82 およばれ
耳に響くコール音。
二回目を聞いた後で、聞き慣れた声がした。
「はい、もしもし」
「あ、ユッコ? ごめんね、電話くれてたみたいだけど出られなくて」
「ううん。大丈夫だよー」
「で、何か用だった?」
着信後に受信されていたメールには、後で電話をくださいという事だけが書かれていた。
メールでは言えないような事なんだろうかと思いつつ、食堂の外に出た私は建物の裏に広がる大きな木々を眺めてユッコの言葉を待つ。
ほんわりとした雰囲気が伝わってくる声が、心なしか落ち込んでいるような気がして何かあったのかと彼女に関する記憶を探る。
もしかして音楽プレイヤー嘘ついて借りたのがバレたか。
「あ、ごめんねユッコ。勝手に音楽プレイヤー借りちゃってさ。本当にごめん」
「ううん。それはいいの。だって、由宇ちゃん私の事心配してくれたんでしょう? 刑事さんから聞いたよ」
「え?」
「えーと、オモトさんだっけ? 私の症状が気になって、調べてくれたんでしょう? ありがとう」
驚いた。
まさか尾本さんがユッコに連絡していたとは。
ユッコのおばさんに嘘をついて借りたユッコの音楽プレイヤー。
もしかしたら、との考えを裏切らず電子ドラッグと思われる音楽データが入っていた。
自己点検後のイナバに解析してもらった所、コピーを繰り返されて劣化していた為に症状が軽度で済んだんだろうと言っていた。
軽度とは言え復帰にはまだまだかかるだろうと推測したイナバに、どうにかして助けられないかと相談した。
しばらく悩んだ後にイナバが告げたのは、ユッコの夢に介入すればなんとかなるかもしれないという事。
しかし、私のように同調できる相手ではないので非常に難しいとも言われた。
難しい顔をして唸るイナバにも負担は重く圧し掛かるのだろう。
「ううん。私は何もしてないよ」
「ふふふふ。由宇ちゃんの事だからそう言うんじゃないかな~って思ってた。でも、私知ってるよ。夢の中でもたくさん助けてもらったもん。モモちゃんもいたけどね」
「えっ! あ、そうなんだー」
どうにかできないかと悩んでいた私の夢にユッコがとある国の王女様として登場した時には驚いた。
彼女の城の地下に封じられている悪霊退治をすれば、翌々日にユッコが元気な姿で登校してきた時には都合が良すぎると警戒したものだ。
「石版の気配がする」と魔王様の一言であの国に寄る事になったのを思うと、魔王様に上手く誘導されたんだろう。
仕事と命令された事しかしない、興味が無い魔王様が自発的にそんな行動をするとは思えないのできっと少女の指示か。
「まだ使えるってことか」
「え? うん、あのプレイヤーまだ使えるみたい。ママに縁起が悪いからって取り上げられちゃったけど」
少女達にとって私の利用価値がまだあるようだと呟いた言葉を、ユッコはプレイヤーの事だと思ったらしい。
口に出してしまうとは気が緩みすぎだ、とこめかみを親指で押さえて私は静かに息を吐く。
「あー本当、楽しい夢だったなぁ。起きたらママに泣かれながら怒られちゃったけどね。その後、刑事さんがプレイヤーを返しに来てくれたの。その時に由宇ちゃんがすっごく心配してた~って聞いたんだ」
「そっか……うん」
確かにユッコの事は心配だった。
もしかしたら電子ドラッグの症状で目を覚まさなくなるんじゃないかとか、中毒者のように狂ってしまうんじゃないかと不安になった。
でも、本心は違う。
私がいるから、私のせいで周囲の人たちを巻き込んでしまってるのが怖かった。
そんなわけないと否定したかった。
だから、ユッコの回復に必死になったのは自己保身の為。
友達を救いたいなんていう綺麗な感情じゃなく、醜くて汚いものだ。
そんな私がユッコから「ありがとう」なんて言われる資格なんてない。自分のためにしたんだと言ってしまいたくなって、私は唇を噛み締めた。
「あのね、モモちゃんと美智ちゃんは、由宇ちゃんがちょっと非常識だったって怒ってたんだけど……あ、ちょっぴりね。でもそれが無かったら私は目を覚まさなかったかもしれなかったから、とっても感謝してるの。うちの家族もだよ」
「あははは。それはモモと美智が正しいよ。常識的に考えれば、ユッコが元気になってからでも別に遅くないんだから」
