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王子様の恋  作者: 来生尚
巫女という奇跡
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 春になり、神殿内の不穏な動きの一端を『闇』が掴んだ。

 やはりルデアの読みどおり、新たに神官になった者に教育を施す『学者』と呼ばれる神官が怪しい動きをしているようだ。

 また『学者』は外部諜報員の一人と繋がっているようだった。

 その外部諜報員は兄上一派と繋がりがあるようだが、幸いにも神殿の中核を担うような人材ではないようだ。

 文字通り手足にしか過ぎず、神殿の重要な情報である「巫女の状況」に関するようなものは知り得ることは無いような末端の諜報員だ。

 問題があるとすれば『学者』のほうであろう。

 教育係をも務める『学者』は神秘主義者であり、熱狂的な姫派であるという。

 それ故に、姫の周囲の女官たち(主に王都から連れて行った者たち)との信頼関係は厚いという。

 恐らくここがお嬢と呼ばれる現在の巫女を排斥しようと動いているのだろう。

 容姿、振る舞い。全てにおいて完璧と呼ばれし巫女だった、今の神官長。

 それに対し、野暮ったいだとか覇気が無いだとかと神官たちからの評価は低い、今の巫女。

 彼女が「類稀な」と呼ばれる稀有な存在だという事は一部神官たちしか知らないようだ。

 それが彼女の周囲を固める「御付神官」たち。

 長老の話に寄れば、次世代の神殿の中核をなすべく育成している者たちであり、それぞれが異なった職種を担っている為に、他の者を介在させる事無く巫女の周囲を特定の人間だけで固める事が出来るそうだ。

