93 神出鬼没
「かのじょはかのじょ、あなたはあなただよ。わすれないで」
「なっ!?」
ちょこんと座った少女が真面目な顔をして私を見つめる。
気配なく突然現れた少女に、私と番人は驚いて距離を取った。
ここは私の内世界だというのに、どうしてこう次から次へと来客があるんだろう。
警備が厳重だとは言いつつ、本当は怠ってるんじゃないかと番人を見ると必死に首を左右に振られた。
「んしょ」
少女は私の隣に座って私と番人の同じ顔を見比べ、にこりと私を見上げる。
無垢で純粋。
そう印象を受けるけれど、何を考えているのかギンや魔王様以上に分からない子だ。
人の心の領域に平然と存在し、居座れる時点でその特異性が分かるだろう。
何より彼女に対して私の防御壁が発動しないのは、敵と見なしていないからなのか。
イナバの防御が効かないのはイナバの主人である魔王様の上にいるのが少女だから、というので説明はつく。
「人の部屋に入る時は?」
「のっくして、『しつれいしまーす』って」
「で、リトルレディは?」
「……あ、わすれてた」
小さな手を口元に当てて今気付きましたという顔を見せる少女に、番人は頬を緩ませる。
ああ、分かっている。
可愛いのだ。彼女は小さく愛らしく、どうしたらウケがいいのか分かっている部分があってあざとい。
しかし、鼻につくようなことは無くただただ愛らしい。
それはもう、腹が立つくらいに。
「監視してたの?」
「みまもってたの!」
「似たようなもんです。で、こんな事もできるんだ」
「きんきゅうじたいだったから、しょうがないの。おせっきょうはあとできくから」
緊急事態の割にはちゃっかり番人にお茶を要求して寛ぎ始めているように見えるんですけど、気のせいですかね。
放置されたモニターの中では粘土のような塊が取れてしまった化け物の中身が晒されていた。
遠藤と新井の体をそれぞれ腰部で切断し、結合させたような奇妙な形をしたものがある。
恐らく皺くちゃになって面影が分からない状態になっている遠藤の頭がある方が上なんだろう。
股の間にある新井の顔も土気色になって白目を剥いていた。
そして彼の肩からは腕ではなく遠藤の物と思われる足が生えている。
これならばまだ、黒っぽい緑の粘土のようなものを纏わりつかせた状態の方が良かったと思えるから不思議だ。
ホラーゲームに出てきそうな敵だなぁと思いながら私は注意深くソレを見つめるイナバと雫へ視線を移す。
近づこうとする周囲の私達を制して、イナバは複数の透明な窓を出現させると何かし始めた。
「あれはね、すきゃんとあならいずだとおもうよ」
「ごめんレディ。言葉だけでも聞き取りやすくしてくれるとありがたいんだけどな」
「分かったー」
「できたのか!」
たどたどしい言葉が急に滑らかなものになる。
見た目を変えなければ言葉も円滑に話せないものとばかり思っていた私は、思わずツッコミを入れる。
番人は興味津々の表情でじっとレディを見つめていた。
至近距離すぎると無理やり頭を押しやれば、不満そうに唸る。
「信じてもらえないのは分かるけど、行動は見守ってたの。何を考えて何を話してこれからどうしようとしているのかなんて、そんな細かい部分まで見てなかった」
「……それにしては、それなりにいいタイミングだったけど」
「動向に注意して監視してたのは神や美羽もどき? の方だから」
「あぁ、そっちか」
わざわざ少女が現われたという事は何かの意味があっての事だろう。
ギンは神原君の相棒だから来ないとしても、彼女の命令を喜んで聞く魔王様が来てもおかしくないというのにわざわざ少女がやって来た。
流石に状況を分からずお茶しにきたということではないはず。
お茶を飲んで「はぁ~」と幸せそうな表情をするレディの姿に番人が目尻を下げた。頬は緩み口を半開きにさせて酷い顔だと思えば、気付いた彼女が慌てて口元を手で拭う。
お茶を飲む少女を愛でるのはいいとしても、涎を垂らすとはただの変態だ。
「でも、しろうさちゃん強くて良かった。間に合わないかと思ったけど、もう一人のお姉ちゃんのおかげ」
「へー間に合わせてくれるつもりだったの?」
「できるだけは。監視って難しくて相手に気づかれたら駄目なの。だから、神の様子にも気をつけたまま美羽の動きも追わなきゃいけなかったの」
「ギンや魔王様に手伝ってもらったら?」
「ギンは神原君で大変だから無理。ナナシは【再生領域】の不具合修正でかかりっきりだから、やっぱり無理なの」