そもそも、借りる約束自体してない。
モモと美智が私を軽く非難していた事までさらっと言ってしまうのが、何ともユッコらしい。
彼女はそれを伏せておくという考えもないんだろう。
そういう部分がちょっと羨ましいと思いながら、私は苦笑する。
「でもね、あのままだと私はずっと眠ったままだったと思うの」
「どうして?」
「私が見ていた夢の中は、とても居心地が良くて起きたくないなーって思ってたから。ずっとそこにいるとね、えーと、現実? の事忘れちゃうの」
「忘れる……?」
「うん。段々こっちの世界のことが薄れてきてね、私は最初からここで生まれてここで過ごしてるんだって。凄く気持ちいいんだよ」
ユッコが見ていた夢は彼女の理想がそのまま形になった世界だったらしい。
王女様の夢も楽しかったと言っているので、彼女の回復に繋がったあの夢はいつもの夢じゃないだろう。
現実世界への執着が薄れ、夢の中に生きる。
これが電子ドラッグの影響なのかと眉を寄せた。
「すごく楽しかったんだけど、王女様になる夢見て由宇ちゃんやモモちゃん見てたら、帰りたくなっちゃったよ」
「帰るもなにも、現実なんだから当然じゃない。夢は夢でしょ?」
「うん、そうだよね。心地良すぎて危険だよあの夢は」
今はあれほど心地良い夢を見ることがないと少し残念そうに笑うユッコに大きな溜息をつく。
皆心配してるんだからちゃんと体力回復させて、また倒れるような事がないようにと言えば笑って返された。
「あ、そうだ。本題忘れてた」
「本題?」
「うん。あのね、パパとママが由宇ちゃんにお礼がしたいって言うから、予定教えてくれない?」
「いやいいよ。そんな悪いって。何もしてないから私」
それに礼をするというなら、モモと美智も誘わなければ駄目だろう。
そう指摘するとユッコは困ったように小さく唸って「ママが由宇ちゃんにお礼がしたいってきかない」と言った。
尾本さんに相談していたのが私だからか。
「うーん。でも、来てくれないと多分パパとママが由宇ちゃんの家に行っちゃうかも」
「あ、それは困る」
「でしょ?」
高級外車で来訪する芦村親子を想像し、それに対応する母親の反応を想像する。
うん、私が何かしたのかと責められそうだ。
近所の目もあるので困る。
「いやいや、でもお礼されるほどの事はしてないからさ」
「大丈夫。別荘を贈ったり、無記入の小切手置いていったりするわけじゃないから」
「うん、それは本当に困る」
あの夫妻なら本当にそうしそうだから困る。
友達をやめる事はしないが、モモも美智もドン引きしてしまうだろう。
そんな私達の反応を知っているからユッコも困っているらしいが、何を言っても止められないらしい。
「ささやかなディナーに招待するだけだから。夕飯なら大丈夫……だよね?」
「ど、ドレスコードは?」
「普通で大丈夫だよ。本当に、普通の家庭料理だから。シェフじゃなくてママが作るの」
本当に普通の家庭での夕食を想像してもいいんだろうか。
動揺したように震える私の声を聞いてユッコが慌てて説明してくれる。
彼女の両親は本当はもっと盛大に礼の宴を開きたかったらしいが、ユッコの説得によりそこまで落ち着いたのだという。
相変わらず愛されているなあ、と思いながら苦笑して夕飯をご馳走になるくらいならいいかと了承する。
「今日ならバイト入ってないから行けるけど、流石に急だよね?」
「え? 今日?」
流石にそうすぐには無理かと思いつつユッコの返事を待つ。
すると、彼女は嬉しそうな声を上げて「ママ、由宇ちゃん今日来れるって!」と遠くに呼びかけていた。電話の向こうで芦村母子がキャッキャする声を聞きながら私は苦笑してしまう。
「うん。じゃあ、夕方来て! 家でご飯食べていってね!」
「あ、うん。行く前にメールするわ」
「うんうん! 待ってるね!」
とても嬉しそうな声のまま通話を切ったユッコに、私は溜息をついてスマホを耳から離した。
やっぱりフリップ式の携帯の方が通話はしやすいなぁ、と軽く逃避して再度溜息をつく。
しっかり会話の内容を聞いていたイナバは私が何を言うのかを待っているように見つめてきた。
「おめかしとか、一応それなりにしとくべきだと思う?」
『相手が相手ですからね。ドレスコードはないと言ってましたけど、それなりにするのが無難かと思いますよ』
