27 働かざるもの……
カウンターに座る可憐な少女。
フリルがふんだんにあしらわれた淡い服を身に纏い、その整った容姿からどこにいても目を惹く存在になる。
店に現れた可愛らしい華の登場に、店内にいる客はチラチラと彼女の事を窺っていた。
一方、当の本人は気にしていないのか、他の客と目が合ってはにっこりと微笑んでいた。
その微笑一つでドキッとしてしまうのは何も異性だけではないから恐ろしい。
私も最初の頃はドキドキしていたな、と思い出して溜息をついた。
叔父さんの淹れたコーヒーを飲みながらご機嫌のモモは、小さく鼻歌を歌っていた。
「はぁ。癒される……。ここっていいよね」
「ありがとう。モモちゃんみたいな可愛い子にそう言ってもらえると、オジさんやる気出ちゃうよ」
「そうよねぇ。若い子には私も勝てないもの」
「深みを増した美しさもいいものですよ。高橋さん」
相変わらず仕事では口が上手い。
これを何とかしてプライベートに生かす事はできないんだろうか、と眉を寄せた。
プライベートも仕事だと思って接するのが一番だろうが、そのまま仕事のようにこなしてしまうと後が恐ろしい。
そもそも、叔父さんも自覚していると思うのでそれが結果に現れていないのは無理だったという事だろう。
プライベートにほんの少しだけ、仕事のテクニックを取り入れるだけなのに。
こんな叔父さんに早く素敵な春が来ますようにと心の中で願いながら、私はすっかり高橋さんと仲良くなったモモを見つめた。
「そうですよ。高橋さんは、バリバリ仕事ができる格好いい大人の女って感じがします」
「あら、そう? ありがとうモモちゃん」
モモはその外見から受ける印象とは違って、性格がはっきりしている。
嫌なことは嫌だと拒絶するし、自分が他人からどう見られようがあまり気にしていない。
その芯の強さは昔からなのかは知らないが、彼女は中学以前の事をあまり話したがらなかった。
「可愛らしいお人形さんみたいなモモちゃんに言われると、嬉しいわぁ」
「えへへ。ありがとうございます」
「本当に可愛いもんなぁ、モモちゃん」
「もう、そんな事言っても何もありませんよ?」
老若男女問わず惹きつけ、多少のわがままならば苦笑して許してしまえるくらいの魅力がモモにはある。
正直、面倒な人物と仲良くなったものだと思ってしまった私も彼女の愛らしさに負ける日々だ。
可愛い子に頼られて、親しくされれば嬉しいのは男女問わずだろう。
レースのリボンで髪を結わえたモモは、高橋さんと叔父さんに褒められて嬉しそうにしていた。
「マスターも素敵なのにどうして未だに独身なのかなぁ。勿体無い」
「そう言ってくれるのはモモちゃんくらいだよ」
「プライベートでは女運が無さ過ぎるものね。カモにされやすいからじゃないかしら?」
「高橋さん酷いです」
目を潤ませながら叔父さんはモモがオーダーした品物を彼女の前に置く。
熱々のチーズが程よく焦げており、音と香りで食欲を誘った。
期間限定の商品であるオムライスドリアはその名の通り、オムライスとドリアを合体させたものだ。
こんがりと焦げ目のついたチーズは見ているだけで涎が出そうになる。
「由宇、お前も今日はここで食べなさい」
「え? いや、バック行くよ?」
「せっかくモモちゃんが来てるんだ。それにもうお客さんもそんなに来ないだろうから大丈夫だよ」
「そうよ。一人寂しくバックで食べないでここで食べるといいわ」
賛同するように頷く高橋さんに促されるように私はカウンターの端に座る。
せめて少しでも目立たないようにと思ったけれど、モモが「それじゃ意味ないじゃーん」と笑いながら隣に移動してきた。
ちらり、とフロアを見回せば常連さんたちが優しい目をしてこっちを見ている。
いいんだよ、とでも言わんばかりに頷かれて何だか恥ずかしくなってしまった。
