94 居候
表層部の映像が映し出されているモニターを眺めながら私は溜息をついた。
後始末をしているたくさんの私達が忙しなく動いている。
何をしてるんだろうなと思っていると、化け物との戦闘時に破壊されてしまった床を直しているようだ。
「何なのあの巨大手」
「化け物持っていかれたわね。それにしても……」
「気配を感じなかったです」
悔しげに眉を寄せる番人と、のんびり溜息をつく雫。
そんな雫の言葉の続きを言うようにレディが静かな声でそう告げた。
「それよね。もしかして、アレの撃退と化け物の死守で分岐したりして」
「怖い事言うのやめてくれる?」
「ごめんごめん。可能性はあると思って」
だとしたら完全に失敗したパターンにしか思えない。
第一、あの場でどうやって巨大手を迎撃しろというのか。
イナバや雫のような攻撃手段を持たない私が、とイライラしていればふとある事に気がついた。
夢の世界とは似ているようなもので、イメージしたものが形になるならここで死霊術師になるのも可能じゃないかと。
「多分、それは難しいと思うわよ?」
「うん」
心の壁はあるので、思考が漏れているとは考えにくい。
とすれば、顔に出ていたのか根本が同じだから考えている事が容易に予想できたのか。
少女も頷くということは、恐らく顔に出ていたんだろう。
「なんで?」
「あれはもどきの介入じゃないと思うのよね」
「だとしたら何?」
「神か、神以外で神と同等の力を持つ存在かな」
雫が言うには、あの巨大手がもどきの仕業だったら化け物を送り込むようなヘマはしないからだそうだ。
それにもどきだったら、近くにいる雫を無視するわけがないとも言っていた。
私と雫を見間違えて襲うに違いないと思ったんだろうか。
レディも彼女の言葉を肯定するように、物騒な事をさらりと言ってくれる。
「それに、私達が対峙していた時の神はもう死んでしまったから……」
「ん?」
「え、ちょっと待って。だって【隔離領域】に封じられてるじゃない。だったら、アレは何?」
「神だよ。それと、もどきちゃん」
話が上手く噛み合わないような気がするのは気のせいだろうか。
身を乗り出して尋ねる番人に少女は嬉しそうに上生菓子を一口大に切り分ける。口に運んで幸せそうな顔をする彼女には余裕しか感じられなかった。
もっとも、私がどうしたところで勝てるわけがない力の差というものがあるからそんな態度なんだろうけれど。
気に入らないからと言ってリトルレディに攻撃をしかけるような愚かな考えは持っていない。
見た目に騙されているだけだと思うかもしれないが、そんな事をしても事態は好転しないからだ。
美羽もどきやカミサマとやらに寝返ったとした場合のその後がいいものとは思えず、最終的には神原君に倒される光景が浮かんでしまった。
それもそれでファンタジー夢のような感じでいいかもしれないと思ってしまうのは、疲れているからだろうか。
「神は死んだって、どういう意味」
「私達と戦って封じられた神は死んだも同じだから。今は私が管理者なの」
「……いや、でも向こうも足掻いてるわけですけど」
「しぶといですからね」
ぴょこぴょこ、と白いウサギが傍に駆け寄ってくる。
お疲れ様と頭を撫でて膝の上に乗せると、イナバはご機嫌に鼻をヒクヒク動かして少女を見つめた。
主人である魔王様の上司とも呼べる存在なので、イナバにとっては緊張する相手のはずだ。
けれどもイナバは不思議そうに首を傾げただけで特に何もなかった。
何も無いのか、と私は思わず突っ込んでしまったがイナバはきょとんとした顔をして私を見上げるだけ。
「イナバ、彼女の事知ってる?」
「知ってます! リトルレディですよー?」
「……言わば魔王様の上司よね」
「そう、なりますねぇ」
「……そっか」
だからどうした、とばかりに言われてもこっちが反応に困る。
それだけなのかと聞こうとしたけれど止めた。
視線を感じて顔を上げればリトルレディが微笑みながら私とイナバのやり取りを見ている。
目が合うとふんわりと可憐に微笑まれ、可愛いなぁと思ってしまう私も単純らしい。
イナバ以上に得体が知れなくて、彼女の頼みごとを聞くのが今の状況でのベストだ。それは分かっているが腑に落ちない部分も色々あるのでどうしても完全には信用し切れない。
「化け物の解析結果、遠藤信恵と新井務が融合したものでしたよ。精神を無理矢理結合させて一つの器に押し込めたみたいですね」
「そう。ならば、新井務も死んでしまったのね。二人の命はもどきが握って支配しているのかしら」
「回収していったところを見ると、まだ有用性があるとみたんでしょうね」
「それか、詳しく解析されると困る事があるとかかな?」
イナバとレディと雫が話している様子を他人事のように眺める。
本来、雫の位置にいるのは私のはずなのに、私よりもしっくりきているのが凄いような恐ろしいような気がした。
こう育ったのかもしれないのかと雫を見つめていると、視線に気づいた彼女がにこっと笑う。
元は同じ自分だというのに、あれだけ自然に柔らかく微笑む事ができるなんてと私はショックを受けた。
「由宇お姉さんの内世界まで侵入してきたのは、恐らく器欲しさじゃないかと思うんですけど」
「それにしては随分と乱暴すぎると思うの。それだったらもっと丁重にするんじゃないかな」
「……そうよね。どちらかと言えば、ただの嫌がらせのような気がするわ」
