29
今回初めてDay of Salvationを知った客も少なくないようで、ライブ終了後に物販ブースを訪れると、今まで見たことのない顔が、これから応援するだの、是非ともフルアルバムを出すことになったら購入するだのと次々に口にしてくれるのを、四人は心底嬉しく受け止めた。
そうしてやりとりをしつつ次第に観客の少なくなっていく中、物販ブースで次のレコーディングの話に興じていた四人は、一人の男が近づいてくるのに気付いて顔を上げた。
「いいパフォーマンスでしたね。」
男はおそらく齢40程かと思われた。肩に付くくらいの緩やかなウェーブがかった髪に柔和な笑みを湛え、革ジャンの下にはENTOMEDのTシャツを着ていた。四人はこのようなメタル愛好歴の長そうな人までもが自分の曲に興味を持ってくれたことに、純粋に喜びを感じた。
「ありがとうございます。」真っ先にそう答えたのはリュウジであった。「初めてこんな大イベントに出られることんなって、マジ気合入れて臨みました。まあ、とはいってもミスはありましたけど。」人懐っこい笑みに、男も安堵を覚えたようである。
「若手の中ではずば抜けて曲がいいという評判を耳にしていて、是非一度ライブを見てみたいと思っていたんですよ。」
「ありがとうございます!」リュウジは忠義な犬のように顔を突き出した。
「曲は全部こいつが作ってんですよ。ギターのリュウジです。」アレンが言った。
「そうだ! もし良かったら聴いてみてくれませんか。2曲入りのデモなんですけど。今日やったのも入ってるんで。」そう言ってリュウジは残り一枚となっていたCDを差し出す。
「ありがとうございます。」男は丁重に受け取った。「……それで、その……もし、よろしければ、これから少しお時間頂けませんか。……私は、こういう者です。」
男はそっと革ジャンの内ポケットから一枚の名刺を差し出した。そこに「Nightmare Records代表取締役 菅野正道」と書かれていた。四人は息を呑んだ。
四人が打ち上げとして連れて行かれたのは、近くにある小さなバーであった。ライブ後は大抵居酒屋に流れるのが常であるから、他のバンドマンは無論誰もいない。静かな店内には、十数名の客が赤いドレスを着た妙齢の女性が弾くグランドピアノをバックに、酒と会話を楽しんでいた。
菅野は全員に注文したドリンクが届いたことを確認するなり、言葉を切り出して行った。
要は、契約を取り結びたいということであった。契約内容を記した要旨をアレンに手渡し、急ぎでは無いからじっくり考えてくれと告げた。アレンは目を白黒させながら契約書に目を落としている。リュウジもヨシもキョウヘイも、胸中には「正夢」の二字が始終去来していた。
一通り契約の意向と内容とを語り終えると、菅野は幾分リラックスしたかのようにちびり、ちびりと手元のブランデーに舌を湿しながら、今日のライブについて感想を述べ始めた。今日ライブに来た本来の目的は、当然と言えば当然ではあるがヘッドライナーのバンドにあったということであった。それはNightmare Recordsの所属にあるので、都内でライブを行う際には欠かさず観に行っているのだとも言っていた。
「……そんで、ライブのダメ出しとか、するんすか。」アレンが恐る恐る尋ねる。
「ダメ出しか!」菅野は噴き出した。「まあ、そんなことは僕が言わなくても彼等自身が一番よく分かっていることだからね。わざわざ僕から言ったりは、あまり、しないかな。まあ、万が一彼らが気付いていなさそうであれば、言うけれど。」
半信半疑、ぐらいの眼差しでアレンは社長を凝視する。
「……僕も昔はバンドをやっていた身だからね。プライド、人生、ある者は命、そういうものを音楽に賭して戦っているということは、わかってはいるつもりだ。利益のあるアドバイスはするつもりだけれど、彼らを単に傷つけるだけの言葉はかけても、互いに不利益を被るだけからね。それに、ライブは生ものだ。どうしても自分の努力だけじゃあライブの成功は勝ち取れないだろう? 急な機材トラブルだったり、ライブハウス自体のトラブルだったり。」
「まあ、……そうですね。」
菅野は何かを思い出しながら、くすりと笑って、「一度、ライブハウスの上のフロアのエアコンか何かが壊れたとかで、ステージが水浸しになって散々だった時があったな。それはそれで面白かったけれど。」
「そんなことがあるんですか。」アレンは面白そうに笑った。「社長は、楽器は、何やってたんですか。」
「ギターだよ。」穏やかに答える。「リュウジ君と同じように、作曲もしていてね、バンドの曲のほとんどを担っていた。」
「……何で、バンド辞めたんですか。」キョウヘイが恐る恐る尋ねる。
