78 敵はとなりに?
私の後についてゆく私。
歩く私にぴったりと付きまとう赤いバツ印が、床の上を滑るように移動してゆく。
彼女が動けるなら他も動けるのかと思えば「私だけだと思うよ」と前から声が聞こえてくる。
何も言っていないのに、イナバでもないのに何故分かったんだろうと思いながら私は自分の顔に触れた。
そんなに分かりやすい顔をしていたかと首を傾げると、前を歩いていた私が振り返ってにこりと笑う。
「私は貴方、貴方は私。考えてる事くらい分かるって。ここがどこだと思ってんの?」
「いや、そんな事言われても」
「貴方が考えてること、私が思うこと、全てここでは境無く共有されてるから隠し事なんて無理よ」
「えええ!」
「そうだよね。私みたいに反応するのって、他にいないから。他の私達はただ立っているだけ」
それは見れば分かる。
私や彼女のように自由に動き回れる者がいないから、ここでは逆に目立ってしまう。
木を隠すならと良く言うがこの中なら私も容易に隠れられるかもしれないと思ってから、床に目を落とした。
あぁ、駄目か。私には赤いバツ印が無い。
「ムリムリ。あんたは失敗してないんだから、そのまま成功させてよね。その為に私達がいるんだから」
「そんな事言われたって」
「美羽もどきと神様倒さない限りは延々と増えるだけ。あんたもここに並ぶときには他と同じになってるわよ」
「楽そうでいいな」
失敗した記憶、経験としてここに蓄積されてゆく一つになるなら今より楽そうだ。
ぽつりと呟いた言葉にもう一人の私は深い溜息をついた。
「今のところ成功してるんだから、その辛気臭いのやめてよね。ま、気持ちは分かるけどさ」
「このままでいって、成功する確率高いと思う?」
「さあね。でも、道はいつでも分岐するものじゃない」
「形だけ分岐させておいて、結局他と変わらないルートになるかもしれないのに」
「そうね。だから、完璧に神を倒して平穏を取り戻せたら新たなルートができるでしょうよ」
それができたらこんなに苦労していないと思う。
やはり私では無理なのか、と思っているともう一人の私がにこりと笑う。
「あー本当に辛気臭いわ。死亡エンドも繰り返していればもしかして新しいルート開けちゃうかもしれないじゃない?」
「それはそれで気が遠くなるけど」
何度か繰り返しプレイしてると、いつの間にか見慣れぬ選択肢が増えているというアレか。
私はゲーム画面を思い出しながら分かったと言うように何度も頷いた。
しかし、どこでどんな選択肢が増えたのか分からない世界で生きているのでやりにくいとしか言いようが無い。
まぁ、ゲームのようにシステム画面が目の前に現われたり、話の途中で相手に被せるように選択肢が現われたりするような状況を想像すればマシだが。
ゲームの情報を混ぜ合わせた世界なら、目の前に選択肢が現れてもいいものなのに。
それは私が主人公格ではないからだろうか?
「それに、私がどんなエンディングを迎えるかなんて分からないもの」
「そうね。もしかしたら貴方もすぐに消えちゃって、新たなルートを進む“私”が出現するかもしれない」
「ここに蓄積された経験をフル活用して?」
「ま、それには貴方がどれだけここでの事を覚えていられるかが鍵なんだろうけど」
「うわぁ、どっちにしても面倒なんですけど」
次回に完璧な幸福エンドを迎える為に、ここでの私は情報収集だけに専念して使い潰すという手もある。
まるで外部から操作しているような感情の無さだと思えば、それこそゲームをやっているようだと笑ってしまった。
「あーでも、死亡フラグを容易に避けて安全な道を通って幸せなエンディングまで辿り着く私……」
「羨ましいわね。その時には私達はお役御免でこの場所も消えているかもしれないけど」
「あぁ、そっか」
ここにいる私は、今まで私が死んできた数と大体同じ。
数多くある色々な箇所での分岐の結果。
行き止まって、その記憶を次に持ち越し新たな道を作って進んでゆく。
ゲームシステムの縛りがないから自由に動ける分だけ分岐も多くなっていくんだろう。そう考えると見渡す限り私で埋め尽くされているこの光景は妥当とも言えた。
反対に、これだけ多く死んでいるんだぞと言われているようで気分が悪い。
死んでもループしてまた蘇ると分かっていたから、好き勝手な行動を取って何度も玉砕していったことを思い出した。
