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薄命の月華と呼ばれましても~あやかし後宮成り代わり譚~  作者: 真崎 奈南
第三幕、魂化術

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李兄妹の語らい1

 広大な斎南宮さいなんぐうの敷地内に、宮廷占術師の中枢機関となる敬慧院けいすいいんがある。


 そこで兄の汀州ていしゅうを呼び出して話をするべく、李家の秘術、魂化術こんかじゅつによって紅玉こうぎょくの姿になった翠蘭すいらんは後宮内の小道を足早に進む。


 じわりと額に滲んだ汗を手の甲で拭いつつ、小さく息を吐いた。


(魂化術は久しぶりだから少し不安だったけど、紅玉の霊力は想像以上に良質だし、明明めいめいも補助的に霊力を送り込んでくれているから、うまく成り代われているわね)


 魂化術とは、相手の霊力を利用してその姿に変化する術である。


 今も翠蘭と紅玉は見えない霊力の糸で繋がっていて、翠蘭は紅玉から絶え間なく霊力を奪い取っている状態だ。


 互いに霊力や体力の消耗が半端ない上に、どちらかの霊力が切れてしまえば強制終了となるため、長時間行い続けるのは非常に難しい術式でもある。


 紅玉の負担を考えてなるべく手短に済ませようと、翠蘭の足取りはどんどん早くなっていく。


 ちょうどこう笙鈴しょうりん居所きょしょ横の道に差し掛かったところで、門に笙鈴と女官たちの姿があるのに気づいた。


 相手はちょうど居所に戻ろうとしている様子だった。


 ここで足止めを食らいたくないため、こちらに気づかないでいて欲しいと翠蘭は心の中で願ったが、それは叶わなかった。


「そこのあなた、どこに行くのですか?」


 笙鈴は紅玉の姿に目を止めた途端、ぴたりと足を止め、さらに声までかけてきた。


 紅玉の姿である以上、女官が皇后候補者を無視するわけにいかない。


 翠蘭はその場で立ち止まり、笙鈴に対して丁寧に拱手する。


 笙鈴のお付きの女官たちからの攻撃的な眼差しを一切気にせず、落ち着いた声で言葉を返した。


「はい、笙鈴様。翠蘭様の命により、敬慧院に向かっているところでございます。急ぎでございますので、よろしいでしょうか」


 翠蘭はその場を辞する許可をさらりと求めたが、笙鈴はすぐに返答しなかった。


 少しばかり視線を彷徨わせて躊躇いの表情をみせたあと、ようやく口を開く。


「敬慧院ですか……昨晩も騒がしかった様ですが、なにごとかありましたか?」

「昨晩でございますか? そうですね。こちらは、いつもと変わらぬ穏やかな夜でございました」


 緊張の色を少しも見せず、堂々とした紅玉の口ぶりに、笙鈴はもちろんのこと、女官たちもわずかに面喰った顔をする。


 その様子を淡白に見つめ返しながら、翠蘭は繰り返した。


「よろしいでしょうか」

「……え、ええ」

「失礼いたします」


 相手の気が変わらないうちに立ち去るべく、翠蘭は軽く目線を下げて、足早に笙鈴たちの横を通り過ぎていった。


 庭園を通り、通用門へ到着すると、翠蘭はすぐに開門を願い出た。紅玉に対する嫌悪感を表情に滲ませながらも、門番は門を開ける。


 翠蘭は難なく後宮の外へ出たあと、肩越しにちらりと後ろを振り返り見た。


 門番の傍に高家の女官がひとり立っている。なにやら言葉を交わしたあと、翠蘭のあとをつけるように、続けて外へ出てきたのだ。


(あらあら、後をつけてきて。高家はやはり紅玉や私をひどく警戒しているみたいね)


 尾行に対してこっそり笑みを浮かべただけで、それ以上の反応を示すことなく、翠蘭は先を急いだ。


(確かお兄様が、敬慧院は斎南宮の西の……奥の方にあると言っていたわよね)


 目的地の細かな位置まで把握していないため、若干の不安を覚えたが、すぐにそんな些細な感情は翠蘭の心から吹き飛んでいった。


 政治の中心地なだけあって多くの人々が行き交っているが、それよりも翠蘭の目を奪ったのはたくさんの幽魂の姿だった。


 天高く積み重ねた書類を両手いっぱいに抱え持って移動している様子だったり、立派な屋根の上で盃を交わし宴会を開いている様子だったり、池に釣竿を垂らしてのんびり釣りを楽しんでいる姿だったり、様々な幽魂たちが思い思いに生活をしていた。


 そして、幽魂たちは翠蘭が紅玉に成り代わっているのを機敏に察知する。決まってぎょっとした顔で見つめてくるため、思わず翠蘭は笑ってしまう。


(生きている人間よりも、幽魂たちの方が生き生きしているように見えるわ……あら。気づいたら人間が誰もいない)


