90 封筒
最後の最後までさんざん焦らして結局正体を明かさないままで終わるかと思った三人目は、あっさり別の世界から来たと告白した。
それが本当なのか嘘なのかは分からないけど、可能性はゼロじゃない。
羽藤由宇である彼女だからこそ、同じ羽藤由宇である私の内なる世界に入り込むのも容易だったと言っていた。
寧ろ、警戒レベルが低すぎて怒りを感じるほどだと軽く説教されてしまう。
「ま、でも最低限の防御反応はしたから安心しだけど。あれすらなかったら、目も当てられないわ」
「あの透明な壁の事?」
「そう。異物を隔離する為に作動したのね。番人によるものじゃなくて、貴方の本能に近いかな」
普通なら侵入した時点で迎撃準備に移るものだと物騒な事を言われる。
侵入したのが羽藤由宇だった為に、混乱した可能性はあるかもしれないと呟いていたがこっちとしては迷惑でしかない。
隔離しただけ凄いじゃないかと鼻息荒く三人目に詰め寄る番人を制し、宥める。
「貴方が私だったら、隔離されることすらなかったってことね」
「恐らくはね」
「うっわ、怖いんだけど三人目」
のん気に話してた私が恐ろしいと呟いて、震える体を抱きしめるようにする番人に溜息が出る。
番人は頼りなくて心配、三人目は何を考えているのか分からなくて怖い。
まともな私が一人もいないと思いながら自分を除外している事に気づいた。
私を入れたとしても、やっぱりまともなのは一人もいないかもしれない。
「でもまさか、いきなりここに来るとは思ってなかったけど」
「胡散臭い人の言う事なんて信じるからじゃないの?」
「失礼な」
ちゃんとした人物だ、と言う三人目の視線が泳いだのは何故なのか。
信頼できる人物に、異世界のお前が危険だから助けに行って来いと言われて普通来るだろうか。
そう言われた時点で怪しいと顔を引きつらせそうなものを。
しかし、三人目はそれを信じてここへ来たと言っている。
嘘なのか本当なのか、良く分からない。
「胡散臭いよね、その博士」
「……確かに、違うとはっきり否定はできないけど」
「いや、そこは否定しようよ」
自ら危険に首を突っ込んでも良いことは一つもないのに三人目はなぜ来たのか。
危険なのは別世界の私なんだから知らんぷりして放っておけばいいのだ。薄情と言われようが、自分の身を危険にさらしてまで得られるものなどないだろう。
馬鹿がつくほどお人好しだったり、正義感に溢れているなら話は別だけど。
「別世界とは言え、下手すると私の存在まで消えるとか脅されたらしょうがないでしょ」
「だからって、丸腰で飛び込んでくる無謀さは無いわ」
「流石に私だってそこまで馬鹿じゃないわよ」
見るからに武器らしいものは持っていない。
知識を当てにしようかと思っても、相手は私だ。
私の頭の出来は私が一番良く知っている。頭脳明晰でもなければ天才的なヒラメキがあるわけでもない。
テストでも毎回平均点のちょっと上あたりにいるくらいなのだから期待するだけ無駄だ。
その点、なつみは文武両道で可愛らしいという自慢の妹である。
「へー、何か一撃必殺みたいな武器でもあるんだ」
「うーん。それはどうだろう」
カーディガンのポケットから手紙を取り出した三人目はそれを私に差し出す。恐る恐る受け取った私は表と裏を眺めて、何も記されていないそれに首を傾げた。
封筒は薄く、中身が入っているように思えない。
しかし綺麗に糊付けしてある上にご丁寧にも蝋で封緘されていた。何かの紋様らしいが文字なのか記号なのか絵なのか分からない。
薄い青色をした無地の封筒に緑色の蝋。
「とりあえずそれを持ってればいいみたい」
「みたいって、また適当な」
やる気の無い三人目の言葉を聞きながら、手にした封筒を何となく電気に透かしてみる。
おかしな事に中身が入っている様子はなく、封緘している蝋が色濃くその影を落としていた。
中身の無い封筒に何の意味があるんだろう。
「……中身、入って無さそうなんですけど」
「ねぇ。意味分からないわよね」
「三人目がそれでどうすんの」
この封筒になんの秘密があるのかと目を凝らして見てみるが、どこからどうみても普通の封筒だ。
番人のツッコミを受けた三人目は微かに眉を寄せて頬杖をついた。
「ねぇ、その三人目っていうのやっぱりやめて欲しいんだけど」
「今更?」
「今更も何も、何かやだ!」
「じゃ、適当に名乗れば?」
三人目で不満だと言うなら好きにすればいい。
どうでもいい私の反応と、番人の溜息に三人目はパアァと表情を輝かせた。
三人目が嫌なら侵入者でもいいかもしれない。
詐欺師、ペテン師、狂言師。
心の壁を一時的に解除してそう胸の内で呟いていれば、番人が腹を抱えて大笑いした。
「そうねー。じゃあ、雫」
「へー」
「何よその反応。ゲームのヒロインに必ずつける名前じゃない」
「……世界違ってもそういう所は同じって、本当に気持ち悪い」
心底嫌な顔をした私に「失礼ね」と怒る三人目改め雫は、何度も自分の新しい名前を呟いて嬉しそうに笑っていた。
ゲームのヒロインになったつもりでもいるんだろうか。気持ち悪い。
「イナバは?」
「イナバなら、ニンジンと青菜の山に埋もれてたよ」
「え?」
