96 夏メニュー
アイスコーヒー、アイスティ、クリームソーダ、コーヒーフロート。
カキ氷にアイス、パフェ。
夏だなと思うメニューが良く出るようになると夏がやってきたと思う。
いつもは暇な喫茶店が結構賑わいだして嬉しい限りだ。
環境配慮の為に冷房の温度は高めに設定されているが、外が恐ろしいくらいの暑さなので逃げるように入ってくる客が多い。
「メロンソーダとフルーツタルトです。ごゆっくりどうぞ」
「わぁ、来た来た」
数種類あるフローズンフルーツと夏らしいメニューに誘われるお客さんが多いようだ。
気持ちは凄く分かる。
水腹になって、冷たいものの取り過ぎてお腹を冷やしてしまおうと、やっぱり求めずにはいられない。
そのくらい外は耐えられない暑さになっている。
夢の中で魔王様と会う事があったので、その事を愚痴ってみたがリトルレディと言えども気象を操る事はできないらしい。
いや、できないんじゃなくてしない、のか。
自然に任せる形が一番いいんだとは言っていたけど、今のこの状況のどこが自然なのよと突っ込んだら魔王様は黙ってしまった。
リトルレディのいる【観測領域】も、魔王様のいる【再生領域】も暑さ寒さとは無縁の心地よい空間だろうからいいわよねと一人心の中で愚痴る。
「いらっしゃいませ。空いているお席にどうぞ」
うだるような暑さの中でも営業用スマイルは崩さず、接客は丁寧に行う。
高橋さんは暑さを感じさせない爽やかな雰囲気を纏い応対しているので、思わず見惚れていると叔父さんに軽く叩かれてしまった。
「ぼけっとしてないで、仕事しろ」
「してます」
「お前は手を抜くのが上手いからなぁ」
叔父さんは眉を顰めて私を見つめる。
マスターである叔父さんの好意でバイトさせてもらっているけど、それはあまりにも酷い。
対価をもらっている以上、一生懸命仕事をしているつもりだ。
客が来ればちゃんと対応もするし、だらしない姿は見せないように気をつけている。
「そこは褒めるべきところじゃないの?」
「調子に乗るだろ」
否定はできないので何も言えない。
微妙な顔をしてチラチラと叔父さんを見ていれば「その顔はやめろ」と溜息をつかれた。
今日は珍しくカウンターで仕事をしている宇佐美さんが「彼女は良く働いていると思うよ」と助け舟を出してくれる。
「宇佐美さん、こいつ本当に調子乗りますから駄目ですって」
「そんな事はないと思うんだけどな。マスターは厳しいね」
「いつもですよ。慣れてますから平気です。でも、ありがとうございます宇佐美さん」
私の言葉に叔父さんが意外そうな顔をして見つめてくる。
何か文句でもあるのか、と視線にこめて目を合わせれば溜息をつかれた。
注文された品物を運んでいこうと思えば、高橋さんがウインクして持って行ってくれる。
「……ふぅ」
胃の辺りに手を当てて軽くさすりながら自分の内部にいる番人と雫の事を思い出す。
精神的なものだけど、私の中に私が二人いるとは奇妙な感覚だ。
一度自分の内部に潜ってから、すんなりとあの場へ行けるようになった。
少女のサポートもあり、雫と番人が協力して侵入者を阻む防御壁の強化も終わったとは言っていたが実感がない。
私自身に影響が及ぶようでは危険だと苦笑する雫にそんなもんなのかと思う。
番人は疲れ果てたように眠っていたが、消耗が激しかっただけで大した事はないと雫が言っていた。
這うような声で、元気な雫に対して恨み言を言うだけの元気はあったので大丈夫だろう。
神原君に色々話したいことがあるけど、言えない。
彼を怒らせてしまってから、私と彼の道は別れてしまったと思うと少し寂しい気持ちになった。
でも、彼に侮蔑されようが私はレディ達を手伝う事に決めたのだ。
イレギュラーとは言え、大した力もない私がどこまでできるのかは分からない。
イナバやレディ達に騙されて泣きを見るかもしれない。
「みーんな自分勝手なんですから、わたしたちも自分勝手に行きましょうよ!」
そう言っていたイナバの姿が思い浮かぶ。
そうだ、なにが何だか分からないならとりあえずがむしゃらに進むしかない。
自分勝手だと非難されようと、お人よしの馬鹿だと笑われようと知るもんか。
