98 白昼夢
早く謝罪して、自分の意見を貫きながらも彼女の気持ちをちゃんと理解できていたら違ったのかもしれないと神原は溜息をついた。
声をかけるタイミングさえ失い、最近は彼女の妹でもある羽藤なつみすら避けているくらいだ。
由宇が怒っていて、口も聞いてくれなかったらどうしようと神原の頭の中はマイナス思考ばかりだった。
普段なんとかなると気楽に考えている彼がこれだけ落ち込むのも珍しい。
相棒のギンも心配そうに見つめていたが、仲を取り持つような真似はしなかった。
気分転換をしようとチョコレートでコーティングされた麩菓子を食べて、神原は沢井がやっているゲームを眺めた。
最近出たばかりで神原も購入したRPGは、自由度が高く寄り道ばかりしている。
沢井も本筋とは関係ないサブイベントや、コレクター魂を擽るアイテムの収集に精を出していた。
「……そこ違う。右上の木箱を爆破させて奥に行くの」
「うっわ、これ爆破できたのか!」
「俺もそれ見つけたの偶然だったよ」
「さては直人……ボマーだな」
勘がいい。
そう思いながら神原は苦笑して頷いた。
目当ての物が見つけられずイライラして、持っていた爆弾をあらゆる箇所へ放り投げたのは誰でも良くやることだと神原は思う。
それでも神原は、ゲームとは言え敵でもない人に向けて剣を振るったり、爆弾を仕掛けたりすることはしなかった。
これは、前世の時も同じだ。
未だ覚えている前世の記憶は、はっきりとしているわけではないが神原の胸のしこりになっている。
今ある生よりも、自分らしいんじゃないかと思える前世での自分。
夢や白昼夢でその光景を見るたびに、今ここにいる自分は異物なのだと彼は強く感じていた。
神原直人。
キュンシュガの主人公。
それを知っているのは神原自身と由宇だけだ。
領域にいる三人は元々自分とは立場が違うから除外する。
「アハハハハ、待て待てこいつぅ~」
「気持ち悪い」
とても仲が良い沢井も、キュンシュガは知らない。
彼が自分と同じ転生者だったら良かったのにと思いながら、高笑いする彼に神原はため息をついた。
そういう意味で本当の同士は由宇しかいないが、明確に前世を覚えている彼女とは違い神原の前世はあやふやなものでしかない。
もしかして、そう思い込んでいるだけかもしれないと不安になるから世界が元に戻るのが怖かった。
他の人達や世界の事を考えれば正しいんだろうと頭では理解している。しかし、その場所に自分の居場所は本当にあるのか疑問だと彼は苦笑した。
「ぬぅ、逃げられる」
「あーもうホントに鬱陶しい!」
振りかぶる虫取アミを軽々と避ける昆虫。
苛立ちを滲ませた声色で告げた沢井は、中々捕まえられないことに神原が不満になったと思ったらしい。
神原は自分の言動を振り返っていただけだが、そんなことを沢井が分かるわけもなかった。
驚いた顔をした沢井に、神原は苦笑しながら首を左右に振る。
「捕まえようか?」と手を伸ばした神原に沢井は頬を膨らませて「やだ」と答えた。
「はぁ……仲直り、できるかな」
「できるできる。お姉さん優しそうじゃん」
「そう、じゃない。優しいの」
面倒な奴め。
心の中で呟きながら苦笑した沢井は、いい感じで力が抜けてしつこく追いかけていた昆虫を捕まえることができた。
やっとだ。
時計を見れば一時間近くは経っている。よくもまぁこんなに時間をかけてたものだと自分に感心しながら、沢井はコントローラーを置いた。
夕飯を食べに喫茶店へ行くまでまだ時間がある。
結局神原は一緒に行くのかと尋ねれば、彼はまた黙ってしまう。
まだ決められないらしい。
こういう部分が可愛いと女子ウケがいいんだろうなと思いながら、沢井は面倒くさそうに溜息をついた。
沢井だったら、マズイと思った瞬間にその場で謝ってしまうのでこんな事にはならない。
いくら自分に非が無いと思っても、とりあえず謝ればその場は何とかなる。
