88 案内人
「美味しそうでしたね」
「見てないのに良く分かるわね」
「……えっ」
風呂上り、ベッドに腰をかけて髪を梳く。
いつものように卓上ホルダにセットされたスマホの中で、イナバが体を強張らせる。
もしかして、と思った私は櫛を手にしたままちらりとイナバへ視線を向けた。
暫く見つめ合ってどちらからとも無く視線を外す。
私は思っている事を口にしたら何かが終わりそうな気がしたし、イナバは恐らく気まずくて何も言えないんだろう。
「モモもユッコも、色々あるんだよね。見えてなかっただけで」
「ループのお陰でそれが分かったって言うのも皮肉ですよねぇ」
「そうなのよね」
嫌だ嫌だと思っていたループのお陰で気付かされたことはたくさんある。
それが皮肉で私はいつも複雑な気持になるのだ。
ループがあったからこそ、ここまで内情を知ることができて親密になれたんだろうかとか、通常の世界では知らない方が本ルートなのかもしれないとか。余計なことばかり考えてしまう。
『世界を元に戻したいの? それとも、今のままがいいの?』
『そんなの、元に戻りたいに決まってるじゃない』
『本当に?』
私達が数多く並ぶ空間で、私と同じ姿をした人物から問いかけられた言葉が蘇る。
真っ直ぐに私を見つめる彼女は、私の心の奥底の揺らぎですら見透かしているようで気分が悪かった。
覗き込むようにして見つめる番人も、それは同じだ。
『私達は同じよ。私とそっちは違うかもしれないけど、根本は同じ。だから、何を考えているかも大体想像がつくわ。いつものようにグダグダして優柔不断で決められない。そのわりに正義感を振りかざして中途半端に介入する。巻き込まれたから嫌だって、徹底的に接触を絶てばいいのに』
『そうしたって、結末は変わらないかもしれないじゃない』
『神原君が何とかしてくれるかもしれないじゃない?』
かもしれない、かもしれない。
私がムキになった言葉を馬鹿にするように、同じような口調で返してくるもう一人の私。
番人は楽しそうに見ているだけで何も言わない。
大勢の私の中で、私だけが苛められているような感覚を受けてしかめっ面をすれば「被害者面なの?」と三人目にそうに尋ねられた。
わざとだ、と直感で分かるのは彼女もまた私だからだろう。
感覚を共有し、私が思っている事は全てこの場にだだ漏れているという状況は私に不利でしかない。
けれど、告げられる言葉は正論で何も言い返せない。
自分で自分を責めているという光景は精神的にもよろしくないが、その位まで自虐しなければいけないのかと目覚めた時は落ち込んだ。
夢だと片付けるにはあまりにも鮮やかで、記憶に残る光景。
追い討ちをかけるように「由宇お姉さんがたくさんいて、楽しかったですね」と告げられるイナバの言葉。
「似てるけど違う世界の、同じような時間で過ごした私が存在するのは有り得るの?」
「だーかーらー、あの時も説明したじゃないですか。ありえないことじゃないって」
そうだ、何度も聞いて何度も同じ答えをもらっている。
それでも懲りずに何度も聞いてしまうのは、どこかで認めたくないという思いが強くあるからなんだろう。
耳に引っ掛ける形のワイヤレスイヤホンを軽く撫でながら、私は大げさに溜息をついた。
神が存在しない世界からやってきた私。
そもそもあの場所は私の記憶らしいのに、どうやって来たんだろう。
私が作り出した都合のいい存在ということもありえる。
「イナバ、今日も私の夢に潜れる?」
「あぁ、私会議をしたいんですね。いいですよ。イヤホンつけたままにしてもらえると楽ですね」
「寝てる時に外れないかな……」
「あはは、由宇お姉さんって結構寝相悪いときがありますよね」
前に一回転してた時にはびっくりしました、と言うイナバに私が驚いてしまう。
寝相はいい方だと思っていたが、一回転なんてしていたのか。
ファンタジーな夢で大活躍しているのを考えれば仕方がない。
夢遊病よりマシじゃないかと言えば、その時は止めると自信満々にイナバが告げた。
いつものようにイナバと同調したまま眠りにつく。
ただ、いつもと違うのは目を覚めれば広がるのがファンタジーな世界ではなく一面が真っ白な空間だった。
見覚えのある場所に目を細めながら周囲を見回す。
「【隔離領域】とかやめてよね」
「違うわ。まだ貴方の意識内」
「うわっ!」
「そう驚かなくてもいいじゃない。貴方は私、私は貴方なんだし」
てっきり白いウサギが可愛らしい声で謝罪してくるのかと思えば、そこにいたのはもう一人の私だった。
彼女は周囲を見回して「ふぅん」と呟きながら私に笑いかける。
薄気味悪い、と半歩退くと楽しそうな笑い声を上げた。
「そう警戒しなくてもいいじゃない」
「なんで番人じゃなくて三人目なのよ」
「散歩がてら」
「散歩!?」
人の内なる世界を勝手に歩き回っているとはまた気味が悪い。
さっさと出て行ってくれないものかと思っていれば「駄々漏れよ」と微笑まれた。
「あーホントに嫌。私ばっかり不利なんだから」
「ちょっとコントロールさえ覚えれば、駄々漏れなんてないんだから愚痴らない」
「コントロール?」
「簡単よ。心に壁を作ればいいのよ」
人差し指を立ててそう言ってくる三人目に私は溜息をついた。
