92 侵入者
「何かあれば私も行ってるから大丈夫だって。ここからでも指示は飛ばせるし」
「……あの“私達”って記憶よね。記憶が人の形というか、私の姿をしているだけで」
「うん。記憶を保管している人形みたいなものよね。私と違って自発的に動いたり話したりなんてあんまり無いし」
この場にいるのは私と番人だけ。
雫は責任を感じたのか、私達の手伝いに行ってくると扉の向こうへ消えてしまった。
危険だからと番人がすぐにその扉を凍結してしまったが、大丈夫なんだろうか。
「防御と迎撃、対象とかは分かってるから」
「……雫もどうするんだろう。行っちゃったけど」
「大丈夫じゃない? アレの得体の知れなさは良く分かってると思うけど?」
「それはそうだけど」
何だろう、この番人の強気は。
この内世界の主人である私の方が落ち着かないのは仕方がない。
相手はあの美羽もどきだ。彼女の強さと気持ち悪さは痛いほど知っているから余計に心配だった。
「違う。あれはもどきじゃないね。化け物だ」
「ばけもの?」
化け物、化け物。
言ってしまえば何だって化け物に見えるような気がしたので困ってしまう。
今まで出会った人物の中でも人の精神世界に強制侵入してくる輩と言えば、やはり美羽もどきしか思い浮かばない。
「大丈夫だって。イナバちゃんもサポート回ってるみたいだからさ」
「え! いつの間に」
先程まで大量の食事をしていた相棒は戦闘中らしい。
イナバがいるなら雫も大丈夫かと少しだけ安心した。
いくら別世界の私だからとは言え、こんな所で死なれたら後味が悪い。
番人の気楽な言葉は無責任にしか聞こえず、私は一人やきもきしてしまった。
これぞ高みの見物というやつか。
出現したモニターの映像を眺めていた私は、番人がどうして余裕でいられたのかが分かった。
表層部と思われる場所での戦闘は一方的な状況で心配していたのが馬鹿らしい。
大勢の私達が取り囲む中、白くて小さなウサギと雫が泥の塊のような歪な形をしている何かと戦っている。
ウサギは一目見てイナバだとすぐに分かった。
けれど、気持ち悪い化け物が何なのかさっぱり分からない。
私が産み出した想像上の化け物か、とも思ったが心当たりはない。
ちらり、と番人へ視線を移せば彼女は首を横に振って答えた。
「良く見てみれば、分かるよ」
「えー」
気持ち悪くて見るのは嫌だけど、一方的にイナバや雫に攻撃を受けている化け物を見つめた。
色は黒っぽい緑で、表面はボコボコとしている。
目を凝らして見つめていれば、突起のようなものが出ておりそれが手足だと気付くのに結構時間を要した。
最初は綺麗な円形だったらしいが、攻撃されるにつれてその形が歪なものになっていったらしい。
マネキンのような白い手や足が変な箇所から出ている様は、有名な探偵の小説を思い出してしまう。正にあんな感じだと私は恐怖を感じるどころか、感心してしまった。
「ん……?」
「あ、気付いた?」
「うわ、何あれ。気持ち悪い」
「多分もどきの差し金かなーとは思うんだけど」
雫の援護を受けイナバが放った強烈な蹴りにバランスを崩す化け物。ごろり、と後方に一回転する時に見えた嫌な物に私は眉を寄せる。
やけに細い女性的な両足の間に見覚えのある顔があったような気がした。
気のせいだと思いながら自分を落ち着かせていれば、番人がのん気に答えて茶を啜る。
よくもそんなのん気にできるもんだと感心する。
「凄いよね。あの悪趣味」
「もどきがやりそうな事だわ」
「まだもどきが背後にいるって決まったわけじゃないけど」
「ううん。アレはもどきだわ」
証拠は無いがそうだと確信している。
アヴァンギャルド! と叫んで笑い飛ばせる番人は精神的に結構タフのようだ。
