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薄命の月華と呼ばれましても~あやかし後宮成り代わり譚~  作者: 真崎 奈南
第二幕、皇后候補になりました

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嵐の前の平穏さ2

 雪玲しゅうれいに続いてちょう家の娘、続けて翠蘭すいらんも二胡を弾き終えたあと、煌月えんげつに言葉をもらう。


 それから雑談を交えて語らった後、講師の話を挟んで、ようやくお開きとなった。


(今夜こそ悪鬼が現れるかもしれないし、早く居所に戻って少しでも寝ておきたいけど、さすがに煌月様より先に退出するわけにはいかないわよね)


 皇后候補としての本日のお役目を果たした今、翠蘭はすぐにでも腰かけから立ち上がり、この場を立ち去りたい気持ちでいっぱいである。


 しかし、遅れてきた上に、煌月が場にとどまっているため、行動に移すのは気が引けて、ただぼんやり座り続けている状況である。


 心の中で渦巻く気だるい思いを極力表情に出さないようにしながら、翠蘭は煌月へと視線を移動させる。


 彼の傍らには、先ほどまですぐ近くに座っていた雪玲の姿があった。


(雪玲さんは話し足りなかったみたいですね)


 先ほどの語らいの場で、主に喋っていたのは雪玲と張家の娘だった。


 笙鈴しょうりんは時々会話に加わる程度で、煌月も同じようなもの。


 そして翠蘭は眠気と戦うので精一杯だったため、会話に加わることはなかった。


 お喋りはいつまで続くのかとうんざりすると同時に、眠気が一気に強くなる。


 顔を俯かせつつ、口元をしっかりと袖で覆い隠してあくびをしたところで、視界がわずかに陰った。


 目に涙を浮かばせながら、翠蘭がゆるりと視線をあげると、目の前に煌月が立っていた。


「翠蘭。具合が悪そうだな。居所に戻ると良い」

「え? ……あ、はい。お言葉に甘えてそうさせていただきます!」


 顔を輝かせながら翠蘭が立ち上がった瞬間、煌月が素早く翠蘭の手を掴み、自分の方へと引っ張った。


 引き寄せられるままに足元をふらつかせると、すぐさま、煌月が翠蘭の体を支えるように腰に触れてくる。


「大丈夫か? ふらついているぞ。辛そうだし、手を貸そう」


(今のは、煌月様のせいでは?)


