69 父と子
頭を抱えて俯きながらブツブツと呟いている神原君を遠目で眺める。
ちらり、と彼の傍にいるギンに視線を移せば彼は静かに頭を左右に振った。
どうやら今は触れてくれるな、ということらしい。
私が小さく頷くと、彼は溜息をついて神原君を見上げる。
何だかんだ言っても心配なのはやっぱり相棒だからだろうか、とちょっとその関係が羨ましくなった。
いや、イナバがこの場にいても余計に面倒な事になったんだろうけど。
私の方が凄いです自慢が始まりそうだから。
「うーん。神が我が子の為に世界をこんな風にしたって言うのは分かったけど、そうなるとあの美羽もどきが可哀想よね」
「殺されたかけたにも関わらず、心配するとは余裕があるな。ユウ」
「死亡エンドには慣れていますから。殺されるのにも、慣れるわ。その瞬間は何度経験しても嫌だけど」
性格の悪い歪んだ美羽もどきは親に助けを求め、現われたのが白い影。
あのぼんやりとした靄のようなものが元々の世界を変えた元凶であり、新たな世界を創り出した神だと言う。
リトルレディたちが協力して立ち向かうも、消滅させる事が叶わず封印するだけで手一杯だったという厄介な存在。
【隔離領域】に閉じ込められ、繋がりは絶たれているはずだというのにイレギュラーの発生でそのプロテクトも弱まっているという非常に危険な状況だ。
弱まっているとは言っても、精神干渉くらいしかできないらしいが。
精神干渉なんてできるだけでも充分恐ろしいと思うのだが、本来の力を取り戻していたらあの場から逃げる事はできなかったと魔王様が教えてくれた。
そう言えばタイミング良く現われた勇者の剣は、前の時もあっただろうか。
前二回の美羽もどきと相討ち死亡エンドでは、果物ナイフだけだったような気がする。都合よくポケットに入ってるのも恐ろしいけど。
今はそんな物都合よくポケットには……あれ、何か入ってる?
「あ、これ……」
「ん? 音楽プレイヤー?」
「ユッコが結構長く休んでるんだけど、もしかしたら電子ドラッグ関係かなと思って借りてきてたの」
「電子ドラッグ……」
私がポケットから出した物を目にしたギンが不思議そうに首を傾げた。
友人の見舞いに来ているという神原君と庭のベンチで待ち合わせをする前に、気まぐれで見舞った人物の事を思い出す。
「実は、神原君と会う前に病院で違う人に会っていたのよ」
「親戚か、友人とかですか?」
「ううん。新井務って言う遠藤さんに刺されて意識不明の重体になってる男の人」
「えっ!」
元同級生なのは事実だから別に見舞いにきてもおかしくない。それも、テレビで事情を知り驚いてと付け加えれば何とかなると思った。
いつもの私からは想像できないくらいの行動力に、イナバですら驚いていたのを思い出す。
他に誰か同級生と会ったら気まずいなと思っていたけれど、幸いなことに私が行った日に見舞い客は誰もいなかった。
家族以外の面会はお断りしていますと看護師さんに言われて、見舞い用に売店で買った花だけでもお家の人に渡して欲しいと言って一休みしていた。
そんな時に声をかけてきたのが新井君のお父さんだ。
バリバリの仕事人間という印象があったような気がしたが、そこにいたのは歳よりも老けてた新井君のお父さんだった。
おじさんは、私が見舞いに来たことを確認すると私が看護師さんに渡した花束を手にしたまま泣き崩れる。
まろやかな甘さが広がるミルクティを飲んでこれからの行動を考えようとしていた私は、驚いて声も出なかった。
だって、まさか親しくも無いただの同級生の父親に泣かれるなんて誰が想像する?
