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選択肢が拗ねました  作者: esora
本編
87/206

86 手がかり

 シュトーこと、シュトラールは私がどんなに体勢を崩しても傍を離れない。正座だろうが女座りだろうが果ては胡坐だろうがお構いなく乗ってくる。

 ワンピースで胡坐というのは行儀が悪いが、ユッコが退席している間だったので大丈夫だ。

 試しに立ち上がって広いユッコの室内を歩き回ってみたが「ナァーン、ナァーン」と鳴きながら追って来る。あまりにもしつこいので、素早い動作を混ぜながら距離を取ろうとしていたが、機敏な動作でシュトーは先回りをしたり私の両足の間を潜り抜ける。

 騒がないように、踏まないように気をつけながらユッコが戻ってくるまでの間そんな事をしていた私は、戻ってきていたユッコにじっくり見つめられていたことに気付き顔から火が出る思いだった。


「戻ってきてたなら言ってよ!」

「うふふ、ごめんね。でも、由宇ちゃんとっても楽しそうだったから」

「ナァン」


 変な踊りを踊っていたようにしか見えないこの行動が楽しそうに見えたのか。

 嫌味とは思えないユッコの声と笑顔に私は複雑な気持になりながら「どこまでついてくるのかと思って」と理由を説明し、トイレを借りるために部屋を出た。

 それにしても、ただ軽い気持ちで今日行けると昼に返事をしてからこんな状況になるとは考えもしなかった。あまりにも普通の友達として付き合ってきただけに、油断していた私が悪い。

 それでも必要な物は買い揃えられたし、手土産も喜んでくれて卒なくこなせたと思う。

 何より来て良かったと思ったのは、ユッコと前よりずっと仲良くなれたこと。

 ユッコが何を思って今の大学を選んだのか、ユッコのお母さんがどんな事を心配していたのか、よそ様の家庭の事情とも言えるデリケートな部分を私なんかが知って良かったのかとも思う。

 けれどきっと話してくれたという事は、私がユッコに、彼女のご両親に友達として認められたという事なんだろう。

 娘さんを恋愛ゲームの道に誘った挙句に重課金させてしまっていてごめんなさい、と心の中では謝りたい事だらけだったが。

 ご両親はユッコの実際の恋愛遍歴知ってるんだろうか。

 周囲に配慮しつつ護衛をつけているだろうから変な虫はユッコが気付かぬうちに駆除してそうだ。

 だとしたら私達の素行調査とかもされてたりして?

 疑うような事はしたくないが、考えられない事ではない。

 これはきっと、私が知らなくてもいい事だと一人トイレにしては広い個室の中で頷いて忘れる事にした。

 後は、電子ドラッグの入手経路と何か気になった事、手がかりになりそうな事があればいいんだけどと思いながら、トイレから出た。


「うわっ」

「ニャー」


 ドアを開けたら目の前の廊下に、お座りをしているシュトーがいる。しゃんと背筋を伸ばし、前足を揃えてトイレから出てきた私を見上げる彼は三つ指をついて出迎える新妻のようにも見えてしまった。

 駄目だ、私も疲れてるわ。

 眉間を指で揉み解しながら小さく息を吐いてユッコの部屋へと戻る。

 その間もずっと、足元にシュトーが纏わり付いて歩きにくかったので仕方なく抱え上げて行くことにした。

 個体によっては抱っこされるのが嫌いというか、猫は大体そういう性格が多いかもしれない。暴れたら暴れたですぐに降ろそうと思っていたのに、シュトーは大人しく抱っこされている。

 私の左肩に顎を乗せながら、耳元で何度も鳴くが猫語が分からない私には理解不能だ。

 でも時折、ペロリと耳を舐めたりするのはやめて欲しい。装飾品をつけていないからいいものの、つけていたら危ないし何より驚いて落としてしまいそうになる。

 駄目だよ、と言ってみるがフイと顔を逸らされてしまった。

 動物を飼った経験もないので、対応の仕方が良く分からないがこれは完全に「知るか」という態度だなというのは分かった。

 ふさふさとしたシッポがくすぐったい。


「あ、やっぱり。ごめんね、由宇ちゃん」

「ううん。でもびっくりした」


 部屋についた私は雑誌を広げていたユッコに苦笑して抱えていたシュトーを渡す。ユッコの腕に移った彼は何故か暴れてそのまま床に着地した。

 唇を尖らせたユッコが彼に「駄目でしょ?」等色々話しかけていたが、当の本人はグルーミングを始める。

 そして、私が腰を下ろしたと同時に再び膝の上に飛び乗って来た。


「本当に由宇ちゃんに懐いてるねぇ」

「何でだろうね。他の猫にこんなに愛された覚えはないんだけど」


 辛うじて飼っていると言ってもいいならイナバの姿が浮かぶが、あれはやっぱり飼っているとは言えないだろう。勝手に住まわれているという表現の方が合ってるような気がする。

