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薄命の月華と呼ばれましても~あやかし後宮成り代わり譚~  作者: 真崎 奈南
第二幕、皇后候補になりました

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対決2

 老婆がにやりと笑った次の瞬間、大蜘蛛が翠蘭すいらんに向かって一気に前進する。


 対する翠蘭はそれを迎え撃つべく、人差し指と中指を口元に添えて真言を唱え始めた。


 弧を描いていた老婆の口元が突然大きく歪み、翠蘭に糸を吐きかける。


 それを翠蘭は動じることなく軽やかに避けて、さらに、途切れることなく術を紡ぎ続け、衣の中から御札を一枚取り出す。


「翠蘭様、危ない!」


 大蜘蛛の歩脚が翠蘭に狙いを定めて大きく振り上げられたのをみて、紅玉こうぎょくが悲痛の声をあげる。


 翠蘭の目が大蜘蛛に向く。同時に、翠蘭を中心にして霊力を纏った強い風が波紋を描くように放たれた。


 霊圧によって大蜘蛛の体は大きく弾かれた。


 翠蘭に攻撃しようとした脚は爆ぜるように吹き飛び、体にはいくつもの裂傷が生じ、大蜘蛛はもだえ苦しみ、のたうちまわる。


 明明めいめいが大蜘蛛の向こう側に回り込んだ。やはりその間も、翠蘭と同様に言を唱え続けている。


 翠蘭と明明で大蜘蛛を挟み込む形を取ったところで、声を重ね合わせるようにして術式を完成させていく。


 大蜘蛛の下に後天定位盤こうてんじょういばんに似た大きな模様が浮かび上がってくる。


 模様が光を放ち始め、大蜘蛛を飲み込むように徐々に眩さを増していく。


 大蜘蛛は術式の外へ逃れようとするが、すでに歩脚のいくつかは光に捉えられていて動けない。


 すると、今までにやにや笑っていた老婆の霊が一気に苦痛に満ち溢れ、苦悶の叫び声を上げた。


 老婆の上半身が大蜘蛛の中へと取り込まれていき、代わりに本来の鬼のような大きな顔面が現れ出てくる。


 小さな壺を埋めた場所から地鳴りのようなものが響き、土が盛り上がり出す。


 紅玉はすぐさま立ち上がってそこから距離を置くと、程なくして土の中から小さな蜘蛛がわらわらと出てきた。


 小蜘蛛は真っ直ぐに大蜘蛛へと向かっていき、そのまま一体化するように取り込まれていく。


 それによって力を増した大蜘蛛は、己の歩脚を捕えていた光を打ち破り、その場から逃げ出そうとする。


 すかさず、明明が両手をぱちんと打ち鳴らす。その瞬間、大蜘蛛の四方を取り囲むように術式が展開された。


 翠蘭は持っていた御札の一枚を自分の顔の前にかざすと、ふっと息を吹きかける。


 青い炎を纏った御札を大蜘蛛に向かって、指先で弾き飛ばした。


 御札は意思を持っているかのように飛んでいき、大蜘蛛の体にぴたり吸着する。


 翠蘭は人差し指と中指を大蜘蛛へと向けて、紅玉に対して「いきます」と宣言する。


 素早く移動してきた明明の手が紅玉の肩に乗せられた。


 紅玉は手の温もりに背中を押されるようにして、緊張の面持ちで手鏡をしっかりと掴み直した。


 御札が大蜘蛛の体に溶け込むと、そこに術式の紋様が浮かび上がってくる。


 そして、翠蘭が指先で宙を斬ると同時に、大蜘蛛の体が光と共に内側から破裂した。


 まるで血液のように大蜘蛛の体から小蜘蛛が流れ落ちると、それらは真っ直ぐ紅玉に向かってくる。


 紅玉は小さく悲鳴を上げて身をのけぞらせるが、明明がぐっと前へと押し戻した。


 明明の真言に反応し、ふたりの足元に術式の模様が現れ、手鏡も青白く輝き出す。


 紅玉は我に返ったように鏡を持ち直すと、明明と一緒に言を唱え始めた。


 一斉に小蜘蛛たちが紅玉に飛び掛かる。しかし、それらは見えない壁にぶつかったあと、青白い炎に包まれ、次々と消滅していった。


 小蜘蛛たちに混ざって、鬼の顔を持つ小蜘蛛が紅玉に攻撃を仕掛けてきた。


 与えられた強い衝撃を必死に耐えた紅玉の視線の先で、その小さな体が青い炎に包まれた。


 少しばかりホッとしつつも、なかなか消滅しないそれを見つめていると、別の鬼の小蜘蛛が視界に映り込んできたため、紅玉はハッとする。


 改めて周囲を見回すと、鬼の小蜘蛛は燃えているものも含めて四匹いた。


 それらは自分に対して攻撃態勢をとっているものの、近づけば二の舞になるとわかるのか、近づいては来ない。


 甲高い声をあげながら一匹が消滅したところで、翠蘭が新たな御札を手にする。


 すると、それが合図になってしまったかのように、残りの三匹が連なるようにしてその場から逃げ出し始めた。


「私は悪鬼すべてにとどめをさします。ふたりは小さな壺の解呪とお婆さんのお世話を!」


 翠蘭は三匹を慌てて追いかけながら、明明と紅玉に指示を飛ばした。


 大蜘蛛が爆ぜたあたりに老婆の霊が倒れているのを確認した明明は口元を引きつらせながら、そして、紅玉はふたりに対し目に涙を滲ませながら「はい」と返事をした。




 何かに引き寄せられるように進んでいく残り三匹を追いかけて、翠蘭は走り続ける。


(こいつらの向かう先に、もうひとりの術者……呪術師がいるはず)


