【第35話】紅に染まる誓い ― 戦場に咲く愛 ―(グラヴィス視点)
戦地に赴いてから、十日ほどが経った。
戦況は上々。初めはカーティス殿下の指揮にわずかな不安を覚えたが、殿下は素直で学びの早い方だ。
私の助言をよく聞き入れてくださり、おかげで勝利は時間の問題――そう思っていた。
……それでも、心のどこかに焦燥が募っていた。
ジェニエットが恋しい。
まだ離れて間もないというのに、まるで何年も会えていないかのようだ。
このような感情を抱いたのは、彼女と出会ってから初めてだった。
幼いころから、両親もなく、愛情を知らずに生きてきた。
だが――知ってしまったのだ。
あの柔らかな微笑みを。
あの温もりを。
名を呼ばれるたび、胸の奥が震えるあの感覚を。
常に傍にいたい。
抱きしめ、口づけたい衝動を、戦の只中で必死に抑え込む。
そんな折、城から二通の書簡が届いた。
一つは皇帝陛下からの命令書。
そしてもう一つは――。
カーティス殿下が封を手にし、口元に笑みを浮かべた。
「おい、グラヴィス。これはお前宛だ。ジェニエットからだぞ」
封蝋には、彼女の印章が押されていた。
その紋章を見ただけで、胸の奥が熱を帯びる。
私は静かに礼を述べ、すぐに封を切った。
中から、かすかに甘い香りが立ちのぼる。
> 『グラヴィス様……私の大切なお方。
私の命。私の愛。
ずっと無事を祈っております。……早くお会いしたい。』
その瞬間、血が逆流するような熱が全身を駆け抜けた。
私は「失礼いたします」とだけ告げ、天幕へと戻る。
灯を落とし、静寂の中で手紙を指先でなぞった。
震える唇で、その香りを吸い込む。
「……ジェニエット。」
戦のさなかだというのに、頭の中は彼女のことでいっぱいだった。
帰ったら、どうしてやろうか。抱きしめ、口づけ、そして……。
そんな想いに胸を焦がしながら、夜は静かに更けていった。
――そして、数日後。
敵の降伏は目前だった。
陣内には緩やかな空気が流れ、カーティス殿下をはじめ皆が早い勝利を確信していた。
それが、命取りだった。
まさか、衛兵の中に敵が紛れ込んでいようとは。
その姿を見た瞬間、息を呑む。
金の髪に金の瞳――アルフォンス王子!?
(やつは逃げたのではなかったのか……!)
私の策に嵌まり、行き場を失ったはずの男が、昏い目をしてカーティス殿下に刃を向けていた。
「殿下!」
咄嗟に身体が動く。
殿下の前に飛び出し、その刃を受けた。
――ズシャッ。
熱いものが腹を伝い、指先が血に濡れる。
それを見つめても、どこか現実感がなかった。
「……っ、ふはははっ! やったぞ!
僕をこんな目に合わせやがって……道連れだ!」
アルフォンス王子が叫び、再び剣を振り上げる。
だが、その刃が振り下ろされるより早く、背後から兵が彼を斬り伏せた。
地に伏した王子の断末魔が、やけに遠くで響く。
視界が霞み、意識が沈む。
最後に見えたのは、赤く染まった空と、風に揺れる陣幕。
「……ジェニエット。」
その名を唇に残したまま、暗闇がすべてを呑み込んでいった。
その頃、遠く離れた城では――
彼女の胸の奥で、新たな命が小さく鼓動を刻み始めていた。
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アルフォンス王子は、グラヴィスよりも「祖国を滅ぼした帝国」への憎しみに突き動かされていました。
その象徴たるカーティス殿下を討つことで、せめて報いを果たそうとしたのかもしれません。
次回最終話です。




