85 森の妖精
お茶を飲みながらデザートまで頂いた私は、帰りも送っていくからというユッコの申し出をありがたく受け取り、彼女の部屋でくつろいでいた。
可愛らしい室内はモモと同じようにピンクか白で統一されているかと思いきや、パステルカラーがふんだんに使われているファンシーな内装になっている。
ベッドは天蓋付きでお姫様気分を味わえそうだ。
マカロンのラグや花柄のクッションを見つめていると、それに気付いたユッコが「ふふふ」と笑う。
つい、まじまじと見てしまった私は慌てて視線を彼女に移し「ごめん」と呟いた。
「ううん。いいの。じっくり見て。どうかな? この前模様替えしたんだけど」
「え、そうなの? 前はどんな感じだったの?」
「テーマはブルーオーシャンだったから、寒色系で統一して小物に貝殻とかイルカとかシャチとかのぬいぐるみを置いてたよ」
「それだったらブルーオーシャンと言うよりは、人魚姫?」
「あ、そうかも。レースの天蓋に真珠を縫い付けてたから、そうだったのかも」
レースの天蓋に真珠。
自分で模様替えをしたんじゃないのかと思いながら、ユッコならば業者に頼むのが普通かもしれないと納得した。
誰かに頼んだのかと聞けば「うん。パパの知り合いの会社にそういうお仕事をする人がいて、その人にお願いしたの」と笑顔で頷く。
流石だ、と小さく息を吐くと心配そうな顔をしたユッコが「やっぱり、変……かな」と言ってきた。
「いいんじゃない? 凄いなーって思っただけだから。それに、ユッコの家ほどになれば当然じゃないの?」
「そう、だけど……うん。あんまり、こういう話はしないようにって気をつけてるんだけどね」
「どうして?」
「だって、ほら。私の家ってただでさえ有名で、パパなんて雑誌やテレビに良く出てるでしょ?」
「そうだね」
薄暮県が発展する為に大規模な計画をしたり、慈善事業や環境保護活動にも力を入れているユッコのお父さんを知らない人はあまりいないと思う。
黄昏市が世界に誇る人物と言っても過言ではない。
今日の食事会にも参加する予定だったらしいが、急な用事の為にその姿を見ることは無かった。
おば様とユッコは申し訳無さそうな顔をしていたけれど、私としたら「いらっしゃらなくて、ラッキー」というのが素直な気持ちだ。
あまりにも凄過ぎる人を前にしては、私の自慢の演技力でさえ役に立たない。緊張し過ぎて食事が喉を通らずにかえって失礼なことになりそうな光景が頭に浮かんだ。
それを考えると、ありがとうございますとお礼を言いたいくらいである。
ユッコ曰く、気さくで普通のオジサンと変わらないとは言っていたけどそれは娘のユッコだから言える事だ。
「今の大学は、普通の大学だからそういう一般と感覚がずれたような発言はなるべく控えようと思って」
「……反感買うのが嫌だから?」
「うん。正直に言っちゃうとね」
「少なくとも私達は気にしないから、別にユッコも気にしなくていいと思うよ。冗談で『これだから、お金持ちは~』とかは言うかもしれないけど」
「そっかなぁ」
「うん」
何なら電話かメールして聞いてみようかと提案すると、ユッコは慌てた様子で「いいの、いいの」と首と両手を振った。
そんな事を気にしていたとは意外だと思いつつ、今まで彼女の事を知ろうとしなかっただけかと思う。
未だに私は自分の事で頭が一杯で、周囲を良く見る事ができない。どんなに気をつけても、最終的にはやっぱり自分が可愛いからだ。
もし、ループが無くなったらそう思うこともなくなるんだろうか。
周囲の事も良く見えるようになって、ユッコや他の人たちとも今以上に仲良くなれるんだろうか。
いや、違うな。それは私の根本的な問題だ。
脱却したいループに感謝すべき事が結構あるなんて複雑だ。
「うん。分かった。由宇ちゃんたちの前では、あんまり気を張らないようにするね!」
「ユッコ、もしかして気を張ってたから返事遅くなったり、テンポがゆっくりになったりしてたの?」
「あ……うん。それもあるかもしれないな。こう言ったら引かれるだろうから、他に言い方は無いのかなとか、この言い方でおかしくないのかなとか考えると、どうしても時間がかかっちゃって」