 絶対見失わないように目をそらさず、道をどんどん進んでいく。


(もしかして、こう家に向かっている? それだとしたら、あいつらは壺の中に逃げ込むつもりかもしれない)


 このまま行くと笙鈴しょうりんの居所があるのに気づき、翠蘭はしまったと眉根を寄せた。


 別の候補者の居所に勝手に立ち入ってはならない決まりがある。


 そのため直接確認したわけではないが、翠蘭は笙鈴の居所内からも、供物入りの小さい壺が放っていた禍々しさと似通った気配を、わずかながら感じ取っていたのだ。


 鬼の小蜘蛛たちがその壺の中へ逃げ込むということは、敵の呪術師の手の内に戻るのを意味している。


 そうなると、敵にこちらの実力を把握されてしまう場合もあるため、ある意味、失敗である。


(絶対に消さなくちゃ!)


 そう強く思うが息が切れてしまい、走り続けているこの状況では真言を唱えるのは難しい。


 笙鈴の居所の塀が見えてきて、翠蘭が焦りを覚えた時、道の先に男性が立っているのに気づいた。


(あれは……煌月えんげつ様?)


 薄暗がりの中に佇んでいるのは、紛れもなく煌月で、彼は雲がかかった月を見上げていた。


「煌月様、危ない! その場を離れてください!」


 行く手を塞げば、鬼の蜘蛛たちは煌月を敵とみなす。攻撃を加える可能性に、翠蘭が大きな声で必死に呼びかけた。


 煌月はゆっくりと体を翠蘭に向け、小蜘蛛の気配を察知したかのように眉根を寄せた。


「はやく! 煌月様!」


 煌月の霊力は高い。


 幽魂や悪鬼の気配は察することができるだろうが、姿が見えているわけではないため、襲い掛かられて避け続けるのは至難の業だろう。


「……えっ?」


 次の瞬間、翠蘭の足が止まる。


 煌月が無駄など一切感じられない動きと太刀筋によって、三匹の小蜘蛛を次々と斬り倒したのだ。


 唖然としつつも、翠蘭は肩で息をしながら煌月の元へ一歩一歩進んでいく。


 三匹はどれも顔を斬り付けられている。


 ひっくり返ってぴくぴくと脚を動かし、虫の息の様子から、最大の弱点を正確に突いただろうと判断できた。


「煌月様、しっかり見えていますよね。嘘つき」


 翠蘭が呼吸を整えながら文句を言うと、煌月が笑った。


「すまない。だいたいのものは見えている。でも俺は、今は見えないということで通している。他言無用だ」


 煌月が剣先を再び鬼の顔に突き立てると、闇夜に紛れるようにして小蜘蛛の姿が消えていく。


「これが朱家の候補者を襲った悪鬼か。この様子だと大蜘蛛から分裂したらしいな」


 見えているだけでなく、これがどういった種類の悪鬼なのかまでわかっているらしく、彼の博識さに翠蘭は苦笑いする。


「妙な胸騒ぎを感じ、後宮に来てみたらこれだ。翠蘭は……怪我はなさそうだな」


「はい、無事です。煌月さまのおかげで、私に向けられた呪いもきっちり打ち破れました。ありがとうございます」


 三匹目の小蜘蛛も消滅させたところで、煌月は翠蘭へ真剣な面持ちを向ける。


「仕組んだのは誰だ。あの女官か?」


 煌月の言う「女官」とは紅玉で間違いない。それを理解しつつ、翠蘭は煌月を真っすぐ見つめ返しながら、はっきり否定した。


「いいえ、見知らぬ呪術師です。私どもは悪鬼を打ち破るだけで手いっぱいでしたので、相手側の術式なども確認できませんでした。申し訳ございません」


 煌月が疑いながらも「そうか」と呟いた時、カサッと小さな音が響いた。


 翠蘭と煌月が勢いよく振り返ると同時に、小さな影が塀を乗り越えて笙鈴の居所の敷地内へと入っていった。


 見えたのはほんの一瞬ではあったが、それは蜘蛛ではなく蛇のような形状だった。


「煌月様、呪いは場所を変えて生きています。そちらにも首を突っ込む権利をいただけますか?」

「ああ。よろしく頼む」


 翠蘭と煌月は顔を見合わせ微笑み合ったあと、鋭い眼差しを笙鈴の居所へ向けた。





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