68 リトルレディ
元々は領域と名の付く空間は存在しなかったのだと言う。
ある特定の条件下でループしてしまう世界に気付いた少女と白鳩のギンは、協力してそのループを無くそうとあちこち駆け回っていた。
そして辿り着いた先にいたのが世界を創造した“神”と呼ばれるもの。
当然、話し合いで素直に神がループを停止する事を了承するわけがなく、戦闘に入ったらしいのだが完全に倒す事ができず封じるだけで精一杯だったらしい。
神がいなくなった後は、少女が世界を管理し維持し続けようとしていたというから驚きだ。
確かにこの少女は只者じゃない事は分かるが、お絵かきが好きでいつも絵を描いてる所もただの幼稚園児にしか見えない。
ちなみに“お約束”として後で妖艶なお姉さんにでも変身するのかとギンに聞いたところ「それは無い」ときっぱり否定された。
今は五歳くらいの外見年齢らしいが、頑張っても十三歳が限界だとか。力を消耗してしまう為、通常は五歳児の姿でいるらしい。この姿が一番安定して力の消費も少ないと本人も言っていた。
ともかく、神を封印する際に世界から切り離すべく【隔離領域】という空間を新たに作りそこに閉じ込めたと言っていた。
「こいつに世界の権限を移行したんだが上手くいかなくてな。不安定で歪みが生じるわ、世界崩壊しそうだわであの時はビビッたぜ」
「たたかいで、しょうもうしすぎました」
「このままじゃあヤバイって言うんで、俺様が協力してギリ、みたいな」
「リトルレディお一人で世界を支えるには無理だったので、私たち三人で世界を分割することにしたんだよ」
「え、それって大丈夫なんですか?」
世界ってそう簡単に分割できるものなんですか。
そもそも、少女が管理できるようになるから神を倒しても問題ないよと説明されたって素直に頷けるはずがない。
「【観測領域】と【再生領域】で世界を繋ぎ、支えることには成功した。元々【再生領域】は人々をループさせる為ではなく、世界の再生を行う為の場所だったからね」
「予定変更を余儀なくされたけどな」
「あーじゃあ【再生領域】破壊してもどうにもならない……って、言ってくれればいいのに魔王様」
「はっはっはっは」
この場所が夢と現、虚と実の間だとしたらこの世界はあまりにも危うい。
継ぎ接ぎの世界とは想像しただけで冷や汗が流れるが、私はその世界でループしつつも生きてきた。
思った以上に丈夫にできてるのかもしれない。
「安定してるかどうかの状況を監視するための場所が【観測領域】だ。異常があれば修正するのも、だな」
「うん……大体分かったけど、で、ギンと魔王様って一体何なんですか? 僕の相棒でも、【再生領域】の管理者だけでもないんでしょう?」
「あーだよな。やっぱり、そこだよな」
それはそうだ。
少女が一体何者なのかというのも気になるけど、神原君の相棒をしている人語を話す鳩の正体も気になる。
【再生領域】の管理者を名乗った魔王様も神との戦いの場にいたらしいので、他にも何かあるんだろう。
神原君は疲れたように息を吐き、気だるげな視線を自分の相棒へ送っている。
「俺はもう判ってるかもしれないが、元人間だ。しがないオッサンよ」
「そのオッサンが、どうして神と戦うなんて馬鹿みたいなことをしてるんだよ」
「それは、コイツに頼まれたからだよ」
「少女に?」
「うわぁ、ロリペドなんて……ギン、最低だな」
「ちょ、ちょっと待て。娘のように思ってはいるが、そういった対象じゃないぞ!」
ドン引きする私と神原君の反応に慌てたのか、ギンがバサバサと羽を広げながら声を荒げる。
残念だが、いくら言い訳をしても冷たい眼でしか見れない。
話に上がってる少女は「えっちー」と場の雰囲気に乗るように唇を尖らせていた。
「夢の中で何度も出て来るんだよ。協力しろって。それがついに現実になって、もう頭抱えたぜ」
「充分クレイジーだと思います」
