20 ダチ
いつもと変わらない景色、台本があるかのような会話、誰がどう行動するのかも頭に入ってしまった日常生活。
それを利用して回避しようと動いても、先回りするかのように彼女達は現れた。
やめてくれ、と悲鳴を上げても止まらない歯車が少しだけ変わったような気がした彼は周囲を見回した。
「まだ、油断できない」
周囲に人がいない事を確認しながらそう呟いた神原直人は、笑顔で語らう生徒達の姿を見て目を細めた。
何度も繰り返してきた悲劇の日常を、ただなぞるだけだと思っていた毎日。
絶望しかもたらさなかった日々が、やっと変わるのではないかと期待する。
「駄目だ、駄目だ」
まだ確定したわけではないから調子に乗るな、と自分を戒めて彼は頭を左右に振った。
繰り返され過ぎて飽き飽きしている日常の光景は、何も考えず流せばいい。
ゲームと違ってスキップが出来ないこの作業は、長く面倒に思うこともあった。
けれど、これも幸福な結末を迎えるための作業だと思えば苦にならない。
大好きなゲームだったはずなのに、と呟いた彼は渡り廊下の柱に寄りかかりながら眉を寄せた。
ゲームをしていた時から好きだった桜井華子との入学式に起きる強制イベントは、どうやっても回避できなかった。しかし、それ以外は順調に進んでいる。
可も無く、不可も無く。
沢井成洋という見た目は軽そうだけど真面目な友達もできて、これが普通の高校生活なんだと神原は静かに息を吐いた。
後は、心を平静に保って時が過ぎ去るのを待つだけ。
「あれ? どうしたの? 暗い顔しちゃって」
「あ、羽藤さん」
「悩み事なら相談に乗るよ……って、沢井君がいるから平気かな」
「ははは、ありがとう。羽藤さんは職員室?」
「うん。クラス委員だからね」
同じクラスではないのに神原に気づいて声をかけてきたのは羽藤なつみ。
キュンシュガの攻略対象の一人であり明るく穏やかな性格をしている彼女は、いい嫁になれると彼女の姉が太鼓判を押しているくらいだ。
そんな彼女の姉と図らずも奇妙な縁ができた神原は、攻略対象であるなつみとのフラグが真っ先に立ってしまうのではないかと危惧した。
しかし、起こるべきイベントは一つも起こらず普通に日々が過ぎ去ってゆく。
それでも、クラスも違えば顔を合わせる機会も少ないのに彼女はこうして神原を見つけると声をかけてきた。
嫌がるのも失礼かと思いながら適度なやり取りを心がけ、すぐに離れようとしている彼はなつみの笑顔に小さく頷く。
「お姉ちゃんと何かあった?」
「え? なんで?」
「お姉ちゃん、神原君の事凄く気にかけてたから」
「いや、何も無いよ。お姉さんには弟みたいに可愛がってもらってるから」
「そうそう。お姉ちゃんたら、これで自分にも姉ができたら完璧だとか言ってた。お姉ちゃん、変な事言ったりするかもしれないけど、あんまり気にしないでね?」
「うん。大丈夫だよ」
弟みたいにと言ってしまってから自分で地雷を踏んでしまったと神原は慌てた。
しかし、なつみは苦笑するだけで特に気にした様子はないようだ。
てっきり、頬を赤らめてフラグが立つと思っていた神原は、自意識過剰さに恥ずかしくなる。
軽く手を振って職員室へと向かう彼女を見送り、彼はブレザーのポケットから携帯を取り出した。
メール画面を表示させて今日の中間報告をする。それと同時にこれから店に向かうと予告をすれば三分も経たずにメールが返ってきた。
顔文字付きのシンプルな文章を暫く見つめていた彼は、トントンと右側から肩を叩かれて慌てて画面を消す。
「あー消したー」
「沢井君っ、プライバシーの侵害だよ」
「あーそんでもって、まだ俺の事名字で呼ぶー。俺たちはダチだろ?」
「そうだと、思ってるけど……」
「そうなんだよ!」
バシン、と力強く背中を叩かれてむせた神原は、持っていた携帯を落としそうになり慌ててストラップを指に引っ掛けた。
彼が落とさずにすんだと安心していると、申し訳無さそうに沢井が謝ってくる。
男に上目遣いをされて謝られても気持ち悪いだけだと思いながら、神原は笑みを浮かべた。
「用事、終わったの?」
「ああ。直人はここでまたぼーっとしてたのか?」
