48 ダウン
頭がぼんやりとする。
夜更かしをしていたわけでもないのに視界が歪んで気持ちが悪い。
吐き気に襲われて口を手で押さえながらトイレに駆け込むが、何も出てこなかった。
胃の辺りがムカムカとする。
頭もガンガンとしてきた。
風邪でも引いたかなと思っていれば、心配して近づいてきた兄さんに抱えられる。
お姫様抱っこされるなら、もっと素敵な男の人が良かったなぁと思うのに言葉が出ない。
自室のベッドに横にされて母さんを呼んでくると言って兄さんは静かに出て行った。
「由宇お姉さん、顔色悪いですよ。死神に生気吸い取られたみたいです」
縁起でもない事を。
そう言い返したくてもその気力すらない。
本当に、何なんだろうこれは。私はここでこのまま死ぬんだろうか。
ここで死んだら神原君に迷惑をかけてしまう。いや、逆に私がいない方が彼は動きやすいのかもしれない。
私の事を気にせず自分や、ヒロイン達の事だけを考えていればいいんだろうから。
「風邪、でしたね」
「……死ぬかと思ったのにただの風邪なんて」
「いいじゃないですか。死ぬより凄くマシです」
「苦痛があるぶん、こっちの方がしんどいかも」
医者に行って診察してもらった結果ただの風邪という事が判明。
薬を処方してもらって、二、三日安静にしてれば良くなると言われ家に戻ってきた私は今一人である。
医者に連れて行ってくれた兄さんは私を家の前で降ろしてそのまま会社へと行った。
母さんも「ただの風邪じゃないかしら」と言って仕事に行ってしまった。
今思えば「私、死ぬかもしれない」なんて口に出して言わなくて良かったと思う。
「何でもすぐ、死ぬ事に結び付けすぎるのかな」
「でしょうねぇ」
火の元、戸締りを注意して私は自室のベッドに横になっていた。
額には冷却シートを貼り付け、汗をかいたパジャマは洗濯籠に突っ込んだ。食べやすいようにと母さんが作ってくれたお粥を食べて薬を飲む。
モモにメールをすれば『由宇って、見かけによらずか弱かったりするよね(笑)』と返ってきた。
見かけによらずという一言は余計だが、モモらしい。
確かに私は今まで健康優良児を誇っておきながら大学入学前には突然倒れ、ホームから突き落とされて怪我はするわで災難続きだった。
それでも死亡ループを除けば、転落しても軽い怪我で済んだので丈夫な方だと思う。
「何かあったんですか?」
「なにが?」
「寝てる時に、随分うなってましたけど」
イナバの言葉に私は天井を見つめながら息を吐いた。
イナバが言うにはどうやら私は低くうなりながら歯軋りをしていたらしい。心配になって何度か声をかけてくれたらしいが全く起きなかったと言っていた。
大声を出して起こすにも夜中にそんな事をしては近所迷惑になる。そう考えイナバなりに配慮したらしい。
「分からない。よく覚えてないや。何だか、乱闘したような気がする」
「乱闘ですか。それはまた血気盛んですね。勝ちましたか?」
「負ける理由がないと思う……」
「さっすがぁ!」
本当は覚えているのに嘘をついた。
イナバを信用していない証拠かと苦笑しスマホの中で飛び跳ねているうさぎを見つめる。
充電器にセットされたスマホの中で、イナバは長い耳を前足で掻いていた。
「イナバ、私が一人でこうやって寝込んでても大丈夫だよね? 今何か起きて回避しろとか言われたらちょっと無理なんですけど」
「ご心配なく! 羽藤家のセキュリティシステムはわたしの管理下にありますから何かあればすぐに通報できるようっになってます。それに私と一緒に戸締り、元栓の確認もしましたから大丈夫です!」
吹き出しには「えっへん!」と太文字で書かれている。
イナバは得意気にそう告げるが、それはイナバが敵に回ったら恐ろしい事になるという事か。
どこまで信用していいのか未だに決め兼ねている状態なのに、何故だか逃げ場を少しずつ奪われているような気がする。
イナバが本当に敵なのだとしたら、二人きりの密室である今の状況を見逃すはずもない。
私だったら仕留めるなら今が好機と見るだろう。
「恐ろしい事してるわね」
「なっ! 悪用はしませんよ。いい子で頼れるイナバちゃんなのです!」
自分でそんな事を言ってしまうから信用ならないが、今はそれでもいいかと思ってしまう。
恐らく病気で体力気力共に低下しているせいだろう。
目覚めたらまた病院から始まっていたという展開に備えながらイナバの声を聞く。
「玄関前と車庫に取り付けられている防犯カメラの映像も常時更新されていますし、今のところ平穏で何も異常はありません」
「そっか、ありがとう」
「神原君には体調崩したので会うのはまた今度と送っておきました」
「あー、手紙」
「さっき、返事がきて『お見舞いに伺ってもいいですか?』だそうですよ」
気持ちは嬉しいが風邪をうつしてしまっては申し訳ない。
手紙はまた今度でも良いとして、お見舞いされる程でもないのにと苦笑すればイナバは少し黙った。
どうやら私のその気持ちを神原君にメールしたらしい。