「由宇さん。そこのドクロに加えて、ギンもついでに滅しておきますか……後で」
「直人ぉ! お前って奴は!」
「おや、心外ですね。私は幼女趣味などありませんよ」
「だいじょうぶ。ここはわたしのばしょだから、しなないよ」
にやり、と不敵に笑った神原君にまた私の精神が少し削られてゆく。
あんな彼は見たくないと顔を背けて言い争いが終わるのを待っていれば、手に柔らかな感触がした。
見れば魔王様にリトルレディと呼ばれた少女が、私の手に自分の手を重ねている。
円らな瞳で私を見上げ、安心させるようにそう告げるとにっこりと微笑んだ。
なんだろう、急激に私の中にあった負の感情が浄化されて和らいでゆくこの感覚は。
得体の知れない存在だから怖いと思うはずなのに、その感情が一切湧かないのも気になる。
「鳩は、主人公を夢見るおじさんという事で、魔王様は管理者の他に何をやってたんですか?」
「夢見るって……そりゃ、夢はいくつになっても見るけどよ。って、コイツは少女のお守りだよ」
「お守り?」
魔王様が少女のお守り役。という事は、元人間の鳩よりも付き合いは長いという事か。
人の仕事を邪魔するように毎回やってきやがって、というギンの声を聞きながら私は苦笑して彼を宥めた。
神原君はひた、とギンを見据えて何やらぶつぶつと呟いている。
私はその内容が呪詛じゃないことを祈るばかりだ。
「ななしは、かんしやくなの。わたしのかんしやく」
「これはこれはリトルレディ。元、をつけてください。今は【再生領域】の管理者であり、魔族軍の魔王ですから」
「ななし……っていうのが名前でしたか」
そう言えば、覚えられない魔王様の名前の一部にそんな部分があったかもしれない。ナナシじゃなくて、ナナホシだと思ってたのは私の聞き間違いか。
まぁ、名前で呼ぶ機会なんて全く無いから魔王様って呼んでれば問題ないが。
でもこれではっきりした。
魔王様はリトルレディと呼ぶ【観測領域】の管理者であり、神亡き後に神の代行をするはずだった少女の命令で動いていたんだという事が。
そうなると、やはりこの少女は見た目以上の存在という事になる。
それはそうだ。ギンが言っていたことが事実なら彼女が魔王様の上司になるんだから。
そう考えるとぼんやりとしていた少女の恐ろしさというものが明確になってきたような気がして、私は小さく体を震わせた。
世界を管理、運営する。
この子が?
信じられないのは固定観念に囚われているから。それは分かっているけれど、そこまで凄いようにも見えなくて私は私の手をキュッと握ってくるリトルレディを見つめた。
彼女はその視線に気づいて屈託の無い笑顔を向けてくれる。
繋いだ手から心情がだだ漏れかもしれないとか、もしかしたら洗脳されるかもしれないとか思うことはたくさんあるがそんな事がどうでも良くなってしまう。
そのくらい彼女の手は小さくて柔らかく、そして何より温かかった。
「名無しだからナナシってのも安直だけどなぁ」
「うるさーい。いいの、ななしはななしなの」
「ギン、リトルレディをあまりからかうな。レディも落ち着いてください」
魔王様の態度がリトルレディとそれ以外では若干違うというのが面白い。
結局、魔王様も可愛らしい少女には弱いということだろうか。
「神原君。私たち、死んだのよね? なんだか普通に生きてる気になってたけど」
「あぁ、そうでしたね。ボス戦退却から不可思議なことばかりで疲れますね」
仲良し三人組が騒いでいるのを他所に私と神原君は今までのことを話し合う。
到底信じられない説明ばかり受けているけれど、嘘をつく必要も無いんだから恐らく事実だろうという結果で落ち着いた。
どんなに逃げ回っても受け入れなければいけないということか、とちょっと不機嫌そうに呟けば心配そうに覗き込まれる。
澄んだ目が小さく揺らいで幼さを残した顔に影が落ちた。
