91 浮いた話
私の内なる世界は、大広間があってそこから小部屋に分かれる。
大広間は白くて広い私達が大勢いる場所だ。
そして出入り口の扉は壁ではなく、大広間の中途半端な所に存在していた。
ちょうど、私達の先頭と向こう側の私がいたその中間辺り。
好きなところへ飛んでゆける便利な道具を想像してしまいながらも、重厚な作りの扉は何も言わずにそこにただ在る。
扉を開ければ違う世界が広がっているんだから不思議なものだと思うが、必要なければ消えてしまうのも悲しい。
番人はどうやら私の内世界の門番も兼ねる事にしたらしく、彼女が許可しなければ扉は出現しない仕組みになっていると教えてくれた。
では雫はどうやって来たのかと聞けば、彼女は彼女で自分の扉を持っていたとの事だった。
ここに来る前に弾くことができれば良かったのだが、何しろ相手は自分だ。
それ故に、防御壁で阻み様子を見ることくらいしかできなかったのだと言っていた。
「あんた、門番もやってたの?」
「気付いたらね。だって、自由に動けるの私だけだし。侵入者に好き勝手されたら、居場所なくなるじゃない。内から崩壊したら由宇も死ぬんですけど」
「またループか」
「どうだろうね。内からの場合はちょっと違うかもなぁ」
「え?」
「今まではずっと、外因的要素で死亡だったでしょ?」
そう言われてみれば、と私は今までの死亡エンドを思い出せるだけ思い出してみる。
けれどもその中にもやはり精神を病んでというものはいくつもあった。
あれは内から崩壊するとは言えないんだろうか。
「うーん。内から破壊って言っても、精神的ショックとはまた違うんだよね。体験したことないし、上手く説明できないんだけど」
「……ちなみに、今まで“私”は経験したことある?」
「無いよ。内から破壊されるのは魂を壊すって事だから、私も私達も消滅してなーんにも残らないもん」
内部から破壊されるのは魂が壊されるのと同じなのか。
魂と精神は違うのか、と呟けば「心が死ぬと、体も引きずられるからねぇ」と番人が笑う。
心が死ぬ。
思い浮かんだのは、発狂エンドを迎えた時の光景。
心が死ぬというのはああいうことなのだろうか。
番人は私の過去であり、最初に死んだ私の記憶。
今いる私までの記憶を収集し管理しているから、今まで辿ってきた道や出来事はきっと私より詳しいはず。
【観測領域】で美羽もどきを前にして気を失った時の私のように、まるで客のように自分の記憶を眺めていたんだろうかと思いながら私は急須の茶葉を変えた。
「ま、でもカミサマはそれを狙ってんのかも」
「心が死ねば、中身が空になって器が? でも、体だって引きずられるんでしょう?」
「上手くやれば何とかなるんじゃないの?」
そんな投げやりな。
いくら過去の私だとは言え、自分の存在もかかっているのにその暢気さ。
どれだけ足掻いた所で彼女はここから出ることは出来ないし、私に取って代わることも出来ない。だからこそ、なんだろうかと思っていれば苦笑する声が聞こえた。
「世界を歪めて、自分たちの理想の世界を創り上げたような輩よ? そんなの朝飯前だと思わない?」
「……確かに、そうなのよね。ありえない事ばかり起きててちょっと麻痺してるんだけど、それを言ったら私だって充分ありえない存在なのよね」
「そうそう。不死者、死んでも蘇ってやり直しなんてありがたくない話だわ」
命は限りあるからこそ美しいというのは知っている。
失われていく花や虫、小さきものが儚く散ってゆく様を眺めて干渉にひたる。
でもそれは、自分じゃないからだ。
ではそれが自分だったら?
取り乱すのが普通だろう。喚いて血眼になりながら生き残る術を探す。
性格の差が現われるかもしれないが大人しく死んでいくような人はまずいないだろう。
私だってそうだ。
今すぐ死んでくださいと言われて「はい分かりました」なんて言えるものか。
死にたくても死ねない、死ぬ勇気が無い人にとってはとても素晴らしい言葉だろうけれど。
「そう言えば貴方が管理してる私の記憶って……その、幼い頃のとかはないの?」
「無いね」
「……無いの!?」
私の内世界なら、私が今まで経験してきたことが全て揃ってる気がした。
だから、生まれてから今までの記憶が保管されているのも当然だろうと。
しかし、はっきり言われるとこの世界はどんな仕組みになっているのか疑問に思う。
本当にここは私の内世界なんだろうか。
疑いの眼差しで番人を見つめていると、苦笑していた彼女の顔色が変わった。
何だか嫌な予感がする。
「おっと、邪魔が入ったなー」
「え、もしかしてもどき?」
ここは、私の内世界。
番人が門番の役割も兼ねて防御も迎撃もちゃんとしているなら侵入する事はできないはずだ。
しかし、侵入者がこちらの能力を超える場合は?