「目をキラキラさせて『食べ放題ですー!』ってはしゃいでた。触ろうとしたら、『シャーッ』って威嚇されちゃったけど」
どうやら雫が出現させた餌に釣られてそちらに夢中らしい。
番人が指を差す方向を見れば、一心不乱に野菜を貪る白いウサギの姿があった。
目がキラキラしているというよりは、ギラギラしていてしろうさを思い出す。
「胡散臭い博士が入れ忘れたんじゃないの?」
「うーん。そうかもね」
開封してもいいと雫に言われたので番人が差し出したペーパーナイフで綺麗に切る。
破かないように封筒の中を覗き込み、電気に透かして隅から隅まで見たが何もない。どこかにチップでも貼り付けられているかとも思ったが、それなら開封前に透かした時点で分かるだろう。
何も入っていないという事を番人と雫にも確認してもらう。
「何もないね」
「ないわね」
「でしょ?」
これが何の役に立つというのか。
中身がなければ意味が無いじゃないかと思って雫に封筒を返すと、笑顔で制された。
にこにこと「貴方が持っていて」と言われたので「ゴミ箱じゃないんですが」と答えながら仕方なく封筒をポケットに入れる。
「その博士は他に何か言ってなかったの?」
「特に何も」
「使えねぇですね」
「素直すぎるわよ、由宇」
事実ですけど。
私がそう告げると雫は苦笑する。
番人は何かを考えるように眉を寄せて親指の爪を噛み始めた。苛々している証拠で、良くない行動である。
私がああやって彼女のように、何か困ったり苛々すると爪を噛んでいた事を思い出す。
あれは確かモモの事で振り回され、環境に順応すべく試行錯誤していた結果気付けば爪が歪になっていた。家にいる時は常に注意されていたし、学校でもモモに心配された事を思い出す。
どうしてやらなくなったんだっけ、と思った私は「どうでもいいや、って思うことにしたからでしょ?」と告げる番人の言葉に「ああ」と頷いた。
そうか、そうだった。
四角四面に考えて、全て真面目にこなそうとしていたからストレスばかりたまっていた。
それを、どうでもいいと考えるようにしたら少し楽になって、それからは爪を噛む癖もなくなった。
その代わり、前以上にゲームに没頭するようになってしまったが、常にと言ってもいいくらい行動を共にしていたモモとの共通の趣味もゲームだったので、やり過ぎていると考えたことは無い。
そうして大学まで来て、今こんな感じだ。
ゲームよりも非常に刺激的過ぎる現実の生活に、目を白黒させながら「早くエンディングを!」と叫んでいる最中である。
自由度は高いとは言え、制限されている部分もあるから中途半端で苛々は募っていた。
けれど、爪を噛むことは無い。
『由宇、駄目だよ。爪は噛まない。よし、甘い飴をあげよう』
『やだ。梅干がいい』
『……渋くね?』
一瞬だけ、脳裏に蘇ったいつかの記憶にくらりとしながら私は額を押さえる。
テーブルに肘をついて息を吐くとお茶を飲んでお代わりを頼んだ。
あれは、いつの記憶?
あり得るはずがない、仮初の記憶? 幻?
植えつけられたものにしては、懐かしさに胸の奥が締め付けられる感じがする。
大きく瞬きを繰り返し、雫が入れてくれたお茶を飲むと心配する番人に「少し疲れてるだけ」と嘘をついた。
心の壁があっても私の考えている事が何となくわかる彼女は、嘘と分かっていてもそれ以上聞いてくるような事はしない。
ふと、左手の下に何か違和感を抱いて手をどかせば、陶器に入った梅干があった。
気付かぬうちに想像していたものを具現化していたんだろう。
私は笑いながら見慣れた器を番人へと差し出す。
「ん? 梅干?」
「口に入れてると、落ち着くわよ」
「ふーん。まぁ、由宇がそう言うなら」
番人は私に促されるがまま梅干を一つ口の中へと放り込んだ。
想像していた通りの味だったのだろう、「すっぱい」と目を瞑りながらも少し落ち着いたように見える。
私も梅干を食べて、想像通りの味に目を瞑った。
「さてと、じゃあ私はちょっと出かけてこようかな」
「どこに?」
「くらだない封筒と、意味が分からない事を告げた博士に会いに」
「会えるの!?」
よっこいしょ、と言って立ち上がった雫に私と番人は驚く。
そんな事ができるなら、その胡散臭い博士を連れてくればいいと声を荒げた番人に「それは無理」と雫は笑顔で答えた。
「移動が可能になったのは、由宇が私を認めて受け入れてくれたからよ。私は私の世界に戻るだけ」
「えー、じゃあ雫が私達認めてくれればいいじゃん」
「容量小さくて無理だわ。第一、面倒だもの」
設定するのが面倒で、命の保証はしないけどそれでいいなら、と綺麗な笑顔が怖い。
そう言えばここに来る時も彼女は迷わず歩いていた上に、あの場にいたのは散歩だと言っていた。
私よりもこういう空間に慣れてるんじゃないかと考えている内に、雫は部屋から出て行ってしまった。
「戻ってくるかな?」
「来るでしょ。さてと、見回りと状況確認でもするか」
あっさりと答える番人は大きく伸びをしてそう言うと私に手招きをした。
私の世界なのに何も知らない私のため、内世界を簡単に案内してくれるらしい。
少しワクワクしながら私は番人の後をついていった。