小さな声で名前を呼ばれた私は首を傾げて彼の言葉を待つ。
「辛かったら、いいんですよ? 苦しかったら、やめてもいいんです」
「神原君?」
「僕はどうやら、主役を貰ったから頑張らないといけないですしループは嫌ですからギンたちに利用されてるとしても、これからも頑張ります……でも、由宇さんはいいんですよ?」
それは一体どういうことなんだろう。
今回で三度目になるくらいにあの最悪な結末を二度も経験してきた仲間としては、ちょっと寂しい言葉ではないか。
全てを一人で背負おうとそんな事を考えさせてしまう自分が情けない。
何をやっているんだろう、私は。
お姉ちゃんなのに、彼にこんな顔をさせて心配までさせてしまっている。
「何言ってんの。ここまで来ておきながら『はい、そうですか』って見逃してくれるわけないじゃない。あんだけ辛い思いしてきたんだから最後まで付き合うわよ。とは言っても、残念なことに足手まといにしかならないけど」
「そ、そんなこと無いです。由宇さんがいるから僕も頑張れるんです。だから、足手まといとかそんな事言わないで下さい」
「神原君……ありがとう」
弟がいたらきっとこんな感じなんだろう。
私は彼の優しさに胸が温かくなるのを感じながら、彼の頭を撫でた。くしゃっと髪をかき回すようにして笑顔を浮かべていれば、彼は困ったような顔をする。
触り心地の良い髪の感触を堪能した私が手を離せば、彼はぐちゃぐちゃになってしまった自分の髪を手で整えた。
「由宇、俺の羽繕いしてもいいんだぜ?」
「ギン……」
「あ、抜けかけてる」
「ピギャアアアア!」
プラプラしていた羽が気になったので引っ張ればブチッという嫌な音と共に、鳩の絶叫が響き渡る。軽く取れてしまうと思っていた私は抜いた羽を見て顔を引き攣らせた。
ギンは目をカッと見開いて睨むように私を見つめている。
ごめん、わざとじゃない。
本当にわざとじゃないんです。
「や、優しくしてくれないとらめぇ」
「神原君、いる?」
「いえ、結構で……いや、もらいます。有り難く。呪じゅ……御守にしておきます」
今呪術とか言いかけなかった?
まさか呪いの藁人形の中にその羽入れたりしないよね?
心配になる私の気持ちを察するかのように、神原君は綺麗な笑顔で羽を受け取った。
「で、これからどうするの? 私と神原君はもう死亡してるから目覚めなきゃいけないんだけど、もしかして今回その目覚めは無し?」
「あぁ、別に時間ならたっぷりあるから心配しなくてもいいぞ」
「操作できるのか?」
「故意に行うのは歪みが生じるから、余裕を持って修正できる範囲でだな」
「リトルレディの負担も考えなければなりませんがね」
つまり、少女の体調次第で時間操作すらできると。
だったら強制的に世界に住まう人々を全員ループさせる事もできるのか。
「みんないっしょはたいへんだから、ばらばらにしてずらすの」
「【再生領域】を通って?」
「そうそう。記憶のリセットをして、同じことの繰り返し。リセットしてるから、毎回毎回そいつにとっては初めての事なんだけどな」
ループを消す方法に失敗した少女たちの事を考えると、私と神原君がやって来たことも彼らが通った道をなぞっていただけなのかもしれない。
この先同じようにその道を通る人がいるんだろうかと思いながら私は軽く目を伏せた。
ループする世界と知らず、毎回同じ事を繰り返している私。
記憶のリセットが行われているので、既視感すら抱かず決められた通りの言動をする人々。
いくらループしてもその記憶を失う事は無かった私は、記憶なんて無ければいいのにとずっと思っていた。
今でもまだ少しその気持ちはある。
けれど、リセットされたら嫌な思い出がたくさんあるのも事実だ。
忘れたくない、大切にしておきたい、そんな記憶すら失ってまた同じように得るのは何て空しいんだろう。