世界が正常に運行しているか監視する【観測領域】の主である少女が、元神とその娘である美羽もどきの動向を気にしているのは当然だ。
そして恐らく彼らの監視は倒す前からそのままずっと行われていることだろう。
手伝ってもらうにも、ギンは神原君をサポートする役目を負っているらしいし魔王様は【再生領域】の不具合修正となれば無理に頼むわけにもいかないのも分かる。
しかし、だからと言って今の世界を支える要と言っても過言ではない存在が、そう気軽にこんな場所へ来てしまっていいんだろうか。
「御大将自ら出向くなんて、危険極まりないんじゃない?」
「大丈夫。バックアップは取ってるから、万が一の時があっても回復に時間がかかる程度なの」
「……それは大丈夫じゃないと思うんだけど」
どうしてそれを自信満々に言えてしまうのか不思議だが、回復すれば元通りになるのは凄い。溢れる自信はそこからか、と思いつつ私も番人にお茶のお代わりを頼んだ。
要求されてもいないのに、次から次へと色々なお菓子を出してレディに気に入られようとしている番人を鼻で笑う。
それに気づいた番人がこちらを見た気がしたが、無視した。
「それと、【再生領域】の不具合って?」
「えーと……」
「話せないようなことならいいわ」
話せない事は私が知らなくてもいいという事。
ただ不具合なんて起こるのかと気になっただけで、深い意味は無い。魔王様は大変だろうがそれが仕事なら嬉々としてやっているだろうし。
ドクロの姿から元に戻ったんだろうかと、薄れかけている夢の記憶を引っ張り出していれば少女が躊躇いがちに口を開いた。
「原因不明の歪みが世界のあちこちにできてしまって、それを修正していたんだけど【再生領域】に一際大きな穴が開いちゃってそれを塞いでるところなの」
「え、原因不明? レディでも分からないの?」
「うん。【隔離領域】に閉じ込めた神や美羽のしわざじゃないのは分かるんだけど」
「あ、ごめん。悪いんだけど美羽じゃなくて、もどきって呼んでもらってもいい?」
細かくてどうでもいい事だろうけれど、それなりに付き合いと愛着のある私としてはアレが神原美羽と称される事に嫌悪感しか抱かない。
見た目もその存在もどこからどう見たって神原美羽にしか見えなくても、中身が違うのならやはり彼女は美羽ではないと思う。
雫も、みんなのスイートエンジェルと言っていたくらいだ。
本来の中身は一体どこへ行ったんだろう。
「うん、いいよ。もどきや力が削がれた神には無理だから、違う介入者かと思って世界を丸ごと検査してみたんだけど何も引っかからなかったの」
「……力が弱まったとは言え、人を操って凶行に走らせるのが容易い神や、何をするか判らないもどきには本当にできないことなの?」
今ある世界を管理運行している大本の少女ですら把握できない歪み。
神と対峙した際に発生した強いエネルギーの影響で、そのような歪みができてしまった事があったと教えてくれた。
歪みとは、その名前の通り空間が歪むのだと言う。
それがどうなるのかと首を傾げれば、「あ」と短い声を上げた雫がモニター越しに手を振っている。こちらの会話はどうやら向こうにも聞こえているらしい。
「あぁ、聞いたことあるわ。その歪みを利用して時間旅行ができるとかって父さんが言ってた」
「え!」
「実際私がこっちに来たのも、歪みを利用したものなのよね」
そっか、神がいない世界の私は父親がちゃんといるのか。
そう驚いていると「そこじゃないでしょ」といつの間にか傍に寄ってきていた番人から突っ込みをうけた。
モニターの中の雫をじっと見つめている少女に、彼女の事を軽く説明をすると納得した様子で眉間の皺が消える。
紹介された雫はと言えば、決め顔をしながら少女に自己紹介をして便宜上今は“雫”という名前になっていることを告げた。
よろしくお願いしますと頭を下げた雫に、少女も柔らかな笑みを浮かべて頭を下げる。
「じゃあ、原因は雫じゃない」
「いやいや、私のやつは影響が限りなく低いやつだからね。そのあたりは細心の注意を払ってるわよ」
「……どうだかなぁ」
「多分、違うと思う。雫さんのせいだったら、雫さんがこっちに来た時点で引っかかってるから」
「でもいきなりここに来たとしたら?」
「それでも引っかかるよ」
世界は世界でも私の世界に直接来たなら気づかずに見逃した事もあるかもしれない。
そう思って尋ねた言葉をレディは静かに否定した。
現在世界の神と言ってもいい存在である彼女が気づかないわけがないか、と妙に納得する。
ではなぜ雫の存在には気づかなかったのかと思えば、敵だと認識されなかっただろうとレディは告げる。
