32 可愛いは罪
楽しくない話は夕飯の後にして、という母親の強引な勧めにより尾本さんを交えての夕食となった。
今日は病院に行く日だったのでバイトは休みだ。
本当は終わってから行こうと思っていたけれど、叔父さんから「来るな」と言われてしまった。
高橋さんからも、自分がいるから無理しないでゆっくり養生しなさいという文章と共に店員の制服を着た彼女の写メが届いた。
相変わらず色香があるのに厭らしさを感じさせない美しさに溜息をつきながら、私は自慢するようにその写真を家族に見せる。
男装の麗人みたいと写真を見るなつみに、母さんは「私だってそのくらい」と妙な対抗心をみせる。
兄さんは「人妻……か」と少し残念そうに呟いて、尾本さんは「うちの家内が喜びそうだ」と愛妻家らしい一面を見せてくれた。
私は妙に上機嫌だった叔父さんの声が気になっていたが、高橋さんがヘルプに入ってくれていると知って納得してしまう。
本当に現金なものだ。
「あぁ、そう言えば仕事中にこうやって他所の家でご飯食べたりして良かったんですか?」
「それなら心配ないよ。病院で連絡来た時に、今日は上がりだって言われたからね」
「へー。警察の人ってもっと忙しいのかと思いました」
「勿論、緊急の呼び出しがあれば行かなくちゃいけないけどね」
警察が暇なのは平和な証拠だよ、と呟きながら食後のデザートにと母さんが買ってきたシュークリームを頬張る尾本さん。
甘いのが好き田と言う尾本さんも、沢井君といい甘味仲間になれるような気がする。
「でも良かった。お姉ちゃんを怪我させた犯人も捕まったし、近所のパンク犯も捕まって平和になったね」
「そうね。ご近所さんもこれで一安心ね」
「セキュリティーに入ってて良かったって思えるな」
家族の会話を聞きながら私は大きく頷いた。
尾本さんにお願いしてパンク犯が塩谷だという事は黙ってもらっている。
私を突き落とした犯人は、相変わらず意味不明なことばかり言っており責任能力を問えるかどうかが問題だと言っていた。
難しい顔をしながら見つめられたが、私としては弁護士にお任せしているので言うことは無い。
犯人が捕まった事に安心したなつみは自分の部屋に行ったので、この場にいなくて良かったと思う。
これ以上何を話せばいいのやら、と助けを求めるように視線を母さんと兄さんに向けた。
「まぁそれは、弁護士と相談してからですね」
「そうだね……いやぁ、まいったよ。黄昏市でこんな変な事件が起きるとは……あ、ごめんね?」
「いえ」
「ああいうタイプとは接した機会がほとんど無いから、私も困ってね」
「由宇、本当に覚えてないのか?」
尾本さんに心当たりがあるかと写真を見せられた時も、署に呼ばれてマジックミラー越しに確認した時も首を傾げるばかり。
引っ張り出したアルバムには確かにその名前はあったが、接点は全く無い。
もっとも、本当に攻撃したい相手を苦しめる為に私にあんな事をしたらしいので、覚えてなくともしょうがないだろう。
「覚えてないよ。同じクラスになった事もないし、会話した事も無いんだから」
「……そうか」
「だからこそ、由宇に警戒されずに近づけたのかもしれないわね」
「そうだね」
油断してて平和ボケしていた私にも原因はありますが。
それにしても、中学時代の写真とまるで別人のように変わっててびっくりしてしまった。
髪は長く、痩せててひょろりとした彼女は写真とは全く違っていて驚いた。落ち着かなさそうに親指の爪を噛みながら呪詛のような言葉を繰り返していたのを思い出し眉を寄せる。
事情聴取をしていた若い刑事さんは怯えたように震えていた事も思い出した。
ギョロリとした目で睨みつけながら、聞き取りにくい音量で意味不明な言葉を呟かれるのは誰でも怖いだろう。
それにしても、あんな骨と皮だけのような体のどこに私を突き飛ばせる力があったのかが不思議だ。
「死んでないんだから、いいじゃない。私は悪魔を払ってあげたのよ」
どうしてあんな事をしたのかと問われた彼女が言い放った言葉。
罪悪感など微塵もないような表情ではっきりとそう告げた彼女に、迷いは感じられなかった。
私を突き落としたのは、あくまで脅すつもりであり、殺意は無かったらしい。だから電車が来ない時を見計らい突き落としたのだと自慢げに言っていたと尾本さんは溜息混じりに話してくれた。
電車が来ないから突き落としても軽傷で済むだろうと、誰が決めたのか。
打ち所が悪かったらそのままサヨナラしてまたループしてしまうというのに。
「悪魔の手下になって、不幸を撒き散らす前に救ってあげたんだから感謝して欲しいわ」
頭がおかしいなら何をしても許されるんだろうか。
マジックミラー越しで犯人を見つめながら感じた事を思い出す。
それにしても、引きこもりが外に出てくる程の影響力を与えたものが恐ろしい。
話によれば彼女は高校を入学してからわりとすぐに不登校になったらしい。
