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薄命の月華と呼ばれましても~あやかし後宮成り代わり譚~  作者: 真崎 奈南
第三幕、魂化術

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李家の秘術2

 部屋の空気が完全に和らいだところで、翠蘭すいらん紅玉こうぎょくに対して少し前のめりになりながら、興味津々に深堀りを始める。


「紅玉はあの老婆だけでなくその辺を浮遊している幽魂ゆうこんも見えていますよね? しかも、彼らを見慣れている様子。霊力のある娘を女官にと言われ、村の長老の奥方が紅玉に話を持ち掛けるくらいだから、幼い頃から霊力が? そう言えば、明明めいめいと一緒に真言を唱えていましたし、もしかして占術師としての心得も? 一緒に宮廷占術師を目指さない?」


 流れるように話しかけてくる翠蘭に、紅玉はただただ唖然としていたが、話が大きく飛躍しそうな気配を感じ、慌てて口を挟んだ。


「とんでもございません! 私は人よりもほんのちょっと霊力があるだけです。真言も、同じように霊力のあった母から自分の身を守るための魔除けの言葉として軽く教えてもらった程度で、まったくの素人でございます」


「あらそう……でも、あの呪術師の補佐があったとはいえ、術式はきちんと完成していましたし、紅玉はとても優秀ね!」


 翠蘭に褒められて紅玉は気恥ずかしそうに頬を染めた。


 その様子をにこにこ顔で眺めつつ、翠蘭はこれからの予定について弾んだ声で告げる。


「悪鬼に関する報告をしておかないと。早いうちが良いわ。今日中よ」

煌月えんげつ様に報告ですか?」

「まさか。会いに行くとしたらお兄様あたりが無難かしら」


 明明が挙げた人物を翠蘭は即座に否定し、そのまま紅玉に意味ありげな視線を向けた。


 それを紅玉は、お前が呼びに行けと命じられたと受け取り、緊張と共に力強く言い放つ。


「わかりました。私が汀州ていしゅう様に面会の申し込みをしてきます!」


「紅玉、待ちなさい。私も一緒に、もしくは私がひとりで行きます。呪術師側はこちらの動きを警戒しているはずです。そんな中、紅玉をひとりきりで使いになど出したら捕らえられてしまいますよ」


 明明の指摘に紅玉は怯むが、挫けかけた心をすぐさま立て直した。


「たとえ危険があろうとも、翠蘭様の望む通りに」


「だから待ちなさい。翠蘭様が望んでいるのは、汀州様との対話。紅玉が危険にさらされることなど望んでおりません」


 ふたりの掛け合いに翠蘭はふふふと呑気に笑ってから、会話に加わった。


「あら。ふたりとも私の話を聞いてなかった? お兄様にはこちらから会いに行くのよ」


 そこで明明はハッとし、翠蘭の考えを理解したように口を噤んだ。


 一方で、紅玉はぽかんと口を開け、困惑顔で確認する。


「……そ、それは……あの……翠蘭様が、汀州様の元に会いに行くという意味ではございませんよね?」


「そういう意味よ」


 翠蘭は笑顔で認めると、紅玉は言い難そうに続けた。


「それは無理でございます。翠蘭様は私用で後宮から出るのを許されません。後宮の通用門近くに親族となら面会できる場所がございますので、汀州様にそちらへ足を運んでもらうことになります」


 もしかしたら知らないのかもと説明を始めた紅玉だったが、微笑みを浮かべたまま黙っている翠蘭を見て違うと悟り、唖然とした表情となる。


「……それは承知の上での発言だったようですね。どのように後宮から出るおつもりですか? 門は両側から鍵がかけられているので、無理やり押し通るのは難しいですよ。塀を乗り越えますか? でもそれもきっと誰かに見つかってしまいます」


