60 お見舞い
今日も夢の中では相変わらずの石版探し。
見つけた石版を見つめながら、食べてもいいかと尋ねる私に魔王様とモモは不思議そうな顔をした。
「いや、駄目ならいいんですけど」
「構わないよ。それはユウが食べなさい」
叩いても、殴ってもびくともしない石版は口溶け滑らかでとても美味しいチョコレートの味が広がる。
石の味も、硬さもまるで感じない。
歯を立てるまでもなく、ふんわりと消えてゆく。
見た目と味のギャップに感動しながら、声を上げて全て平らげる私をモモと魔王様が呆然とした様子で見ていても全く気にならなかった。
「ユウ、お腹すいてたの?」
「お腹を壊さなければいいんですがね」
言ってくれれば軽食を用意したのに、と呟くモモの声を聞きながら私は満足げに息を吐く。
鍋田さんからの手紙が気になったから試しに食べてみた石版が、どう影響するのだろうか。
彼女が手紙で書いていた石が石版の事なら何かしら変化が現れるはずだ。
魔王様が止めなかったのだからきっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせてお腹を軽くさすった。
「それで、ユッコさんは?」
「直接話せはしなかったけど、ユッコのお母さんが言うには比較的軽い症状だから大丈夫だって言ってた」
「そうですか……怖いですね」
心配する神原君にユッコの見舞いに行った時のことを話す。
ユッコの休みがあまりにも長いので、心配した私とモモ、美智の三人で彼女の家にお見舞いに行ったのだ。
風邪が長引いていて熱が中々下がらないのだと応対してくれたユッコのお母さんの言葉を思い出す。
インフルではないがうつるといけないという事でユッコ本人に会うことはできなかった。
けれど、意識ははっきりしているらしいので見舞いに来てくれた事を話せば娘も喜ぶとおばさんは嬉しそうに言っていた。
「インフルじゃないらしいけど、症状は風邪だってお医者さんは言うらしいのよね」
「意識がはっきりしているだけ良かったですよね。それにしても、しっかり入手してきますね……」
「あははは、失礼だとは思ったんだけど気になって」
ユッコが聞いていたという音楽が前から気になっていたので、それだけでも先に貸してくれないかと丁重にお願いした。
そんなものユッコが回復してから貸してもらえばいいじゃないかと思うのが普通だが、嫌な予感を払拭する為にも早く手に入れておきたかった。
ユッコのお母さんは不愉快な顔をする事もなく、驚いた表情で「ごめんなさいね、約束していたのに」と言ってわざわざ音楽プレイヤーとイヤホンをセットで貸してくれる。
モモと美智には少々冷たい目で見られたけど、ユッコのお母さんには「無理させてすみません」と何度も謝っておいたので心象は悪くなっていないと思いたい。
「その代わり、少々友情度が下がった気がするけどね」
「言えない事が多いのも大変ですよね。イナバさんは使わなかったんですか?」
「うん。何か忙しいみたいだから」
「……大丈夫ですか?」
イナバが何を企んでいるのか分からないので神原君の心配は当然だ。
しかし、イナバは彼の相棒も認めた存在なので何かあれば彼の相棒に助けてもらえばいいと思っている。
そう告げると神原君は眉を寄せて「役に立ちますかね?」と呟いた。
「未だ完全に信用はできないけど、頼るしかないのよね。何が出るかは分からないけど、利用されるなら……」
「こっちも利用するしかないですね。上手い事操られているにしても、僕達にはそれしか手がないですから」
「そうね」
最近のイナバは何か変だ。
命を脅かされるような雰囲気は感じないけれど、本人がとても焦っているのは分かる。
そしてイナバは何も話さないから私も何も聞かない。
不測の事態が起きたのかもしれないし、調子に乗って何かやらかしたのかもしれない。
