95 薄情な娘
あんな化け物を前にしてよく平気でいられたね、と雫に問いかければ彼女は不思議そうに首を傾げた。
少し考えた後で「ああ」と苦笑する。
年齢は自分と同じくらいだというのに、何故彼女は自分より大人びて見えるんだろう。
ループを繰り返している私の方が苦労している分、経験値も多いだろうに。
「ああいうのは、慣れてるからね」
「慣れてる?」
「ここに辿り着く前に、私も色々とあったのよ」
か弱い自分も丸腰なわけじゃないから、と手の内を明かすような事はしない雫に私は内心で舌打ちをした。
彼女が隠している何かを自然な流れで暴こうと思っていたのに、かわされてしまったからだ。
無言で視線を交わし、ふいと逸らせば雫が笑う。
「イナバも警戒してた割には、共闘してたわね」
「もとが同じですからね。由宇お姉さんには変わりないと、思考を切り替えてみました」
「うんうん。イナバちゃん張り切ってたものね」
もしゃもしゃと草を食べながら雫を一瞥したイナバは、笑顔のレディからニンジンを食べさせてもらっている。
魔王様の一部であるイナバだが、こうしてレディと直接顔を合わせるのは初めてらしい。
可愛いを連呼されてご機嫌なイナバは、フンッと鼻息荒くもごもごと口を動かしていた。
「雫さんも中々のものですよ。ここの主は由宇お姉さんなのに、それと同等くらいの力でしたから」
「うわぁ。番人差し置いて雫が実権握る日も遠くないのか」
「やめてよね!」
絶叫に近い声で抗議の声を上げる番人を無視して、私はイナバとレディを優しく見守る雫に視線を向けた。
敵意は今も感じられないが、今後どうなるのかは分からない。
不本意とは言え内に招いて留まるのを許可した以上、それなりのリスクは考慮しておくべきかと私はテーブルを軽く叩いた。
「お姉ちゃんの防御壁、私からも強くしておくね」
「……それはありがたいけど、大丈夫?」
「そのくらいなら平気だよ。私達としても、敵が一人でも少なくなるならそれに越したことはないから」
なるほど。
酷いと思えるような言葉だが、私はそれをすんなりと受け入れる事ができた。納得したように頷く私を見つめている少女に頭を下げ「よろしくお願いします」とお願いする。
そんな私に倣うように番人も慌てて頭を下げた。
「あの……神原君は平気かな?」
「ギンもいるし、お兄ちゃん自体の力がその……お姉ちゃんより強いから」
「あ、気を遣わなくて大丈夫」
言い辛そうに顔色を窺われて告げられた言葉は予想できていたもの。
ですよね、と言いそうになった私は苦笑しながら片手を前に出して気にしていないと意思表示をする。
困ったような、変な表情をしたレディは溜息をついてお茶を飲んだ。
温くなってしまったお茶を一気に飲み干し「ぷはぁ」と可愛らしく息を吐く。
皿の上には彼女が出現させたらしいロールケーキが一本乗っており、それをフォークで切り分けながら食べ始めた。
一本丸ごといくのか、と私と番人は声に出さないが同じように驚いてしまう。
今この一瞬だけ本当に番人と通じ合ったような気がした私は、妙に興奮してしまった。
その様子を呆れた顔で見比べていたのはイナバだ。
イナバは、やれやれと言わんばかりに溜息をついて水を飲む。
「一番目の番人みたいに記憶を管理できるわけもなく、雫のように力強いわけでもない。どうしよう」
「お姉ちゃんはナナシの力もあるはずだよ?」
「ん? あぁ、石版」
口溶け柔らかな美味しいエアインチョコ。
思い出しただけでも涎が零れてしまいそうだ。
魔王様の力を取り戻す邪魔をしてしまったのは悪いと思っているが、【再生領域】には影響は無いと言っていたので次また機会があれば食べたい。
前回は快く許可してくれたんだから次も味見くらいなら許してくれるだろう。
「やっぱり、主人公補正ってやつ?」
「多分。ゲームの情報が混ざった時にそうなっちゃったんだと思う」
「随分とあやふやだね」
「……ごめんなさい。正直、完全に把握しきれていなくて」