あの頃は未だに命の重さが良く分かっていなかったのかもしれない。
お手軽に蘇ってやり直せてしまうだけに、命というものを軽んじてしまう。
このまま世界が元に戻った時、私はその感覚を持ったまま危ない事をしてしまいそうだった。
「命って、そんな軽いもんじゃないのにねぇ。そこまで繰り返すと、そうなっちゃうんだ」
「そうなっちゃうんですよ」
「気をつけてよね。私の体も心も一つしかないんだから」
「……たくさんあるように思えますけど」
誰が買い付けに来るのか分からない私の見本市は、残念ながら客は一人も来ていない。いや、来たら来たで困るんだけど。
でも、もし誰かがこの中の私をもって行こうとするならその用途と理由を知りたい。
そう思って頭に浮かんだのは、私をサンドバッグのようにする美羽もどきの姿だ。
死んでいたとは言え、死体を容赦なく蹴るあの行動はいただけない。
あの姿でそれをしてしまうんだから、私の精神が酷く抉られた。
チップを破棄したと告げた時の彼女の顔は、お見せできないくらいの物で私は瞬時に脳内データにあった神原美羽の姿とすり替えたほどである。
「たくさんとは言ってもね、結局は貴方に繋がるんだから一つよ」
「私は貴方で、貴方は私?」
「そう。分かってるじゃない」
「まぁ、何となく」
「ちなみに私だけがこうして自由にできる理由は良く分からないけど、多分一番目だからかな?」
一番目。
私はぽかんと口を開けながらもう一人の自分を見つめる。
美羽との対峙があった前二回の事は断片的な記憶しかない。だから、最初に死んだという私を思わず食い入るように見つめてしまった。
彼女は公園で会った新井務に刺殺されたと言っていた。
私の知らない、覚えていない死亡エンド。
「もう目は血走るわ、マザコン鬱陶しいわで大変な目に遭ったわよ。でもまぁ、私を刺した後で誰かに殺されたみたいだけど」
「え? そうなの?」
「うーん。私はもう虫の息で、倒れたままだったから断末魔しか聞いてないけど多分あれは新井君のだと思うわ」
モモのストーカーだと思ったら、頭イカレちゃってる残念なイケメンなんだものね。
そう告げて軽く肩を竦めたもう一人の私に最初からなんて酷い死亡エンドなんだろうと思う。
苦しみが長く続くのを想像しただけで顔が歪むし、車に撥ねられたり突き飛ばされて電車に巻き込まれたりと想像するだけで震えが止まらない。
脳裏に過ぎるのは鍋田さんに突き飛ばされた事件だ。
あの時は電車がまだ来なかったから良かったものの、ホームに来た電車目掛けて突き飛ばされるというパターンもあったかもしれない。
「私が確認した限りではそれは無いわ。鍋田さんて、意外と小心者だから」
「彼女も新井と似たような感じだったから、できるかなぁと」
「頭の中ではシミュレーションしてるかもしれないけど、実際には実行できないタイプよ。あれは」
どうしてこの私はそこまではっきり言えるのだろうか。
新井に殺される前に鍋田さんとの事件が起こったのだとしたら分かる。
しかし、速度を落として私を見ながら後ろ歩きしてゆくもう一人の私はにこにこと笑って「鍋田さんとの接触、私は無かったわよ」と告げた。
「最初はただ増えてく私を眺めてたんだけど、途中で飽きちゃって。頑張ったら動けたもんだから、そこからは何番目の誰がどこでどんな死に方したかまとめるようになったの」
「暇潰しに?」
「そ。だって、ここって他にする事ないんだもん。だからさっきみたいに、紛れて遊んでたりもするわけ」
「話し相手には困らないわね」
「まぁね。こっちが質問したことにしか答えないけどね。答えられる範囲がそれぞれ違うから面倒だけど」
この場にいる私達が全て目の前の彼女と同じように自由に行動し、普通に話せていたとしたらとてもうるさい事になっていただろう。
全員が死亡エンドを迎えただけに、傷の舐め合いになるか殺伐とした中戦いが起こるのかは分からない。
多分私の性格を考えるに、ダラダラとしながら私は悪くないと言って慰め合ってるような気がした。
多くの私が、他の私を慰める姿を想像して気持ち悪いと思ってしまう。
当事者になれば別かもしれないが、客観的に見てしまうと頭を抱えながら「やめて、やめて」と叫びたくなる。
「暇過ぎてよく頭おかしくならないね」
「増えてく私達から大体どういう過程でそうなったのか、そこからどうなるのかって道が見えるからね。ドラマ見てるみたいで面白いわよ」