考えればキリがないが、イナバの事にまで首を突っ込んでいる場合でもないので放置だ。
「でも、由宇さんも大変ですね。変な夢を見たり加害者から意味不明な手紙が送られてきたり」
「神原君に比べたらマシよ。行く先々で身の危険にさらされて、ヒロインたちは巻き込まれてるし、友達には襲われてるしで」
「ははは。範囲は狭いですけどね」
「お友達も軽症で何よりだわ」
黄昏中央病院の中庭のベンチ座りながら会話をする。
この場所は彼と私が運命的な再会を果たした思い出深い場所だ。
電話をした際に神原君は友達のお見舞いに来ていたらしく、病院にいるというので私がここへ来た。
確か、バスケ部所属の期待の新人で伊藤君の見舞いだと言っていたはず。
友達に襲われたと聞いた時に一瞬沢井君の姿が浮かんで驚いたけど、そうじゃなくて良かった。
いや、沢井君じゃなくても良くないけれど。
「それにしても、流行ってるわね」
「前から流行ってはいたみたいですけど、水面下で表には出てこなかったというか」
「お友達の音楽プレイヤーは警察なんだっけ?」
「はい。どうやら警察の人が預かっていったみたいで」
突然友達に襲われた神原君だが、何度も彼が友達の名前を呼びかけるとぼんやりしていた目の焦点が合い、顔を青くしたと思うとそのまま絶叫して気絶してしまったそうだ。
神原君は軽症で済んだが友達は念のため入院したらしい。
見舞いに来たが会えなかったと苦笑する神原君に、顔を合わせづらかったんじゃないかと言えば「気にしてないんですけどね」と笑顔で返される。
それから「どうせ泣かれるなら、女の子がいいんですけどね」と軽く肩を竦めて笑ったところを見るとどうやらカーテン越しに泣かれてしまったらしい。
「最近は、校内にいるはずなのに別の空間にいるような錯覚に陥ったり、夢を見たりして僕もおかしいです。寝不足とか、疲労のせいだと思いますけど」
「……気をつけてね。相棒さんがいるから大丈夫だとは思うけど」
「由宇さんも」
私より大変なはずなのにこの気遣いのできるいい男っぷりは何なんだろう。
いくら中身が前世記憶もちの普通の人だったとしても、きっといい男だったに違いない。
主人公補正とやらを抜かしても彼はこんな状況下でさえキラキラ光ってる。
若さなのか、それとも持ち前の魅力なのかは知らないけど恋愛感情を抱いてない私ですらキュンとしてしまう。
「それにしても、程度の酷さはあれ、事態を収拾できてない警察は随分と躍起になってるみたいですね」
「ん?」
「電子ドラッグデータの追跡、消去、取り締まりにしても法令では細かく定められてませんし。国会では審議されてますが、それに反対する一派も出てきてるようで。そんな事をしてる間にも状況は酷くなっていきそうです」
私にはあまり関係が無いと流し見てたニュースの内容を、神原君は深刻に考えているらしい。
それもそうか。電子ドラッグで友達がおかしくなった上に自分が襲われたのだ。
凶暴性のある電子ドラッグは普通のハイになれる薬と同じく、少量で依存性が高く簡単に恍惚感を得られるところが良いらしい。
たかがデータじゃないかと馬鹿にしている頭の固い連中が多いからこそ、後手に回って惨状が広がるのだ。
「神原君。電子ドラッグって実際に聞いたことある?」
「無いですよそんなの!」
「そう怒らないでよ。それ、と知らなくて耳にする機会があるかもしれないでしょう?」
「ブラクラと分かって踏むような変態じゃないですから、無いですよ。あったとしてもすぐに閉じるか消すかしますし」
まぁ、普通はそうよね。
友達にでも勧められたり、今これが流行ってるんだと言われればその波に乗り遅れない為に聞いたりはするだろう。友達付き合いだって色々あるだろうから、嫌なものを嫌と断れる子は少ないはず。
広がる場として一番有効なのは学校か、と呟いた私の言葉に神原君は顔色を変えた。
何か変なこと言っただろうか?