フォークを持ったまま項垂れるリトルレディに管理主がそれでは危ないのではと思ったが、世界が危ないのは今更かと思うと別にいいかと思えてしまう。
いや、良くないんだろうけどね本当は。
でも世界は見かけだけなら正常に動いているし、何かあったらみんな一緒だから怖くないよねという不謹慎な気持ちがある。
「私はあんたの内側を守るだけだよ。サポートしかできないんだから、しっかりしてくれないと」
「あー、そうだよね。分かってはいるんだけどさ、荷が重いというか」
「ま、うちの父親が関係者だからって何も知らない私が当然のように巻き込まれても『なんじゃそりゃ!?』だよねぇ」
「……!」
笑いながらそう言った番人にバシリと背中を叩かれた。
彼女なりに気を遣っているつもりだろうが、痛い。
「逆に言えば、関係者だからこそ生き残ってられるしぶとさがあるのかもしれないじゃない」
「嬉しくないんだけど」
「うん、それは嬉しくない」
喜びなさい、とばかりに笑顔を向けてくる雫に番人と揃って首を左右に振る。
頼まれてもこんな状況は嫌だ。
何も知らずに記憶をリセットしてループばかりしている方が楽でいい。
「レディ? どうしたの?」
「ううん……」
さっきまでにこにことしていた彼女が急に黙ってしまったので不安になる。
何かあったのかと聞けば、レディは口を小さく開けて動かしたかと思えば視線を逸らし、困惑したように眉を寄せた。
言葉を探すように空になった皿をじっと見つめるレディに私と番人は首を傾げた。
「その、お姉ちゃんのお父さんて」
「ああ。その事ね」
私は雫から彼女の父親が誰なのかを聞いた事をレディに話した。
合点がいったという顔をしてレディはヒラヒラと手を振る雫を見上げる。
違う世界から私を助けにやってきたらしい雫の両親も、こちらの世界と同じだった。同じでなければ私は生まれないかもしれないが、兄さんとなつみが存在していない時点でこちら側とはまるで違う。
本当にそんな世界があるんだなと驚いたと告げると、レディは唇をきゅっと噛み締めて俯いてしまった。
「ごめんなさい。私がもっとしっかりしてたら……強かったら、こんな事にはならなかったのに。ギンだって巻きこんで、お兄ちゃんやお姉ちゃんまでこんな目に遭うことなんてなかったのに」
「今そんな事言ってもしょうがないでしょ。ここまでどっぷり巻き込まれちゃったらさ」
「そうそう。今更だって、ね? イナバちゃん」
「……あの、由宇お姉さんのお父さんてなんですか?」
いやその話はさっきもしたはず。
そう思って私はイナバがその場にいなかったことを思い出した。
「イナバが化け物スキャンしてる間に、モニター越しで雫と会話してたのよ。その時にね」
「そうそう。時間がかかりそうだったから世間話ついでにね」
「あれ、でもその時レディいたよね?」
番人が眉を寄せてレディを見つめると、彼女はびくっと体を震わせ「あはは」と笑った。
やっぱり調子が悪いんじゃないかと心配する私達に、レディは他の領域の状況を見ていたと告げる。
そちらの方に能力を割いていた為、私達の話を聞き逃したらしい。
本当に無理はしていないんでしょうね、と番人が詰め寄ると困ったように笑みを浮かべる。
ちらり、と雫を見れば彼女は無言で首を横に振るので私も頷いてそれ以上レディには聞かないことにした。
「良かったですね! 行方不明のお父さんが見つかるなんて!」
「見つかったというか、結構前から近くにいた?」
「そうだね」
「ね、趣味悪いよね」
気付かなかった私も私だが、そうならそうで言ってくれればいいのにと思う。
色々と事情があって言えなかったにしろ、こんな形で知ることになるならさっさと正体を明かしてくれた方が良かった。
眉を寄せる私に、イナバは不思議そうな顔をしたまま番人と私を交互に見る。
「えっと、近くにいたんですか?」
「うん。今は神原君のところ」
「へっ!?」
「ギンだよ鳩のギン」
「由宇お姉さんのお父さんて、鳩さんだったんですか!?」
いやいや、本人は元人間だって言ってたからね。
それにこれは雫からの情報を元にしたものであって、本当のところは本人に聞かなきゃ分からないけどほぼ確定だと思う。
