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社畜のおじさんは今日もパーカーの君と公園でしっぽりする  作者: こうと


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3/11

第3話 水曜日 温まるココア

今日という一日は、まさに泥沼だった。

 午前中に作った修正案は午後には白紙に戻り、夕方の会議では誰も責任を取らない不毛な議論が二時間続いた。

 パソコンのモニターを見すぎて、目の奥がチカチカする。


「……ココア、だったな」


 独り言が、冷えた夜の空気に白く混ざる。

 駅前のコンビニの自動ドアをくぐり、俺は迷わずレジ横の保温ケースへ向かった。

 注文通りのホットココアを二つ。それから、なんとなく目が合った「肉まん」を二つ。


 昨日のエクレアも良かったが、今夜の冷え込みには、手のひらに伝わる直接的な熱が必要な気がした。


 いつもの公園。いつもの街灯の下。

 ベンチには、やはりあのパーカーの影があった。

 今日は心なしか、いつもより背中を丸めて、小さくなっているように見える。


「……待たせたか」


 声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 フードの奥、少しだけ潤んだような瞳が俺を捉える。


「おじさん……。本当に来た」

「約束だからな。ほら、ココアだ。火傷するなよ」


 カップを手渡すと、彼女はそれを両手で包み込み、「あは……あったかい」と、凍えていた心を解かすような吐息を漏らした。

 俺も隣に腰を下ろし、自分のココアの蓋を開ける。

 甘い、どこか懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。


「あと、これも。夕飯まだだろ」

 差し出したのは、紙に包まれたアツアツの肉まん。


「えっ、肉まん? 嬉しい……」

「半分にするか? ……あ、いや、一人一つあるから遠慮しなくていい」

「ふふ、おじさん、食いしん坊ですね」


 彼女は小さく笑って、肉まんを割った。

 中から真っ白な湯気が立ち上り、彼女の顔を優しく包み込む。

 

「……ねえ、おじさん」

「ん?」

「今日ね、すっごく眩しいところにいたんです」


 彼女は肉まんを頬張りながら、遠くの暗闇を見つめた。


「ライトがいっぱいあって、みんなが私の名前を呼んで、笑って。……でも、終わったあとに鏡を見たら、自分が誰だか分からなくなっちゃって」


 それは、普通の女の子が抱える悩みにしては、少しだけ重い響きを含んでいた。

 俺には、彼女がどんな世界で戦っているのかは分からない。

 けれど、この街灯の下で肉まんを食べている彼女が、一番「本当」に近いところにいるような気がした。


「……俺も似たようなもんだよ」


 俺はココアを一口飲み、言葉を繋いだ。


「会社じゃ『課長代理』とか『担当者』とか呼ばれるけど、俺という人間を見てる奴なんて一人もいない。みんな、俺が座ってる『椅子』に用があるだけだ」


 彼女が、じっと俺の横顔を見る。


「でも、ここならただの『おじさん』だ。君も、ただの『パーカーの君』でいい。名前も肩書きも、この公園の入り口に置いてくればいいんだよ」


 静かな沈黙が流れた。

 気まずい沈黙じゃない。

 ココアの熱を、肉まんの温かさを、ただじっくりと味わうための時間。


「……おじさん、たまに良いこと言いますね」

「たまに、は余計だ」


 彼女は最後の一口を飲み干すと、ふぅーっと長く、白い息を吐き出した。

 その顔には、先ほどまでの曇りは消えていた。


「よし、元気出た。……おじさん、明日はね」

「まだ注文するのか?」

「……おじさんの、好きなものがいいな」


 彼女は少しだけ体を俺の方に傾けて、いたずらっぽく笑った。

 パーカーの袖が、俺のスーツの袖に一瞬だけ触れる。


「私が知らない、おじさんの『一番おいしい』を教えて」

「ハードルを上げるな。……気が向いたらな」


 立ち上がって歩き出した彼女の背中を見送りながら、俺は冷めかけたココアを飲み干した。

 

 明日の仕事は、今日より少しだけ、うまくやれる気がした。

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