嫌がらせにあれだけの力を注ぐとしたら、相当嫌われているのかそれとも好かれているのか。
気に入らない事をした覚えはないのにと呟けば「貴方が覚えていないだけかもね」と雫に言われた。
番人は暫く考え込み小さく唸る。
「うーん。特にないね。本人に聞くのが一番だろうけど」
「嫌です」
「子供の癇癪のようなものでしょ。由宇がいるから思い通りにいかなくて、八つ当たりみたいな?」
「迷惑すぎる!」
サンドバッグ代わりに蹴られた事を思い出して呟けば、番人と雫が同情するように大きく頷いた。
レディは綺麗な目を見開いて驚愕している。
雫の言う通りだとしたら、あの場に三度私が居合わせたことかもしれない。
一度目の終わりに飲み込ませたチップを三度目には吐かれてしまい、それが気に入らなかったとか。
「新井君も死んじゃったのか……でも、死んだのに命握ってるってどういう事?」
「うーんと、命というより心とか魂とか言ったほうがいいのかな。多分あの二人はもどきが強引に自分の手元に置いたはずだから【再生領域】から外れちゃってるの」
「……外れるとどうなるの?」
「私達の管理外になるから、その存在自体が現実世界では“なかったこと”にされてると思う」
管理外。
今、私が生きている世界を管理運行しているのが少女たちだ。そこから外れてしまうのは存在しないと等しいということか。
普通に暮らしている限りはどんな人物も彼女たちの管理下に置かれる。
そうでなくなるというのは、余程の事がない限りはあり得ないだろう。
となると、カミサマとその娘であるもどきは彼女たちの管理下にあるのではないのか。
完全に消滅させることができなかったと言っていたから、その辺りの力関係が微妙なんだろうな。
上手いこと心の隙間をついて、世界に住む人たちを手駒にすれば引っくり返りそうな危うい関係に見えた。
「でも、実際ああしているわけよね? おかしな事になってるけど」
「なかったことにされても、そのもの自体が消えたわけじゃないから。もどきにあんな力があるとしたらそれはきっと……」
「カミサマの影響?」
「……うん」
「それなら、器なんていらないと思うけどな。今のままでも充分に力取り戻して覆せるじゃない?」
「前の彼らなら、多分そうしてたと思う。だけど、今は違うから」
封じられて力を削がれているから違うんだろうかと思っていると「それもあるけど」とレディは苦笑した。
少し寂しいような表情をして、彼女は自分の胸に手を当てる。
「今の彼らには“ココロ”がないの。だから、機械的に同じ事を繰り返してるだけ」
「同じことって?」
「番人……」
「いいじゃん。ここまで来たら一緒だって、ねぇしろうさちゃん」
「イナバです」
確かに番人が言う通りこんな状況になって耳を塞いでもどうにもならないのは分かる。
例えいつものように死亡フラグが乱立して薄笑いしか浮かべられなくとも、好奇心は満たされるだろう。
同じ私と言えど番人は随分と余裕があるな、と羨ましく思いながらムッとするイナバの頭を撫でた。
「確か、神様が世界を創った理由って思うがままの世界が欲しかったから、だっけ?」
「そうみたいですねぇ」
「彼らはずっと、世界をループさせ続けていたから。元の世界に戻したかったの」
「ある特定の条件でループするようになってたとか?」
「条件はよく分からないけど……。話を聞こうにも、通じる相手じゃないから」
それは何となく分かる。
彼らの娘であるもどきを見ていれば会話が通じる相手じゃないというのが良く分かるだろう。
「あ、そうだ。雫帰るんだったよね?」
「それなんだけど……可能なの?」
「ここから直接は難しいと思います」
戻って聞いてくると言った彼女がいつまでも動こうとしないので声をかける。
雫は顎に手を当てて思案している様子だったが、ちらりとレディを見ると首を傾げた。
お茶を飲んでいたレディは「うーん」と呟いて雫を見上げる。
「でも、【観測領域】まで連れて行ってそこから私が雫さんの世界との門を開けば帰れると思うよ」
「面倒になったわね」
「……連絡取れないんだ?」
「うーん。電波状態がね、いい時と悪い時があるのよね」
場所によって繋がったりそうじゃなかったり、と言う雫はどうしたものかと溜息をついていた。
レディは【観測領域】まで行こうとすすめるが雫はあまり乗り気ではない。
戻れるなら素直に頼めばいいのにと思っていると、雫がずいっとレディに顔を近づけた。
「簡単に【観測領域】に連れて行くとか、門を開くとか言ってるけど厳しいんじゃないかしら?」
「そんなことないよ」
「……ふぅん。ま、いいわ。由宇、連絡取れるまでここにいるけど、いい?」
「いいんじゃない」
雫はレディの力にあまり余裕がないことを番人から聞いていたんだろうか。
だとしたら、強がっているレディに無理をさせるのは酷だ。
いくら彼女が現在この世界の管理者だとしてもだ。
主柱である彼女が倒れてしまえば元も子もない。
無理をして戻る理由もないと判断した雫の気持ちが分かったので、私は彼女の滞在を許可する。
隣で番人が「私に断りも無く!?」と叫んでいたが無視だ。
「いる以上は役に立ってよね」
「さっきみたいに?」
「……」
「ごめんごめん。もちろん、協力するわよ。だって、私だもの」
今すぐ追い出してやろうかと思っていれば、それが顔に出ていたのか雫が笑いながら謝罪してくる。
ちっとも悪びれていない態度を指摘する気にもなれず、私は脱力して溜息をついた。