「その時間旅行とやらは実際できてるの?」
「ううん。研究段階で実用化されるのはもっと後だろうって。でも、研究者が数人消えたのは歪みに巻き込まれたからだとか言ってたな……」
「雫のお父さんて、何者? 私の知ってる父親と違うような気もするんだけど」
何となく嫌な予感がする。
知りたくないのに、知らなきゃいけないような気がしてどうしていいのか分からない。
助けを求めるように番人を見れば、彼女も困ったような表情で私を見つめていた。
慌てて私は少女へ視線を移す。
彼女は首を傾げきょとんとした表情で私を見上げた。
駄目だ、助けてくれるような人はここにはいない。
「あぁ、本当のお父さんは小さい頃に事故で死んじゃって、今のお父さんはお母さんの再婚相手だから」
「あ……そう」
自分でも驚くほど声に動揺が現れていない。
世界が違うんだから、私は母さんじゃないんだから、そう言い聞かせながら雫の言葉をゆっくりと反芻する。
雫の生きる世界に、夫の帰りを待ち続ける妻はいないんだ。
そしてどうやら兄さんもなつみもいないらしい。
あの二人の存在はこの世界の特殊さが生み出したようなものなのかと思うと、やはり今いる世界が私にとっては一番だと感じた。
「そっか……。父さん、行方不明だからまぁこっちでも死んだようなもんだしなぁ」
「まぁね」
母さんの事はとても愛していたらしいから他に女を作って逃げたというのは考えられない。まぁ、愛してたというのは母さんから聞いたから本当のところはどうだか知らないけれど。
叔父さんの父さんに対する評価も結構高い。一緒に遊びにいけるようないい兄ができたと思っていたのに、と父さんの話を聞こうとすると必ず叔父さんは涙ぐんでしまう。
しかし、こうやって考えると本当に雫と私は根本が同じでも違う個体なんだなと思った。
母さんの再婚相手についても聞きたかったけれど、聞いてどうなるわけでもない。これから先もしかして出現するかもしれない、もう現れているかもしれない人物と気まずくなるのも嫌だ。
初めましてと挨拶しながら「あぁ、この人母さん狙ってるんでしょ?」なんて思っちゃうのは絶対に嫌だ。
だからと言って阻止するかと聞かれればそれもできないだろう。
再婚しようがどうしようがそれは母さんの勝手だが、私はきっと反対せず母さんの好きにすればいいと思う。
でも、心はどこかで拒絶してしまうのでその時が家を出る時かなと、これから起こるかもしれない光景に溜息をついた。
どうなるか分からない事を真剣に考えて気に病んでしまうのは馬鹿だと思う。
けれど、本当にこればかりはどうなるか分からない。
「あの母さんが、再婚かぁ」
「うちの母さんはそうなってもシングルでいるだろうね」
「うん。父さんがゾッコンだとか言ってたけど、母さんもいい勝負よね」
「そうよね。それ本人に言ったら、二時間くらい『違うのよ、あの人がどうしてもって言うからね』とか捻じ曲がった惚気話聞かされるんだわ」
「……拷問ね」
「それ以外の何ものでもないわ」
私も結婚したらあんな風になってしまうんだろうかと、顔を赤らめながら怒ってるのか照れてるのか分からない母さんの事を想像する。
自分の母親にこう言うのも何だが、あの人の夫に対する愛情は分かりにくい。
好きなんだか嫌いなんだか分からない時がある。
「お姉ちゃんのお母さんは、きっと大丈夫だよ」
「うん、多分ね」
「ねぇ雫。あんたの今のお父さんて誰?」
「え、言っていいの?」
私が険しい表情をしていたから言わないように気を遣ってくれたんだろう。
気になって仕方がないという顔をした番人が唇を尖らせながら私を見つめる。
あんたはいいかもしれないけど、私のこれからの生活に関わってくるんですけど!
知ってる人だったら、対応凄くおかしくなりそうで嫌。
「関係ない事は聞かないの。こっちの世界がおかしくなったらどうすんのよ」
「つまんないの」
「……レディ、番人何とかできるかな? 制御方法とかコツとかあったら教えて欲しいんだけど」
「お姉ちゃんならきっとできると思うけど、番人さんも自我があるからとても大変だと思うよ?」
私の気持ちも考えろ、と脅すように睨み付ければそっくりそのまま返された。
ちょっと調子に乗りすぎじゃないだろうかとレディに助言を求めれば、彼女は意外にも真面目に答えてくれる。
モニターの中であらゆる角度から化け物をスキャンし終えたらしいイナバが一息つく。
その時雫のすぐ近くに扉が出現し、その中から巨大な手が出現した。