私はあの化け物を見て恐怖も不安も感じないが、ただ気持ち悪い。
造形のおぞましさではなく、それを作りあげただろう存在に対する嫌悪感。
蕁麻疹が出そうなくらいの激しい憎悪と怒りが湧き上がってくるのを感じて、お茶を一気に飲み干した。
「アレが入ってきたのはやっぱり雫のせい?」
「みたいだね。雫が扉を開く瞬間を狙って接続してきたみたい。防御壁に阻まれて入って来れないはずだけど、無理やり捻じ込まれた感じ」
「……やっぱり、もどきしか思い浮かばないわ」
雫が室内から大広間へと繋がる扉のチャンネルを自分の世界に変えた瞬間を狙い、あの化け物が表層部に現れた。
本来ならすぐに弾き返され侵入できないはずだが、無理やり捻じ込まれた感じがするなら化け物の他に何かがいたとしか思えない。
そしてすぐ浮かぶのはもどきの姿。
「うん。私もなんだけどね」
「中にもうチップは無いから、こまめに接続を繰り返してたのかな? 夢に落ちた時が一番チャンスがあるとは言え、イナバの防御もあるし敵は相当イライラしてただろうね」
「だったら、本人が来ればいいのにね」
「やめてよ。私の内部で暴れるなんて死んでしまいます」
もし神だとしたら、こんな面倒な事はしないだろう。
あの時感じた威圧感と魔王様でさえ対処できない存在なら、こんな事をしなくてもサクッと終わらせられそうだ。
ずるりと精神を抜き取るか破壊するかして、器である肉体だけ回収すればいい。
「あぁ、確かに」
「それにしたって、あんな作品だと保護者呼ばれて将来が心配されるレベルだわ」
「だって、もどきだもん」
歪な球体から突き出た両手は角のようにも見え、天辺にあるらしいもう一つの顔が動くと脱力するような声を周囲に響かせた。
声は本人の物なのだろうが、そうとは思えぬ程しわがれていて生気が無い。
小さく震える顔の部分にズームアップしてもらえば、老婆のように皺くちゃになった遠藤さんの顔がはっきりと見えた。
死んだと聞いていたのにまさかこんな場所で会う事になるとは。
再会を喜ぶような気持ちには微塵もならないが、口をパクパク動かしては「データ……データ、を、よこせ」と繰り返し呟いているのが恐怖だ。
これは記憶に残って後々まで夢で魘されそうだと顔を引き攣らせると、「やめてよねぇ!」と心底嫌そうな声を上げた番人が私の腕を叩いてくる。
ばしばし、と結構な力で痛い。
「データって、そう言えば前も言ってたらしいけど。電子ドラッグのデータにしろ、何でこっちが持ってると思うのか」
「華ちゃんと細田さんが襲われたんだよね。神原君関係で彼女達が持ってると考えたのも不思議なんだけど」
「会話ができて答えてくれれば楽なんだけど、どう見ても無理そうね」
「あ、天辺はおばあちゃん顔だけど、股にあるのは男の人……新井!?」
胴体らしき粘土のような部分がイナバと雫の攻撃によって抉られていくにつれ、低く唸るような声が二つ重なり合って響く。
取り囲んでいる私達を良く見ればそれぞれの前に透明な壁のようなものが出現していた。
あれも防御壁なのかと思っていれば「自己防衛は大事だからね」と自慢気に番人が呟く。
敵に侵入を許しておいてそのドヤ顔も無いと思うのだが、彼女は胸を張ったままチラチラと私を見ていた。
視界の端でその様子を確認した私はモニターに向かって声をかける。
「イナバー、遊んでないでサクッとやっちゃえ!」
『了解でーす! そろそろ遊ぶのに飽きてきたので、ちょうど良かったです』
「うわ、ずるい。イナバちゃんと会話できてる!」
モニター越しだというのに私の声が聞こえたのか、大きな盾を出現させて相手の攻撃を防いだイナバが元気に飛び跳ねる。
