44 トラップ
色々な事が起きたので、これからもそんな風に振り回される日々が続くのかと思っていた。
しかし、そんな警戒をよそに平穏な日常に戻る。
状況の変化を求めるなら積極的に動けばいいのだろうが、ループ脱却の為どう動けばいいのか分からない。
しつこく相棒を名乗るイナバも特に何も言ってこないので、それが罠かと思ったりもした。
神原君は彼の相棒と困難を乗り越える日々を送っているようなので何か手伝えればと思ったが、やんわりとお断りされてしまった。
「仕方ないですよ。由宇お姉さんは主役じゃないですからね」
「主役じゃないならどうしてこんな状況になってるのか説明願いたいわ」
「えーと、不条理に振り回されるのは脇役やその他大勢のお仕事ですから」
「主人公の為に犠牲になるのがお仕事ですか。それはそれは有難くて涙が出ますね」
神原君を馬鹿にしているわけではない。当然、愛ちゃんの事もだ。
彼らのせいでこんなに振り回されているのだとしても、彼らに対して恨みが湧かないのは好きだからだろう。
自分がこうなる前からゲームの中でよく見ていた二人の主人公。
この世界で一緒に過ごした時間はとても短いけれど、ゲームの中の印象を引きずっているからそう思うんだろう。
彼らにしてみれば、自分の知らない場所で勝手に好意を抱かれても気持ち悪いだけだろうが。
「しゅ、主人公に成り代わってみますか?」
「冗談」
「ゲームの中での印象をそのまま勝手に抱いているだけで、本当は違うかもしれませんよ?」
「表にそれが出なきゃいいわ。明らかに性格悪いとかなら恨めるんだけどねぇ」
イナバはスマホのホーム画面でそんな物騒な事を言ってくる。
どこからか拾ってきたらしい音声を元に喋った時には驚いたが、可愛らしい少女の声はその姿に合っていた。
最初の声はあまりにも鼻に突くようなアニメ声だったので、イライラしたけど。
私のそんな反応を見てすぐにデータを変えたイナバに正直気持ち悪いと思いつつ、どうしてそこまで必死なのか不思議だった。
顔に出やすいとイナバは言うけど、そんな事ないと思う。
「それにしても、危機回避のお知らせを何で今更してきたの? 遅すぎるんですけど」
「……わたしも色々あるんですよ。わたしの声が届く人がまずいなかったですし」
半ば八つ当たりなのは分かっている。
けれど、もっと早くイナバの助けがあったら状況は変わっていたんじゃないかと思ってしまうからしょうがない。
最初のループの時からイナバに出会って、その指示に従いフラグを回避したら時間線は越えられたんだろうか。
その質問にイナバは「わからない」と答えた。
自分の声が届き、受け入れられたのは今回が初めてらしいのでこの先どうなっていくか分からないらしい。
フラグ回避を知らせてくれるくらいだから、大体の未来予想ができてるのかと思っていた。
それか、本来のあるべき世界の姿を知った上で修正している何らかの存在なのかとばかり。
結局イナバが相棒となっても回避するだけで根本的な事は何も変わらないのか、と落胆してしまう。
「ループ脱却の救世主かと、少しでも期待した私が馬鹿だったわ」
「酷いですよ! わたしだって必死に頑張ってるんですからね!」
「その頑張りを具体的に教えて欲しいんですけど」
「え、えっとぉ」
私の質問に言葉を濁す事が多いイナバ。
信頼が薄いのはその点にあった。
何もかも洗いざらい話せと一度言ってみた事もあったが、イナバは「ごめんなさい」と言うばかりだった。
それ以上は聞いても無駄だと察したので聞いていない。
私の相棒になりたくて、死亡フラグを回避できるのに話せない事が多い。それなのに自分を信じてくれなんて笑えてしまう。
それはイナバも自覚している事なのか、鬱陶しいくらいに信じてくれとは言わなかった。
私の様子を察して大人しくしている時は大人しくしている。
「貴方は私に一体何をさせたいんですかね」
「それは……わたしにも分かりません」
「あらら、それは困った困ったー」
そう答えられると思っていたから返事も適当になってしまう。
私や神原君が前世で遊んでいたゲームに酷似しているこの世界は、一体何なんだろう。
冷静に考えるほど気持ち悪くなって、最終的には自分だけがおかしいのかと思ってしまうくらいだ。
自分には前世の記憶があって、その時にやっていたゲームの世界観そっくりだとイナバに話しても性別不明の謎のウサギにはそのゲームの事が何なのか判らないらしい。