 そこで翠蘭は笑みを消した。眼差しに鋭さが混ざったのを感じ取った紅玉は、思わず息をのむ。


「ねえ紅玉。先ほど私に命を差し出すと言ったのは嘘偽りではありませんよね。私に、そして家に、忠誠を誓える?」


「誓います」


 緊張と共に力強く返ってきた紅玉の言葉を受け止め、翠蘭は座具からゆっくりと腰を上げた。


「あなたはこれから李家の秘術に触れることになります。この先、私があなたに疑いを持つことがあれば、その命いただきますから。お忘れなきように」


 翠蘭は冷酷な言葉を淡々と紡いだあと、もう限界だとばかりに、ふあっと大あくびをした。


「陽が頭の上にくるまで私は眠ります。可能なら、おふたりも休んでちょうだいね」


 眠そうな顔でそう言い残すと、翠蘭はとてとてと足音を立てながら歩き出す。


 一瞬で気の抜けた様子となった翠蘭に、明明は苦笑いし、紅玉は拍子抜けした顔をする。


 しかし、翠蘭がわずかにふらついたのを目にすると、「翠蘭様!」と揃って声をあげ、今にでも寝落ちしてしまいそうなあるじを慌てて追いかけた。




 宣言通り、太陽が空高く昇ったところで翠蘭は目を覚まし、早速動き出す。


 居所をぐるりと取り囲んでいる塀の内側、雑草を踏みしめながら四つ目の角にたどり着いたところで、ぴたりと足を止める。


 汚れている上に雨風にさらされ痛んでいる塀へと、翠蘭は躊躇いなく手を伸ばし、小声で術を唱えながら、なにかを書きつけるように指先を動かした。


 浮かび上がってきた光の文字は、輝きの波紋を広げるようにして塀の中へ消えていった。


「四つ角、結界完了」


 翠蘭は満足げに呟くと、軽やかに踵を返し、居所内へと戻っていく。


「お待たせしました」


 そう声をかけながら翠蘭が自室に足を踏み入れると、床に座って精神統一をしていた明明がゆっくりと目を開けて立ち上がり、不安な様子でうろうろしていた紅玉が慌てて歩み寄ってきた。


「翠蘭様、どのように脱走されるおつもりかわかりませんけど、ここはやはり、汀州様を呼びに行った方がよろしいのでは?」


「大丈夫、安心して。うまくやるから……さ、寝台に体を横たえてちょうだい」


 翠蘭の言葉に紅玉はきょとんと目を見開いた。すかさず明明が、言葉を失っている紅玉の腕を掴んで翠蘭の寝台へと連行する。


「ど、どうして寝台に?」

「気を失うので、前もって横になっていてもらった方が安全だからです」

「き、気を失うってどういうことですか!」


 明明の返答に、紅玉の混乱は深まっていく。


 躊躇いながらも寝台に腰かけた紅玉の前へ翠蘭は移動すると、怯える紅玉へとそっと顔を近づけ、ささやきかけた。


「今から紅玉の霊力をお借りして、私があなたになります」


 目をひと際大きくさせて自分を見つめ返してきた紅玉に翠蘭は微笑みかける。そして、姿勢を戻すと同時に表情を引き締めた。


「はじめます」


 翠蘭はぱちんと小気味よい音を響かせて両手を叩いた。


 術を唱え始めると同時に、紅玉の足元に後天定位盤こうてんじょういばんの模様が大きく現れ出た。


 紅玉は体はおろか指先までも動かせなくなり、困惑と怯え交じりの目を翠蘭に向ける。


 翠蘭はその視線をしっかり見つめ返しながら、綻びひとつなく術式を完成させていく。


 足元の後天定位盤から光が舞い上がり始めた。それはやがて光の柱となって翠蘭と紅玉の姿を包み隠す。


 明明は翠蘭の霊力に圧倒されつつも、動き出す。


 薄い煙が立ち上っている四つの香炉を、部屋の四つ角にそれぞれ配置し終えると、翠蘭たちの方へ振り返る。


 緊張感を持って明明が見つめる先で、翠蘭たちを取り囲んでいる光が徐々に弱まっていった。


 光の柱が完全に消えたあとも、後天定位盤の模様は輝き続けている。


 その模様の上に立っていたのは翠蘭ではなく紅玉で、気を失った様子で寝台に横たわっているのも紅玉だった。


 明明は躊躇いなく、目の前に立っている紅玉に話しかけた。


「翠蘭様、さすがでございます」


 ゆるりと紅玉が明明に顔を向ける。にこりと微笑んだ様子は、翠蘭そのものである。


魂化術こんかじゅつは久しぶりだから少し緊張したけど、うまくできたわ」


 相手の霊力を利用して、その人に成り代わる。これが李家に伝わる秘術、魂化術である。


 明明は紅玉の声に耳を傾けつつ、ちょっぴり顔をしかめて文句を言う。


「先ほども言いましたけど、やはり、成り代わるのは紅玉でなく私でも良かったのでは?」


 魂化術を使うつもりだと気づいた明明は、翠蘭が目覚めてすぐに苦言を呈した。けれど、翠蘭はそれをあっさり拒否したのだ。


「紅玉の姿でうろつくのは危険です。私も一緒に……」


「だめよ。明明にはこの場を守ってもらわないと、紅玉になにかあったら、私は消えてしまうわ」


 翠蘭に言い返され、明明はぐっと言葉をのみこんだ。


「ここは斎南宮さいなんぐう。昼日中、武官をはじめ、多くの人の目がある中で、考えなしに襲い掛かってくるほど愚かじゃないでしょう。仮に相手が愚かだったとしても、術の掛け合いで簡単に負けたりしませんから心配しないで」


 余裕たっぷりに言い切って、翠蘭は颯爽とした足取りで歩き出した。


 明明はそれ以上食い下がることはできず、紅玉の後ろ姿に翠蘭を重ねながら「どうかお気をつけて」と不安交じりの声を響かせた。




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