「……ですよね」
そう呟いて私はクローゼットの中にある洋服を思い出し、眉を寄せた。
あぁ、駄目だ。
今回は華やかなものや、可愛い系の服があんまりないわ。
記憶と同じようにクローゼットの中身も残しておいてくれると助かるがそういうわけにもいかない。
いつの回のどんな服装が最適かと悩みながら席に戻れば、表情に気づいた松永さんが微かに眉を寄せた。
「何かトラブルでもあったか?」
「あぁ、うんまぁ……悪いことじゃないけど、予想外というか」
「もしかしてま」
「ユッコの家に招かれて」
「あぁ、なるほど」
松永さんの言葉を遮って私は笑いながら席に座る。中途半端に開いたままだった口を閉じた松永さんに、にこりと笑えば意味が分かったのかか彼は大人しく口を閉じた。
恐らく「もしかしてまた、あいつらか?」とでも言おうとしたのだろう。しかし、笑顔一つで黙ってくれるとは本当に理解が早くて助かる。
私が告げた言葉に榎本君は大きく頷いて苦笑した。
「芦村コーポレーションの娘さんだもんね。ついついその事忘れちゃうけど」
「手広く事業やってる上に、あそこって結構歴史あるとこだろ?」
「ただ古いだけだってユッコは言ってるけどね。偶に常識ハズレの発言にびっくりするけど」
「お姫様にお嬢様、クールに姐御か」
「ちょっと、やめてくれません? 榎本君まで」
せっかく薄れてきたと思っていたのにと私が呟けば「そんな入学して半年も経ってないのに消えるわけないだろ」と冷静な口調の松永さんに突っ込まれてしまった。
あまりにも濃い日常を何度も送ってるせいで、私としては随分経っているように思えてしまう。
「まあそれで、手土産どうしようかと思って」
「あぁ、それも悩むな。女も女で、大変なんだな」
「そりゃ『気を遣わなくていいよ』とか『何もいらないから』なんて言われて、それを素直に受け取るような人っていないでしょ。普通は」
「……それなりに立派なものを、粗品って言うくらいだからなぁ」
服のコーディネートと店はイナバに任せたので、それを帰りに買い揃えればいい。家に戻ってから着替えれば間に合うはずだ。
しかし、手土産を何にしよう。
一般的な家なら、チェーン店や地元の人が良く行くお店のケーキやお菓子でいいと思う。
けれども相手はあのユッコの家だ。
ユッコ個人に渡すのであればまだこんなに悩まなくて済んだかもしれないが、芦村家の人々の口に入るものと思うとどうしても食べ物関係は消えてしまう。
そうでなくとも日頃からいい物を食べているだろうし。
小さく唸りながらどうしたものかと思っていると、カバンの中でスマホが震えた。取り出して見てみるとイナバからの呼び出しのようだった。
白い吹き出しに「叔父さんのお菓子が好きだって、前言ってましたよ!」と書かれている。
それを見た私はメール画面を開いて叔父さんにユッコにあげるお菓子が今日欲しいけれど、大丈夫かどうか聞いてみた。
「あ、そうだ。じゃあ、ミニブーケとかいいんじゃないかな?」
「ミニブーケ?」
「あぁ、花か」
「プリザーブドフラワーとかいいよね」
にこにこと笑顔の榎本君に乾いた笑いで返し、溜息をついた。
スマホで調べてみれば最低でも三千円と表記されている。
洋服代にプリザーブドフラワーの出費。懐があまりにも痛すぎると渋ってしまう私はケチなんだろうか。
花というのは確かに心惹かれるものはあるけど、持って行くならやっぱりアレンジか花束じゃないと見た目が悪い。
それに良いものを知っている芦村家だからこそ、安価というのも気が引けた。
「色んな種類があるからいいと思うんだけど」
「あー、うん。まぁね」
女の子みたいに目を輝かせる榎本君に「じゃあ、買って」と言いそうになってグッと堪える。
彼の事だ。笑顔で「いいよ」と頷いて「今から一緒に買いに行こう」と言い出しそうだ。
「でも花って、意外と高いよな。一本っつーわけにはいかないだろうし……あ、友達が花屋やってるから聞いてみるか? 融通きくと思うからな」
「是非、お願いします! 宣伝もしておきますので!」
「凄い食いつきだねぇ」
当然だ。叔父さんのお菓子が無い場合はそれだけが頼みとなる。
万が一の保険として心強いと私は松永さんを拝んだ。