「……何でだろうねえ。明確なきっかけっていうのは、あったのか、なかったのか……。散々テクニカルなギタリストのプレイを間近で見て、自分のギタリストとしての力量に見切りが付いたっていうのもあるし、それよりも色々なイベントに出てたくさんのバンドを知って、シーン全体を盛り上げたいって思ったのも勿論あったな。大学で経営学を学んでいたこともあってね、どうしても経済問題でバンドを辞めざるを得ない、才能溢れる人たちに大勢出会って、辞めさせたくないな、……何とか利益を出して還元できる仕組みを構築できないものかなと思ったんだよね。」
リュウジは既に菅野に惹かれていた。女将が口を酸っぱくして言っていた「巧い話には乗ってはいけない、東京には人を騙すような人もたくさんいるのだから。リュウジは純朴だから心配だよ。」そんな言葉も思い出さないではなかったが、それでも否応なしに菅野から滲み出る、挫折を知った人間の優しさと強さとに心地よさを感じ、ずっとここに浸っていたいと思わせられてしまったのである。
「所属しているバンドに、どんなことをしてあげてるんですか。」リュウジは尋ねた。
「あははは。してあげる、というような丁寧な世話は焼いていないけれどね。一応基本的にはそのバンドの色に合ったイベントを打ったり、広告打ったり、いいエンジニアを選んでレコーディングのバックアップをしたり。後は何か困ってることはないか、ライブの後にこうしてバンドマンたちに話を聞いたりとかね。何も特別なことはしていないよ。だから、僕がもし、君らのバックアップに当たったとしても、突然明日からヒットチャートに乗ってテレビに出て、などということはない。」
そう言って社長は苦笑した。
「でも、君らの音楽を聴いて、何というか……、とても心惹かれるものを感じてね。こういう言い方をすると傷つけてしまうかもしれないが、君らはまだ若い分演奏も粗削りだし、それぞれが必然的にここに集っている、というような一体感においてもまだ不十分だ。でも、それを差し引いても曲がいい。相当緻密な計算をして作っているのか、神に愛されていて、感覚で作れてしまうのかわからないけれど(と言ってリュウジに微笑みかけた)、とにかくそこいらのバンドマンが何年、若しくは十何年かけて到達できる境地を超えているのは確かだ。だからこの後色々な経験をして君らの音楽に円熟味が増していって、テクニックにおいてもライブパフォーマンス的にも完成度を高めていった時に、どんなバンドになるのか、誰よりも間近で見てみたいんだ。だから声を掛けた。もちろんうちと契約をしないからと言って、悔しくは思うかもしれないけれど君らに負の感情を抱くことはないし、残念ながらそういう事情になったとしても、君らをこれからも見守っていきたいと思っている。それぐらい、君らの音楽には、まあ、陳腐な言い方だが『可能性」を感じるんだ。」
リュウジはカッと頬が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます。」
辛うじて冷静を装ったアレンが俯きながら言った。
「そんなに言って下さって、なんていうか、凄ぇ嬉しいです。俺ら、こいつをメンバーに入れて、バンドを本格的に活動し始めてまだまだで、でも、これから頑張っていきたいって思ってるんです。なので、これ、前向きに考えさせて貰います。結論が出たら、すぐ、ここに連絡します。本当に俺らなんかに声かけて下さって、ありがとうございます。」
リュウジはアレンが即答しないことに、少々の焦燥を覚えつつも、とりあえずバンドの将来のために(父親とうちの弁護士だとか言ったか)相談をし熟慮してくれるのであろうと思えば、頼もしくも感じた。
菅野はそれからも多弁、というのではないが、若い四人に請われるがまま、必要な事柄を必要なだけ話した。四人はその会話の中で、自分たちが勝手にレコード会社というものに抱いていた権威や圧力と言ったイメージが一気に霧散されて行くのを感じた。菅野は穏やかに決して押しつけがましくなく、これからの日本のメタルミュージックへの展望や希望を語った。特にDay of Salvationが包括されるメロディックデスメタルは、今でこそ北欧が盛んであるが、今後、日本においてもメタル全体を牽引していく可能性がある。稀有なるメロディーが生み出されていけば、もっとメタルを訊く人の裾野を広げていく。そう語った。そしてそのためにはバンドマンが生活に不安を覚えず音楽に邁進できる環境を、どうにかして提示していきたいのだと。そのために先細りのCD媒体に固執するのではなく、もっとライブ以外も含めたイベントを増やしていくことを考えているのだと言った。
それらは決して机上の空論ではなく、むしろ地に足のついた希望であったので気難しい顔をしているアレンも、疑念や批判的な発言を口にすることはなかった。四人は少々の疑念も余さず、全て菅野に問いかけ十分な答えを貰い、その応酬を三時間ばかり繰り返すと再び早々に返事をすることをアレンが約束し、バーを後にした。