「……人が苦労してるのに」
「言ったでしょ? 私は貴方、貴方は私」
「何か、姿形がそっくりな別人にしか思えない」
「あははは! クローン人間とか?」
お腹を抱えて笑われるような事は言っていない。
それなのに目の前にいる私は目に涙を浮かべながら笑い続ける。双子とはこういう感覚なんだろうかと思いながら、自分と同じ声で笑い、同じ顔で私を馬鹿にするように見つめる彼女に腹が立った。
彼女は少し落ち着くと深呼吸を繰り返し「ごめん、ごめん」と謝る。
全く悪びれてないというのは見て分かるがあえて指摘しない事にした。
どうせこうやって私が思っていることも彼女を始めとした私達には筒抜けなんだろう。だからと言って無心になるようなこともしないが。
「いやいや、ごめん。今までこうやって会話できる相手がいなかったから、バカみたいにテンション上がっちゃった」
「それにしたって限度ってものが」
「その位飢えてんのよ」
「そうは見えないけど」
「あ、バレた。やだなぁ、これだから私って嫌なのよ」
そう言われても困る。
未だ腕の中で眠り続けているイナバを撫でて心を落ち着かせていると、その様子を見ていた私がもじもじとし始めた。
「トイレなら入ってくれば?」
「違う!」
「じゃあ、何」
「その……しろうさ、触ってもいい?」
「しろうさじゃありません。イナバです」
「あ、そっか。そうだね、イナバだね」
そんなのどっちも同じじゃないと返してくるかと思った私は一瞬戸惑ってしまう。
そしてその私の心の声を聞いたもう一人の私がムッとしたように眉を寄せた。
「いいよ。寝てるし起きないと思うけど」
「……うっわぁ、ふわっふわ! ふわっふわしてる! すっごいふわっふわ!」
私よ、何度同じ言葉を繰り返したら気が済むんだ。ボキャブラリーが貧困だと言ってるようなものじゃないか。
思ったよりも優しい手つきで恐る恐るイナバに触れたもう一人の私は、その毛並みに驚いたのか目を見開いてキラキラと顔を輝かせている。
いくらなんでもオーバーすぎるだろう。
「あーうん。分かる。本当にこの子今までのしろうさちゃんと違うわ」
「さっきもそれ言ってたわね」
「まぁ、何となく違うのは分かってたけど、触れて確信したって言うか」
「何を?」
「オーラって言うの? 雰囲気というか醸しだすものがしろうさとはまるで違う」
彼女のところにもしろうさが来たのだとしたら、ここまで喜ぶ理由が分からない。
ウサギに触れるだけでこれだけ興奮するくらい私は動物好きだったろうか。
嫌いではないけど、ここまで酷くはない。
もう一人の私は見ていられないくらいにだらしない顔をしていた。
「相棒?」
「少なくとも私はそう思ってたけど、向こうは違ったみたい」
「ん?」
「しろうさと出会った私達から聞いた情報を元に出した答えは“しろうさが私達を死亡エンドへと導いている”って事」
「はぁ!?」
驚きのあまりイナバを落としそうになった。
それにしてもこんなに大声を上げたというのに、一向に起きる気配のない相棒に苦笑した。
眠りが深いにも程がある。
それより気になるのは一番目の私が言った事だ。
イナバが、しろうさが私を死亡エンドへ導いてるとはどういう事か。
「だって、しろうさもイナバも魔王様の一部でしょ? それ言ったら、魔王様も敵って事じゃない」
「そうね。そうなるね」
いやいやいや、そう簡単に肯定されても困るんですけど。
そんな馬鹿なとは思うのに、これだけ多くの私達から聞いた情報を元に出した結論が間違っているとも思えない。
魔王様が騙しているのか、もう一人の私が嘘をついてるのか。
「だって、魔王様はレディのお守り役で神との戦いにも活躍したって! それに【再生領域】の管理者で世界を回す為にレディの下で頑張ってるのに?」
「それが事実だという証拠はどこにもないでしょ。味方の中に裏切り者がいるのは良くある話よ」
良くある話。
あまりにも信じられない言葉を受けてショックの私はふらふらとよろめいてしまった。
バランスを崩して転びそうになった私を、一番目の私が支えてくれる。
確かに彼らが敵ではない理由は無い。
神原君も不信感をもっていたくらいだから。
けれど、それでも心のどこかで信じてもいい人達だと思っていただけにもう一人の私が告げた裏切り者という言葉が心に突き刺さった。