 ふらついたのは誰でもない煌月の仕業である。翠蘭は大きく見開いた目で、非難交じりに彼を見た。


 軽く身を引いて煌月から距離を置こうとする。


 しかし、煌月が翠蘭の手も腰も頑なに離そうとしないため、逃げ出すことはできなかった。


「もともと体が弱いと聞いている。心配だ。無理をしないでくれ」


 すると、煌月は口元に薄い笑みを湛えながらも、翠蘭にだけ聞こえる声でぽつりと囁く。


「限界だ。このまま出るぞ」


 その瞬間、自分は巻き込まれたのだと翠蘭は理解した。


 嫌な予感と共に雪玲をちらり見ると、案の定、彼女は嫉妬をたぎらせたような目でこちらを見ていた。


「手を離してください。雪玲さんから反感を買ってしまいます」

「退屈そうにあくびをしていたお前が、いまさら何を言う」


 小声での反論は、煌月によってしっかり潰され、翠蘭は遠い目をする。


 宣言通りに煌月が歩き出した。彼にきつく手を掴まれている翠蘭は拒否できず、諦めて彼に従う。


 六角屋根の下から外へ出ようとしたところで、雪玲が刺々しく言い放った。


「薄命の月華だか何だか知りませんけど、煌月様の気を引くのがお上手ですこと」


 はっきり聞こえていたが、翠蘭は彼女に対して何か反応を示すことはせず、煌月と共に歩を進めた。


 東屋から十分に距離を置いたところで、ようやく煌月が翠蘭から手を離す。


「すまない。少し話したかったのもあり、あなたを巻き添えにした」

「お話なら先ほどされても良かったのでは?」


 翠蘭はそう言葉を返しながらも、主に雪玲がしゃべり続けていたあの場では話を切り出しにくかったかもと考えを巡らせたところで、煌月が自分の発言に修正を入れる。


「話というより報告を受けたかった。顔色が優れず、疲れている様子なのは、悪鬼が現れたということか?」

「いいえ。まだ私に姿を見せてくれません。こちらは楽しみで眠れず、睡眠不足だというのに」


 悪鬼の登場を心待ちにしている翠蘭の様子に、煌月は苦笑いで「そうか」と呟く。


「でも、そろそろだと思います」


 なにかを見つめているかのように遠くへ視線を向けて、翠蘭が予言する。


 煌月は翠蘭の冷静な面持ちに、翠蘭の祖母であり、未来を予見する能力に長けている静芳じんふぁんを重ねつつ、大きく頷いた。


「わかった。些細なことでも報告してほしい。力が足りないようなら雲頼うんらいに人員を増やすよう話をするし、少しでも不審な動きをするような者がいれば、即刻捕らえて刑に処す」


 はっきり言い切ったあと、煌月が後ろを歩く人々を流し見た。それにつられるようにして翠蘭も目を向け、ハッとする。


 明明めいめいはいるのに、紅玉こうぎょくの姿がなかったからだ。


 翠蘭は視線を前方へ戻すと、ふわりと微笑みを浮かべながら、「承知いたしました」と声を弾ませた。




 その夜、翠蘭は寝台に座って、月明かりに照らされた庭から響いてくる虫の声に耳を傾けていた。


 目はしっかり開けられていて、卓に置かれた香炉から立ち上っていく煙を見つめている。


 虫の声に交じってとたとたと足音が聞こえてきた。翠蘭が戸口に目を向けると同時に、明明が姿を現す。


「今宵も張り切ってお待ちになられるのですね」


 翠蘭が当然のように頷くと、明明は今にでも泣きそうな顔で周囲を警戒しながら室内に入ってきた。


「お、おひとりで大丈夫ですか?」

「ええ、構わないわ。紅玉の傍にいてあげて。……明明も怖いでしょうけど、何かあったら頑張ってくださいね」


 小さく笑って付け加えられた翠蘭の言葉に、明明は口元を引きつらせた。


 視線を香炉の煙に戻しつつ、翠蘭は静かに尋ねた。


「紅玉の様子は?」

「私以上に震えております。悪鬼がやって来ると思うと怖くて仕方がないのでしょう」


 紅玉は今回の皇后選定に合わせて出された募集を見て女官になり、翠蘭が来るまでは金雪玲の元にいた。


 直接、悪鬼による被害を受けたわけではない。


 しかし、悪鬼に襲われて取り乱している朱家の候補者や女官たちの姿をしっかりと目にし、心に強い衝撃を受けてしまっていた。


 昼間は気丈に振舞っていても、夜になると自分も悪鬼に襲われ、ああなるのではと恐怖にとらわれてしまう。


 そのため翠蘭の命令で、夜、明明は翠蘭ではなく紅玉の傍にいる。


「私では大したお役に立てないことはじゅうぶん承知しておりますけど、何かありましたらお呼びください。すぐに駆け付けますから」

「ありがとう。とても心強いわ」


 ふふふと翠蘭が柔らかい笑い声を響かせると、明明がくるりと踵を返し、部屋を出ようと歩き出す。


「……あ、明明、ちょっと待って」


 はっと気配を察知した翠蘭が、すぐさま呼びかける。


 しかし、一歩遅かったようで、ぼろぼろの衣を身に纏った老婆が明明の目の前に姿を現した。


 老婆は足を引きずるようにして進んでいたが、戸口でぴたりと動きを止めると、ぎこちない動きで明明に顔を向ける。


 落ち窪んだ目で明明を見据えた後、にやりと笑みを浮かべて、唇の隙間から黒い歯をのぞかせた。


「……い、いやああああああああああ!!!!」


 後宮内に響き渡るほどの絶叫を明明があげる傍らで、翠蘭は小さなため息をつく。


「残念、悪鬼じゃないわ」


 心底がっかりしている翠蘭の声は誰の耳にも届くことはなかった。




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