空気を読むのが上手い沢井だからこそ、顔が広くて友達も多いのだ。反対に、ほとんどが上辺だけの付き合いで親友と呼べるような相手は非常に少ない。
それなのになぜか、高校で出会って半年も経たない神原とここまでうちとけて話せるのが不思議で仕方がなかった。
運命、というものなんだろうか。
女子が夢見る白馬の王子様という意味ではないが、出会うべくして出会ったということでは同じか。
どうせなら、眠れる美女を自分の熱いキスで起こしたかったと呟く沢井に、神原が変な顔をしながら「頭平気か?」と尋ねてきた。
「何だよ、夢だろ夢。憧れってやつだろ」
「その前に、寝込み襲う時点で犯罪だろ。人としてどうかと思うわ」
「いや、違うってだからドリームだよ、ドリーム。カボチャの馬車に乗りたいお年頃なんだよ」
「えっ……俺、帰る」
「ちょっと待て。言葉のアヤだからな。俺だって女の子超大好きよ。ノーサンキュー男よ」
カボチャの馬車に乗りたいなんて身をくねらせて言ってしまったのが悪かったのだろう。そのままの意味で受け取った神原はドン引きしたような表情をしながら帰り支度を始めた。
それを慌てて引き止めて、沢井は「俺は女が好きです。女の子が好きです」と真面目な顔をして繰り返す。
あまりにも真剣過ぎるので思わず笑ってしまった神原が、腹を抱えて絨毯の上に倒れた。
噛み殺しきれなかった笑いが部屋に響いて、沢井は何とも言えない気持ちになる。
「大体さ、直人もアレだよな。最初なんて『僕は~』とかって可愛い子ぶってたのに今じゃ本性現われて『俺はさ』だもんなぁ。そのギャップでも女子はキュンキュンなんだから手練を習いたいくらいだよ」
「……しょうがないよ。俺なんて言ったこと無かったんだから」
「じゃあどうして急に変えたんですかネェ?」
「知らないよ。良く分からないけど、そっちの方がしっくりくるような気がして」
最初は逆だと神原は小さく息を吐いた。
元々、自分の事を“僕”と言っていただけに神原直人の一人称である“俺”というのがどうしても受け入れられなかった。
彼になりきらなければいけないんだ、と思って努力してもどうしても気持ち悪くて言えない。
だからずっと“僕”で通してきた。
しかし、最近の神原は今まで言っていた“僕”という一人称に違和感を覚えて試しに“俺”に変えてみたら何故かしっくりきてしまった。
自分の中でも何かが変化しているのか、と不安になりながら神原は己の胸に手を当てる。
「あぁ、彷徨って見失ってる系ね。自分探し、か」
「違うから」
「あれ、でも他の奴らの前だと“僕”だよな」
「使い分け……かな」
「え、じゃあ俺って心許されてるの!?」
「キモイ。目を輝かせるな」
沢井のノリの良さは嫌いではない。それに救われる部分もあるが、やりすぎはいただけない。
「まぁ、うちの子ったらやっと心開いてくれて」と大仰に芝居を始める沢井へ神原は冷めた視線を送った。
お前は俺の親か、と突っ込んでしまいたかったが調子に乗って「お母さん嬉しい」などと言われた日には手が出そうなのでやめておく。
沢井は口元に手を当てて泣き真似をしながら「大人しい子なんです。人見知りなだけで、いい子なんです!」と声色高く神原の母親を熱演していた。
だが、残念ながら神原の母親はそういうタイプではない。
のんびりとしていて息子である神原が思わず舌打ちしそうになる程の、ドジッ子だったのだ。
何か失敗をすると頭をコツンと叩いて舌をペロッと出すような存在は二次元にしか存在しないと思っていた彼は、まさか身近な人物でそれを見ることになるとは思ってもいなかった。
それを見たときの衝撃は今でも忘れられない。
だから神原は、母親が家にいるときにはなるべく友達を家に連れて来たがらない。友達うけはいいだろうが、神原自身がその評価に耐えられないのだ。