 巫女付の一人であり、片目と呼ばれる外部諜報員の神官のこともそれとなく尋ねたが、信頼に値する人物であるという返答が戻ってきた。

 兄上の勢力と繋がりがあろうとも、決して神殿内の情報を安易に相手に漏らすような者ではないと。

 そうであって欲しいというのが現状だ。

 直接コンタクトを取る事も可能ではあるが、今動けば兄上に警戒される事は間違いないだろう。

 兄上を警戒する一方で、同時に兄上が敵でないと信じたい。

 愚かしいと思われるかもしれないが、どうしてもその気持ちは拭えない。

 仮に彼女に手を出してきたらどうするか。

 考えなくてはならないのに、その問題を先送りにし、現実を直視する事を避け続けている。

「彼女にきちんと伝わっただろうか」

「……お嬢様の周囲が有能であると信じるしかありませんね」

 掴んだ情報をもとに、巫女である彼女に神官に対する警戒を強めるように警告を発したが、もしも周囲に裏切り者がいないとも限らない。

 教育係が神官教育の際に使う「教本」のページを破り、そこに巫女に対して周囲に警戒するようにというメッセージを書いて渡したが。

 彼女が「御付神官」を信頼しているのならば、今頃は彼らの手にメッセージが届いているだろう。

 正確に届けばいいのだが。

 神殿に行った際に、妙に神官長が俺に対して警戒心をむき出しにしてきた。

 まるで俺が神殿をぐちゃぐちゃにしようとでもしているかのように。兵を送り込んで制圧しようとでもしているかのように。

 神官長であり婚約者でもある姫の態度は、時期を追うごとに硬化してきている。

 俺が巫女を暗殺しようと思っていると勘違いをしていたり、今回も俺が兵を神殿に差し向けたように思っていたり。

 誰かが神官長に余計な事を吹き込んでいるのだろう。

 暗闇に僅かな蝋燭の灯りだけが燈る部屋で、書類を捲っているルデアに声を掛ける。

 ギーは今日は大公家での晩餐会という名の派閥の決起集会に父である大公の命で参加している。

 昼間は兄王の執務の手伝いという名目で、実質王の執務を代行している身であるため、どうしても本来業務に滞りが出てきてしまい、こんな時間まで仕事をすることになる。

「そういえばさ、ルデア、あのお嬢さんとはどうなってるんだ?」

 以前ルデアが王宮での宴の際に密会していたご令嬢。

 その正体は某伯爵家の令嬢であり、ルデアが娶るとしても身分的には問題は無い。

 問題があるとするならば、ご令嬢の父が兄王一派の一人だという事だろう。

 ふっとルデアは俺の問いを鼻で笑う、とんとんとサインと捺印が終わった書類の束を机で音を立てて揃える。

「どうもこうも、何もありませんよ」

「俺のこと気にせず、その気があるんなら早いとこ娶ってやれよ。俺もそうだがお前も十二分に適齢期なわけで、お嬢さんだってそうなんだから」

 あのうら若い儚げなご令嬢が「いき遅れ」の烙印を俺のせいで押されてしまうとなると、不憫で仕方ない。

 ギーの調べでは、二人の出会いは偶然。

 だが、その偶然の出会いが運命的な出会いであり、二人は恋愛関係になったという。

 ただご令嬢にもルデアにも厄介な事に婚約者がいる。それ故に二人の関係は表に出す事が出来ず、ひっそりと一目につかないところで逢瀬が重ねられているようだ。

 伯爵の地位にありながら、実質は侯爵家同様の権力を持ち、祭宮の片翼として名を馳せるルデアならば、現在の婚約者には申し訳ないが、婚約を解消してご令嬢を娶ることも可能だろう。