「気にしなくていいのに!」
ユッコに促され座り心地の良いミントグリーンのソファーに座った。
これは駄目だ、眠ってしまう。
お腹も満たされ一息ついた私は、思わずそう思ってから軽く頭を左右に振った。駄目だ、まだ気は抜けない。
家に帰るまでが食事会。
気合を入れ直して大きく頷いた私を部屋に残して、ユッコはお茶を用意してくると出て行ってしまった。お構いなくと声をかけたけど戻ってくる気配はない。
それにしても、本当によく食べた。
美味しかったとはいえ、緊張していたのによくあんなに食べられたものだと我ながら感心する。
ただし、それだけ肥えたということだけど。
『食べた分だけ動けばいいと思いますよ。暫く車はまたお休みですかね』
『夏休み入るとバイトか、課題くらいかな……。そうね、益々動かなくなるわね』
キョロキョロと画面の中で周囲を見回すような行動をしたイナバは、今いる場所がユッコの部屋だという事に気付いて妙にはしゃいでいる。
モモの部屋ほどお姫様っぽくないとか、パステルカラーが目に優しくて素敵だとか、私の部屋と違っていいセンスだとか言っている。
私の部屋はカジュアルで機能性重視だから別にいい。
散らかりすぎてるから女子力が低いだの、たまには模様替えしろだの、好き勝手言ってくれる。
「由宇ちゃん?」
「ごめん、ちょっと寝てた」
「目を開けたままで?」
「うん。一瞬、フッと落ちた気がする。ごめん」
「いいよいいよ。それだけ気が緩んでるって事なら、そんなに嬉しいことは無いもの。ふふふ」
体をすっぽりと包み込むようなソファーが気持ちいい。ちなみに幾らで買えるだろうかと尋ねてみれば、有名家具ブランドの物で眩暈がするような値段だった。
一気に目が覚めた私に苦笑したユッコは「気にしないで楽にしてよ」と言ってくれたので、再びソファーの心地よさに溺れる。
そして気付くのが遅れたが、太股の上が重い。
毛が長いその物体の色は、灰色とでも言うのだろうか。
驚いた私に気付いたユッコも、その存在に気付いて「あっ」と声を上げた。
「こら、シュト。お客様の膝に乗っちゃ駄目でしょ?」
「触っても大丈夫?」
「うーん、多分」
噛まれてしまうだろうかと思いながら見つめていると、シュトと呼ばれた猫が振り向いて「ナァー」と鳴いた。
触るのを許すと了承して頂けたのだろうか、と恐る恐る触れる。
触り心地がとってもいい。
どの程度の力で撫でればいいのか分からなかったので優しく一撫でして終わる。
見た目からして気位が高そうなのでちょっとした事で機嫌を損ねてしまうのが怖かった。
「どかないね、ごめんね由宇ちゃん」
「私はいいんだけど。いつもこうなの?」
「ううん。お客様が来てもこんなに近寄ってきたりはしないよ」
「……何でだろう」
動物に好かれる特異体質でもなく、マタタビを持っているわけでもない。膝の上のシュトはシッポをゆっくり動かしてからまた振り返り「ナァ」と鳴いた。
何だろう、撫でろと催促しているのかそれとも私に何か言いたいのか。
イナバなら動物とも意思疎通できるかもしれないと考えていると、ユッコがシュトを見つめながら首を傾げた。
「家族には懐くけど、初めてのお客様で懐くなんて本当に珍しいの。いつも、自分の部屋から出ないから」
「普通に人懐っこいいい子にしか見えないね」
「そんなに触られるのも好きじゃないのになぁ。あ、私の恩人だって分かってるのかな?」
「まさか」
「いや、あるかもしれないよ? だって、シュトも立派な私の家族だもん」
座り心地の良いソファーに腰掛けて、触り心地の良い猫を撫でる。
これでバスローブにブランデーグラスがあれば完璧か。
「シュトー、おいでー」
「ほら、ユッコが呼んでるよ?」
「……」
ユッコが入れてくれたお茶を飲むのにラグの上へと移動させれば、飲んでいる途中でまた乗ってきてしまう。
そんなに心地が良いとは思えない私の太股がどうやらお気に召したようだ。
「ちょっと、嫉妬しちゃうなぁ」
「私もこんなに好かれたのは初めてだから、困惑してる」
「どうしてかな」
「ねぇ」
オスだからかなぁ、と呟くユッコに私は苦笑した。




