47 ありがとう
肩を大きく上下させながら呼吸を整えていた鍋田さんは、懐から水の入ったペットボトルを取り出して一気に飲み干す。
夢の中でも水分補給は必要なのか、と変な事を思いながら私は彼女へと向き直った。
「で?」
「は? あんた、本当に一体何なの」
「いや、話の途中だったじゃない」
もうあっちは片付いたから問題ないでしょ?
そう私が呟くと何故か鍋田さんは嫌そうな顔をした。
「あんたは教室の時もそうだった」と小さく告げる彼女に、私は聞えない振りをしながら首を傾げる。
面倒だ。
ウジウジしてたって、誰も助けてくれないのに心優しい誰かが助けてくれるのを待っている。
誰しもが通るだろう道、私も通ってきた道。
過去の自分を見ているようで苛々するのは、あの頃の自分の不甲斐なさに腹を立てているからだろう。
「こうでもないと、やってられないわよ。繊細な乙女心はとうに破壊され、一周回ったところで元通りにはならなかったけど」
「え?」
「立場も動機も違うけど、似通ったとこはあるって話」
「は? あんたと私が?」
彼女が分からなくてもいい。
ループからの脱却という名目で色々な人の心を弄んだ私の所業を誰かに言うつもりもない。
彼らが万が一、私に騙された事を思い出して殺しにきたとしたならそれはしょうがないと思っている。
もっとも、生き延びるのとループを抜け出す事だけを考えて必死に動いてきたのでそんなヘマはしていないが。
今思えば股掛けとか良くやったなと思う。あの知恵と行動力をもっと他の事に生かせなかったのが残念で仕方ない。
よく考えてたら、ループ脱却の為に私が攻略対象相手にしてきた事は悪役にふさわしい事ばかりじゃないかと笑ってしまった。
「何人もの男を手玉に取り、騙し、自分の為だけに利用する」
「何その感じ悪い奴」
「私だったって言ったら、どうする?」
「はぁ? あんたが? いや、ナイナイナイ」
夜着の裾を軽く持ち上げて淑女の礼をしながら問えば、鍋田さんは顔の前でパタパタと手を振り否定した。
やはりそう見えるのかと私は苦笑する。
「だって、北原さんとか遠藤さんならまだしもあんたには……悪いけど魅力の欠片もないし。それなら私のほうがまだいけると思う」
「言うわね」
「あんたのお陰かな。ホント、何もかも馬鹿馬鹿しく思えるよ」
一見、そうは見えないからこそ危ないというのに。
だからこそ、私も動きやすかったけれど。
今同じことをやれと言われても、あんな事はできないだろう。追い詰められ生き延びる為必死になっていたあの頃のようにはなれない。
「主人公の引き立て役にしても、名前付の私に対してあんたは名無しのモブってところじゃない」
「そんなモブに紛れて貴方と似たような人物が息を潜め暮らしていたとしたら?」
「え?」
「貴方達が滑稽に踊る様を笑っている自称モブがいたとしたらどうする?」
前世の記憶を持つ、ループをしているのが私や神原君だけとは限らない。
目の前の鍋田さんが前世の記憶を持っていると豪語するように、口にはしないがそんな人物が他にもいるかもしれない。
その可能性について彼女は考えたことが無かったんだろうか。
「え、それは」
「主張しないから気づかないだけで、本当は周囲に何人も貴方と同じ立場の人がいるかもしれない」
「いや、でもそれは突飛過ぎるって」
「私がもし、前世の記憶持ちで自分が愛読していた物語の世界で生きている事に気づいたら、馬鹿な真似はしないわ」
本当はゲームだが、馬鹿正直にそうは言わない。
この世界が自分達の知っているゲームに酷似していると思っているのは、今のところ私と神原君だけ。
鍋田さんの口からはゲームという単語も、題名も出てこない。
「ものがたり……」
「思い描いたヒロインのように誰からも好かれたいなら、器用に立ち回らないとただの変人じゃない」
「で、でもほらアクシデントとか分かってたりすると、いい所見せたくなるでしょ?」
「だから失敗したんじゃないの?」
自分一人だけがおかしいのか、それとも正常なのか。
幼い子供のようにラッキーだとはしゃげるだけ彼女達は幸せなのかもしれない。
「だ、だって私が好きな小説の世界そのままなんだもん」
白い床を見つめながらそう呟く鍋田さんの言葉に、私はゆっくり瞬きをしながら顎に手を当てた。
嘘を言っているようには見えないが小説とは。
「へー。どんな小説? モモが悪役になって、遠藤さんか貴方が主人公のお話?」
「……北原さんみたいな子が主人公の話」
「あらー。それはそれは。自分が主人公だと思っていたのにね」
自分だけが知っている情報、未来予想。
上手く活用すれば今頃彼女が思い描くスーパーヒロインになれていただろうに。
興奮と欲が膨らみすぎて突っ走った結果が目の前の彼女かと思うと同情してしまう。
「遠藤さんもその話の大ファンだって言ってたから、仲良くなれたんだよね」
「え、そうなの!?」
「うん。私も初めは調子のいい事ばっかり言ってると思ったんだけどさ、細かい所までよく覚えてて。意気投合しちゃったんだ」
自分しか知らないはずの情報を、相手も知っている。
苦痛を分かち合える相手に出会えた鍋田さんが、理解者として遠藤さんを信頼してしまうのも仕方が無い。
私が神原君と出会った時のような衝撃だろう。
