煌月との出会い2(過去編)
煌月は悪鬼の気配は感じられても、はっきりと目視できていないようで、時折見当違いな方向に短剣を振っている。
数で有利な悪鬼たちに翻弄され、結局は防御するので精一杯となり、ついには、体勢を崩し短剣を落としてしまう。
その隙をついて、悪鬼が三体同時に煌月へ攻撃を仕掛けようとし、寸でのところで、翠蘭は真言を唱えながら煌月の前へと滑り込んだ。
霊圧で悪鬼たちを弾き飛ばした翠蘭の背後で、煌月の硬い声が響く。
「誰だ」
「誰でもいいだろ、気にするな。お前は弱いんだから、そのまま大人しくしていろ」
この時点で、もちろん翠蘭は相手が皇子だとは気づいていないため、礼儀に欠いた態度で言い放った。
(黒焔の力を借りれば、こいつら程度なら簡単に消せるわね)
一気に殲滅するべく、翠蘭は黒焔に視線で合図を送ろうとするが、さっきまで近くにいたはずの彼の姿が見つからない。
翠蘭がきょろきょろとあたりを見回していると、煌月が隣に並んだ。
「俺は弱くない! あいつらが狙っているのは俺なんだから、お前こそ怪我する前に消えろ!」
鋭く睨みつけられたため、自分のひと言が彼の自尊心を刺激してしまったと気づかされる。
翠蘭は気まずそうに顔を強張らせて、ごめんなさいと心の中で謝罪しつつも、煌月の強がりにはこれ以上言い返すことはせずに、悪鬼たちへ視線を戻した。
(仕方ない。私ひとりでやるしかないわね)
勢いよくぱちんと打ち鳴らして手を合わせ、目を閉じると、術を唱え始める。
すると、翠蘭の四方に後天定位盤の紋様が浮かび上がってきた。
それらの紋様が霧散するように順番に消えたあと、翠蘭が目を開ける。
手のひらの間に生じた光が弓矢の形へと変化し、翠蘭は悪鬼にむかってそれを構えた。
(まずは一体)
放った霊力の矢は見事悪鬼に命中し、引きつった声をあげながら粉砕する。
(二体目)
続けて弓矢を構えると、翠蘭の額から汗が流れ落ちた。
(お兄様、ごめんなさい。もうちょっと頑張って)
魂化術を行っているうえで、こうして霊力を放出するのは翠蘭だけでなく汀州にも大きく負担がかかる。
そのため黒焔の支援が欲しかったのだが、いないものは仕方ない。
汀州本体の傍には静芳がいるはずで、霊力の急速な流れから翠蘭側の異変を察知して、汀州本体に霊力を流す形で補助してくれるのを期待するほかない。
「俺も手伝おう」
声掛けと共に翠蘭、もとい、汀州の肩に手が乗せられた。
温かな手のひらから、極めて質の高い霊力が流れ込んでくるのを感じ取ると同時に、翠蘭は煌月に笑いかけた。
「ああ頼む」
口角をわずかにあげた煌月に心強さを感じながら、翠蘭は改めて悪鬼に視線を戻す。
まずはこちらに襲い掛かってきた一体を冷静に仕留め、続けて逃げ出そうとした残りの一体もしっかりと討ち取る。
翠蘭は達成感と安堵に満ちた顔で大きく息を吐くと、術式を解除し、煌月へと体を向けて手を掲げた。
それに煌月は一瞬の苦笑いを挟みながらも、此度の勝利を祝うように、自分に向けられた手を軽く叩いた。
「ありがとう。助かった……それにしても、俺と年もそれほど変わらないだろうに見事だな。正直、その才能がうらやましい」
煌月の言葉は素直に感心している一方、自嘲気味にも聞こえる。
表情には疲れが滲み出ているようにも見え、翠蘭は強引に話を変えた。
「お前、時間あるか?」
「……うーん。わからない。どうだろう」
周囲を見回しながらの煌月の曖昧な返答をさらりと聞き流し、翠蘭は煌月の腕をがしっと掴んで歩き出した。
「少し付き合ってくれ!」
「おっ、おい!」
翠蘭は細道に戻ると、太鼓や笛の音がまだ鳴っているのを確認しつつ、寺院の正面に向かって進んでいく。
「どこに行くつもりだ?」
「腹が減ったから何か食べる」
「は?」
あっという間に露店が並ぶ場所にたどり着くと、翠蘭は真剣な眼差しで一店一店吟味する。考え込むように眉根を寄せつつ、翠蘭は煌月に問いかけた。
「お前は何が食べたい?」
「俺はいい。遠慮……」
「決めた! 飴も捨てがたいが、やっぱり焼餅にする!」
意見を求めておいて明らかに聞いていない翠蘭に煌月は顔をしかめ、「とりあえず離せ」と自分の腕を掴んでいる手を力いっぱい振り払った。
乱暴な態度など翠蘭はまったく意に介さず、「そこで待っていて」と告げると焼餅の店へと突き進んでいく。
「失礼な奴だ」
ぼやきはしてもその場から立ち去らなかった煌月の元に、程なくして翠蘭が戻ってくる。
「はい、どうぞ!」
翠蘭の手にはふたつの焼餅。それぞれ紙袋に入っていて、ひとつはすでに翠蘭がかぶりついており、もうひとつを煌月に差し出した。
「霊力不足なのか、気力不足なのか、少し顔色悪いからなにか腹に入れた方が良い。美味しいぞ」
焼餅を困ったように見つめていた煌月だったが、翠蘭の言葉にわずかに目を見開くと、ゆっくりと手を伸ばし、「ありがとう」と感謝の言葉と共に受け取った。
もうひと口、翠蘭がかぶりついたところで、目の前を通り過ぎていった若い娘ふたりが少し先で足を止める。
ちらちらとこちらを振り返りながら、なにやら興奮気味に話し始めた。
(なにかしら?)