私じゃないと慌てながら床に座り込み泣き続けるおじさんは、声を聞いて駆けつけてきた看護師さんに優しく宥められてソファーに座った。
良く見ればその看護師さんは私が花を渡した人で、彼女は嗚咽を繰り返すおじさんの背中を撫でながら目を細めて私を見つめる。
「良かったですね新井さん。息子さんの事をこんなに心配してくれるお嬢さんがいたなんて」
「いえ、あの私はただの同級生ですから」
変な風に勘違いされたら困る。物凄く困る、とばかりに同級生という部分をこれでもかと言うほど強調した私は今思えばみっともなかった。
あのくらい、薄ら笑いでも浮かべて流しておけばよかったのにそれができなかった未熟さ。
その後、落ち着いたおじさんを確認した看護師さんが仕事に戻り、私は新井君のおじさんと二人で話をしていた。
とは言っても、おじさんの話に私が相槌を打つような形だったけれど。
「小さい頃は『お父さん、お父さん』って可愛い子だったんです。大きくなるにつれて私を見る目が冷たくなってもそれは仕方がないと思ってました。私は、妻の自殺を止められなかったんですから」
どうやら新井君のお母さんは妄想癖が強い人だったらしく、いつも周囲は振り回されてばかりで困っていたらしい。
女に縁が無くて、と自嘲気味に笑うおじさんと奥さんの出会いは、具合が悪くなって道端で座り込んでしまった彼女を助けたところから始まったと言っていた。
おじさんとしては普通に親切にしただけのつもりだったのだが、後日丁寧にお礼に訪れてくれた彼女はそれからも家に来るようになったらしい。
「不思議だとは思ってたんですけどね。アパートの住所教えたわけでもないのに、どうしてかなとか」
「……え」
「でも、彼女の美しさと危うい雰囲気を見てると、まぁいいかなって思うような駄目な男なんですよ。私も」
それって物凄く危ないパターンじゃないんですかと突っ込もうとしたが、結婚してしまったのでもう遅い。壷とか買わされなかったんだろうかと思いながら、私はおじさんの話を聞き続ける。
「これ、妻の生前の写真なんです。私には不釣合いなくらいに美人でしょう? 務も妻に似てイケメンに育ってくれました。ははは、ただの親馬鹿ですよね」
「あぁ、でも学校でも人気ありましたよ」
一部の生徒に、それなりには。
黙ってると格好いいのに、モモの周囲をつけ回したり丁寧な口調で私を脅したりしてきたから印象は悪いけど。
そう思いながら私はおじさんが見せてくれた写真を見て思わず頷きそうになった。
写真の中で笑っている奥さんはとても美人だが、どこかこの世の物とは思えない危うさを感じる。おじさんはそれに惹かれたらしいが、私は寒気しかしなかった。
これはあれだ。目が暗く淀んでて、近づいたらいけない系だ。
「真面目と勤勉さくらいしか取り得のない私には、もったいない妻子でしょう? 私は二人が自慢でした。確かに妻は精神を患っていて幻覚幻聴に悩まされていたりはしましたが頼れるのは私しかいないんです。妻の両親は他界していて、親類縁者頼るものはいなかったんですよ」
「……はぁ」
「私はそんな彼女を放って置けなくて、彼女もまた私がいいと言ってくれたので結婚したんです。そして、務が産まれた。とても幸せでした。前よりも一層仕事に打ち込んで、大きな仕事を任されるようになり家も裕福になりました」
どうしよう。この先が絶対にバッドエンドだって分かるのに、おじさんが幸せそうな顔をするもんだから凄く複雑な気持ちになる。
奥さんはともあれ、おじさんは奥さんの事も新井君の事も愛してるんだろうなぁ。
「新井君のお母さんは……その……」
「自殺しました。務がまだ幼い頃に。幻覚幻聴が酷くなり、私が夫だという事も時々判らず、突然大声を上げてパニックになったりしてしまったので一時期入院していたんですけどね。正気に戻れば私と務に謝るばかりで、本人が一番辛そうでした」
精神を病んでしまったというより、一部壊れてしまったという表現の方が合ってるような気がする。
それにしても新井君のお父さんて勝手に厳格で怖いイメージがあったけど、全然違う。あの新井君の父親だなんて全く思えない。
「自殺した時はショックでしたが、私より務の方がショックだったでしょうね。それからは私にも冷たく当たるようになりましたが、それは仕方がないと思っています」
