煌月との出会い1(過去編)
翠蘭は幼少期より、人前に姿を現すことが極端に少なかった。
偶然にも見かけた者たちは、決まって翠蘭の色白で物静かで儚げな雰囲気から、病弱な印象を抱いた。
それが口伝によって徐々に、しかし確実に広がっていった結果が「薄命の月華」だったのだ。
とはいえ、翠蘭が人前に出られる状態ではなかった本当のことであって、しかしそれは、病気ではなく李家特有の体質からだった。
李家に生まれた者が背負う宿命のごとく、翠蘭も生まれた時から霊力が高かった。
良質な霊力があり対抗する力の弱い人間は悪鬼に狙われやすいため、幼い翠蘭が標的になるのは当然のこと。
悪鬼から攻撃を加えられて命の危機を感じるのは日常茶飯事。
簡単な結界が施されていて比較的安全な李家から出ることができず、翠蘭はずっと引きこもっていたのだ。
夜の闇が深くなると悪鬼の力が強まり、李家の屋敷の中であっても、怖がりだった幼い翠蘭が震えて眠れない日々を過ごしていたのも、また事実である。
そのような状況だったため、静芳による翠蘭への教育もなかなか進まずにいたのだが、十一歳を迎えた時、状況が大きく好転する出来事が起こる。
静芳が連れてきた黒焔が、翠蘭を守護する役目を担うことになったのだ。
大きな霊力を持つ黒焔がそばにいることで、翠蘭の生活は安定し、短期間で実力も大きく伸びて自信をつけたことで、心もしっかり強化されていった。
そして十二歳の時、翠蘭は煌月と出会うことになる。
ある日の夕方、翠蘭は静芳から教わっていた李家の禁術である魂化術を実行した。
成り代わる相手は兄の汀州で、初めての試みであったのにも関わらず、翠蘭は見事術を成功させたのだった。
「今宵は収穫祭が行われている。たき火にこの札をくべて、祈りを捧げておいで」
寝台に横たわっている汀州を見つめる汀州姿の翠蘭に向かって、静芳が微笑みと共に祈祷木札と小銭を差し出した。
「せっかくだし、食べたいものも買ってくるといい。ついでに汀州のぶんもね」
お小遣いに対してほんの一瞬きょとんとしてみせた翠蘭だったが、静芳の優しさを笑顔で受け取った。
「豊穣の奏が終わる前に家に戻るように」
「わかりました! 行って参ります!」
力強く返事をすると、翠蘭は弾むような足取りで李家を飛び出したのだった。
李家から収穫祭が行われている寺院までそれほど遠くない。
汀州の視線の高さで見えるいつもと違う街並みを新鮮に感じながら、日が暮れて薄暗くなりかけている道を進んでいく。
長い階段をのぼった先で、たくさんの赤くて真ん丸い紙ランタンに出迎えられ、翠蘭は思わず足を止めて優美な光景に息をのんだ。
寺院の奥から太鼓や笛の音色が響いてくる中、露店で買い物をしたり、手持ちの紙ランタンを作ったり、楽しそうに語らいながら景色を眺めていたりと、多くの人々が祭りを楽しんでいる。
あちこちに目が向いてしまうが、祈祷済み木札を購入している人々の列を目にして、翠蘭は第一の目的を思い出す。
売られている木札には寺院の僧侶によって文字が綴られているが、もちろん、翠蘭が持ってきたものは静芳が書き記したものだ。
寺院の左手に伸びる細い通路を奥へ奥へと進んでいくと、太鼓や笛の音がどんどん大きくなっていった。
やがて、奏者たちの向こうに夜空へと大きく舞い上がる炎を視界に捕らえた。
人々が炎の中に木札を投げ込むと、格子状に組み上げられた燃え盛る薪から、まるで意思を持っているかのようにまた炎があがる。
その様子から目をそらせぬまま、ゆっくり近づいていくと、突然声をかけられ現実に引き戻された。
「汀州、待っていたぞ!」
「……あ……えっと……お待たせしてすみません」
相手が誰か、どうして兄を待っていたのかもわからないまま、一気に近づいてきた男性に翠蘭は言葉を返した。
「やはり、静芳殿による祈祷の木札がないと、場が引き締まらぬからな」