「まあね。ぼーっとするの好きだから」
「変な奴だよなぁ、お前も」
笑いながら歩き出す沢井の後を追うように、神原も床に置いていた黒いリュックを背負ってその場から離れる。
少し先で待っていた沢井が手招きをして早く来るように告げた。
そこにちょうど、体育館に移動する途中のバスケ部員らしき青年達が通りかかる。
その中の一人に声をかけられた沢井は笑いながらその人物と会話をして別れた。邪魔をしないように気を遣ってゆっくり近づいた神原は去ってゆく彼らの背中を見て沢井に知り合いかと尋ねようとする。
しかし、その前に何故かチョップをされて彼は両手で頭を抑えた。
「な、何?」
「何でもない」
「えぇー?」
「ほら、行くぞ直人。今日の日替わりはーなんでしょうねぇ」
「沢井君、さっきの知り合い?」
「……成洋って呼んだら教えてやる」
僅かに眉を寄せたと思えばにこりと笑って沢井は戸惑う神原にそう告げた。
明らかに戸惑った表情をする彼を見つめながら沢井は「しょうがねぇなぁ」と呟く。
「クラスメイトの伊藤だよ」
「え?」
「はぁ。お前さ、本当にぼんやりしてんのな。しっかりしろよ?」
調子が悪いのではないかと心配する沢井に神原は慌てて首を左右に振って、そんな事は無いと答えた。
彼に対してだけではなく、誰に対しても距離感を図りかねている神原はクラスでも少々浮いた存在になっている。それを何となく自覚している神原だが、それを直そうとは考えていなかった。
寧ろ、その位の距離感でいた方が被害が最小限に済むから好都合だと思ったからだ。
姿を見つける度に声をかけてくれるなつみは仕方がない。
彼女の姉である由宇と神原は同じ境遇の者なので、その妹であるなつみを邪険に扱うわけにはいかなかった。
下手に邪険にすると、余計に酷いことになりそうで怖かったというのもある。
ツンケンした態度を取られると、彼女のような世話焼きは放っておけないはず。そうなると結果、距離が縮まってしまう。
変な想いが芽生えなければいいが、万が一そうなってしまうと面倒だ。
だからそうなる前に神原も必死に対処はしているのだが、それがどこまで有効なのかは分からない。
どの程度までなら大丈夫かなつみで試したいが、結果が怖い。難しい顔をして考えていると、トントンと肩を叩かれた。
そのまま振り返れば、むにっと頬に指が食い込む。
気付けば並んで歩いていた沢井が何故か後方へと移動していた。
彼は初歩的な悪戯に引っかかった友人を見て笑うと手を離して隣に並ぶ。
「なんで?」
「何となく?」
「人で遊んでるの?」
「その通りだ。俺は君で遊んでるんだよ直人クン」
気さくで付き合いやすく、こんな自分でも未だに友達でいてくれる沢井の事を神原は未だに良く分かっていない。
ゲームをプレイしていい奴だとは思っていたが、それ以上に彼は社交的で顔が広かった。
その性格から色々な人たちに好かれているというのもよく分かる。
そんな沢井に気に入られる理由が思い当たらない神原だったが、沢井に言われた事を思い出して変な顔をしてしまった。
前に言われた事がある、反応が面白いから一緒にいて楽しい、と。
それと、甘い物が好きでも笑って馬鹿にしたりしない上に、甘味を一緒に食べたいという自分に嫌な顔せず付き合ってくれるからだとも言っていた。
確かに格好つけたい年頃の男子高校生が、おおっぴらに甘い物が好きだと言うには勇気がいるなと神原は沢井の横顔を見る。
「でさーその時の顔がスゲーの。こんなんなってさ」
「また盛ってる?」
「盛ってねーし!」
そう言えば彼からオススメの甘味処はないかと聞かれた時に、勧めた場所があったのはいつもと違うパターンだ。
いつもならば思い当たらないと答えて彼とどこが良いか探るところから始まるのだから。
できるだけ学校から遠い場所で目立たないけど美味しい場所。
そんな我儘な条件に当てはまるような店を必死に探す姿を見ながら、制服で行くから駄目なのではと神原は思う。
思い切ってそれを聞けば真顔で「学校帰りに寄るから美味さも倍なんだろうが」と答えられてしまって、何も言えなくなってしまった。
