46 呼んだ?
あまりにも都合の良い夢だ。
いや、夢なんてそんなものか。
そんな事をぼんやり思いながら大きく伸びをする鍋田さんを観察した。
暗い雰囲気は相変わらず残っているが、憑き物が取れたような表情に一番困惑してしまう。
いい事なんだろうけど、こんなに簡単に人が変わってしまうのが嫌だというか何と言うか。
散々迷惑をかけられた私やモモの事を考えると、腹が立つんだろう。きっと。
私もただの人間だから、あれだけ自分たちを苦しめておいて勝手にすっきりした顔して救われてるんじゃないという怒りがある。
もっと苦しめ、絶望してろと思う気持ちもあった。
決して口には出さないけど、醜い感情なんてきっと誰の心の中にもある。
私が鍋田さんに対してそう思っているように。
かつての彼女がモモに対して思っていたように。
きっと、誰かが私に対してそう思っていても不思議じゃない。
「私の事、殺したいって顔してる。ボコボコに殴ってボロ雑巾みたいにしたいって」
「うん。否定はしない」
「あはは。おっかしいの……それだけ怒ってるなら、すればいいのに」
見透かされた事にイラッとしたけど、それを顔には出さない。
素直に頷いて肯定すれば、彼女は両手をポケットに入れておかしそうに笑った。
「そうすれば、私もあんたもすっきりするでしょ? 同意の上なら問題ないじゃない。それに、あんたにはそれをする権利がちゃんとある」
「示談済んだって言ってんでしょ」
「ここは現実じゃないわ。何でも好き勝手できる場所よ? 私があんたを殺そうと思えばそうできる、そんな可能性に満ちた素晴らしい場所」
「じゃ、やれば」
突然目の前に現われたと思えば、聞いてもいないのに始まる自分語り。
後で確認する必要はあるけど、情報が得られるのならこんな些細な事でも邪魔にはならない。
そう思って話を聞いていたというのに。
結局はこれか、と呆れてしまって私は軽くそう告げた。
軽く目を見開いた鍋田さんは苛立ちを隠さず顔を歪める。
「私を何度殺したところで、何も変わらないと思うけど」
「……」
「楽になりたいんでしょ? 私に殴られ、殺されることでチャラにしようなんてムシが良過ぎない?」
「あんたって、本当にサイアク。でも、北原さんの友達なら何となく納得するわ」
「貴方をボコボコにしても、すっきりしないもの」
本当に許しを請わなければいけないのは私じゃなくてモモにだ。
でも、モモが「もういいよ。気にしてないよ」と言えば彼女はそれで気が済むんだろうか。
心の底から許されたと感じられるんだろうか。
どう考えてもその瞬間だけで長くはもたないような気がする。
「……次生まれ変れたら、まともに生きたいな」
「前世の記憶に怯えて結局駄目だったりして」
「容赦ないよね」
「優しいのは親しい相手だけって決めてるから」
それでも言葉にするだけマシだ。
本当にどうでもいいと思ってるなら、適当に相槌を打ってやり過ごすだけだ。
興味無さそうに呟いた私に溜息をついた鍋田さんは、床を見つめて溜息をつく。
「馬鹿だよね。前世の記憶とか、実際持ってたとしても正直に言う時点で頭おかしいって思われるのに」
「ですね」
「あーあ。憧れたんだけどな。万人に好かれるスーパーヒロイン。控えめで目立たなくて、でもちやほやされて困ってるとイケメンがすぐに助けてくれるそんな主人公」
「設定盛りすぎ」
実際にそんな人物がいたとするなら、極力視界に入らないように息を殺して生活しそうなものだ。
関わりを持ってしまった時点で終わりそうな気がする。
いや、ループを終わらせるという意味では救世主なのかもしれない?