 実際に飼われている神原君の相棒のギンのように、餌代もかからないし世話をする為のその他用品も必要ない。

 必要なのは画面がある電子機器くらいなものだ。

 ディスプレイの中でニンジンや他の野菜を食べている姿を目にするが、あれだってイナバが作り出したデータだろう。

 しいて言うなら餌は電気なのかしら、と思っていると膝の上のシュトーが鳴いた。


「そう言えば、私が目を覚まさなくなってからこの部屋には絶対に近づかなかったってママが言ってた」

「そうなの?」

「うん。シュトーとはこの子がうちに来たときから仲良しなんだけど、ママに連れられて部屋の前を通りかかるだけで唸るんだって。ママびっくりしてたなぁ」


 それは偶々か、それとも野生の本能とやらで電子ドラッグの何かを感じ取ったのか。

 本人に聞けたら楽だが意思疎通ができるようなものは残念ながら開発されていない。


「あ、そうだ。聞きたかったんだけど、ユッコってあの音楽? どこで手に入れたの?」

「えーと、電子ドラッグの事?」

「うん。あ、話せたらでいいよ。警察に口止めとかされてるなら別にいいからね」

「それはないよ」


 笑いながら告げるユッコに手掛かりがつかめそうだと気がはやる。そんな私を落ち着かせるようにシュトーが鳴いたので慌てた心を誤魔化すように、冷めてしまった紅茶を飲んだ。

 ユッコは眉を寄せて首を傾げながら「んーと、何て言ったんだっけ」と呟いている。

 危ないと分かって積極的に手を出すような性格ではないだろうから、誰かから貰ったか教えられたんだろう。症状の程度が軽かったのはイナバが言っていた通り、コピーを繰り返されて劣化していたお陰だと尾本さんも言っていた。

 情報を一般市民である私に話したら駄目なんだろうけど、ユッコの音楽プレイヤーを渡して調べてもらえないかと頼んだのは私だ。

 あの人も律儀だから私が心配していると気にしてくれていたに違いない。

 けれど、結局得られた情報はイナバが調べてくれた事くらいでそれ以上は何もなかったけれど。

 例えあったとしても、私には教えられないのかもしれない。


「えーと、知り合いから教えてもらって、でも良く分からなくって、やってもらったの」

「それじゃあ、その知り合いの人がユッコの音楽プレイヤーを操作したのね?」

「うん。でも、その人も聞いてるって言ってたけど別に倒れたとかそいうのは聞いてないな」

「私の知らない人、よね?」

「うん。お見合いの相手だから」

「そっか……え?」


 膝の上のシュトーが「ンナァーオ」と鳴く。

 彼の重さに太股がぷるぷるしてきたので優しく抱えて隣に降ろした。しかし、降ろす前から前足を私の足にかけるシュトー。

 テーブルを挟んで向いのソファーに座っているユッコは、私とシュトーの攻防を微笑ましげに見つめていた。

 

「みあい?」

「うん。パパと知り合いの社長さんの、そのまた知り合いの人の息子さんなんだけどね」

「へぇ……」

「見合いというか、顔合わせ? でも、多分あわよくばって感じだったと思う」


 ほんわりしたお嬢様だとばかり思っていたが、結構きつい発言をしたりもする。

 生粋の育ちの良さが出ているせいか、不思議と嫌味に感じないのがいい。

 ゆっくりとした口調で紡がれる言葉に頷きながら、私は「あわよくば?」と呟いて首を傾げた。

 その呟きにハッとしたらしいユッコが慌てて口を両手で覆って私を見つめる。

 暫くユッコと無言で見つめ合っていると「ナァーン」と繰り返し鳴くシュトーが無理矢理座ってきた。引き剥がそうとしても、軽く抱きかかえようとしても暴れて抵抗するので仕方なく好きにさせる。

 人間の男には好かれず、猫のオスには好かれる。

 好かれないよりはマシかなんて思いながら困ったように宙を仰ぐユッコに笑った。 


「あのね、えっとね……」

「いいよ。言いづらいなら無理に言わなくて。聞いても私じゃわからない事かもしれないし」


 ユッコはいいところのお嬢様なんだから、そういう事もあるだろう。しかし、彼女の父親が大事な一人娘をそう簡単に見合いさせるような性格だろうかと首を傾げた。

 おば様を見る限り、おじ様も愛妻家の子煩悩だと思うんだけど。

 