「防衛システム作動。迎撃有効、表層部のみの侵入なら対処はできる、かな」
「あっはっは。いやぁ、驚いたわ。嫌な予感がして上層に行ってみればいるんだもの」
「笑ってる場合じゃないんですけど」
目を瞑って番人がぶつぶつ呟いていると、部屋を出ていったはずの雫が数人の私と一緒に扉の向こうから大広間へとやってくる。
数人の私達は番人と視線を合わせると無言で頷いた。
「よしよし、番人も由宇も無事ね」
「何とかね。悠長にしてる場合じゃないと思うんだけど」
「焦っても仕方ないわよ」
侵入される隙を作ったのは私かもしれないと謝る雫に、ほんの僅かな隙間に無理やり入り込める向こうが異常だと番人は溜息をついていた。
彼女が軽く手を振ると、五人の私達が小さく頷き再び扉の向こうへ消えてゆく。
「それにしても、アレ何?」
私の想像に間違いが無かったら可愛らしい天使とも呼ばれる例の人物なんだろうが、雫が知らないのも変な感じがした。
並列世界だからしょうがない、で片付けてしまえば済むけれど何となく引っかかる。
「神原美羽って言って、ゲーム主人公の妹なんだけど……」
「は? 何言ってんの? みんなのスイートエンジェルがあんな化け物なわけないじゃん」
「うわー、別世界の私もゲーム中毒」
「……嗜み程度です」
コホンと咳払いをした雫はにこりと微笑んでそう告げた。
どこが、と突っ込みたかったが笑顔で流されそうな気がしてやめる。
「中毒って言えば、モモじゃない。彼女の場合はオタクゲーマーだろうと周囲からはギャップ萌えで済まされるんだし」
「うん。天性の魅力ってやつだよね」
雫の口からモモの名前が出た事が少し嬉しい。
思い出したようにそう告げた彼女は「はぁ」と溜息をついて眉間に皺を刻んだ。
この前、少しずつ仲良くなっていった男の人との距離が縮まりそうな出来事があったらしいが、タイミング良く現われたモモの出現により流れてしまったのだと呟く。
別世界とは言えこの私に浮いた噂があったのか、と思わず顔色を変えた私と番人。
「ちょっと聞いた? 私にそんな男の人がいるんだって!」
「こっちの私達には到底縁の無い話よね。出会う男も攻略対象かろくでもないのばっかり」
「あ、そこに神原君入れるのは可哀想よ。あの子は違うじゃない」
「もちろん。ろくでもないのは榎本兄とか魔王様とかギンとかよ。あ、何かあったら相談に乗るからって和泉先生から個人の携帯番号とアドレス渡されたんだって?」
「あぁ、珍しく爽やかな笑顔で兄さんが『心配してくださってありがとうございます』で没収よ」
井戸端会議をするご婦人方のように私と番人が会話していると、残念そうな顔をしていた雫が目をキラキラさせながら食い入るように話を聞いてくる。
和泉先生の件は正直ヒヤッとしたが、偶々付き添いで兄さんが一緒にいる時だったので助けてもらった。
もっとも、兄さんとしては助けたとは思ってないんだろうけど。
家族としてありがたく受け取ったのか、分かってて邪魔をした上での牽制なのか私には判別がつかなかった。
あの兄がこんな爽やかな笑顔を作れるのか、とそっちが衝撃的だったせいだろう。
「で、その男の人って誰なの? 私達の知ってる人?」
「さぁね」
「あ……隠した。モモに邪魔されても、多分上手くいってるって事よね」
推測するに、友達以上恋人未満という所か。しかも、友達よりちょっと親しくて甘酸っぱい感覚がするね、程度だろう。
恋の成就にはまだまだ遠い。
しかし、もどかしい感じが楽しい時期なのかもしれない。
「誰、誰? 榎本兄? 松永さん? 宇佐美さん? 和泉先生? 戸田さん? あ、西森さんとか?」
「ノーコメント」
「えーと、じゃあ東風さん!」
「黙秘」
神がいない世界、歪められなかった世界に住んでいるというだけでこんなにも違うのか。
私は、もしかしたらあったかもしれない世界に住んでいる雫を見つめながら小さく溜息をついた。
羨んだところでどうにもならないのも知っている。
入れ替わったところで上手くいくわけがないのも分かっている。
こちらで得た全てを捨てて飛び込んでいく程魅力的な世界に思えないのは、醜くて汚くて、苦痛ばかり与えられる世界でも揺るがない愛する人たちに囲まれ、その愛を感じているせいかと考えた。
そう思ってから、妙に恥ずかしくなる。
くさいセリフだ。
「あ、盛り上がってるとこ悪いんだけど……侵入者、大丈夫なんだよね?」
番人が他の私達に何か指示を出したというのは分かったがその内容まで分からない。
涼しげな表情で質問をかわす雫と、暢気にここで未来の恋人になるかもしれない男の情報を聞き出そうとしている番人は、私の言葉に顔を見合わせ首を傾けた。