 相手のご令嬢の伯爵家は、伯爵家といえども資金繰りに困っているような末端の伯爵家でしかない。

「もし俺を結婚させたいのなら、殿下には頂に立っていただかなくてはなりませんね」

 にこりともせずにルデアが告げる言葉の意味は「王になれ」ということ。

 何度王にはならないと繰り返しても、ルデアもギーも何度も何度も同じ言葉を繰り返す。

「……無理だよ、ルデア」

 はーっとこれ見よがしの溜息を吐き出したルデアに、俺もまた何度も告げた言葉を繰り返す。

「頂など欲しくない。必要ない。俺が欲しいものはもっと別のものだ」

 頭の中では巫女である彼女へのメッセージに付け足した、彼女にだけ向けたメッセージが広がっていく。


 --例え世界を敵に回しても、お前を傷つける者は排除する。


 それは本音であり、決意でもある。

 彼女がそれをどう捉えたかはわからない。

 伝わって欲しいと思うが、あまりにも独りよがりな宣言は、受け入れられるはずも無いとも思う。

 けれど世界中を敵に回しても、ルデアやギーの反対を受けたとしても、俺が欲しいのは今は巫女であるサーシャという女だけ。

 それが水竜の言うところの「運命」などというものなのかはわからない。

 ただ、彼女を失ってしまったら、俺は俺としての基盤を失うような気がしている。

 たった一つの光。煌く眩しい湖面のような輝き。

「そこまでの執着がおありと?」

 彼女に対してとは付け加えずともわかった。

 愛だの恋だのといったくだらないモノなど捨てろと、かつてルデアは言った。

 それを選び、玉座を欲しない俺が愚かに思えていることだろう。

「執着。うん、そういう言い方をすればそういう事になるかな」

 俺の返答にルデアが跪いた。

 そんな行動に出るとは思わず、ぎょっとしたまま見下ろしてしまう。

「殿下。お望みならばそのお方を妃に迎える手筈を整えましょう。決して妃に相応しくない人物ではありません。むしろ妃としてこれ以上無いお方です」

 急に彼女を褒めちぎりだしたので、逆に何か裏があるのかと眉を顰めてしまう。

 彼女が「類稀な」存在だと知らなければ、こういう態度に出る事などないだろう。

「万策尽くし、必ず御許にお連れすることお約束致します。ですのでどうか、今は堪えて下さい。あなたにしか取れない頂点がそこにあるのです」

「ルデア」

「あなたこそが統べるに足る人物であると、俺だけではない、周囲の者たちは皆思っております。今なら取れるのです。一度は諦めた頂を」

 切実な訴えに心が軋むように痛む。

 しゃがみこみ、床ついているルデアの手を掴む。

「ありがとう。だが頂に登ることは出来ないんだよ」

「何故です。むしろ頂を手に入れれば、世界の全てはあなたのものになるというのに」

「……多分、そんな俺じゃ彼女は振り向いてくれないからじゃないかな」

「はーっ!?」

 ルデアの怒気を孕んだような声が耳をつんざく。

 めったに大声など出さない男なのに、呆れ声は部屋中に響き渡った。

「くだらないっ。阿呆ですか、あなたは」

「うん。表向きはそんな理由だよ。それにもしも俺がこの戦を納めたりしたら、絶対和平条約の条件としてあっちの国の王女を正妃にしないといけなくなる。それは嫌だな」

「……そんな理由で? 表向きって事は、裏向きの理由があるんですか」

 乗ってきたルデアににやりと微笑み掛ける。

 ほんの少しだけルデアの表情が落ち着いたものに変わっている。

「ああ。あるよ。これは復讐なんだよ」

「……復讐? またあなたから出るとは思えないような物騒な言葉ですね」

 ルデアの言葉を鼻で笑い、そして座り込んだままのルデアを立ち上がらせる。

「俺はね、母上の事、妹のこと。何一つ父上を許してはいなんだよ。寧ろ憎んでいると言ってもいいかもしれないね」

 幾度か瞬き、ルデアが執務室の中にある仮眠が取れるベッドルームへと俺を誘う。

 そこは執務室の最奥に位置し、外部からは完全に遮断されている。そして寝酒用にと用意された酒もあり、簡単な応接セットも置かれている。

 戸棚を勝手知ったるといった感じで開け、ルデアが巫女の村で作られたワインを俺に差し出す。

 そのワインのラベルに苦笑を浮かべるが、まるで気がつかなかったかのように、ルデアは淡々と酒の用意をしていく。

 全ての話が終わると、ルデアは俺の前のソファに背筋を真っ直ぐにしたまま浅く腰掛ける。

「その話、今まで誰かにしたことは?」

「無いな。非常に子供じみた復讐だと思っているというのもあるしな。ただルデアが表向きの理由で納得しないなら、本当の話をしなくてはならないと思ったから話した」

 ワイングラスの半分までワインを一気に飲み干すと、ルデアが眉をしかめる。

 飲みすぎだとでも言いたいのだろう。

「父上の中では、最初から俺こそが後継者だったんだよ」

「……は?」

 十分すぎるほどの間をおいてから、ルデアが辛うじて発した言葉は短すぎる一言だった。

 目を丸くし、ありえないほど見開き、まじまじと俺を見つめる。

「それはいつからご存知だったのですか」

「さあな。それは教えられないな。ただ父上に何故兄王を止めなかったのかと確認した時に、言われたよ。全てはお前を王にする為の布石に過ぎないとね」

 無言で頷くルデアは、口を挟む気は無いようだ。

 なので説明した。

 父上が兄王から戦の相談をされた時、間違いなく敗戦が濃厚であると感じていた事。

 そしてそれでも大戦を行うことでしか自己顕示することが出来ない兄王を哀れみ、そして思いのほか早く俺に王冠を移せる事を内心ほくそえんでいた事。

 兄上が傷を追ったとき、好都合だと思っていたこと。

「まさか……陛下や将軍閣下を失う事を先王陛下は望んでおられたと?」

「失ってもいいとは思ってないよ。さすがに自分の息子たちだしね。ただ、あの人は誰よりも血統第一主義なんだ。妾腹の兄王より、異国の姫の子である兄上より、血の濃い俺を王にすることを選んでいた。だから母上を無理やり穢してでも妃にと娶った」

