56
翌日、リュウイチは何度も礼を述べ、もし合格したらまたお世話になりたいです、と希望を持ち帰って行った。せめて新幹線まで見送りに行くと駄々をこねたリュウジであるが、その日は自分の高校の登校日にあたっていたので、リュウイチに諭されしぶしぶ玄関先での別れとなった。
「合格発表は、時間にちゃんと見に行くから。」と念を押されるたびに、リュウイチは頭の痛いような表情をして、黙したり、「無理しなくていいから」と遠慮がちな言葉を投げかけたりするのであった。
「ともかくありがとうございました。結果はともかく、自分としては十分やり切れました。これで落ちていても後悔はありません。」
そう言ってリュウイチは吉村夫妻に何度も頭を下げ、丁重すぎるほどの礼を言って帰って行ったのである。
それから一週間の間、リュウジは相変わらず高校から課されたレポートを書いたり、バイトに精を出したり、はたまたギターを弾き曲を作ったりして過ごした。そしてその合間合間に、「あと何日で合格発表だ」と思い立ち、息を呑んだり緊張感に襲われたりするのであった。
そして遂に合格発表の日になった。前日リュウイチから連絡があるかもしれないとリュウジは思っていたが、電話は一切鳴らなかった。それがリュウイチの緊張感を物語っているような気がして、リュウジもその晩はうつらうつらするのみで、夜中に何度も目を覚ました。部屋に掛けたカレンダーには、しっかりと合格発表の日と大書きされている。リュウジはそれを確認しては、何度も水泡のような儚い眠りについた。そうしてうっすら窓の外が明るくなる頃、リュウジは目覚まし時計が鳴り出さぬ前からスイッチを切って起き上がった。今日、リュウイチの運命が決まる、そういう天啓のようなものが頭の中に響いたような気がした。
部屋を出て一階へ降りると、明らかに緊張した風の女将と店主が既に朝食の準備された食卓で思いにふけっていた。
女将はリュウジを見つめて、「いよいよだね。」とつぶやくように言った。
「うん。」
「大学に行ってくんのか。」店主もしわがれた声で言った。慌てて番茶を啜る。
「もちろん。」
「見間違えの、ないようにね。……ほら、数字がいっぱい並んでるんだろ。リュウジはおっちょこちょいな所があるからさ。」
「大丈夫だよ。」リュウジは厳しい眼差しで頷いた。
「もし、もしだよ。そんなことは万が一にもねえんだが、もしだ。残念な結果だったら、リュウイチ君に電話なんざしねえ方がいいんじゃあねえか。やっぱ、親友のお前から聞いたらショックもでかかろうし。」
「なあに言ってんだよ! そんなことはないんだって。」
「そうだそうそう。そりゃそうなんだが、万が一の話だ。」
「万が一だって億が一だって、ないもんはないんだよ!」
「そうだよな。うん。」
夫婦は顔を見つめ合いながら、ため息を吐いた。
「昨日は、リュウイチ君からなんか連絡はあったのか?」店主が心配そうに尋ねる。
「ううん、無かった。」
「リュウイチ君はリュウイチ君で、緊張しているんだろうよ。早く合格してたよって、連絡してあげたいもんだねえ。」
「うん。十時に張り出されるみたいだから、それまでには行かないと。遅刻しねえように。」
リュウジはそう言って朝食を食べると、店の掃除をし、下ごしらえの手伝いをすると、夫婦に固く見守られながら家を出た。
「気を付けていけよ。」店主は力強くリュウジの手を握りしめ、上下に激しく降った。
「何かあったら、すぐにうちに電話するんだよ。」
リュウジはゆっくり肯いた。
リュウジは今日ばかりは何と言っていいのかわからない、ただただ不穏な鼓動を胸に感じながら、家を出、電車に揺られてそしていざ大学に着いた。先週来た時にはリュウイチを励ますので精一杯で、ろくに大学なんぞ見てもなかったが、リュウジはこんな気持ちだったのかもしれない、とリュウジは今更ながら背に冷や汗を感じた。
周囲にも自分と同じく頬を固くした同年代の学生たちが、それぞれ無言で、時折親に励まされたりしながら合格発表の場所まで歩いていく。門を潜り、そして幾つかの古びた校舎を過ぎると、布を被せられた大きな白い板が聳え立っていた。周囲には大学生が合格者をそのまま連れ出す算段なのであろうか、サークルの看板を持って待機している。彼らにとって合格発表は既に経験済みのことであるし、所詮は他人事であるから陽気なものである。遠慮がちにそれでも非日常に浮き立ちながら、おしゃべりに興じていた。
リュウジは布が透けて見えぬものかと白板に目を凝らし、それが無理だとわかると、スマホに保存したリュウイチの受験番号を凝視し、何度も口中に呟いて、それからできるだけ合格発表の板に近いところに仁王立ちした。
しばらくすると、「合格発表のお時間になりました。」と、係らしき二人組の男性が胴馬声を発し、一気に布を引きずりおろした。
うわあ、と歓声ともざわめきとも言えぬ声が上がる。一瞬の間の後、感極まった歓声が、あちこちから上がった。リュウジは焦燥しながら、必死に番号を上から順番に読んでいった。誰も落ちていないような順番通りの箇所があり、かと思えば十も数字の飛んでいる箇所があり、リュウジは叫びだしたいような衝動に駆られた。そして、
「あったー!」喉が裂けんばかりの声が出た。
「あった! あった!」リュウジは飛び上がる。
「マジかよ! あった! リュウイチ凄ぇじゃねえか! リュウイチー! おーい!」
そう叫ぶと今度はぶるぶると身が震え、嗚咽が出た。視界が滲み、リュウジは思わずその場にしゃがみ込んだ。
「おめでとうございます!」
ふと、顔を上げるとテニスラケットを持った学生たちがリュウジを囲んでいた。
「ありがとうございます!」リュウジは涙を振り払って答える。
「ぜひ四月からは私たちのテニスサークルへ。お待ちしてます。」
「ありがとう。テニスはやらねえと思いますが、一応言っときます。」
学生たちは眉間に皺を寄せて首を傾げた。
リュウジはすっくと立ちあがると涙にぬれた頬を拭って、スマホで受験番号の写真を撮るとそれをリュウイチに送信した。折り返し、すぐに電話がかかってくる。
「リュウジ、これ、これ、本当か?」
「本当に決まってんだろ! お前、マジで凄ぇよ。本当に、本当に、……ああ、何て言ったらいいのか。ありがとう。ありがとう!」
リュウジは再び視界を滲ませながら這うようにして、胴上げの群衆を縫って校門へと歩いていく。