(待っていたのは、お祖母様の木札の方ね)
男性の視線が自分の持っている木札に注がれている。相手の心の内を理解したところで、翠蘭は男性と共に歩き出した。
「皆さん少し下がってください」と、男性はたき火を取り囲む人々へ声を掛けた。
何事かと振り返った人々も汀州を見るとすぐにたき火から距離を置くように後ずさっていく。
翠蘭は期待に満ちた人々の視線を感じつつ前へと出ると、斜め後ろに立っている男性へと確認の言葉を投げかけた。
「よろしいか?」
「もちろんですとも。お願いします」
許可を得ると、翠蘭は短く息を吐く。
以前に静芳から教わった手順を頭の中で反芻した後、炎と向き合った。
両手で木札を持つと、翠蘭は目を閉じて、天へ捧げるように頭の上までゆっくりと持ち上げていく。
「大地の恵みを我々に分け与えてくれたことを深く感謝し、新たなる年も変わらぬ五穀豊穣をお願い申し奉る」
厳かに響いた汀州の声に反応するように木札が熱を帯びていく。
まだ火をつけていないのに木札から真っ白な煙が緩やかに立ち上り出したため、その場に居合わせた人々から感嘆の声が漏れた。
翠蘭は木札を持つ手を下げて目を開ける。右手の指先でなぞった静芳の文字が、翠蘭の霊力を取り込んで真っ赤に染まり、徐々に燃え始める。
(よし。あとはこれを放り込むだけね)
そこで、黒焔が翠蘭の傍らに姿を現す。
思わずそちらへ目を向けると、黒焔がふうっと木札に息を吹きかけてきた。
一気に木札が燃え上がったため、翠蘭はすぐに炎の中へそれを投げ入れる。
すると、先ほどとは比べ物にならないほど大きな火柱が生まれ、ほんの一瞬、真昼のように明るくなり、心地よい熱が広がった。
霊力のあるなし関係なく、熱が収まると凛とした空気でこの場が満たされているのを肌で感じ、人々から拍手が巻き起こる。
次々と「さすが李家の跡取り!」といった褒め称える声があがる。
(今のは黒焔の仕業だけど)
心の中で苦笑いしつつも、翠蘭は真摯に拱手で応えてから、やるべきことは終わったとばかりに開放感たっぷりの顔で歩き出した。
「何を買って帰ろうかしら。黒焔はなにか食べたいものはある?」
翠蘭は胸を弾ませながら、宙に浮かんでいる黒焔に小声で話しかけた。
切れのある動きで太鼓を叩く人々を、目を輝かせてみていた黒焔は、翠蘭の問いかけにハッとし、嬉しそうにこくこくと頷いてみせた。
しかし、寺院の横の細道を戻っていく途中で、黒焔がぴたりと動きを止めた。打って変わって強張った顔で遠くを見つめている。
「黒焔、どうかしたの?」
細道は枝分かれしていて、真っ暗な林の中へ続いていた。その先に嫌な悪鬼の気配を感じ取り、思わず翠蘭も怪訝の表情となる。
「嫌な気配がするわね。行ってみましょう」
翠蘭は好戦的な笑みと共に力強く言い切ると、躊躇うことなく暗がりの道へ足を踏み入れ、もちろん黒焔も翠蘭に続く。
長い林を抜けると目の前に現れたのが墓地だったため、ちょっぴり翠蘭は拍子抜けする。
「大きい墓地。嫌な気配は悪鬼ではなかったみたい」
墓地には様々な幽魂が休んでいる。
多種多様ないくつもの気配の塊を、悪鬼と勘違いしたのかもと結論付けて引き返そうとした。
しかし、はっきりと悪鬼の気配と感じ取り、おまけに駆ける足音も耳にし、翠蘭は弾かれたように走り出した。
「誰かいる。悪鬼に狙われているみたい。絶対に悪鬼を滅してやる! 逃がさないわよ!」
散々悪鬼には辛い思いをさせられてきたため、翠蘭は怒りを滾らせて宣言する。
気配を辿るようにして向かっていくと、墓地の奥にぼろぼろの衣をまとった三体の悪鬼と、それらと対峙する同年代の男の子、煌月がいた。
「彼を助けなきゃ」
煌月の姿を目にした瞬間、考えるよりも先に翠蘭はそう呟き、強い思いに突き動かされるようにして走る速度を上げた。