こんなに緩くていいのかなと思うけれど、だからこそ居心地がいい店なんだろう。
けれど、常連ばかりで新規が入って来れない雰囲気にならないように気をつけているつもりだ。
「じゃ、私はそろそろ帰るわね。今日は旦那が早いのよ」
「あ、いい。俺がするから。これ食べてなさい」
会計か、と腰を浮かした瞬間に置かれたのはビーフシチューがかけられたハンバーグだ。鉄板の中でジュウジュウと音を立てているそれを横から覗いたモモが「いいなぁ、美味しそう」と言って私を見上げてくる。
ハンバーグとビーフシチューを合体させた賄い飯だ。
美味しいのは見ただけで分かるからメニューに加えてもいいんだろうけど、お客さんが少ないから何とも言えない。
「じゃあね、由宇ちゃん、モモちゃん」
「はい。ありがとうございました」
「またねー高橋さん」
レジの前にいる高橋さんが軽く振り返ってこちらに手を振ってくれる。
私は慌てて席を立って頭を下げた。
そんな私の隣でモモはヒラヒラと片手を振って、テイクアウトのケーキを手に店を出てゆく高橋さんを見送る。
ありがとうございました、と叔父さんと声を重ならせながらもう一度頭を下げて見送った私は小さく息を吐いた。
お客さんが優しくて緩い雰囲気で居心地がいいとは言っても、バックと違って気が抜けない。
気にしなくて良いなんて緩い事を言っても大丈夫なんだろうか、と変に心配していれば叔父さんに声をかけられた。
「どした? 食欲無いか? 軽い物の方が良かったか?」
「ううん。美味しそうです。いただきます」
「そうか? 無理すんなよ?」
「あははは。由宇は真面目だからお仕事モード中々切り替えられないんだよねー」
「あぁ、そう言うことか」
ふふふふ、と笑うモモの言葉に叔父さんも納得した様子で頷く。
いつもの事ながらモモは本当に凄いなぁと思って私は彼女を見つめてしまった。
身内の叔父さんよりも私の事が分かるモモに驚く事は少なくない。
よく付き合いに時間は関係ないと言うけれど、本当にそうだなと思う。
それに比べて私ときたら、飽きるくらいに同じ事を繰り返しているのに未だモモの事が分からない。
全てを理解したいというわけではないけれど、もやもやとした気持ちになってしまう。
モモは私より私の事を分かっているような時があるのに、私はモモの何を知っているんだろう。
私が深入りしないからこそこうして一緒にいてくれるのかもしれないと思うと、結局何もできない。
今は私にも深入りして欲しくない事情があるから、丁度いいのかもしれないが。
「由宇ー。冷めちゃうよー?」
「うん。食べる食べる」
「そうそう。由宇が手ぇつけてくれないと、私が味見できないからねー」
「狙いはそれか」
「はい、取り分け皿」
「わぁ、マスター分かってるぅ」
私たちのやり取りを眺めていた叔父さんは窓の外を眺めて「今日は本当にもう客が来ないかもなぁ」と不吉な事を呟いた。
経営している以上、赤字を出さずに黒字を増やすか考えないといけないのにのんびりしてていいのだろうか。
自分のオムドリアを小皿に取って待機しているモモに急かされ、私はハンバーグを小皿に取って彼女に渡した。
「んー! 美味しいっ!」
「うん。叔父さんのご飯食べてると、妙に舌が肥えて困る」
「妙にって何だよ、妙にって」
「お金出して食べに来るの悔しいけど、食べに来たくなるから」
「商売なんだからお金落とせ落とせ」
「身内で回しても意味無いと思います」
本気でお金払って食べに来ても絶対に受け取らないのによく言うものだ。
モモ、美智、ユッコの三人が食べに来た時も、私の友達だからと代金はいらないと言ったくらいだ。結局支払うと言って聞かなかった三人に押し切られる形で叔父さんも受け取ってはいたけれど。
『美味しいものを食べて、その対価を払うのは当然の事です。もう少し高くてもいいくらいです!』