「迷惑でなければお見舞いに来たいそうですよ?」
「うーん。今日、なつみは部活で遅くなるらしいから母さんが帰って来てからなら大丈夫かな」
「えーと、それだと四時半くらいですか? 今日は早く帰ってくるって言ってましたから」
「多分」
「了解です。じゃあ、そうやって適当に送っておきますね」
「……」
「やだなぁ、変な事なんて書いてませんて。ほら」
疑り深い私の視線にイナバはくるりと一回転してメール画面を開く。送信済みフォルダの中から神原君に送ったばかりのメールを見せて、ドヤ顔をしてきた。
最近、ドヤ顔が気に入っているらしくよくこんな顔をしている。
「アイス買ってきて……って、何神原君をパシリに使ってんのよ! そういうのは兄さんでしょ?」
「えーでも『何か欲しいものあったら買ってきます』って言ってたので。わたしって気が利きますね!」
「だから、そうだったとしても普通は私に聞くでしょ」
「わたしは由宇お姉さんの相棒なので、そのくらい聞かなくても分かります」
相棒。
いい響きだけれど信頼関係がそれほど構築されていない現状では苦笑するしかない。
そんな私にも気にせずイナバは相棒としての地位を確立すべく頑張っているみたいだけれど。
役に立てる事をアピールしすぎて空回っている事もあるが、セキュリティシステムの管理といい能力は高い。
姿形、その声ですら自由に変化させてしまうイナバは一体何なんだろう。
性別は好きに決めてくださいと気持ち悪いぶりっ子のような声で瞳を潤ませていたのを思い出していたら、気持ち悪くなってきた。
「背面カメラだけだったら、私の姿も見えてなかったのね。前の機種と同じメーカーで選んだけど、やめとけば良かった」
「あははは、もう遅いですって。ぶっさいくな由宇お姉さんの顔ばっちり見えてますから」
「喧嘩売るのは一人前よね、本当に」
座り心地の良さそうなライトグリーンのソファーに座ったイナバは「甘さの中にツンとした辛さを仕込むのもテクニックですよ」と訳の分からない事を言った。
「由宇お姉さん、メールが来てます」
「誰から?」
「松永さんです」
いつものように読み上げてもらおうとしたが、意外な差出人に思わず軽く目を見開いてしまった。一瞬迷ったが、読まれてまずい内容なんて何もないはず。
第一、イナバが見ようと思えばスマホの中にある情報は好きに見られる状態だ。
それでも私の意志を尊重してそんな事はしないと思うけど、開封したメールを未開封にするのもイナバなら簡単だろう。
「いいよ、読んで」
「い、いいんですか? だ、だって由宇お姉さんに男の人からメールですよ!」
「神原君も兄さんも男の人ですけど」
「だってそれは片方が同士で片方は兄妹じゃないですか!」
「分かった。自分で読むわ」
そうか、やっぱり私と神原君は同士なのか。
彼との関係をどう言ったらいいのか分からなかったがイナバにはそう見えるらしい。
確かに同じ困難に立ち向かう仲間なのだから合ってるだろう。仲間、同士、いい響きだ。
ふと、ゲームで良くあるパーティならば私はどんな立場だろうかと考える。
神原君は間違いなく主人公だから、勇者候補とか騎士だろう。
じゃあ私は?
魔法使いは長い呪文を覚えられそうもないので無し。剣士や格闘家も体力がないので無理。賢者と言えるほど頭が良くないのでそれもない。
だったら回復系かと思ったが、慈愛に満ちた心を持っていない私が回復役なんて笑えてしまう。
パーティに一人はいるだろうお色気役も無理。
無職は嫌だなと思いながら暇つぶしも兼ねてイナバに聞いてみる。
「イナバ。ファンタジー世界での適性職業診断とかってある?」
「ありますよ。って、松永さんのメールはどうします?」
「あ、忘れてた。心配してる内容だったから、ただの風邪だって当たり障り無く返しておいて」
「松永さん、可哀想ですね」
松永さんからのメールの内容は体調を気遣うものだった。
恐らくモモから聞いて心配してくれたんだろう。
それほど仲良くも無い女にこうしてメールを送ってくれるくらいだ。律儀な人だなぁと思いながら、何故イナバが彼を可哀想だというのか分からなくて首を傾げた。
「送信しました。ええと、じゃあ簡易版と精密版どっちにします?」
「両方」
「じゃ、簡易版から行きますね」
ちょっとわくわくしながらイナバの質問に答えてゆく。
ただのお遊びだと分かっていても、何が出るのか楽しみだ。
簡易版は非常にざっくりとした質問で、村人Aあたりだろうかと思った私は死霊術師と言われて言葉を失った。
寧ろ私が死霊に近いので合っていると言えば合っているのかもしれない。
気を取り直して精密版をすれば呪術師という結果が出た。
お遊びでしかないのは分かってる。ランダムで結果が表示されるのも分かってる。
けれど、どうしてどっちも似たようなものになるんだろう。
何だか酷く疲れてしまったので、母さんが帰ってきたら教えてくれとイナバに言って私は目を閉じた。
「微妙に、合ってる気もするんですけどね。死霊術師」




