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選択肢が拗ねました  作者: esora
本編
53/206

52 池ポチャ

 ほんの少しずつ、だからこそもどかしくなる時も多いけれど今までと違う状況に喜ばずにはいられない。

 これも、全ては彼と出会えたお陰だ。

 危機を救ってくれた恩人でもある神原君は、私のようにあまり愚痴は言わない。

「大変だった」「疲れた」とは口にするが、明るく笑って「でも、頑張ります」と言うのだ。

 私があまり変化のない日常生活に退屈を感じている一方で、想像以上に大変な思いをしているかもしれないのに。

 全てが優遇されているに違いないと勝手に思い込んでいた主人公属性に憧れ、勝手に幻滅して普通で良かったと安堵してしまう自分が情けない。


「はぁ」


 なんという体たらく。情けなくて涙が出そうだ。

 最近では、よく見るファンタジーな夢のせいで夢か現か判断できない時があるほどだ。

 あれは、現実と見紛うかのような夢の世界が悪い。

 

「うわわわわ」


 自分は悪くないと情けない自己弁護を繰り返していると、情けない声が聞こえてきた。

 




 なぜこうなったのかをイナバと会話しながら一人部屋で主が帰ってくるのを待っている。

 風に飛ばされた書類を必死に追いかける先生の姿を見ながら、手伝った方がいいのか迷っていれば聞こえる盛大な水音。

 私が慌てて助けに行けば、あちこちから見知らぬ学生が先生を池から引っ張り上げるのに協力してくれた。

 みんな「しょうがないなぁ」という顔をしながら苦笑していたのを思い出す。


「何で私?」

「頼みやすかったからじゃないですかね」

「そうかな? まぁ、頼まれたら嫌とは言えないけど」


 それにしても、そんなに親しくもない学生に留守を預けるというのが疑問だ。


「名指しで手伝い頼まれてましたからねぇ」

「おかしいなぁ。そんな授業で目立つような事もしてないし……あ」


 確かに私は目立つ方ではない。

 一緒にいる人物のお陰で目立ってしまうこともあるが。

 すっかり失念していた、と頭を軽く叩いた私にイナバは苦笑しながら「モモさんですか」と告げる。


「それなら仕方ないわ」

「ですね」


 濡れてしまった書類の水分をタオルで取り、コピー用紙で挟み込む。重石になりそうな物を乗せ、吸水紙を取り替えながら先生の帰りを待つが中々遅い。

 構内にあるシャワールームに行ってくると告げた先生はきっと暢気に鼻歌でも歌っているんだろう。


「先生はまだ?」

「シャワールームから動いた気配はありません」

「ふーん。それにしても、貴方の能力が恐ろしいわ」

「ネットワークさえ繋がっていればどこでも行けますからねぇ。えへん!」

「褒めてないよ。あと、足はつかないようにしてよね」

「そんな素人みたいな真似はしません」


 我が家のセキュリティシステムを掌握しているイナバの事だ。

 大学のシステムに入り込むのもお手の物なのだろう。

 ちょっとお邪魔しているだけ、とイナバは言うがハラハラしてしまう。


「イナバ、貴方も本当に最初の頃と違って図々しくなってきたわよね」

「何ですかその言い方は! わたしはお姉さんのお役に立つために一生懸命頑張っているんですよ!」

「学校のセキュリティシステムに侵入しろとか、先生を監視するようになんて頼んだ覚えないんですけど」

「まぁ、いいじゃないですか」

 

 無いよりはいいですよと言うイナバの言葉が、悪魔の囁きのように聞こえてしまう。

 バレたら退学どころの騒ぎではないというのに暢気だ。

 いざとなれば自分一人、どこかへ逃げるつもりじゃないだろうなと思いながらスマホの中でくるくる踊るイナバを見つめる。


「面白い物もあんまりないですね。学長の趣味とかこんなところにデータ置いとくなんて馬鹿じゃないですかって感じですけど」

「イナバ」

「分かってますよ。プライバシーは侵害しません。まぁ、あの学長がねぇ」


 非常に気になるが聞いてはいけないと呪文のように自分に言い聞かせる。

 ぶつぶつ、と呟くイナバを視界に入れないようにして私は作業を再開した。


「このうさぎ、本当に何もしないでしょうね……」


 水分を程よく吸ったコピー用紙を捨てて、新しい物と取り替える。その途中でコピー用紙が無くなってしまったので散らかってる部屋を見回した。

 先生が言うには確かこの辺に買いだめしてるコピー用紙があるはずだ。

 絶妙なバランスで保っている本の塔を崩さないように気をつけて、私は棚を覗いた。

 

「あ、あった。これだ」


 棚の下部を開けるとコピー用紙がサイズごとに並べられている。B5サイズを手に取った私は、立ち上がった拍子に目の前に落下してきた物に驚き後方に倒れそうになった。


「棚の上にも積み重ねて危ないって……あー、散らかっちゃった」


 コピー用紙をテーブルに置いて、散らばってしまった本や資料をかき集める。全て拾い上げたところで私は首を傾げた。

 一番上にある書類に『時間跳躍と世界の成り立ちについて』と意味不明な事が書かれている。

 パラパラと捲って良く分からない小難しい文章を流し読みしたが、さっぱり分からない。

 イナバに先生の所在を確認し、スマホを手にした私はカメラを起動させようとしてやめた。

 