「無理やり?」

「そう。無理やり。そして男児を産ませる為だけに幽閉したんだよ。王には『奥』なんていう都合のいい場所もあるからね」

 ルデアはグラスの中の液体をくるくると回しながら何か物思いに耽っているようだった。

 封印した過去。

 薬を打たれ足を繋がれ、式典の時以外は寝室から出る事さえ許されなかった母。

 体が弱く、妹を生んですぐに死んでしまった母。

 そして母がその命と引き換えに産み落とした妹のことを、父は憎んでいた。これでもう血の濃い王子が生まれなくなってしまったと。だからその存在を無視し続ける。

 俺の前に差し出されたのは兄上の手。

 幼い子供であった俺には、それは救いの手だった。

「母上や妹を犠牲にして得た望みどおりの、建国王の濃い血を引き継ぐ子供。そんな俺を玉座に据える事が父上の宿願だそうだよ」

「では何故陛下を次王に据えたのです。その時点で殿下を王太子にするようがよっぽど理にかなっている」

「狂人の考えることに理屈など必要無いんだよ。ただそれが最善だと思ったからだそうだ」

 絶句したルデアは手の中のグラスをぎゅっと掴む。

 頭の中で今聞いた情報を必死に整理しているといったところだろう。

「祭宮は腰抜けで王に媚びへつらい、ついに心が弱り占い師にまで手を出した。さぞ父上は腸の煮えくりかえるような思いをしているだろうね」

 くすくすと笑い声を上げる俺を、ルデアは眉を顰めて見つめる。

「それでも」

 意を決したいった様子でルデアが声を絞り出す。

「あなたを玉座にと願うのは間違っていますか。まして先王陛下の後ろ盾があれば、今後の即位に何ら問題は無いかと」

「ルデア。聞いていた? これは復讐なんだよ。父上が最も望むことは俺が即位する事。だから決して即位はしない。それにね」

「それに?」

「一つだけいい事を教えてあげるよ。ルデア。これはスージからの情報だから信じないかもしれないだろうけれどね」

 スージの名に、ルデアが眉間の皺を深くした。

 一度裏切ったスージをルデアは許す事はしないだろう。その情報がいかに有益であろうとも、スージという人間を許す事はしない。

「兄上はもう子をなす事は出来ないそうだよ」

「それは……確実なのでしょうか」

「さあ。その可能性が高いという事だよ。俺が言いたい事がわかる? ルデア。建国王の血を繋げられるのは俺しかいないんだよ」

「それと玉座の問題はまた別では」

「別では無いね。兄上にはこの大戦を引き起こした当事者の一人としてツケは払ってもらうつもりだ。後を継ぐものは、恐らく俺の子になるだろうから父上の悲願は達成されてしまうんだけれどね」

「……何故そこまで頑なに玉座を拒むのです」

 理解できないといった雰囲気で溜息交じりにルデアが吐きだした。

 ルデアにしてみれば、王になれば全て解決する問題に思えているのだろう。

「うん。客観的に見たらおかしいだろう。けれど母や妹の人生を狂わせた父上の思い通りにはなりたくないんだ。愚かだと思うだろう?」

 乾いた笑いを浮かべる俺を、沈痛な面持ちでルデアが見つめる。

 理詰めで責めようとルデアがいくら理屈を捏ね回しても、結局は感情論で拒否している俺の心を動かす事など出来ない。

 けれどルデアは俺が玉座に座ることを求める続けるだろう。

 それでも理解して、俺の思うように動いて貰わなくてはならない。


「ねえルデア。スージは面白いことを言っていたよ」

 空になった二つのワイングラスに巫女の村の特産品であるワインを注ぎ込む。

 膝の上で両手を組んで考え込んでいたルデアが顔を上げる。ずり落ちた眼鏡はそのままにして。

「失脚させる為ではなく、お前を思ってやったことだから許してやれってさ」

 みるみるうちにルデアの瞳が見開いていく。

 驚愕の表情を浮かべ、豪胆なルデアらしくない青褪めた表情へと一転する。

「……殿下、そ、それは……」

「完璧など無いとスージはお前に言った。その意味を確認しただけだ。後はそれが事実かどうかをお前に確認するだけだ」

 スージから全ての話は聞いている。

 けれど俺はルデアから真相が聞きたかった。

 だから沈黙がどれほど続こうとも口を開きはしなかった。ただじっとルデアを見つめ続けた。

 祭宮の両翼と呼ばれる、最も信頼している片腕であるルデアを。

「申し訳ありませんでした」

 絞りだした声は枯れ、声には覇気も張りも無い。

 虚ろにも見える瞳には、切れ者であるルデアの敗北が滲み出ている。

「何故神殿に手を出したんだ?」

「あなたを王にしたかった。ただそれだけです。多少無茶な手段を講じても、正妃として姫がお戻りになりさえすれば、あなたは玉座に就かざるを得ないだろうと思っておりました」

