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◆番外編⑤◆『誓いのベール ― 若き日の皇后たち ―(後編)』


 寝所に呼ばれた、その翌日からだった。

 私は“側妃”と呼ばれる立場となり、

 それまで共に眠り、笑い、祈りを捧げたマデラン様とは別の宮へと移された。


 心は、まるで誰かに剥ぎ取られたように空っぽだった。

 それでも、皇帝の私への寵愛は日を追うごとに深まっていく。

 廊下ですれ違うたびに向けられるマデラン様の視線――その中に宿る怨嗟が、

 胸の奥を鋭く締めつけた。


 「どうして……私はあなたを傷つけるばかりなの……」

 夜ごと眠れぬまま、ベールの裾を涙で濡らした。


 やがて、マデラン様の第一皇子――カーティス殿下が一歳半を迎える頃、

 私の腹にも新たな命が宿った。

 それは奇跡のようであり、呪いのようでもあった。


 小さな鼓動が、罪を刻むように響いていた。

 ――マデラン様の幸せを願ってきた私が、その夫の子を宿すなんて。

 この命を愛してはいけない、そう思えば思うほど、

 お腹に触れる指先は震え、涙がにじんだ。


 そんなある日の午後。

 柔らかな陽光がテラスの白石を照らし、花の香りが風に揺れていた。

 私はひとり、紅茶を口にしていた。

 そこへ、マデラン様付きのメイドが現れる。


 「皇后陛下より、お祝いの菓子をお届けに参りました」


 白磁の皿に並ぶのは、かつて二人で好んで食べた花の蜜菓子。

 私は息を呑んだ。

 ――マデラン様が、私を許してくださるの?


 涙がこみ上げ、笑みが滲んだ。

 けれど、その瞬間。


 一羽の黒いカラスが舞い降り、菓子の一つを嘴でついばんだ。

 次の瞬間――。

 小さな体が痙攣し、床に落ちて動かなくなった。


 「……嘘……」


 皿が手を離れ、石の床に砕けた音が響く。

 風が止まり、世界が静止したようだった。

 震える指先でカラスを抱き上げる。もう息はない。


 毒――。


 マデラン様が、私を憎んでいる。


 胸の奥が裂けるように痛んだ。

 けれど、皇帝に訴えることなどできなかった。

 それはあの方を滅ぼすことであり、かつて愛した自分自身をも壊す行為だから。


 悲しみと恐怖、そして……守りたいという衝動が溢れ出す。


 (この子だけは……この子だけは、私が守らなければ)


 その日から、私は変わった。

 誰をも信用せず、誰にも心を許さず、

 “皇帝の寵愛”という盾を掲げ、権力の階段を登り始めた。


 ――我が子を守るために。

 ――かつての愛を胸に秘め、誰にも奪わせぬために。


 やがて私は皇帝の“皇妃”にまで上り詰めた。

 だがその頃には、もはや心に残るのはマデラン様への愛ではなかった。

 あるのは、子を守るための意志と、果てしない孤独だけだった。


 娘ジェニエットを、皇帝の腹心たる宰相グラヴィスへ嫁がせたのも、

 その延長にすぎない。

 ――権力こそが、命を守る唯一の術。

 そう信じて疑わなかったのだ。


 すべては、子供たちのため。

 すべては、マデラン様に奪われぬため。


* * *


 「……そうして、私は今日まで生きてきたのです」

 母上の声が、静かに部屋に響いた。


 ジェニエットは、唇を震わせた。

 (母上……そんな過去があったなんて。

  てか、サラッと“マデラン皇后が最愛の人だった”って言いましたよね!?)


 頭の中が軽くパニックになりながらも、彼女は微笑みを返す。


 母上はふっと目を細め、遠い昔を見るように言った。

 「急な話で驚いたでしょう?……もう歳かしらね。

  誰にも言わずにおこうと思っていたの。でも……なぜかしら。

  あなたには聞いてほしくなったの」


 一筋の涙が頬を伝う。

 その涙を見た瞬間、ジェニエットの胸の奥で何かが音を立てて崩れた。


 ――この人は、ずっと苦しんでいたんだ。

 憎しみを装いながら、本当はずっと、愛して泣いていたんだ。


 気づけば、ジェニエットは母を抱きしめていた。


 「母上……もう大丈夫です。

  今は、私たちがいます。もう何も恐れないで」


 アマデルの瞳から、抑えていた涙があふれ出した。

 震える手で娘を抱き返す。

 「……本当に今までごめんなさい。……愛しているわ、ジェニエット」


 ジェニエットの頬にも、同じ涙が伝った。


 人には過去があり、痛みがあり、そして間違いもある。

 けれど――やり直すことは、きっとできる。


 この瞬間こそ、母娘としての新しい物語の始まりだった――。



---

アマデル皇妃の“愛と罪”を描いた前後編、ここで完結です。

彼女の選んだ道の痛みと、その奥にあった優しさを、少しでも感じていただけたら嬉しいです。


面白い、また続き読みたいと思ってくれたら感想お願いします✨

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