「現実は遠藤さんの方が悪女で、私はそれに騙されてた馬鹿な駒。ホント、笑えない」
「……本当に別人みたい」
「あはは。私もそう思ってるからね。いや、実際本人にここで会うまでは心のどこかで信じてたし」
自分でさえ今の自分がおかしいと思ってるならいいか。
夢か現か分からない場所でのやり取りも、都合の良い夢として片付ければ痛くも痒くも無い。
第一、滅多な事が無い限り彼女が施設から出られる事は無いだろうし。
「ん? ここで、会った? 遠藤信恵と?」
「うん」
「はぁ!?」
これは予想していなかった展開だ。
思わず声を荒げる私に、鍋田さんは苦笑して大きく頷く。
「久々に会った遠藤さんは別人だった。髪の色も化粧も、喋り方も、眼差しも良く見たら全然ヒロインって感じじゃないの」
「久しぶりって、結構会ってたんじゃないの?」
「ううん。私が引きこもってからはずっとメールか電話だけ。こんな恥ずかしい私を見られてがっかりされたくないっていうのもあったから」
てっきり遠藤さんの為なら、今の自分がどれほど酷くても気にしないと思っていたが多少気にはするらしい。
驚いた顔をしてたらムッと眉を寄せられた。
「気がついたらココにいたのよ。いつものようにカウンセリングを受けて、ご飯を食べて、薬を飲んで寝たらここにいた」
見渡す限り真っ白な空間には私と鍋田さんの二人しかいない。
もしかしたらどこかに誰かがいるのかもしれないが、探しに行く気にはなれなかった。
走っても走っても、地平線は遠くに保たれたまま一向に縮まらないような気がしたのだ。戻れなくなるかもしれないという恐怖にこの場から移動するのをやめていた。
「真っ白で、広い空間に誰かがいた。座り込んで床を叩いてた彼女に近づいたら、顔を上げた彼女が私を見るなり叫んだのよ。『お前が失敗するから!』って。見ず知らずの人にいきなり叫ばれてさ、びっくりしたのなんのって」
「見ず知らずって……」
寂しそうに笑った鍋田さんに思わず顔を上げた私は何も言わない彼女に眉を寄せる。説明は無いのかと視線で問いかけると彼女は静かに首を横に振った。
「最初は本当に、誰なのか分からなかったの。でも、彼女が私に話す内容で遠藤さんなんだって分かった。ショックだった」
まぁショックだろう。
今まで信じてきたものが音を立てて崩れてくわけだから。
最後の砦だった遠藤さんの本性見たらそりゃショックを受けるだろう。自分のやって来た事を強制的に見せられた挙句それでは心が壊れてもおかしくない。
「彼女は私の失敗を責めた。私のしてきた事をなじって、性格が悪い頭のおかしい女だって喚き立てた。私はそんな彼女を見ながら『こんな人が遠藤さんのわけがない』ってずっと思い込んでた。そうしないと、私が今まで信じてきたものが何だったの? ってなるでしょ?」
「……薄々は気づいていたけど?」
「まさか、あそこまで酷いとは思ってなかったわ。メールと電話だけのやり取りって顔が見えないから騙すには便利だなーって感心しちゃった」
感心できるくらいの余裕があったから、心が壊れずに済んだのかもしれない。
鍋田さんにとって遠藤さんという存在がどれだけ大きかったのかは想像するしかないが、妄信するくらいだ。
「私は今までこんな女の為に必死になってたんだなぁ、と思ったら笑いが止まらなかったわよ」
「うわー、凄い余裕ですね」
「おかげさまでね」
私は鍋田さんではないのでそのショックの度合いも、絶望感も知るわけが無い。
知りたいとも思わないけど、と心の中で呟くと小さく笑った鍋田さんはトントンと踵で床を蹴った。
「動揺して混乱してた私を、遠藤さんは酷い言葉で傷つけて……最終的に殺した」
「え? 大人しく殺されたの?」
「仕方ないでしょ。力が出なかったんだから。絞殺よ、絞殺。遠藤さんのあんなバケモノみたいな顔初めて見た」
僅かに眉を寄せた鍋田さんはその時の事を思い出したのか、親指を口元に当てる。
「怖くて、動けなくて。酷い顔してるのに、あの目だけは変わってなくてさ」
「目?」
「見つめられると動けなくなる。体が固まっちゃって情けないよね」
石化の呪いでもかけられたようなものか。