「ううん、大丈夫だよ。見合いって言うのは私が便宜上そう呼んでるだけなの。実際には、ただ交友関係を広げる顔見せみたいなものだから」

「ホームパーティとか、食事会とかそんなイメージしか浮かばないけど」

「うん。大体そんな感じだよ。大きなパーティや親しい知り合いがいないと、ほとんどお断りしてるんだけど……珍しい事なんてしちゃったからこうなっちゃったのかな」

「……状況は良く分からないけど、相手の人はどんな人だったの?」

「軽薄そうな人だったかな。ちょっと、私には合わないタイプ」


 前ならばフラフラとそんなタイプについて行ったんじゃないかと思ったが、口にするのはやめておく。

 今のユッコはシゲルというエア彼氏を得て、満たされているのだ。

 だから余裕をもって対処できるんだろう。

 それにしても、何故それが珍しいことになるのかと思っているとユッコが恥ずかしそうに俯いた。


「美智ちゃんに言われたの。キャラクターを眼光鋭く選ぶように、周囲の男たちを見る目を養えばいいって」

「へぇ」

「でも難しいでしょ? だから、駄目な男の人に引っかからないように美智ちゃんの従兄(おにい)さんに色々教えてもらってて……それでいつもは行かないパーティとかにも積極的に出るようにしてたんだけど」


 それが裏目に出たという事か。

 それにしても色々教えられる美智の従兄って一体どんな人なんだろう。先生? 色男? 

 男女間の関係に関することなら多分色男なんだろうけど、と美智の従兄の事を聞いた私にユッコは笑顔で「ホストさんだよ」と教えてくれた。

 美智の従兄が、ホスト。しかも高級クラブのナンバーワンで、殿堂入りってどんだけ凄い人なの?

 見た感じは普通の優しいお兄さんらしいが、その話術が凄いらしい。相手を惹きこむ力を持っていて、気付けば心地よく彼の話に身を委ね幸せな気持になるんだとか。

 それって、ちょっと間違えたら宗教っぽくないですかね。

 心の中でそう突っ込んでしまう私は、これだから駄目なんだろうなと苦笑した。私には縁の無い場所だと言えば「そうだ、じゃあ今度一緒に行こうよ」と目を輝かせながら誘われたので、丁重にお断りをする。

 そんな恐ろしい場所に行きたくないです。心身ともに気持ちよく酔えるのかもしれないけど、かかる費用が大きすぎる。

 しかも殿堂入りのトップを指名でなんて一体どのくらいの値段になることやら。


「えーと、とにかくその軽薄そうな彼から教えられて、ダウンロードしてもらったのね?」

「うん。凄く幸せな気持になれるから聞いてみてって。その位なら害は無いかなと思って」

「それからその人とは何かやり取りした?」

「ううん。番号もアドレスも教えてないから」


 持ってない振りをした、と笑顔で告げるユッコに私は軽く眩暈がする。

 何だか彼女にモモが重なって見えるのは気のせいだろうか。

 ユッコには純真なままでいて欲しかったけれど、こっちの彼女がきっと素に近いんだろうなぁ。

 ふんわりとした天然お嬢様の、純粋培養なんて私の勝手なイメージでしかないんだろうし。


「当然警察には?」

「あ、その人のことなら話したよ」

「そっか」

「……由宇ちゃん、何かあったの?」


 警察に話したなら尾本さんに聞けば情報が手に入るだろうか。イナバに頼んで強制的に侵入し情報を閲覧するというのはなるべく控えたい。

 素直に尾本さんが応じてくれるとは思えないが、その軽薄そうな男に接触すればまた何か判るかもしれない。

 辿れば辿るほど、危ない領域に踏み込んでしまいそうなのが厄介だ。

 どうしたものかなと考えている途中で、心配そうにユッコに尋ねられる。

 思わず顔に出てしまっていたかと慌てた私は、ゆっくりと視線を落として小さく笑った。


「知り合いが、目を覚まさなくてちょっとでも手掛かりがあればなって。だから、ユッコの休みが長くて変だなって思ったときも勝手に関連付けちゃって……ごめんね?」

「ううん。そのお陰で私はこんなに楽になったんだもん。皆とまたお話できるし」


 ユッコが目覚められたのは彼女の意思の力のお陰だ。私は何もしてない。

 何かしたというなら、魔王様に指示を出したと思われる少女にだろう。

 正直言って、未だどうしていいか分からないが害がない内はありがたくその恩恵に与ろうと思った。

 これからどうなるか分からないけど。

 ニコニコと嬉しそうに笑いながらそう告げるユッコに、私もつられて笑顔になりながら膝の上で腹を見せるシュトーを撫でた。




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