だから私は自分の知っているゲームの情報を簡単にイナバに伝えた。大体理解したイナバは難しい声を上げて「全員落としてみるとか?」と告げる。
残念だがそれはもうとっくに試したと答えれば「神原君や主人公じゃないから無理なのかもしれませんね」と私も薄々感づいていた箇所を指摘された。
分かってはいるけど神原君の場合なんてヒロインと仲良くなればなるほど相手の死期が早まる。
それも説明するとイナバは「わかりません」と可愛らしい声を出して箱から大量に出したニンジンをボリボリと食べ始める。どこから出したのか分からない大きな箱は、イナバ曰く道具箱だそうだ。
「役に立たないなぁ。神原君の相棒さんとは大違いだわ」
「だから辛辣すぎますってば! わたしだって分かることくらいありますよ」
「何?」
「主人公でもないのにループしてる上に自我を保ち続けている由宇お姉さんが相当異常だって事です!」
「……へぇ」
「じょ、冗談ですって」
そんな事はこんなウサギに言われなくても自覚している。
異常だからこそ何か特殊な能力に目覚めたり、私にしかできない事があるのではないかと期待したが何も無かった。
主人公の補佐役として必要だったのかと考えているとイナバが「そうかもしれませんね」と言ってきた。
「調子いいわね」
「そ、そんな事無いですよ。わたしも何となくそうかもしれないって思ってただけですよ」
「イナバは裏切り枠、っと」
「きゃーやめてー! 本人の前でそんな事言える由宇お姉さんの余裕っぷりが凄いですけどひどいー!」
私を監視していたような言葉を笑顔で話すわりにどこか抜けている。
それも演技だとしたらこのウサギは相当食えない。
食べた所で美味しくなさそうだけれど。
「それにしても、由宇お姉さんやりますね。神原君に加えて成瀬愛ちゃんまでゲットなんて!」
「ゲット?」
「だって、両作品の主人公と接触した上に親密度高いじゃないですか! さっすがぁ! ヒューヒュー」
目の前に映る存在を怖いと思ったのは最初だけだ。
今ではその恐怖も薄れているから慣れというのは恐ろしい。こんなものよりも、何度も死んだ時の方が恐ろしいからかと思いながらそれもどうなのかと苦笑する。
「主人公ねぇ」
「そうですよ! 神原君だけじゃなくて成瀬さんとも接触なんて」
ホーム画面でニンジン片手に体を揺らすイナバに触れた。
画面越しだとは言え操作はちゃんと反映されるというのがいい。
まぁ、イナバが承知の上でわざと付き合ってくれているのかもしれないけれど。
「わたしまだご飯中なんですけどー。お耳掴まれてブラブラさせないでくださいよぉ。身動き取れなくなるんですから」
「本当に? 離れようと思えば何とかできるんじゃないの?」
「んもう、ここは由宇お姉さんの管理下なんですから無理ですって」
「権限なんて容易に変えられるでしょ」
「そんな事したら、信頼度ゼロになっちゃうじゃないですかぁ」
「ゼロというよりも既にマイナス?」
タッチアンドホールドしたままイナバを固定している人差し指を画面上で滑らせる。くねくね、と上方向に行ったり隣の画面へと移動したり。
指先に軽く力を入れたままイナバを離すことをせず遊ぶ。
食べかけのニンジンを持ったままイナバはじたばたと体を動かして、不機嫌そうな顔をし始めた。
私の指一本は相当な効果があるらしく、身動きが取れないイナバは頬を膨らませスタンピングをする。
「虐待です! イジメ反対!」
「ねぇ、イナバ。私、愛ちゃんが主人公なんて一言も言ってないわよ?」
「え、言いましたよ! やだなぁ、もう」
「本当に? 私、神原君の名前は出したけど、愛ちゃんの名前は出してないのよね」
キュンシュガとドキビタのゲーム内容とその登場人物は説明した。
けれど、神原君がキュンシュガの主人公だとは言ったが愛ちゃんがドキビタの主人公だとは一言も言っていない。
寧ろ、ゲームの登場人物とすら言っていないのになぜこのウサギは知っているのか。
「え?」
「愛ちゃんとは確かに会ったけど、彼女の事は貴方に話してないわ。ツメが甘いんじゃない?」
ごろん、と半分寝ながら私の話を聞いていたイナバの反応はとても曖昧だった。
私と神原君が遊んだゲームを知らないと言ったのに何故それに関する人物の情報を知っているんだろう?