「ま、気がつけば遠藤さんの忠実な駒になってたわけだけど」
「遠藤さんか。凄い女ね。同性に嫌われても異性がいるから平気なんだろうし」
「とびきり美少女ってわけじゃないけど、変な魅力があってさ。少しずつ、心奪われるって言うかこの人の為なら何でもできるって思ってくるんだよ」
鍋田さんや周囲の異性を操れるような力がある。
それは生来のものなのかもしれないが、何か引っかかる。
それだけの力があれば鍋田さんが理想としていた状況を作る事は容易いはず。
例え誰もが認める美少女のモモがいたとしても気にならないような気がするけれど。
鍋田さんを利用してモモを陥れたいほど、自分だけが特別だという環境を作りたかったんだろうか。
「遠藤さんはそんなにモモの事嫌いだったの?」
「分からない。彼女の涙と作り話に騙された私も馬鹿だけど、よく考えるとそこが一番分からないんだよね」
「こんな世界にまで現れるくらいなのにね」
「……あの彼女を容赦なくボコボコにするあんたの方が怖いけど」
夢だから。
想像の産物で現実ではないから。
そんな言い訳を元に正当防衛を振りかざして撃退した化け物を思い出す。
目をパチパチさせながら「えぇーわかんなぁい」とぶりっ子する私に鍋田さんは顔を引き攣らせた。
「攻撃されるまで一応待ってたじゃない」
「正当防衛とか関係ないでしょこの場所じゃ」
想像したものが形になるこの世界は便利で、遠藤さんだと思われる化け物は汚い叫び声を上げて退場した。
という事はこの先またどこかで出てくるかもしれない。
再登場の度にパワーアップして立ちはだかり、最終的には何回くらい変身してくれるんだろうかと馬鹿なことを想像した。
「でも、残念だな。その様子だと出てこられそうじゃない」
「悪かったね。今の施設は中々いい所だよ。明るくて開放感があるし、ご飯も美味しい。何より先生や周りの人達が優しいんだ」
「へー」
「あ、お礼言っておかないとね。紹介してくれたの、あんたの弁護士さんだって父さんが言ってから」
そんな事私に言われても困る。
直接本人に言ってくれと言えば「あんたにも、一応ね」と鍋田さんは笑った。
「次、こういう場所で遠藤さんに会ったら……逃げなさいよね」
「何それ。普通そういう時は『逃げずに戦え』とか言うんじゃないの?」
「だって、返り討ちに遭いそうだもの」
腹を抱えて笑う鍋田さんを冷静に見つめながら、私は靄がかかったようになる視界に眉を寄せた。
頭の中のどこかが書き換えられていくような感覚に息を吐き、額を押さえる。
あぁ、そうか。
私は一度これを失敗しているのか、と理解するとどこからか楽しそうな笑い声が聞こえた。
目の前にいる鍋田さんとは違う、どこかで聞いたことのあるような声。
「ま、その通りだろうね。今までは後ろめたさもあったから本気で逃げてはいなかったし」
「ここに来ないのが一番なんだろうけど」
「別に私の意志で来てるわけじゃないんですけど」
そんな事ができれば不安になる事もないと呟く彼女を見つめながら考える。
歳相応の笑みを浮かべ、憑き物が取れたようにすっきりとした表情をする鍋田さんは生きる力に溢れていた。
モモがこんな彼女を見たらどう思うだろうかと考え苦笑する。
きっと、モモの事だから「いーんじゃないのー?」とどうでもいいように呟いて、少しだけ嬉しそうに笑うに違いない。
「モモに手紙、書きなさいよ」
「か、書いてるし! 弁護士さん通じて書いてるし!」
「ちゃんと書いてるの? 『貴方に憧れる余り憎しみがこみ上げてあのような真似をしてしまいました』って書いた?」
「なっ!」
溜息をつきながら尋ねれば、鍋田さんは何故か慌て始める。
両手をパタパタと動かしながら言葉にならない短い声を上げ続け、冷めた目で見つめる私を指差す。
「何で私が! そ、そんなこ、告白みたいなこと」
「はぁ~? 本当は誰よりも崇拝したくてたまらなかったくせによく言うわよ。愛読書のヒロインに酷似していた人物が目の前にいたらどうにかお近づきになりたいって思うもんじゃないの?」
「ばっ! 私は別にそんな事思った事……少しだけしかないし」
だったら別にそんなうろたえる必要はないのに何変な踊りをしているのやら。
「あんたにはっ分からないわよぉ!」
「うん」
「あー! 腹立つー!」
「ま、モモの記憶には残っただけいいんじゃないの? 悪い意味でだけど」
「ぬぉおおお! 本当にっ! 腹が立つ!」
「お、やる?」
ダンダン、と床を蹴る鍋田さんに軽くファイティングポーズを取る。
フリルがあしらわれたネグリジェという格好が残念だが仕方が無い。
「……やらない。そんな野蛮な事」
「あっそ」
「あんたと話してると疲れる」
「私も」
気が合うわね、と笑顔で言えば鍋田さんの顔が引き攣った。
いちいち素直に反応してくれるので面白がってしまう私も悪い。
にこにことしながら次はどんな反応をするのかと思っていると、彼女は大きく深呼吸をし始めた。
「こんなに誰かと話すなんて久しぶりだ。家族ともまともに会話してなかったのにさ」
「ふーん」
「ありがとう。あんたには、その……感謝してます」
恥ずかしそうに目を逸らしながらそう言った鍋田さんは深々と頭を下げて「ありがとう」ともう一度呟いた。