気合だけは充分なのにすぐ折れるからタチが悪いな、と他人事のように思った。
騙されて死亡エンドを迎えても、記憶は引き継ぐので次回気をつければいい。
世界もリセットするとかもう知ったことじゃない。
それに、神原君と一緒に行動していないなら私のせいで彼もまたループさせてしまうなんて思わなくてもいいだろうし。
当面の目標は、外の管理権限とやらを入手してレディ達が確実に世界の権限を掌握することだ。
同じように狙っている神の妨害を避けながら。
どうせまたもどきが邪魔してくるんだろう。彼女ならもう怖くないから逃げるか適当にあしらってお帰り願えばいい。
できるなら会いたくないけど。
「いらっしゃいませ……松永さん!? と、東風さんも」
「よ、バイトしてるって聞いてな」
「こんにちは、羽藤さん」
「その節はどうもありがとうございました。空いているお好きな席にどうぞ」
カランと来客を告げるベルの音と共に入店してきたのは見知った姿で、思わず驚いてしまった私はすぐに営業モードに気持ちを切り替える。
軽く片手を上げて暑そうに手で仰ぐ松永さんと、涼しげな表情をした東風さんは店内を見回して冷房に近い席に座った。
東風さんとしては外が見える窓際が良かったらしいが、松永さんがそれを無視して座ってしまったので仕方がなくその席にしたようだ。
唇を尖らせながら「可愛い子が見れる窓際がいいのに」と呟く東風さんにも苦笑してしまうが、松永さんの無視っぷりも見事である。
お冷とおしぼりを持ってテーブルに向かうと、メニューを眺めていた東風さんがニコニコとしながら私を見つめてきた。
「母さんが通う理由も分かるなぁ。オアシスに咲く可憐な花があるんじゃあ、俺も通うしかない!」
「何言ってるんだ。羽藤の邪魔をするなよ」
「マツヒデはそういう所が堅いよなぁ。だから、未だに彼女ができないんだって」
「う、うるせぇ!」
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
二人のやり取りに微笑ましくなりながら私はそう告げて席を離れようとした。
けれど、東風さんが自然な動作で私の腕を優しく掴んで「オススメは何?」と笑顔で聞いてきたので私も笑顔で答える。
松永さんは難しい顔をしてメニューを見ているが、そんな珍しいメニューは無いと思う。
読めないってわけじゃないし、頼むものがあまりないのかな。
「この夏限定の、こちらの商品ですね」
「あぁ、これか。いいねぇ」
「……夏野菜たっぷりカレーか」
大盛りにもできるのか、と呟きながら松永さんの目はじっとメニューに載っているカレーの写真へ注がれていた。
軽食じゃなくてがっつり食べる系が欲しかったのかな。
そう思っていると「この暑い中でカレー食べんのかよ」と東風さんが嫌そうな顔をした。
炎天下の中ここまでの移動だけでも暑くて大変だったと眉を寄せる彼に、松永さんは呆れたように溜息を一つ。
馬鹿にしたような視線を向けると「軟弱者」とだけ呟いた。
「コーヒーアフォガードか、デザートはこれがいいな」
「渋いね。でも、美味そうだなぁ。うーん俺はどうしよっかなぁ」
「羽藤、俺はこの夏野菜たっぷりカレー大盛りをセットで、飲み物はアイスティーを。デザートは食後にコーヒーアフォガードを頼む」
「はい、承りました」
「あ、じゃあ俺もとろふわオムライス単品と、デザートは食後にマンゴーのパンケーキを。飲み物は……アセロラジュースで!」
「かしこまりました」
二人ともしっかり食べるんだなぁと思いながら、大きなお世話とは言え結構な量があるパンケーキが心配になる。その事を告げると東風さんはにこっと笑って「食べられなくなったら二人でシェアするから大丈夫」と頷いた。
松永さんがあからさまに嫌な顔をして「なんでお前とそんな事をしなきゃいけないんだ」と反論したのは聞かなかった事にして私は席を離れた。
オーダー表を読み上げると叔父さんが調理に取り掛かりながらチラチラと私の方を見る。
フロアでの接客を高橋さんにお願いして私は叔父さんの手招きにカウンターの内側に入り、手伝いをし始めた。
「知り合いか?」
「ん? あぁ、松永さんたちね。そうだよ。大学の同期なの。学部は違うんだけどね、色々お世話になっちゃって」