別にカマをかけたわけじゃないわよ、と笑顔を浮かべながらイナバを見つめた。
ぶらぶら、と力なく揺れている白ウサギは軽く目を見開いて持っていたニンジンを落とす。
「い、言いました! 言いましたってば、由宇お姉さん」
「へぇ」
「うぐっ……可愛くないのは貰い手なくなりますよっ!」
「貰い手よりも越えられない時間線をどうにかしたいわねぇ」
か弱い草食動物の形をして「ゲームの世界? ちょっと分からないです」と不思議そうに告げるイナバが愛ちゃんの事を知ってるわけがない。
演技するならもっと巧妙にできないのかと呆れながら尋ねれば、ポカンとしたように口を開けられた。
そのまま無言で大人しくなるイナバを、出現しているゴミ箱へゆっくり持って行きながら寸前で方向を変える。
目指すはイナバの大きな道具箱。
そこ目掛けてイナバを放り投げるように指を滑らせれば、自動で開いた箱の中に収納されていった。
パタン、と蓋が閉じてから暫くはガタガタとうるさく揺れていたが無視だ。
「知ってるのに、どうして知らないって言ったのかな。やっぱり罠か? 裏切るにしてももっと慎重にやろうよイナバちゃん」
道具箱を囲むようにウイルスセキュリティのウィジェットを配置する。
効果なんて無いだろうが気休めだ。
箱からこっそり顔を出したイナバは周囲を見て顔を引き攣らせると、箱の中に引きこもってしまう。
その様子を見た私は神原君に電話をかけようとダイヤルを押した。
「やーだー、まってー! まってー! 言い訳を聞いてくださいー!」
「どうぞ」
「隠してたのも、隠してることがあるのも事実ですけど騙すつもりはなかったんです」
「うん。別に騙そうとしてもいいけどね。もっと上手くやれって話よ」
にっこりと微笑みながらイナバを見つめれば白いウサギは耳をペタンと伏せて、黄色い目を潤ませた。ウサギなのに赤目ではないのは、他とは違うというのを強調したかったらしい。
目を潤ませたくらいで私が落ちないのを知っているイナバは「だってーだってぇ」と同じ言葉を繰り返す。
「ただでさえ不審がられてるのに、ゲームのことまで把握してたらアウトじゃないですか」
「いいんじゃないの? 裏切り、黒幕、この状況が終わるならそれでも」
「駄目です! ダメダメー! だって違うんですってば! 敵じゃないんですって!」
「まぁね。ここまで抜けてお馬鹿な黒幕もそういないだろうけど」
「ですですっ!」
「けれど、あえてそうする事で油断させてというパターンもあるわけだ」
余裕があるように見えるが内心ではヒヤヒヤしている。
イナバが本当に敵ならばここで私を殺す事も容易いだろう。
また病院から始めるのは大変だが、そうなったらなったで仕方が無い。
「悪気は無かったんですよ。混乱させてはいけないと思って……」
「うんうん」
道具箱から顔を出したイナバはそろり、と外に出て自分を囲むセキュリティのアイコンを見つめた。
ゆっくりとその内の一つに近づけば、アイコンから盾と剣が出現してイナバを箱の中へと追い込む。
こんな追加アクションは無かったはずだと顔を引き攣らせた私に、イナバは「てへっ」と悪びれもせず笑った。
さっさと掌返しをすればいいのに中々本性を見せない。
何を考えているのやら、と溜息をつきながら壁紙を砂漠に、ロック画面を狼の群れに変えた。
勝手に起動しないように電源を切り裏蓋を外して電池を取る。
パソコンの電源も抜いてあるのでそちらに行くことも無い。
「さてと。手紙か……久しぶりだな、手書きって」
私は机に向かうと引き出しの中からレターセットが入っている箱を取り出し、その中から紫陽花柄の淡い便箋を手に取った。
誤字脱字に気をつけながら季節の挨拶を交えつつ、手紙を書き始めた私の耳に隣の部屋から叫び声が聞えてくる。
画面にウサギがと騒いでいる兄さんの声を無視して、手紙を書くことに集中した。
ちなみに手紙を書き上げてバッグにしまった後、ちゃんとスマホの電池を元に戻したので兄さんのスマホ画面からウサギの姿はすぐに消えたらしい。