ヒステリックに彼女を何度も殺したという遠藤さんは、鍋田さんのようにはなっていないんだろうな。
捕まったという話は聞いていないので、未だにどこかを逃げ回っているんだろうか。
そんな事を考えていると私を凝視している鍋田さんに気づく。
「……何?」
「逃げて!」
「は?」
叫ぶように告げる鍋田さんの声と背後の気配に気づいたのは同時だった。
何かを引きずるような音がして振り向けば、髪を振り乱した人型のバケモノがこちらに向かって来ている。
都合の良い夢ならあんな存在は出てこないはずだけど、と妙に落ち着きながら眉を寄せた。
バケモノと目が合って、気付く。
あぁ、コレが遠藤さんか、と。
「おりゃああ!」
距離を詰めてきたバケモノの動きがやけにゆっくりと映って、気付いたら右足でソレを蹴り飛ばしていた。
しっかり受け止められるか、ダメージを与えられないかと思ったけれど、予想以上にバケモノは飛ぶ。
軽くバウンドして床を滑ったそれは這うようにしてこちらに向かってきた。
「ココって、何なの?」
「知らないわよ。夢でしょ? 夢」
「いや、それすらも本当なのか微妙なんだけど。まぁ、夢ってしか言いようが無いだけで」
現実だったらあんなバケモノ相手に接近戦ができるものか。
武器を持たずに肉弾戦なんて自殺行為にも等しい。
大体、武術の心得も無い私のただの蹴りに軽く吹っ飛ばされる時点でどうかと思う。
「逃げなきゃ、また殺される。でも、今回私は平気? いや、でも逃げなきゃ」
鍋田さんは混乱しているのか落ち着きが無さそうに、声を張り上げ逃げようとしている。
逃げるならそうすればいいのに、と思いながら私はホラー映画のように這って来るバケモノを見つめた。
「どうせなら、貴方の手でトドメ刺してあげたら? オトモダチなんだから」
「っ! む、無理に決まってるじゃない! いくら夢だからって、私がそんな事できるわけが……」
「アレ、多分逃げても追いかけてくるよ?」
それに私ですらあれだけの蹴りを放つ事ができたので、鍋田さんもできるんじゃないだろうか。
想像すれば力になる場所だとか言っていたのは他でもない彼女なんだから。
「どうしてあんたは冷静なのよ」
「分からない。だけど、何でか平気」
そう、自分でも分からない。
ネグリジェにルームシューズ、武器になりそうなものは何も持っていない上に防御も薄いと言うのに何故か危機感は無い。
死に対する恐怖が薄れたのか、現実じゃないから平気だと頭のどこかが麻痺しているのか。
「だって、あれが遠藤さんなら怖くないもの」
「それはっ、貴方が彼女を知らないだけじゃない」
「寧ろ煮えたぎる怒りはあるけど、直接手は下したくないな。汚れる」
「あ、あんたって……ホント」
信じられない、と震えながら叫ぶ鍋田さんの声を聞きながらどうしたものかと考えた。
こういう時には颯爽と誰かがやってきて助けてくれるものだが、それが許されてるのは主役か主要人物かだろう。
偶に一般市民を助けてくれるヒーローもいるが、私や鍋田さんは一般に入るんだろうかと冷静に考えて首を傾げてしまった。
表向きは、一般のはず。
正確に言えば異常な市民なのかもしれないけど。
「あ、勘違いしないでね。怒ってるからって殺したいとは思ってないよ? 手、汚したくないし殺してもすっきりしないから」
「べ、別に誰もそんな事思ってないわ!」
「もしかしてあれって、貴方の生み出した想像の産物なんじゃないの?」
「え!?」
想像したものが反映されるならば、意識してなくても強く心に残っている事が現われるというのも考えられるだろう。
そのわりに、私の目の前に現われたのが鍋田さんだったというのがちょっと納得できないけど。
いや、結構納得できないけど。
鬼婆のように髪を振り乱して荒い呼吸で這って来る遠藤さんに、どうしてこうも落ち着いていられるんだろうかと気味が悪くなって私は腕を擦った。
「作り物だと分かれば怖さも薄れる、か」
「あんた本当にどんな神経してんのよ!」
自分の為、這い寄る彼女の為になりふり構わず行動していた人物の言葉とは思えない。
早く逃げればいいのにと思って鍋田さんを見れば彼女の両足が小刻みに震えていた。