「……そうか」
「飲み物代くらいサービスしてもいい? 私の気持ちとして」
「別にいいけどよ……」
頼んだメニューを全て奢るとなればきっと二人は気にしてしまうから、飲み物代だけサービスさせてもらう。
その程度なら二人も頷いてくれるだろう。
松永さんにはモモの件もあって、色々とお世話になっている。そう言えばまたバイト駄目になったとか言ってたけど、次のバイト見つかったのかな。
東風さんにはユッコ宅へ行く時にミニブーケを……って、あれは叔父さんが払ってくれたんだっけ。
すっかり忘れていたが、今後ともよろしくお願いしますという意味で問題ない。
「あの金髪は?」
「フロラさんとこの息子さんだよ。うちにも店長さんが良く来てくれるでしょ?」
「あ、あぁ、東風さんとこのか」
「知らなかったの」
「だから聞いたんだけどな」
そうだよね、知ってたらわざわざ誰だなんて聞いてこないよね。
俺が払ってやったんだっけなぁと恩着せがましく告げる叔父さんに、私はとびっきりの営業スマイルを浮かべて「ありがとうございます」と頭を下げた。
当然、営業スマイルだと分かっている叔父さんは眉を寄せながら溜息をつき「やれやれ」と呟く。
そんな事を言っている間にもオムライスが出来てしまうんだから、この手際の良さが羨ましい。
料理が出来て女に優しく、気が利く男なのにどうして女運が無いのやら。
選り好みしてるんじゃないかと前に聞いた時も「ある程度のラインってのはあんだろ」と偉そうに言われてしまった。
まぁ、まともな経験のない私がとやかく言える事でもないですけどね。
その気になれば簡単に作れそうな気がするのに、告白してきて振られるんだから「なんじゃそりゃ」よね。
叔父さんの自慢は「俺から告白したことは無い」だそうだ。
その態度にイラッとくるのは私だけだろうか。
「マスターは、好きになってくれる人じゃなくて好きな人を探してくださいね?」
「何だよ急に気持ち悪いな」
「あ、でも、不倫とか略奪は駄目だからね。いや、駄目って言っても止まらないから多分無理だろうけど、そうなったら私バイト辞めるから。距離もおくから」
「おいおい、勝手に物語を作り始めるな」
だってねぇ。
高橋さんとは常連で、人妻で旦那さん一筋だって事を知ってる仲だし、どうやら旦那さんとも会ったことあるみたいだけど目がやらしい。
見惚れるのは分かるけど、その眼差しどうにかならないのか。
「由宇、お前だだ漏れだからな。耳欹ててるお客さんに聞かせようとするな」
「え? 何のこと」
「……こいつ」
きょとんとした顔をして不思議そうに尋ねれば、叔父さんの表情が険しくなった。
怒っているけど、本気で怒っているわけではないので怖くは無い。
店内に目を向けると、咳き込んだりそそくさと雑誌を広げたり視線を逸らしたりする常連さんたちがいて面白かった。
その様子に苦笑しながら私達の会話を聞いていたらしい高橋さんが、オーダー表を持ってやってくる。
気を悪くした様子はなく微笑みを湛え「仲の良い親子みたいよね」と言われた私は、複雑な気持になった。
親子。
頭に浮かぶのは先日自分の父親だということがほぼ確定してしまった白い鳩の事だ。
混乱を避けるために、状況が落ち着いてからでいいと言った私の気持ちを優先してくれた少女は他言せず黙っていると言ってくれた。
番人とイナバは言わずもがな、雫は一瞬目を輝かせたが自分の立場を考えたのか邪魔はしないと約束してくれた。
幼い頃に事故で実の父親を亡くした雫としては、こちらの世界で生きている父親に会ってみたかったのだろう。
いや、会えずともその姿を一目でも見たかったのかもしれない。
私よりも実の父親との思い出が深い彼女を羨ましく思いながら、私は本当におかしいんじゃないかと暫く考えてしまった。
人それぞれとは言うけれど、ここまで特に何も感じないのもやっぱり変なんじゃないかな。
小さい頃で、あまり覚えてないからだと思っていたけど人として何か大事なものが欠けてるような気がする。
胸に引っかかるものを感じながら、涙ながらの感動の再会とやらを嘘でも演じるべきかと私は出来上がった料理を席へ運んでいった。