「うん。それで姫に薬を?」

「……はい。体調を崩されれば、先の神官長と交代せざるを得ないであろうと判断しました。そして王宮に姫がおられれば、あなたの心を動かす事が出来るのではないかと」

「うん。ルデアの考えはわかった。けれど、お前は色々なことを読み違ったね」

「読み違え?」

 首を傾げたルデアは全くわからないといった顔をしている。

 わからないだろう。ルデアには。理解できないだろう、きっと。

「姫はね、化け物に恋をしたんだよ。だから死ぬまであそこから出るつもりが無いんだ。だからどれだけ体調を崩しても、しがみついてでも神官長という地位を手放す事は無い」

「まさかっ」

「残念ながら事実だよ。お前が意図的に間違って送った薬は、姫に素晴らしい幻覚を見せてくれる。今はもう聞こえない化け物の声を聞かせてくれる。手放せるわけも無いな。そしてそれに目をつけたのが兄王の指示を受けていた『闇』たち」

 ごくりとルデアが唾を飲み干したようで、喉仏が大きく上下した。

「誤って処方された薬に溺れつつある姫の主治医に、もっと幻覚がおきにくいものをといって強い薬を渡した。そして兄王は姫が薬に溺れてその身分を穢すことを望んだ。そしてそれは思惑通りに途中までは進んだ。そうだろう?」

「はい。その通りです。全て痕跡は消したつもりだったのですが。『闇』を甘く見すぎていました」

 ふっと口元を緩め、ルデアが眼鏡を外す。

「処分は何なりと」

「これといった処分は考えていなかったけれど、そういうところが甘いって言われるんだろうな。ギー」

 執務室に繋がる扉の向こう側からギーが現れる。

 今日は大公主催の晩餐会に出ているはずなのにと、驚愕の表情でルデアがギーを見つめる。

「俺の占い師は?」

「……さすがに王宮には」

「そうか。んで、あいつは何だって?」

「現在の神殿内の混乱にルデアは関わっていないと」

 カチャリと扉に鍵が閉められ、ギーが静かにルデアの傍へと歩み寄る。

「歯を食いしばれ」

 言うのと同時にギーの張り手が飛ぶ。

 体重の乗せられたそれは、ルデアが尻餅をつくのに十分過ぎるほどの威力があり、床に腰を落としたルデアの口元からは血が流れている。

「ルディアンス・リーエル伯爵、一つ答えろ」

 低い声で問いかけるギーを仰ぎ見て、ルデアは口元の血を拭う。

 ギーの冷ややかな視線は、返答如何によっては更なる手段に出る事さえ躊躇わないようなものだ。

「お前は自分の主を王にしたいが為に働いているのか。それとも殿下のお力になるために働いているのか。即答せよ」

 口を引き結んで噤もうとしたルデアに、容赦なくギーは即答を求める。

「殿下のお力になり、王にして差し上げるのが俺の役目だと思っていた」

「ほう。その為ならどのような手段を講じても構わないと?」

「ああ。お前だってそうだろう? 幼き頃からこの方を守り立てる為に集められ、玉座に座る為の手伝いをする。俺たち四人はその為に集められたんだ。そしてそれが家の繁栄にも繋がると親たちが判断したからだろう」