「奥さんを……助けられなかったから、ですか?」
「そうですね。務は母親の事が大好きでしたから、守り切れなかった私を憎んでいるんだと思います。仕方ありません、事実ですから」
おじさん、真面目過ぎる。
正直言ってしまったら失礼だけど、いくら美人だからってそんな面倒な女の人と結婚までできるのが不思議だ。
新井君との関係は奥さんの自殺もあって溝が深いままみたいだけれど、それにしたって心が広過ぎる。
「妻は常に苦しみの中にいた。この世は煉獄で、早くこの苦しみから解放して欲しいと泣くんです。私は彼女の苦しみを理解することができませんでしたけど、私と一緒にいると幸せだって嬉しくて泣くんですよ」
最初は同情だったのかもしれないけど、おじさんは懐かしそうに目を細めて笑みを浮かべているのを見れば愛していたのだろう。
奥さんも、新井君も。
「男親だからしょうがないって、言い訳してましたけど本当に駄目ですね。欲しいものを買い与えればという事くらいしか思いつかない。務が欲しがっていたものはそんなものじゃなかったのかもしれません」
「……」
「母恋しいのかと思って妻の親友にも協力してもらったりしてましたが、今更ですね。そうじゃなくて、私がもっと務と正面から向き合うべきだった」
だったらこんな事にはならなかったかもしれないのに、と呟き再び泣き始めたおじさんは近くに私がいる事を思い出したのか慌てて涙を手の甲で拭う。
「情けない父親です。あの子の交友関係も知らない、好きな物も、嫌いな物も昔のままで止まってる。妻がいない寂しさとやるせなさ、息子に合わせる顔が無くて仕事に逃げてた結果ですよ。哀れなものでしょう?」
笑ってくださいなんて言われて素直に笑えるはずがない。
待ち合わせ前に情報収集できればいいなぁと軽い気持ちで思っていた私まで、おじさんの沈んだ雰囲気に当てられて息苦しくなってきた。
父と子の関係は最悪と言ってもいいだろうから、おじさんから得られる情報は無いだろう。
それでも誰かに話を聞いて欲しい事だってある。それが例え、息子とそんなに親しくない同級生だったとしても。
きっと、そこまでおじさんは追い詰められてるんだと思えば中々席を立つことができなかった。
病院での事を思い出しながら話し終えると、その場がシンと静まり返る。
「そうだったか。ユウもそういう所はお人よしだね」
「いや、ただ話を聞いて沈んだだけですからね私も。でも、お父さんかぁ。父親ってあんな感じなのかな」
「難しいよなぁ、父親って」
「豆突いてるだけのお前が良く言うよな」
「直人、お前本当にさっきからキツイぞ!」
もっと相棒を労われと叫びながらバサバサと羽を大きく動かすギンに、神原君は「フン」と鼻で笑って彼の鳩胸を指で突いていた。
ちゃんと加減してあげるあたりが神原君らしい。
「リトルレディ? どうされました?」
「そのひと、はんぱなのかも」
「あぁ、なるほど。膨大なログの中から探ればデータは出ますが、時間はかかりますね」
「魔王様?」
「あぁ、新井務の母親が、もしかしたらユウやナオトと同じように記憶を持ったままループした存在なのかもしれないという事だよ」
新井君の母親が私たちと同じように記憶保持したままループしてた?
でも結局彼の母親は自殺してしまったわけで、その後またループしてどこかにいるんだろうか。
いや、どこかにいるのはおかしいか。死んだはずの人間が、同じ時間軸の未来に存在するはずがないんだから。
とすれば彼の母親はやっと解放されたということになるのか。
でも、世界はループしと言っていたし、そこに住む人間も前回の記憶をリセットされてループしてるはずだ。
「世界のループと、そこに住まう人々のループは同じではありませんよ。ユウとナオトは二人ともどちらかが死ねば世界もループしてしまうようになっているみたいですが」
「えっ!?」
「それはアレだ。お前ら二人が世界の基準になっちまってるからだよ」
「は? なにそれ」
「本当にいい迷惑なんだけど」
困った顔をして小さく唸る魔王様に私の頭の上には疑問符が浮かぶ。
眉を寄せながら考えていれば、当然と言わんばかりの口調でギンが酷いことをサラリと言ってくれる。
冷たい声で自分の相棒を見下ろした神原君に、私は大きく頷いた。




