雪玲が一歩前に出て鋭く言い放った。


「昨夜、私の居所に人でないモノを差し向けましたよね」


「人でないモノ。あやかしですか?」


「そうよ! 老婆の……ああ、思い出すだけで寒気が。夜中に居所内をうろうろされ、眠れなかったわよ」


「老婆なら心当たりはあります。確かに昨日は私の居所に姿を現しませんでしたね。きっと散歩の範囲を広げて、そちらに行ったのでしょう」


 蜘蛛の姿をした悪鬼から救い出したあの老婆は、いまだに翠蘭の居所に姿を現す。


 そしてもちろん、翠蘭は術を使って老婆を差し向けたりなどしていない。雪玲の居所に現れたのも老婆の気が向いただけのことである。


 にこやかに答えた翠蘭だったが、翠蘭の仕業だと信じて疑わない雪玲は、聞く耳持たずで怒りを加速させる。


「あなた、私に呪いをかけようとしているわね! しゅ家の候補者を陥れたのもあなたたち李家なんでしょう? 白状しなさい!」


 雪玲が翠蘭に掴みかかっていく。


 止めに入ろうとした明明と紅玉を雪玲の女中たちが邪魔をし、当の翠蘭は詰め寄る雪玲を苦笑いで見つめ返す。


「やめなさい、見苦しい!」


 そんな中、騒がしさを一蹴するように凛とした声が響き渡った。


 高笙鈴だった。




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