 ギーは腕を組んだままルデアを見下ろしている。

 その侮蔑するような視線に苛立ちを覚えたのか、ルデアはギーの前に立ち上がる。

「お前だって、この方の為なら何人でも殺すだろう。例え誰であろうと計略に陥れ失脚させるだろう。そうじゃないのか?」

「否定はしないな。しかし殿下が望めばという条件付きになるがな」

 ふうっと息を吐き出し、ギーはルデアの肩を叩いた。

「殿下は姫を廃人にすることを望んではおられない。手段を間違えたのだよ。お前は」

 ギーの言葉にルデアは唇を噛み締め俯く。

 ソファに座ったままの俺を見て、ルデアが溜息を吐き出す。

「処分は殿下にお任せいたします。が、祭宮の両翼とまで呼ばれる執務官を失うのは大いなる損失かと」

 言葉は冷たいが、早い話処分は軽くして、今までどおりルデアをこき使ってやれということだろう。

 実際、ルデアが今抜けてしまうと、王の執務も祭宮の執務も滞ることになり、あまり芳しい状況にはならない。

 もう一人の優秀な文官であった、現在は偽占い師である男も王宮への出仕が不可能なこの状況で。

「さーて。どうしようかな。とりあえずワインが酸化するから飲むよ、ギー。ルデアも」

 二人の部下に声を掛け、席に着くことを促す。

 ギーもルデアも二人とも眉間に深い皺を寄せたまま、言いたい事を押し殺しながら俺を見つめる。

 どうせ緊張感がないとか、そういうことだろう。

 二人が座ってワイングラスに残りのワインを注いでから、ゆっくりと口を開く。

「さっきの話の続きだけれどね、ルデア。俺は他罰的な考えは捨てることにしたんだ。誰かが何かをしてくれないとか、誰が何をしたから許せないとか。もしもこうだったら。あれがこうなったらとか、さ。そういう考えはもうやめようと思っている」

「……よくわかりませんが」

 眉を寄せるルデアに笑いかける。

「誰かが何かをしてくれないとかっていうような類の恨み節を抱いていたって、満たされない思いを抱き続けるだけだ。もうそういう生き方はしたくない。今自分が何をしたいのか、それに焦点をあわせて生きていくほうが幸せだと思わないか?」

「世間一般的には非常に素晴らしい考えだと思いますが、それと玉座や俺の処分云々とはまた違った次元の話では」

「違わないね。俺は自分のしたいことをする。大戦を終わらせ、兄上を新王に据え、神殿に調和と安定を取り戻す。それが今の俺がしたいこと。そう考えるとシンプルだろう?」

 ギーが両手で頭を抱えてしまい、ルデアは泣き笑いのような笑みを漏らした。

「そしてあなたは祭宮であり続けるというわけですね」

「んー。そうだね。祭宮でなければ彼女に会えないからね」

 ぱしっと音を立ててルデアは自分の手で顔を覆った。

 が、しばらくするとくくくくくという笑い声がギーとルデアから上がる。

「結局女が理由じゃないですかっ」

 呆れたような顔で言うルデアに頷き返す。

「あー。うん。そうだね。ああ、彼女が妃になってずっと傍にいてくれるなら王になってもいいよ。いや、彼女が王家の人間になっても、そのうち次の神官長になるだろうから、やっぱり王にはなれないな」

 ワイングラスを持ち上げながら、ギーが俺を見る。

 ふーっと深い溜息を吐き出し、ギーはワインを一口飲み干す。

「で、ルデアの処分は」

「姫やお嬢に関する重大な秘密を握っているから野放しには出来ないな。せいぜい目につくところで身を粉にして働いてもらおうか」

 にやりと笑った俺に、ルデアは深く頭を下げる。

 緊張感を伴う沈黙を破ったのは顔を上げたルデアだった。

「では生涯お傍を離れず、殿下の御為に働くことをお約束致します」

「うん。頼むよ」

 それだけルデアに伝えると、ぱちんと指を鳴らして天井裏の住人たちに解散を告げる。

 ざわっという微かな音にルデアの顔が強張る。

 天井裏で控えていた『闇』たちは明確な殺意を持ってルデアの言動を見守っていた。それを肌で感じたのだろう。

 もしも巫女である彼女をルデアが何らかの工作によって陥れようとしているのならば実力行使に出ようと思っていたので、天井裏に控えさせていた。

「殿下」

「うん? 大河に浮かぶことにならなくて良かったね」

 そう言った俺に青褪めた顔を向けたルデアは、再び深く頭を垂れた。

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