三人の中でも、強い口調でそう告げた美智の気迫に負けたんだろうと思う。
美智にそこまで言ってもらえた叔父さんは、少し恥ずかしそうにしていたけれど嬉しそうに笑っていた。
「マスター、ここって長く続きますよね?」
「あぁ、俺はそのつもりだよ。モモちゃん、常連になってくれるのかな?」
「もっちろん! 由宇の叔父さんがマスターだし、由宇がバイトでいるから私も来やすいです」
「それは嬉しいなぁ。モモちゃんみたいな可愛い子がいてくれると、この喫茶店も一気に華やぐよ」
「お世辞が上手いですね、マスター」
確かにモモがいてくれれば、集客にもなるし店内がいつもより華やぐだろう。
名案だと笑顔になる私と叔父さんを見てモモは苦笑した。
「賑わうのは店としてはいいと思うけど、あんまり有名になっても困るかなぁ」
「千客万来、商売繁盛でしょ?」
「それが一番なのは分かってるよ。でも、いつ来ても落ち着ける場所だからそうなるとちょっと寂しいなって」
目立つ事は自覚しているモモが言うと重みが違う。
言ってから慌てて首を左右に振る彼女を見つめ、私は何度も頷いた。
らしくない事を言ってしまって動揺したのだろうが、あえてそれを指摘しない。
知らないふりをした私に気づいたモモも、何も言わない。
高校の時から変わらぬこのやり取りについ笑ってしまった。
「何? ニヤニヤして」
「ううん。モモはダイエットとは無縁だなと思って」
「そんな事ないもん。今だって……今は、ノーカウント!」
ダイエットという言葉に反応した叔父さんが動きを止めてちらりとこちらを見る。
叔父さんの手元には製作途中のパフェがあった。
それを見たらしいモモが誘惑に負けて真顔でそう言ってくるものだから、私は思わず声を出して笑ってしまった。
「何で笑うのー! 私だって乙女らしい悩みくらいあるよ」
「乙女……。うん、乙女だね。恋愛対象はにじげ……」
最後まで言い終わらないうちに冷たいモモの視線が向けられる。
こんなやり取りに癒される私がいた。
繰り返す日常の変化を望んでいるのに、変わらないでいて欲しい物もある。
自分がこのループから脱却するのにこの環境全てを捨てなくてはいけなかったとしたら、その時私はどうするんだろう。
「ごめんごめん。何だか、高校の時の事思い出しちゃって」
「あー、高校かぁ。結構楽しかったよね!」
「アレを楽しかったと言える貴方の精神は、賞賛に値するわ」
「じゃ、褒めて褒めて?」
「褒めるのとはちょっと違うかなぁ」
「えー、だって賞賛するって言ったぁ」
今考えてみると私もよく高校を無事に卒業できたものだと思う。
モモと一緒にいると飽きないかわりに、変な事に巻き込まれて困る。
彼女の友達として避けられないのは分かっていたが、面倒な事ばかりだった。
自分に対する嫌がらせは無視して気にしないモモだけど、自分以外が標的になると恐ろしくなる。
誰もが羨む美少女と友人になるとはどういう事か良く分かった高校時代だった。
「今度はモモちゃんにも店の手伝いしてもらおうかなぁ」
「えへへ。由宇の送り迎えする間は私もお手伝いしますよ。働かざる者~ですもんね」
「いやいや悪いね。由宇の事で迷惑かけちゃって」
「いいえ。由宇は私の大事な友人ですから。犯人出てきたら、私がちょいちょいってやっつけちゃいますよ!」
「あんまり危険な事したら駄目だよ?」
私はその会話を聞きながら空いたお皿を片付け始める。モモの分も一緒に運んで手袋をつけると心配する叔父さんに「大丈夫だから」と言って食器を洗う。
そんなに気を遣われてはバイトをしている意味が無い。
ただ食器を洗って片付けているだけなのに隣で心配そうにチラチラ見てくる叔父さんが気になってしまった。
確かに心配はかけたが怪我は軽症で、大したことは無い。
心配してくれるのは嬉しいが、叔父さんも兄さんも少々過保護じゃないかと私は眉を寄せた。