そんな事を思うのは私が前の記憶を保持してるからなのは分かっているけど。
ソレがあるから言えない事もある。前は違ったでしょとか、そうじゃないでしょ、とか。
相手をポカンとさせるような事ばかり言っていたのを思い出した私は、こみ上げた笑いを必死に噛み殺した。
「にくんでも、いいんだよ?」
「……お姉ちゃんは強いから平気よ。貴方が見た目通りでなかったとしても、確かに恨み言はたくさんあるけど言っててもしょうがないでしょ」
「由宇……」
それで何かが変わるならいくらでも言っている。
思いつく限りの罵詈雑言を、今まで自分がどれ程苦痛に喘いできたのかを喉を枯らすくらいに叫んでやる。
けれど、そんな事言っても何も始まらない。
泣き喚いて暴力を振るって、すっきりなんてするものか。
何をしたって空しいだけだ。
私は、羽藤家の長女で心配性の兄さんと豪胆な母さんと、愛らしい妹と過ごし、不憫で優しい叔父さんの店でバイトをしている。
高校からの友達のモモと大学に入ってからできた友達の美智とユッコと他愛のない話をして笑うのだ。
どこからどこまで作られた物なのか全然判らないけど、今ループしている中でそれだけは変わらない。
飽きるくらいの死亡エンドループを繰り返し、ちょっと風向きが変わってきたなと思っていればホームから突き落とされる。
「ああっ! ここまで来たらもう何でも来いって感じよ。こっちは死亡エンドループばっかなのよ? 夢の中では不死者も戦く死霊術師やってんだから!」
「ヨッ! 魔族軍期待の幹部!」
「私の未来の嫁候補!」
「は? 何だよそれ、聞いてねぇぞナナシ」
「ちなみにモモも候補ですよ」
腰に手を当てて得意気に胸を張れば少女が目を見開いた。
ふふん、と図に乗る私に向かって景気の良い声をかけてくれる外野の声がまたいい気分にさせてくれる。
神原君はパチパチと手を叩いて笑ってくれた。
「はーい。僕、神原直人はゲーム世界の主役であり、女の子を惹きつける特異体質があります。お約束ですが相手が落ちるのチョロ過ぎて逆につまらないです。それでもってヒロインたちの死亡エンドループなんで、避けてたら一時期ホモ疑惑湧いて死のうと思いました。今の目標は、平穏な生活と美羽もどきの消去、ならびに害悪と思える存在の除去です」
「……直人、お前また吹っ切れたな」
「流石ナオト。モテない男が聞いていたら、血を吐きながら呪っているだろうセリフだ」
「僕はどうやら由宇さんの夢の中で勇者らしいので、ラスボスだろうが裏ボスだろうがサックリと殺っちゃいたいでーす」
ど、どうした神原君。
ギンも言ってるけどそれはあまりにも吹っ切れ過ぎなんじゃないか。
突っ込もうとした言葉は驚きのせいで機会を逃してしまう。
ウインクしながらアイドル並のキラキラとした輝きを放つ神原君は、どう見ても私が知っている彼と同じには見えない。
誰もが好くような笑顔と柔らかな声色だが、内容は非常に恐ろしい。
しかし、彼が纏う輝かしいオーラの前にはどうでもよくなってしまいそうだ。
これが主人公の力というものか、と私は驚愕して震える。
もしかして神原君の本性というか、抑圧されていた部分が表に出た結果なんだろうかと思いながら私は心配になって彼を見つめた。
神原君は「あははは」と笑いながらギンと遊んでいる。モグラ叩きならぬ鳩叩きをしているようにしか見えないんだけど、遊んでるんだろう。
「おんなじ、ね」
「ん?」
「おんなじ」
何が同じなのかは判らないが、少女は私の手に触れてにこにこと笑う。
とても嬉しそうな顔をする彼女に首を傾げながら、私は神原君と同じだと言われてるのかと思って慌てて否定した。
流石の私でもあそこまで吹っ切れない。
あれは神原君だからこそできる吹っ切れ芸だと自分でも良く分からない事を言えば、少女は分かったのか分からないのか難しい顔をして唸り「おんなじ」と言って笑った。