知っている店に行ってみようかと提案したのは、病院での予期せぬ出会いがあったせいだろうか。
神原は甘い物が大好物というわけではない。
けれど、自分が持つ記憶の情報を活用し行く店を提案しただけで、キラキラした目で見つめられてしまった。
おまけに「同士よ!」とまで言われ、沢井に固い握手をされてしまう。
気圧されながら甘味に対する沢井の情熱を知った神原は、今までとは違う新鮮な気持ちになったのを覚えている。
いつも前世の事やこれまでの事を思い出すのは、手遅れになってからばかりだった。
もう少し早ければ違っていたかもしれないのにと悔やみながら、避けられない結末を迎えて次の回を迎える。
それが嫌で方法を変えてみた事もあったが、前世の記憶が最初からあっても何の役にも立たないと証明してしまう結果になった。
大好きな作品で、どこをどうすればいいかなんて細かく覚えているはずなのにどれも彼の思い通りにはいかない。
どこかで誰かに笑われているような幻覚さえ見るようになって、とうとう学校に行くことすら耐えがたい苦痛になった。
そんな時でも沢井は懲りずに家を訪れて心配してくれたんだったな、と思い出した彼は小さく笑う。
「何だよ。ルンルン気分の俺がそんなに馬鹿みたいか?」
「違うよ。さわ……成洋、と友達で良かったなと思って」
呼び方を名字から名前に変えただけなのに、変に恥ずかしい。
自分はずっと一人だと思っていた神原は、こんな身近に自分を心配してくれていた友人がいた事にやっと気付いた。
彼はどの回でも神原に積極的に声をかけて友達になってくれた。
悩みがあれば親身になって聞き、好きな人ができたと言えば自分の事のように喜んでくれる。
繰り返される絶望ばかりに身を浸してそんな事も忘れていた、と神原は照れを隠すように早足になった。
軽く目を見開いた沢井だったが、すぐに笑みを浮かべるとそんな“ダチ”を追いかける。
「そう言えばさ、直人クンてA組の羽藤さんとよく喋るよな。なになにー? もしかしてもう恋の花咲かせちゃった?」
「違うよ。彼女のお姉さんと知り合いだから、何かと気にかけてくれるだけだよ」
「えぇ、それだけ?」
「それだけだよ。別にそんなんじゃないし、羽藤さんにも失礼だからやめなよ、そういうの」
沢井が変な事を言わないようにと神原は彼を軽く睨みつけて注意した。つまらなそうに唇を尖らせた沢井はふとある事に気付いて首を傾げる。
「お姉さんとは病院で会ったって言ってたよな?」
「……うん」
「まったく、入学前に浮かれて階段から落ちるとかお前もぼんやりし過ぎだよなぁ」
「恥ずかしいからそれはもう言わないでよ」
入学前で沢井と会う前の出来事だったから、そう詳しく話さなくとも良いと思っていた。
だが、彼の話術にはまるようにして神原は何故入院する事になったのかをつい話してしまったのだ。
言ってからしまったと思ってきつく口止めもした。それでもまだ心配だったのだが、見た目と違って真面目な性格の沢井は他言せずにいるらしい。
意外だと思わず呟いた時の事を思い出して神原は視線を下げた。
自分の失礼な発言にも、慣れてるから平気だと笑って答えてくれた沢井の顔を思い出して、自分も彼に恥じぬような友達になりたいと思う。
「で? で?」
「え?」
「お姉さんて美人さん? どんな感じ?」
「普通のお姉さんだよ。とびきり美人だとか、可愛いとかじゃないけど気さくで面倒見が良さそうな人、かな」
「へー」
心の中で由宇に謝りながら神原は自分が彼女に対して感じた事を言葉にする。
自分に姉がいたらあんな感じなのだろうかと思い、神原は苦笑した。
今はもう自分にとっては姉のような存在ではないか、と。
「へー見てみたいなぁ。気になるわ」
「気にするなよ」
「いや、直人が世話になったんだろうしダチとしてはお礼を言っておかないとだなぁ」
「そんな事言って、単に好奇心だろ?」
「まぁな」
否定せずあっさりと肯定した沢井は何が楽しいのか、からからと笑う。
悪戯っ子のような表情をして勝手に想像を膨らませる沢井に、神原は溜息をつくと静かに告げた。
「フォルトゥナの店員さんだよ」