「前に、桜井さんと細田さん襲った人の話しましたよね?」
「あぁ。遠藤さんの事ね」
「はい。あの人確か彼女たちを襲いながら『データを寄越せ』って言ってたんですよ。その時は何のことか分からなかったし、彼女たちを助けるので精一杯だったから気にしてませんでしたけど」
「……電子ドラッグと関係があるって?」
そう言いたいのか彼は。
いくら何でも考え過ぎだと言いたい所だけど、ユッコももしかしたらその被害者かもしれない。
何でもかんでも私たちやループに結びつけるのはどうかと思うんだけど、否定できるだけの材料もなかった。
全てが胡散臭くて、全てが関係にしているようにも思えるし、そうじゃないようにも思える。
相談して意見を聞きたいイナバは未だ自己点検中らしく今もバッグの中で大人しくしていた。
それなら神原君の相棒はどうだろう。
「何か考え込んじゃってよく分かりません」
「そっか。それにしても『データ寄越せ』って何のデータなんだろうね」
「電子ドラッグ関係のデータだとしたら、桜井さんか細田さんがそれに関連してるって事ですよね」
今まで守るべき者だとばかり思っていた存在が、実は敵だとしたら?
考えたくは無いが、正確にゲームの世界を映し出しているわけでもないこの世界だ。何があっても驚きはしない。
ラスボスとして華ちゃんが立ち塞がっても、それはそれで面白そうだと考えてしまった私は自己嫌悪に陥った。
ヒロインは、守るものとして考えているその先入観がいけないのか。
主要人物の中に敵対する人物がいるかもしれないと、何故考え付かなかったのか。
今まで必死に生き残ることだけを考えてループを繰り返してきたが、それが馬鹿みたいに思えてしまって私は溜息をつく。
彼女達は無駄に足掻く私をどこからか見て嘲笑っていたかもしれない。
そんな事は無い、皆良い子たちばかりだと言えたらどんなに楽だろう。
ヒロインの一人であるなつみだって、もしかしたらという事がある。
私の可愛い自慢の妹。家族思いで家事ができて、良いお嫁さんになれるしっかりとしたあの子が、私の敵だったとしたらその時私はあの子をどうにかできるの?
自分が時間線を越える為に、一緒になって這いずり回る神原君の為に、あの子を排除しなければいけないとしたら。
あぁ、駄目だ。そうだ、駄目だ。
私があの子を傷つけるような真似なんてできるわけがない。
万が一あの子がラスボスだったとしたら、それこそお手上げだ。好きにしろ状態であの子のするがまま身を委ねるだろう。
情けないのは分かっている。
できるだけの事をする、説得をして何とかループを止めるように言うのが姉だろうと、それは分かっている。
けれど、説得ってどうやって?
ループはいけないから止めろって言ったところで、じゃあ何が正しいの?
そう、何が正しいの?
そもそも、生き延びて普通の生活を手に入れる為だけに突っ走ってきたけれど、それは正しいの?
正しいと思っていた事が、全く逆だったとしたら?
その時私はどうすればいい?
「由宇さん、由宇さん! 大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」
「あぁ、ごめん。年上なのに、駄目ね」
「少し休んでた方がいいですよ。あ、僕お水買ってきますね」
「え、そんな……」
「いいですから、そこでじっとしててください」
神原君は不安じゃないんだろうか。
自分がやっている事に。向かっている方向に。
そう考えてから、馬鹿な事をと私は自嘲した。彼より年上の私ですら既に疑心暗鬼になって混乱する頭に眩暈がするくらいだ。
私よりきっと大変な目に遭ってる神原君が辛くないわけがない。
それでも彼が明るく振舞えるのは、無理にでもそうしないと嫌なことばかり繰り返されるからだろう。
あぁ、それはいつかの私に似ている。
顔を覆って溜息をついていると、裂帛するような絶叫が響き渡った。
弾かれた様に立ち上がった私は胸騒ぎを覚えて周囲を見回す。
ざわざわ、と騒ぎ始める人々に何があったのかと原因を探ろうとしたがよく分からない。
鼓動が早くなり、呼吸が上がる。
ブツッ、ブツッと懐かしい音が聞えて私の視界は次第に暗くなっていった。
まさか、と呟いた言葉は声にならずに途切れた意識と共に消えてゆく。