 幽魂たちを興味深く観察しながら足の向くままに進んでいたため、翠蘭はいつの間にか、ひと気のない場所に踏み込んでしまっていた。


 紅玉である自分を追いかけてきている気配が、もうひとつ増えているのもしっかり感じ取っていたため、翠蘭はひと気のある場所へ戻ろうと考える。


 しかし、誰もいない道の先に黒焔こくえんの姿を見つけてしまい、戻りかけた足が止まった。


(黒焔? あんなところでなにをしているのかしら)


 黒焔はぽつんと宙に浮かんでいる。


 塀の向こう側を覗き見るような形ではあるが、その表情はとても寂しげだった。


 翠蘭は物悲し気な横顔から目をそらすことができず、自然と彼に向かって歩き出す。


(なにを見ているの?)


 名を呼びかけようとしたちょうどその時、突然黒焔はハッとしたように目を大きく見開き、そのまま姿を消してしまった。


 声をかける間もないほんの一瞬の出来事だったため、翠蘭はしばし呆然とする。


 しかし、黒焔が何を見ていたのかやはり気になり、彼がいた場所までゆっくり歩を進めていく。


 小さな通用門は見つけられたが門は開いていない。通用門を勝手に開けるわけにもいかないため、塀の向こうを確認するのは翠蘭には不可能である。


「この先にいったい何があるのかしら」


 思わず呟くと、ぎぎっと小さな音を立てながら通用門が開いた。


 中から武官がふたりほど出てきたため、咄嗟に翠蘭は後方に下がって控えた。


 続けて煌月えんげつ、最後に汀州まで出てきたため、翠蘭はしっかりと顔を伏せ、その場をやり過ごそうとする。


 しかし、先ほどの笙鈴同様、彼らも翠蘭を見逃すことはしなかった。四人の足は翠蘭の近くでぴたりと停止する。


「お前、翠蘭のお付きの女官だな。こんなとろに何用だ」


 翠蘭はゆるりと視線をあげ、警戒心いっぱいの目で自分を見つめる煌月と視線を通わせる。


「はい、煌月様。敬慧院に向かう途中でございます。どうやら迷子になってしまったようです」


 普通なら、皇子相手に蒼白な顔で言葉を返すところだが、目の前の女官は気後れする様子は一切なく、淡々と言葉を返してくる。


 そこに、煌月と汀州は違和感を覚えたらしく、そろって怪訝の面持ちとなった。


 一方で武官ふたりは、翠蘭の言葉に聞く耳を持たず大声で威嚇し始めた。


「おい女官、そんな嘘が通用すると思っているのか! この先は行き止まりだ。煌月様の邸宅に用があったのではないか」


「ああなるほど、この塀の向こうは煌月様の邸宅でございましたか。しっかり覚えておきましょう」


「なっ! 知らなかったとは言わせないぞ!」


「はい、知りませんでした。そのため、何があるのか気になっていたところでございます。教えてくださりありがとうございました」


 煌月の鋭い眼差しにも動じなかった翠蘭が、大声程度で怯むはずもない。


 武官相手に軽くかわすような会話を繰り広げてから、翠蘭は汀洲へ視線を送る。


「予定通り汀洲殿とお会いできたので、この道に入ったのもお導きだったかもしれませんね」


 翠蘭がにこりと笑みを湛えた途端、汀州はハッとし、焦りを滲ませながら前に出てくる。


「と、ということは、この私になにか用事でしょうか」


「はい。翠蘭様が強く所望する物がございまして、汀洲殿にお願いに上がろうとしていたところでございます」


「翠蘭は何を所望している?」


 すかさず煌月に質問を投げかけられ、翠蘭は口元に笑みを残したまま答えた。


「とびきり甘い飴、でございます」

「飴?」


 煌月は心の内を探るように、紅玉の姿をした翠蘭をじっと見つめる。


 張りつめた空気に汀州は耐え切れなくなり、紅玉を背中にかばうようにして、煌月と向かい合った。


「そろそろ要求されると思っていたので用意していました。飴は敬慧院に置いてあります。煌月様、私はいったん離れて、後ほど合流させていただいても?」

「……構わない」


 煌月から許可を得ると、汀州は恭しく拱手したのち、翠蘭の腕をがしっと掴み、足早に歩き出す。


 煌月たちからじゅうぶんに距離を取ったところで、汀州は苦々しく呟いた。


「翠蘭だな」

「大当たりでございます。さすがですね」

「お前、ばれたらどうする」

「今のところばれていません。お兄様以外には」


 翠蘭は煌月の物言いたげな面持ちを肩越しに見つつ、あっけらかんと言ってのけた。


 そして、吐き出された汀州の盛大なため息に、苦笑いを浮かべた。




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