李兄妹の語らい2
ふたり並んで歩き出すと、すぐに汀州も翠蘭が尾行されていることに気づいたらしい。
李兄妹は視線だけで意思疎通を図り、人の多い場所を目指して歩を進めていく。
斎南宮の正門へと続く通路からわずかにそれて、小さな庭園をめぐる回廊へと入る。池の上にかかる橋のところで足を止めた。
真っ赤で美しい欄干に虎の顔をしたあやかしが腰かけて、池に釣竿を垂らしている。
汀州はそれを気にすることなく、声が届く範囲に人間がいないのを確認したのち話し出す。
「昨晩、悪鬼が現れたと煌月様より聞いた。相手の目星は?」
「顔は布で隠していましたが、私に見覚えはございませんでした。それと、女官の恰好をしてはいましたが、紅玉も覚えがないと」
「紅玉とはその姿の彼女のことだな。煌月様はその女官に不信感を抱かれているようだったが、信じられるのか?」
汀州が疑うような目で、じろりと翠蘭を見た。翠蘭は苦笑いを挟んでから、はっきりと言い切った。
「確かにいろいろありましたが、今現在、私は紅玉を信じております」
そこで翠蘭は汀州に、最初に感じた庭の嫌な気配から紅玉が手先として動いていたこと、そして、蜘蛛をばっさり斬り捨てた煌月の見事な太刀筋までの出来事を包み隠さず順を追って説明していく。
「やはり女は女官ではなく呪術師、もしくは占術師として活動している者のように私には感じられました。もしかしたら、お兄様やお父様が見れば、見当のつく相手だったかもしれません」
「宮廷占術師の誰か、という可能性もあるということか」
汀州が苦々しく述べた時、門の付近に物々しい空気を放った一団がずらずらと列をなして姿を現した。
池からだと少し距離があるため、ひとりひとりを細かく確認することはできないが、その中に、金家の当主であり左大臣を勤めている金勝峰の姿を見つける。
勝峰の少し後方に、以前、選定試験で言葉を交わしている宮廷占術師の泰然もいた。
ちらりとこちらに目を向けた彼を静かに見つめ返しながら、翠蘭は淡々とした口調で汀州に話しかけた。
「私が皇后になり、李家が権力を強めるのを阻止するとおっしゃっておりました。もちろん候補者として残っている以上、張家の策略の可能性も零ではありませんが、普通に考えて、今回の騒動を引き起こしているのは、金家か高家のどちらかでしょうね」
高家は武官、金家は文官、李家は占術の分野でそれぞれに権利を有している。
三大勢力として均衡を保ってはいるが、金家と高家が他の二家を出し抜いて優位に立つべく画策しているのは事実だ。
未来の皇后の座を手できれば、間違いなく他家よりも頭一つ抜きんでることができるため、相手を蹴落とすべく攻撃を仕掛けてきているのだろう。
視線の先を金家の一団が通り過ぎると、汀州が口を開いた。
「ここ最近、宮廷占術師内で派閥の強まりを感じているし、警戒しておくに越したことはなさそうだな」
深刻な面持ちの兄妹の横で、虎の顔をしたあやかしが気の抜けた顔でぼんやりと遠くを見つめている。
「報告は以上です。それで、お兄様にお願いがあります。紅玉の家族に関して目を配っていただけないでしょうか。必要なら援助を」
翠蘭の力強い眼差しと笑みを受け、わざわざ会いに来た本来の目的を汀州は察し、「わかった」と大きく頷いた。
それに翠蘭は満足げな顔をしたあと、ずっと気になっていたものを確かめに行くような足取りで虎顔のあやかしの傍へ近づいていく。
「なにか釣れますか? というか、斎南宮の御池には龍神様が住まうと聞いたこともあるのですが、それはこの御池ではないのですか? 龍神様に怒られませんか?」
見知らぬ娘の姿ではあっても、ぺらぺらとあやかしに話しかけるその姿は汀州にとって見慣れた翠蘭そのものである。
相変わらずだなと汀州が苦笑いを浮かべた時、門の方からざわめきが上がった。
「あら、お父様だわ。お元気そうでなにより」
今度は父親である雲頼が姿を現し、翠蘭が呑気にそんなことを呟いた。
「元気に見えるか? お前が突拍子もないことをして、煌月様を怒らせるんじゃないかと、毎日気をもんでいるぞ。我が家の秘術である魂化術を行って斎南宮をうろうろしていることを知ったら倒れるかも」
笑いを堪えつつ、汀州が李家当主の現状を告げた時、池でぽちゃんと音を立てて魚が跳ねた。
いままでぼんやりとしていた虎顔のあやかしが、その音でハッと目を見開いた。
放り投げた釣り竿と共に、虎顔のあやかしが池に飛び込んだため、ばしゃんと大きな水しぶきが上がる。
その激しい音につられて、周囲の人々と共に雲頼も池へと顔を向け、程なくして橋の上に並んで立っている汀州と紅玉の姿に気が付いた。
雲頼は、仕事をさぼって女と逢引しているようにも見える汀州に対し、何をしているんだとほんの一瞬目を細めてみせたものの、すぐに視線を前へと戻す。
しかし、数歩足を進めたところでぴたりと動きを止めて、違和感たっぷりな面持ちで視線を戻した。
雲頼が見ているのは、汀州というよりも紅玉の方だ。
「あら。ばれてしまいましたね。さすがお父様!」
翠蘭は至極楽しそうにそう言って、雲頼ににっこりと笑いかけた。
そこで雲頼は完全に翠蘭だと気づいたらしく、唖然とした顔となる。
後ろに控えている執務官に促されるようにして再び歩き出すものの、雲頼は気が気じゃない様子で何度も繰り返し兄妹を振り返り見ていた。
「そろそろ後宮に戻った方が良さそうですわね」
「そうだな。入り口まで送ろう」
慌てふためきながら父が戻って来そうな予感に翠蘭と汀州は顔を見合わせて笑いあった後、ゆっくり歩き出す。
静かに水面に波紋を広げながらすいーっと泳いでいく虎顔のあやかしを横目で見つめながら池を離れると、汀州が感心しきった様子で翠蘭に話しかけた。
「それにしても見事だな。こんなに長い間、霊力が乱れることなく、しかも本人はなんてことない顔で別の姿を保っていられるんだから。俺も魂化術を何度か行っているけど、こんなにうまくいったためしはない。我が妹ながら、頭が下がるよ」
兄の言葉に耳を傾けていた翠蘭は、そこであることをハッと思い出し、恐々と確認する。
「そういえば、聞きたいと思っていたことが。お兄様、初めて煌月様とお会いした時、怒られませんでした?」
「煌月様に? ……いや、特になにも」
首を傾げつつ返ってきた汀州の返答に、翠蘭は心底ほっとした表情を浮かべた。
「それなら良かったです。少し不安だったものですから」
「……す、翠蘭、どうして不安だったのか聞いても良いか?」
「聞かない方がよろしいかと」
「おい待て!」
うふふと誤魔化すように笑って先へと進んでいく翠蘭を、嫌な予感を覚えた汀州が慌てて追いかける。
横に並んだ兄からの追求の眼差しを交わすように翠蘭はそっぽを向いた。
そして、いまだに鮮明に記憶に残っている遠い日の出来事を思い出して、こっそり笑みを浮かべた。