「何やってんのよ私」


 もしかしたら何かの役に立つかもしれないかもって思ったとしても、これは先生のものだ。

 許可なしに盗み見た挙句、写真なんて撮るとはどこまで非常識なのか。

 それに先生ならきっとこれについて質問しても優しく答えてくれるはず。


「由宇お姉さん、次捲ってください」

「は?」

「いいから早く。ペラペラ捲るだけで充分ですから。ノートも。ほら、早くしないと先生もうシャワールームから出ちゃいました!」

「の、ノート?」

「その書類が挟んであったノートですよ。ほら、“世界について”って表紙に書かれているのあるじゃないですか」


 手にしたスマホを置こうとした私は、軽く混乱してしまう。

 イナバの声がいつもより真剣なものだったので、言われた通りにしてしまった。


「これでいい?」


 軽く閉じている資料を素早く捲り、何が書かれているかさっぱり分からないノートをパラパラと捲った。

 数式、外国語、図表のようなものが所々に見られたがこれが何だというのか。

 それよりも、これはまずいんじゃないかと思うのにイナバを止めない自分がいた。

 非常識だと分かっているはずなのに、やはり何かあるのかと期待しているからかもしれない。

 満足そうに「オーケーです」と呟いたイナバの言葉に私は一緒に落ちた本を一番上にしてテーブルに置いた。





「はぁ……。悪い事したなぁ」

「スパイごっこみたいでしたね!」

「喜ばないの。あんな思いするのはもう嫌です。先生が優しい人で本当に良かった」

「由宇お姉さんじゃ、理解するのは無理だって分かってたんじゃないですかね」

「すみませんねぇ」


 あの後さっぱりした顔をして戻ってきた先生に、濡れた書類の応急処置をしていたことを感謝された。落ちた本やノートの事は想像していたような展開にはならず「いつかは崩れると思ってたんだよね。ごめんね」と逆に謝られてしまう。

 何だか難しい本ばかりですね、と私が眉を寄せれば先生は笑っていた。

 先生が本の塔を崩したり、入れてくれたお茶を零しそうになったりという事もあったが何事もなく無事に終わったと思う。

 

「イナバさん」

「何ですか、急に。さん付けなんて気持ち悪いですよ」

「先生の研究室にあった、あの資料やノート。まさかとは思いますが、保存してたりしないでしょうね?」

「……非常に興味深く面白いものでした。由宇お姉さんについていて正解だったと自信を持って言えます!」


 あれ、相棒に立候補しておきながら、勝手に押しかけておきながら今更その言葉は無いんじゃない?

 本当は神原君のところに行きたかったけど、あっちにはもう相棒がいるから仕方なく私を選んだとも受け取れる。

 それはそれで納得してしまう自分もいて悔しいけれど。


「それにしても、大学のセキュリティは甘いですよ。あんなプロテクトじゃ、データ取り放題ですね」

「やめてよね」

「ただ、気になる箇所もいくつかありましたけど」

「聞きたくないんですけど」


 何かあって、特定されたら私がアウトだ。

 楽しそうなイナバはいい。逃げようと思えばどこにでも逃げられるだろうから。

 そうなったらどうしてくれると呟いて睨みつければ、白いうさぎはきょとんとして首を傾げた。


「由宇お姉さんは心配しなくてもいいですよ。イナバの白ウサギ号という素晴らしく立派な船に乗ってるんですから!」

「……ハリボテの泥舟とかやめてよね」

「相変わらずひどいー! わたしはお姉さんのお役に立とうと毎日必死だというのにぃ!」

「学校の内部データを覗くのがどう私の役に立つの?」

「え、えーと、構内でのフラグ除去とか、由宇お姉さんが少しでも大学生活を楽しむために……えーと」


 今のところ学校では平和に過ごすことができている。

 そう言えば死んだ事もなかったな、と今までの事を思い返しながら私は眉を寄せた。

 イナバなりに気を遣って先回りしてくれたのだとしても、それが呼び水になるかもしれない。


「あまり余計なことしないでよね。そのせいで何かあったらどうするのよ」

「その時こそわたしの力の見せどころです!」

「いや、それを未然に防いでくれないと」


 ふん、と鼻息荒くして胸を張られても困る。

 起こった事を処理するしかないのか、と溜息をついていれば勘違いしたイナバが心配そうに声をかけてきた。


「大丈夫ですよ。ただデータを閲覧していただけで、書き換えたり盗んだりしません。機密に触れるものでも他言無用です!」


 そういう問題じゃない。

 この先もずっとイナバが裏切らず、味方でいてくれることを祈るしかないと思いながら、嬉しそうに歌うイナバを遠い目で見つめた。



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