可愛い母親というものを求めていない彼には酷かもしれないが、彼の母親が可愛いというのは周知の事実で良く言われていることでもある。
父親にそれとなく、どうして母親と結婚したのかと聞いたところ「母さんは、俺がいないと駄目な人だからな」と幸せそうな笑みで言われた。
ちなみに母親も「お父さんはね、私がいないと何もできない人なのよ」と言っていたので似たものなのだと思う。
あの二人の親からどうして自分が、と疑問に思ったがそれはゲームの神原直人ではないからだという事で納得した。
しかし、冷静に考えてみるとキュンシュガの主人公である神原直人も、親がアレのわりには随分と普通だったのを思い出す。
そもそも、ゲームや他の媒体で出ていた神原直人の両親はどこにでもいる普通の両親だったような気がする、と神原は首を傾げた。
「俺ってさ、親に似てなくない?」
「は? 何言ってんの。あぁ、何、今度はルーツ探し?」
「馬鹿にしないで真面目に答えて欲しいんだけど」
「あーはいはい。直人のお母さん、胸でかいよな。たゆんたゆ……ぅごっ!」
言葉の途中で後頭部に衝撃を感じた沢井は、ハッとして目を覚ます。
見覚えのある天井、照明、匂い。
体をゆっくり起こして軽く頭を振り周囲を見回せば、煎餅を食べながらコントローラーを握りゲームをしている神原の姿があった。
クーラーの動作音とコントローラの操作音、そしてテレビからは聞き慣れたゲームのBGMが聞えている。
不思議そうな顔をして頭を掻き、ボリボリと煎餅を咀嚼する神原に彼は恐る恐る声をかけた。
「直人? 俺、なんか……寝てた?」
「あーうん。『ちょっと眠くなってきたから横になるわー』って言って。三十分くらいかなぁ」
テレビから視線を離さずに答える神原の横顔を、沢井はじっと見つめて観察する。
何か、違うような気がしたからだ。
しかし神原の声に震えは無く、声に動揺したような響きも感じ取れない。
変な夢でも見たのかと大きく伸びをして髪を撫で付けると、後頭部のある部分が少し痛んだ。
衝撃を受けた箇所と似ている。
何度もその箇所を触りながらチラチラと神原を窺う沢井だったが、当の神原は期間限定のポテトチップスを食べながらおしぼりで指を拭いコントロールを持ち直す。
「えーと、それだけ?」
「ん? 他に何かあったっけ?」
「いや、何か後頭部が痛いんだけど」
「あぁ。それは寝てる時に頭ぶつけたからじゃない? テーブルの脚とぶつかって結構いい音出てたよ」
それでも起きないから凄いと思ったけど、と戦闘を終えた神原が視線を沢井に向けた。
視線が合うが、神原には不審な所は見受けられない。だとしたらやはり自分の気のせいなのか、と沢井は苦笑して夢で良かったのかもしれないと安心した。
冗談とは言え、ちょっと言ってはいけない発言をしてしまったような気がするからだ。
何かを言おうとして衝撃を受け、記憶がとんだ。
そんな気がしたが、夢ならそれでいい。
「うっわーマジか。俺って、寝相いい方だと思ってたんだけどなぁ」
「変な夢でも見てたんじゃないの? 何かと格闘でもしてるように見えたけど。『うわー』とか『ひぇー』とか声上げてたよ」
「……恥ずかしいじゃないですか俺。しかもその様子だと劣勢だし」
「だね」
何かと戦っていた夢。何かと。
何と戦っていたんだろうと夢を思い出そうとした沢井は、「もっとこう、何か柔らかい」と言いかけて止まる。
視線と殺気を感じてそちらの方に顔を向ければ、神原が今まで見たことのないような冷たい表情をして自分を見つめていた。
「うわああああああ!」
「ぎゃああ、って何急に」
「ハッ! 俺はイケメンナイスガイの沢井成洋。女の子大好きな高校一年生」
「は?」
「そしてここは俺の家、俺の部屋。俺のゲームに俺のベストフレンド! おお、親友よ!」
「……病院、行く?」
両手を広げて抱きつこうとした沢井を手で制し、眉を寄せた神原が真剣な表情でそう呟いた。