私としては冗談で遊んでいるという表現を使ったのだが、どうやらイナバは本当に遊んでいたらしい。
それに見ていると不思議なくらいイナバと雫の連携が綺麗に決まっていた。
あんな化け物を前にして全く動揺しない雫は相変わらずだし、警戒していた彼女と絶妙なコンビネーションを見せるイナバも動きにキレがあって凄い。
イナバの事だから、あの化け物が新井と遠藤を合成して出来たものだとはすぐに気づいただろう。
それなのに、あの容赦の無さ。
二人とも私や神原君、他の対象攻略者に害をもたらす存在であり神やもどきに操られていると分かっているから遠慮しないんだろう。
操られていて可哀想だからなんとか助けてあげなくちゃ、という気持ちが無いところは私と同じで笑ってしまった。
正直、私も二人がどうなろうとどうでもいい。
どうせ世界がループしてしまえば彼らは何事もなかったかのように生きてるんだろうし。
「由宇?」
「ん?」
「ううん。なんでもない」
番人に声をかけられて彼女を見れば、何かを言いかけた彼女が目を伏せ笑みを浮かべると首を横に振った。何が言いたいのか大体察しがついてしまうのは、やっぱり彼女も私だからだろうか。
恐らく、人よりも化け物に近い雰囲気に戸惑いと驚きを感じたんじゃないかと思う。
知り合いが化け物になっているというのに、顔色一つ変えず寧ろ面倒そうに溜息をついて相棒に早く片付けろと言うくらいだ。そう感じてもおかしくない。
同級生、顔と名前を知っている程度の知り合いだとしても番人は躊躇するんだろう。
でも、彼女は「どうして助けてあげないの!?」と声を荒げて私を責めたりしない。
「敵がボッコボコにされる様を見ながら笑うなんて、我ながら凶悪……」
「あ、片付いたのね。さすがイナバ。強いなー、番人なんて目じゃないくらい強いなー」
「ちょっと、私を非難するのは自虐してるって事だからね」
「……」
忘れていた。
刺さっても文句は言えないから受け止めるしかない。
そうだ、何度ループしても心身ともに弱過ぎる私が一番嫌いだ。
何かあれば誰かが助けてくれる、それに期待している私が浅ましくて嫌いだ。
神原君やイナバがいなかったら私はまた簡単に死んで、飽き飽きしてしまった病院から始まる生活を作業のようにこなしていくんだろう。
自殺したって、殺されたって、どう足掻いたって逃げられない無限ループ。
もしくは、これ幸いと美羽が私の体をパパとママのところに持っていくのかもしれない。
心が殺されれば私は消滅する。羽藤由宇という私は、どこにもいなくなるんだ。
それは、ある意味で解放なんじゃないかと思った私は物言わぬ塊になった化け物が映るモニターを見ながら自嘲する。
「雫の事も、馬鹿にしてたけど彼女は凄いね」
「別世界でのん気に暮らしてるって思ってたのにね」
気味の悪い動きをしては攻撃を繰り返す化け物に表情一つ変えず、雫はイナバの攻撃をサポートしている。
ゲームの中で見るような魔法陣をいくつも展開させてド派手な魔術を見せてくれる。
どこかで見た覚えのある魔法陣だなと思っていると「夢と同じだね」と番人が呟いた。
そうか、私がよく見ているファンタジー夢でしようされてる魔術と同じか。
「あー駄目だな。本当に私は駄目だ」
「なに、急に」
神のいない世界から来たという雫にすらこんなに負けている。
私の強みは繰り返される世界の記憶と、面の皮の厚さだったはずなのに体は小刻みに震え嘔吐を必死に堪えていた。
この情けない存在はすぐに消して、雫のような私ができるのを待った方がいいんじゃないかと思えてくる。
姿形が同じだというのに、こうまで違うのかと見せ付けられて打ちのめされた。