何が原因なのかは知らないが、中学時代の友人にそれとなく連絡をしてみたところ詳しい話を聞けた。
尾本さんは仕事上色々と制約があるせいか、詳しい事はあまり話してくれないのでこういう時に連絡の取れる友人はとてもありがたい。
しかし、都合良く詳細を知っているわけではなかったので彼女と仲の良い友達を紹介してもらい、その子から情報をもらう事になった。
驚いたのは、私がホームから突き落とされた事も知っているという。
赤の他人が何でそこまで知ってるんだと恐怖を覚えたが、どうやら彼女は現場にいたらしく俯きながらブツブツと駅から出てゆく犯人とすれ違ったらしい。
見覚えのある人物と、すれ違った人物の顔が一致しなかったので、気のせいかと思っていたと少々興奮気味に話していた。
「お役に立てたら本当に嬉しい。私で良かったら何でも話すし、情報も集めるから」
「あ、いやはい。お気遣いいただきがとうございます」
お喋りが好きなのか紹介された長谷さんの話には余計な情報も多かったが聞きたい事は聞けた。
それとなくこちらの状況も探られたが、そこは何とかスルーする事ができた。
長電話になるからと、向こうからわざわざかけ直してくれたのでそんなに悪い人じゃないとは思う。
「えーと、それじゃその……彼女について教えてください」
「うん。鍋田さんね」
私を突き落とした犯人、鍋田さんという人物は昔から妄想癖が強かったらしい。
この世界は自分の為に存在しているんだと信じて疑わず、自分は選ばれた存在だから何をしても許される、と本気で思っていたという。
幼い頃は笑ってすまされていたが、歳を経ても同じ事ばかり言うので危機感を抱いた周囲が何とか説得を試みるも失敗。自分は他人とは違うからと言って笑うだけだったという。
何を言っても無駄だと、離れた友達は多いと長谷さんは言っていた。
「私は鍋田さんと小学校から一緒だったんだけど、こう……なんていうか危ない人だなとは思ってたのよ。ほら、クラスとか学年に一人そういう人っているじゃない?」
「あぁ、そうですね」
「小学校四年の時だって言ったかな。授業中に突然奇声を発してからおかしくなったって言う人もいるけど。私は元からその素質があったんだと思う」
こういう場合は適当に相槌を打ちながら聞き手に回る。
彼女の話し声から喋りたくて仕方がないという気持ちがひしひしと伝わってきた。
情報源としてはありがたい存在だが、口が軽いのでこれ以上親しくなろうとは思わない。
今回これっきりの縁で相手に悪い印象を与えないように上手くフェードアウトしようと考えながら、私は相槌を打つ。
「小学校の時はちょっと変わった子で済んでたんだけど、中学入ってから変わっちゃって」
「変わった?」
「うん。多分、私が思うに北原さんの存在が強いのかなぁ」
「えっ!?」
「羽藤さんて、北原さんと仲良かったもんね。私たちは近寄りがたくて遠くから眺めてただけだったけど」
いや、確かにモモは外見だけなら美少女と言っても差し支えない程可愛い子だったからその気持ちは分かるけど、まさかそこまでだったとは。
高校からのモモしか知らない私にとってはちょっと新鮮だ。
そして、面識がないはずの長谷さんがどうして私の事まで知っているんだろう。
「え、あのもしかして……」
「そうだよー。クラス違うけど、私も青嵐だったんだー。春光の制服可愛かったんだけど私の頭じゃ無理でさ」
「そうだったんだ……」
「うん。まぁ、たくさんいるからいちいち覚えてないのは普通だよ。私はそういうの好きだから結構記憶力いい方だけど」
今後、彼女と会う事が無いように祈るしかない。
モモと仲が良い事を知ってるなら、きっと私の顔もしっかり覚えてるんだろう。
大抵はモモの可憐さ(見た目だけ)に目を惹かれて私はステルス状態になってるというのに。
今後、ステルス技能を更に磨かなければいけないということか。
「で、そうそう中学の時の鍋田さんね。一年の時は特に目立ったことも無かったのよ。頭の中が夢の国だっていう事以外は普通だし、それなりに社交的だったみたいだから」
「へぇ」
「問題なのは、二年の時。私がなんで北原さんの名前を出したかって言うと、彼女が転校してきてから鍋田さんの様子が変わったと思う。って言っても私が直接見てたわけじゃないんだけどね」
「転校……」
高校以前の事をあまり話したがらないモモの新たな情報を入手できて、私はとても複雑だ。
彼女が転校してきた事も知らなかったし、それを本人ではない人物の口から知ってしまったというのが後ろめたい。
こんな事くらいでモモが怒るとは思えないが、そのうち店に来たときには何か奢ろう。
「あのね、気を悪くしないで聞いてね?」
「あぁ、大丈夫。告げ口とかもしないから。だから貴方も……」
「分かってる。私もこの会話はここだけの秘密にして他には漏らさない」
「うん」
「北原さんて、めっちゃ美少女じゃない?」
「あ、うん……そうだね」
傍にいていつも見てると慣れてしまって良く分からなくなるが、モモはお世辞抜きで美人だと思う。