彼女たちの興味の対象はどうやら煌月らしい。それに気づいた煌月もわずかに表情を強張らせて、顔を見られたくないかのようにさりげなく彼女たちに背を向けた。
「あっちで食べよう」
翠蘭はすかさずと提案して、先導するようにすたすたと歩き出す。
ひと気のない方に向かっていることに若干のためらいを見せるが、煌月もすぐに翠蘭のあとを追いかけた。
寺院の右手側の細道を進むと庭園が広がっていて、池に突き出すようにして伸びている桟橋にふたりは並んで腰かけた。
翠蘭はぺろりと焼餅を平らげると、ようやく一口目を頬張った煌月へと視線を向ける。
(身なりも上等。多少口は悪いけど、品は持ち合わせている。さっきの女の子たちの反応からして、それなりの身分っぽいわね。お兄様の面子もあるし、ここは愛想よくしておいた方が無難ね)
じろじろと観察していた翠蘭の顔が煌月には物欲しそうに見えたらしく、食べかけの焼餅を翠蘭に差し出す。
「なんだよ。食べたいのか? ほら」
「なっ、違う! 結構だ! 君が食べてくれたまえ」
口元を引きつらせながら翠蘭が答えると、煌月は怪訝な表情を浮かべつつも、手を引き戻し、黙々と焼餅を食べ進めていく。
「名を教えてくれ。正直、助かった。恩を感じている」
食べ終えたところで、煌月の真摯な声がぽつりと響いた。
彼に真っ直ぐ見つめられ、翠蘭は少しのためらいを見せつつも、あっけらかんと話をはぐらかす。
「またの縁があったら名前を教えてやる。いつかその時に、恩とやらを返してくれ」
「なんだそれ」
煌月の不満の声に、翠蘭は苦笑いする。
李汀州だと名乗ってしまったら、煌月の様子からして、明日にでもお礼に来るかもしれない。
汀州の株が上がるだけなら、妹としても喜ばしいことだ。
しかし、そこで霊力の弓矢をもう一度放ってみせろといった流れになってしまったらと想像すると、迷惑をかける未来しか思い描けない。
汀州もまだ学びの途中で、霊力の弓矢を初め、術式によっては翠蘭の方が完成度の高いものがあるためだ。
(……でもまあ、こうして接触してしまったことで、いずれお兄様になにかしらの迷惑をかけることは避けられないかもしれないけど)
翠蘭がそんなことを考えていると、聞こえていた太鼓や笛の拍子が、力強さと共に一気に速くなった。
もうそろそろ豊穣の奏が終わりを迎えることを気づかされ、同時にそれは静芳から言われていた帰宅時間の目安であることも思い出す。
翠蘭は立ち上がると、浮かれた気持ちを抑えきれぬままに、桟橋の上で音色に合わせて踊り出した。
霊力を纏った優美な舞は、まるで豊穣の神に捧げる巫女の舞のようで、煌月は翠蘭のしなやかな動きにすっかり目を奪われていた。
しかし次の瞬間、翠蘭は桟橋の縁に足を掛けてしまい、そのまま体勢を崩す形で派手な水しぶきをあげながら池に落ちた。
「だ、大丈夫か? ……よ、良かったな……そんなに深くなくて」
翠蘭は腰まで浸かった状態で、自分の身に何が起きたか理解できていないように唖然とした顔で煌月を見上げている。
煌月は最初こそ心配そうな顔をしていたが、その顔が面白かったのか、徐々に笑いを堪えきれなくなっていく。
(そんなに笑わなくたっていいじゃない!)
とうとう煌月が大きな声で笑い始めたため、翠蘭は恥ずかしさで顔を赤らめる。
桟橋の上に戻ろうかと考え手を掛けたものの、このまま水の中を進んで池から出た方が楽かと考えていると、煌月が「大丈夫か?」と手を差し出してきた。
そのため、翠蘭は彼の力を借りて桟橋に上がることを選択し、「ありがとう」と笑いかけながらその手を掴んだ。
「舞も見事だった。動きがとてもしなやかで……中身は結構がさつっぽいのに」
しかし、続いた言葉にむっと顔をしかめると、力いっぱい煌月の手を引っ張り、彼を池の中へと落とした。
「なっ、なにする!」
頭まで水をかぶってしまった煌月を、お返しとばかりに翠蘭は笑う。
しかし、どこかから「若様!」と大人の男性の声が聞こえ、それに煌月が「ここだ!」と返事をしたことで、翠蘭は一瞬で笑みを消す。
(彼の仲間よね! まずい!)
分が悪いと即座に判断し、翠蘭はその場に煌月を残して一目散に逃げ出す。
「おい!」
翠蘭は後ろから呼びかけてくる煌月の声に決して振り返ることなく、人の気配を避けるようにして、あっという間にその場から姿を消したのだった。