そんなこと簡単にできていたら苦労しない。
大体、自分の内なる世界で壁を作らなくてはいけない理由は目の前の存在のせいなのに。
「その存在の侵入を許したのは、貴方でしょ?」
「うーわ、なにそれ。まるで自分は全く悪くないと思ってるみたいな」
「みたいな、じゃなくて、そうなのよ」
「性格悪い」
「貴方も同じよ」
こんなのと一緒にされたくないと思っても、姿形、声、そして考え方は気持ち悪いくらい私と同じだ。
少し私より大人びている気がするが、根本的な性格は何も変わっていないだろう。
だから、彼女の言葉は私の心にサクッと刺さる。
「とにかく、イメージでいいのよ。バーリア、みたいにね」
「え、そんな?」
「ほらほら、やってみる。練習練習」
「うーん」
軽い口調で変なポーズを決める三人目を見ながら、私は溜息をついて言われた通りにイメージしてみた。
自分の全身を透明な膜が包み込むような想像をしていると「いい感じ」と三人目が手を叩く。
偉そうにしているのがむかつく、と思っても彼女はにこにこしたままだ。
「そうそう。そんな感じよ。それで貴方の思考が漏れる事はなくなったけど……」
「けど?」
「顔に出やすいから気をつけた方がいいわよ。気が遠くなるほどループしてたら、面の顔も厚くなると思ってたのにそうじゃないみたいね」
「リラックスしたいだけです」
「はいはい」
三人目はムキになる私を軽くあしらって背を向けた。
どこへ行くのかと声をかけると呆れた顔をされる。
「どこって、貴方はどこに行きたかったのよ」
「前の場所」
「そうね」
「……え、あんたが案内するの?」
「しょうがないでしょ? イナバちゃんは貴方を置いて自分だけ到着してしまったんだから」
仕方ないから私が迎えに来たと告げる三人目に、どうしてイナバがここに来られないのかと尋ねた。
あのイナバなら人の内世界だろうと自由に行き来できる気がしたからだ。
「基本、貴方の許可がない限りは動けないわよ。しろうさじゃないんだし」
「ん?」
「あの子はしろうさじゃない。イナバとしろうさは似ているようで違うわ」
「はっきり言って」
「疑問に思うのは私も同じよ。何度繰り返してもしろうさはしろうさのままだったのに、今回だけイナバになった。もしかしたらこれから先はずっとイナバなのかもしれないけど」
どこかで何かを満たして分岐した?
ゲームのような思考で分岐しそうな部分を思い返してみるが、何もない。
三人目に、どうしてイナバと名づけたかと聞かれたので昔話みたいだと思ったからと答えた。
イナバを初めて見た時に感じた通りにつけただけだと言えば、三人目は難しい顔をして唸り始める。
「今までの名前はしろうさだったのに、なぜ急にイナバだったのか。直感……外部からの働きかけの可能性は薄そうだから、やっぱり歪みか」
「なにブツブツ言ってんの?」
「ううん。無意識とは言え、今までとは違う名前を付けた貴方は偉いなーと思って」
「別にそう大したことはしてないんだけど」
確かに今までの記憶ではイナバの名前は全てしろうさだった。
白いウサギだからしろうさとは、なんと安直で私らしい。
しかし、今回私がイナバと名付けてしまったせいで微かな歪みが発生しているようだと三人目の私を見つめながら考えた。
その歪みが吉と出るのか凶と出るのかは知らないが、駄目だったらまた繰り返されるだけ。
「敵の気配はなし、と」
「物騒なんだけどなんなの」
「前後左右確認、よし」
さらっと聞き捨てならない事を言った三人目は、そのまま指差し確認をして周囲を見回す。
最後にもう一度前方に人差し指を向ければ、スウッと扉が現れた。
どこにでもあるような木の温もりを感じられそうな扉に首を傾げる。
「探すの面倒なんだから、はぐれないでよ?」
「私の世界なのに!?」
「自分で道が分かるならいいんだけど。貴方じゃまだ無理でしょ」
この場に慣れれば道案内なんて必要なくなるけど、と告げる三人目に抱く敗北感のようなもの。
私の世界なはずなのに、私のものではないようなそんな感じがした。
情けなくて俯きかけた私は慌てて顔を上げる。
目の前には迷い無く進んでゆく三人目の背中が映った。
神のいない世界からやってきたと言う私。
もしそれが本当なら、どうしてこちらへやってきたのか。
どうやって私の内なる世界に違和感なく入り込めたのか。
一体何が目的なのか。
聞きたいことはたくさんあるが、今ここで聞いても答えてくれる気がしない。
「……覚えられるかな」
「なに気弱になってるの? 心を強く持ちなさいよ。じゃないと、死亡エンドも回避できないわよ」
「でもさ、どうせ最後にはそれが笑顔で待ってるんだよ?」
「だからそれを変える為に、みっともなく足掻いてる最中なんじゃない」
それは、その通りだ。
イナバにも、もっと自分勝手に行動すればいいと言われた。
自分でもそうしてやると意気込んでいたはずだ。
それなのに、結局周囲に与える影響等が気になってしり込みしてしまう。
「さてと、着いたわよ」
顔に出やすいと三人目に言われたことを思い出し、両頬を軽く抓る。
深呼吸をして振り返る彼女に微笑を浮かべると、彼女は嬉しそうにニヤリと笑った。