そんなモモと接しているのに劣等感を抱かないで済むのは、恐らくなつみの存在があるからだろう。
身内にとびきりの美少女がいたお陰でモモとも上手く付き合えている気がした。
私がこんな感じだからこそ、モモも付き合いやすいんだろう。
「本当にもう、あんな美少女存在するんだってくらい可愛いわよね」
「そう、ですね」
興奮したようにモモの可愛らしさと凄さを話し始める長谷さんに、相槌を打ちつつ内心で溜息をついた。
私が聞きたいのは長谷さんがどれだけモモを崇めているかではない。
私を突き落とした鍋田さんという人物についてだ。
しかし、ここで無理矢理鍋田さんの話を聞けば相手の機嫌を損ねそうで、私は欠伸を噛み殺した。
「北原さんはモテるじゃない? 羨ましいくらいに男は寄っていくし、教師も鼻の下伸ばしちゃって」
「あーうん」
「こう、魔性の気があると思うのよ。北原さんは誰が何を言ってきても素っ気無く返してたけど。そんな反応がとっても意外だったから、私北原さんのファンになっちゃったの!」
初めてモモを見た時は、可愛い子だなと思った。なつみと並んだら美少女姉妹に見えるだろうかと変なことを考えたりもした。
でもその程度だ。
私の他とは違う反応に、モモは酷くショックを受けていた様子だったけど。
あの、バケモノを見るような表情は今でも忘れない。
「結構多いのよ、北原さんのファン。お近づきになりたいのは男子だけじゃなかったし。でも、どうしてもあの侵しがたい雰囲気に圧倒されて遠くで眺めてるだけなのよね。会話もしたことあるけど、馬鹿みたいに緊張しちゃって酷かったわ」
「へぇ」
「その点、羽藤さんて凄いわよね。入学式の時にすぐ打ち解けたんだって? いいなぁ」
「はははは」
別に変わった事は何もしていないので、どうやって仲良くなったのか教えてと頼まれても困る。
普通に話して仲良くなったと言えば羨ましそうに唸られた。
「とにかく、北原さんは高嶺の花だったから。可愛いけど、優しいし嫌味な所もなくて話せば普通に返してくれるでしょ?」
「いや、元々普通じゃない?」
「まぁ、確かに漫画の登場人物のようにぶりっ子だとか勝手にイメージしてたのも悪いんだけど」
してたのか。
思わず口に出しそうになって慌てて咳払いで誤魔化す。
モモの見た目があまりにも現実離れしている美少女だから、外と内のギャップに相当驚いただろうな。
いや、でもあのモモの事だから堂々とゲーム雑誌広げてながらも私達以外の前では猫被ってそうだ。
ニコニコとした笑顔で相手を圧倒して、可愛らしい仕草と共に不快を与えない程度の声色で話せば同性だってイチコロだろう。
そう思うと、非常に恐ろしい女だ。
「とにかく、一部の女子は鼻についてたみたいだけど大体の生徒は男女関係無く北原さんに惹かれてたわよ。美少女で性格もいいなんてケチの付け所がないんだけどね。粗探しをして蹴落としたり嫌味を言ったりするのが生きがいの人たちもいるから」
「そうだね……で、鍋田さんは?」
「あ、そうだった。ごめん、ちょっと思い出してたら懐かしくなっちゃって』
「いえいえ」
「鍋田さんは突然に、北原さんの事を敵視するようになったのよ。『あの女は、魔性だ』とか言って。確かにそういう雰囲気だったから他の子たちも『そうだねー、そんな感じだよね』って大して深く考えずに言ってたらしいんだけど」
今その魔性があんな事になっているのは知っているんだろうか。
髪を染めてお姫様のような可愛らしい格好をしているので目立つだろうが。
けれど長谷さんも随分モモに心酔しているようなので、そんな格好をしたモモも素敵過ぎるとうっとりしていそうだ。
「イケメンの先輩や、ちょっと悪そうな見た目の男子、他校の男子も噂聞きつけて見に来たりとかしてて。でも北原さんは学年一の美形に告白されても、誰に告白されてもみんな『ごめんなさい』って断ってたの。勿体無いよね?」
「いや、好きじゃないなら仕方ないんじゃ……」
「そうだけど。誰とくっつくかって、賭けまでされてたのに皆外して大笑いになった事もあったわ。思い出した」
「賭け……」
「も、勿論、お金じゃないわよ。購買のパンとかおにぎりとか、期間限定の飲み物とかね」
いや、金銭的な問題ではなく人の告白を賭けの対象にするのはいかがなものかと思っただけで。
軽いノリでやってるから、そこまで深く考えてるわけじゃないだろうけど。
「それからよ。北原さんについての悪い噂が校内に広がるようになったのは」
「……鍋田さん?」
「やぁだぁ、もうー。そこは焦らして引っ張っるとこだったのに」
「ごめん」
何となく先が読めて言ってしまったがどうやら彼女なりのやり方があったらしい。
機嫌を損ねたかと思ったが、彼女はそのまま話し続ける。
そこからの内容は想像が容易いもので、私はさもその場にいて実際見たかのように話す彼女の声を聞きながら、何度も溜息をついた。