リトルレディの反応しかり、やっぱりそうなんだなと思ったが特に何も感じない。
過去の思い出の中でしか存在していなかった父親が近くにいるというのに、感動の再会にはなりそうもなかった。
テレビでは涙ながらの再会場面が良く見られるが、こういうパターンもあるんだなと苦笑する。
「え、でも……じゃあ、ギンさんを呼んで家族水入らずに……」
「ううん。それはいい。今は神原君の相棒だし、この事をを他に話すつもりはないから」
「でもせっかく……」
「別に今更どうってことないわ。最初からいなかったようなもんなんだし」
「それはそれで酷いけどね」
嘘偽り無くそうなのだから仕方がない。
兄さんや母さんよりも思い入れが浅いというか、本人が聞いたらきっとショックを受けそうなほど父親に対しては過去の人という思いしかない。
生きていて想像もつかないことをしていました、なんて言われても「へぇ」で終わりそうだ。
薄情な娘だと思われてもしょうがないと思う。
「それに神原君がその事を知ったら黙ってるわけないでしょ? いい子だから、きっと何だかんだ理由つけてギンを自分から遠ざけようとするんじゃないかな。今そんな事してる場合じゃないじゃない」
「でも、でも……お父さんですよ?」
「そうね。ま、落ち着いたらゆっくり話せばいいわ」
「……お姉ちゃん、変わってるね。でも、そういうところ、ギンに似てる気がする」
一番分からない存在のリトルレディに変人扱いされるとは思っていなかったけど、ギンの事を私より良く知っているだろう彼女にそう言われるとなんだかむず痒い。
似てる、似てるか?
調子がいいところとか、安請け合いし過ぎるところとか?
自分で言ってて、ちょっと悲しくなってきた。
「あっちは最初から知ってたんでしょ?」
「うん。知ってたよ。だから、お姉ちゃんが巻き込まれた時は凄く心配してた」
「そっかー。どおりでか」
「え?」
「黙殺されちゃいそうな立場なのに、周囲に凄く恵まれて助けてもらえてるなぁとは思っていたから」
それを全て運で片付けてしまうのは無理がある。
父親が関係者で、しかも今回の件に深く関わっていたとなれば話は別だ。
パズルのピースが噛み合ったかのような爽快感に笑っていると、レディは複雑そうな表情を浮かべて何度も頷く番人と私を見つめる。
「そうだよね。普通の人で、歯車のひとつでしかないし、そんな重要なピースでもないからねぇ」
「おかしいとは思ってたのよ。でも、稀にあることなのかなとか、神原君と出会って彼の補正効果を受けたお陰かなとか色々思ってたけど今回ので納得したわ」
「全ての原因は父親にある、ってか」
「はた迷惑な話よね。子供には関係ないって言うのに……ん? 敵はそれを知ってるの?」
「ううん。知らないと思う。知っていたとしても、どうでもいいことだと思うよ」
それはそれで切ない。
悲劇のヒロインになれるかと思ったのに、とふざけたように言えば「遊んでる場合じゃないですよ」とイナバに怒られた。
前足でバシバシとテーブルを叩くイナバを宥め私は軽く謝る。
もどきちゃんあたりなんて、その関係性を利用して何か仕掛けてきそうなものなのに知らないとは。
まぁ、リトルレディも完璧じゃないから本当はどうなのかは知らないけれど。どうでもいい、とは神がそう思っているということだろう。
「一番狙われそうなのは、私や神原君の家族なのにね」
「それは心配ないかな。お姉ちゃんたちの事はギンが前から見守ってて保護してたと思うし、今はお兄ちゃんのところにいるからお兄ちゃんの家族もその守りを受けてると思うよ」
「そんなもの?」
「目に見えるものじゃないから。前の神ならあらゆる手段を使ったかもしれないんだけどね」
何度も繰り返されるその言葉に、どこか寂しさを感じた私は不思議に思う。
少女と神の関係性は敵対するものという他になにかあるんだろうか。
深入りできるほどの親密さもない私は、聞くべきじゃないなと軽く頭を左右に振って頬杖をついた。




