初詣ルート4 上司と部下(魔王様)
トイレから出た私は、思わず中に戻ろうとして足を止める。
石柱の近くで腕を組み待ち人が出てくるのを待っていたのだろうその人は、逃げようとしていた私を真っ直ぐに見つめて優しく笑みを浮かべると手招きをした。
近くにいた女性が「きゃあ」と黄色い声を上げてはしゃぐので、尚更行きたくない。
「お待たせしてすみません」
「いや、それほど待ってはいないよ」
「それで……他の人達は?」
「あぁ。時雄がなつみ嬢を見つけたとかで急に駆け出してしまってね。心配してゴーチェとミシェルが追いかけて行ったんだ。直人は可愛らしいお嬢さんに詰め寄られて逃げて行ってしまったよ。榎本君は面白そうだからとついていったみたいだね」
一体何をしているんだろう。
とりあえず、客人である魔王様を放ってどこかへ行ってしまった兄さんの非礼を詫びる。
魔王様は気にしていないと笑い、逆に兄さんの事を心配してくれた。
兄さんはゴッさんとミシェルの二人がいれば大丈夫だろう。
「そのお嬢さんは攻略対象でしょうか?」
「あぁ、直人か。フフフ、恋する乙女はどこにでもいるものさ」
「え?」
「後で合流した時に聞いてみるといい」
くつくつと低い声で笑う魔王様はとても楽しそうで、神原君の身が心配になった。
榎本君が彼を助けてくれればいいが、そんな事はしないだろう。
それにしても、可愛らしいお嬢さんとは一体誰の事だろう。神原君に詰め寄るくらいだから、積極的な子に違いない。
どんな子なのか気になるが、神原君の様子を想像すると教えてくれない気がした。
「大丈夫ですかね」
「心配ないさ。フラグを立ててしまった直人が悪い」
「……酷いですね。止めてあげれば良かったのに」
「私は恋する乙女の味方だよ。可愛らしいお嬢さんを見れば、誰でも応援したくなるというものだ」
「そんな事言ってると、神原君に仕事してもらえなくなりますよ?」
「あぁ、それは困るね。その時は由宇に頑張ってもらおう」
私を過労死させる気ですか、と冷たい声で告げれば驚いた表情をした魔王様が謝る。それすらも演技だと分かっている私は溜息をついてこれからどうしたものかと考えた。
幸い、参詣は終わっていたのでバラバラになってしまった兄さん達と合流すればいいだけだ。
「それじゃ、兄さんと連絡を取って集合場所に……」
「由宇、少し歩かないかい?」
「え……でも」
「時雄と待ち合わせの時間と場所は決めてある。それまでには時間があるから、ね?」
そう言われると逆らえないのは上司部下の関係を未だ引き摺っているからだろうか。慣れというものは本当に恐ろしいと思いつつ、首を傾げて私を見つめる魔王様に苦笑した。
紫水晶の目が優しく細められ、魔王様は嬉しそうに笑う。
「しょうがないですね。何か見たいものがあるんですか?」
「いや、特には。しかし、雰囲気を楽しむのもいいと思うけれどね。私と散歩するのは嫌かな?」
「そういうわけでは……」
お騒がせ夫婦がその力だけを残してこの世界から消えてから、魔王様は別人かと疑いたくなるくらいにはしゃいでいた。
レディの命令には忠実で、主である彼女には決して逆らわないのは今も変わらない。
けれど、目的の為なら手段を選ばず、ギンの娘である私を利用する事すら躊躇う事無かったこの人が浮かれている姿を見るのは複雑だった。
魔王とその幹部という夢の中での関係を未だ引き摺りながら、彼は私が魔王様と呼ぶ事を快く受け入れてくれている。
それもこれも、全ては私の感情を制御して手駒として利用し、レディの負担を少しでも軽減するためかと思えば納得がいった。
レディはそんな魔王様の行き過ぎたやり方を叱る事も多いが、この人は全く反省していないと思う。
「レディと一緒じゃなくて残念でしたね。調子が良かったら、彼女達も来ていたかもしれないのに」
「……」
「魔王様?」
「由宇、君もギンやインレのように私を使えないと罵りたいのかな?」
どうしてそう受け取るんだろうと思いながら私は眉を寄せ、呆れたように溜息をついた。
レディに忠実であるがあまり、ただのイエスマンと化した自覚はあるのかもしれない。
気づいたから直すのかと言えば、それはまた別の話になるんだろうが。
「自覚してらっしゃるなら、いいんじゃないですか? そんなに心配なら、さっさとお戻りになられればよろしいかと思いますが」
「それは無理だよ。今の私は邪魔者扱いされてしまっているからね。戻っても、主大好きな黒うさぎに噛みつかれるだけだ」
その光景を想像しながら、実際見てみたいと思ってしまった私は酷いのだろう。
じっと私を見つめてくる魔王様の視線に気づいて笑って誤魔化すと、魔王様も笑顔になった。
目だけは笑っていないので怖いが、知らないふりをする。
「噛み付かれる程度でしょぼくれてるなら、さっさと帰ってくださいよ。正月早々辛気臭くて嫌です」
「由宇は冷たいね。私がこんなに繊細な心を痛めているというのに、優しく慰めるどころか塩を塗りたくるなんて……」
「演技はいいですから。早く集合場所に行きましょう」
「あ、面倒くさいって思ったね」
このまま魔王様と散歩なんてしていたら、こんな調子でずっと愚痴を聞かされるはめになりそうだ。
レディに対する思いや、同僚であるギンに対しての不満、そしてレディの一部でもある黒うさぎことインレフリスとの関係。
いつもと変わりない愚痴なら他所でやってくれ、と心の中で呟いた。
「私は本当に君と散歩がしたかったのに。帰れだの、辛気臭いだの言われるなんて……ショックだよ」
「仕方がないです。私の魔王様は亡くなったんですから」
「え?」
「強大な力を持って、他の荒くれ共を笑顔で従えながらも穏やかで丁寧。部下に対しても物腰柔らかで気遣いを忘れない。奥様に甘く、お茶目で、頼れる素敵なおじ様の魔王様は死んだんです」
私が勝手に描いた理想なので、鼻で笑われるのは分っている。
例えあの魔王様が演技だったとしても、私はその魔王様に強く惹かれた。
この人の下で戦えるなら、周囲から馬鹿にされ辛い目にあっても耐えられる。
力を磨いて少しでもお役に立とうと思っていた、夢世界での死霊術師。
「……随分と、夢見がちだね」
「そういうお年頃なんです」
「好き……だった?」
「そうですね。奥様がいなかったら、愛人の一人にでもなってみたいなとは思いましたけど」
それも今は遠い夢の出来事だ。
終わった事だと笑いながら魔王様を見上げれば、魔王様は少し驚いた表情をして顔を逸らしてしまった。
こんな小娘に恋愛感情を向けられた事があったと知って、不快になったのかもしれない。
これからの仕事でギスギスしなければいいけれど。
「それは惜しい事をしたな。実際私には妻も恋人もいないわけだからね」
「あはは。今更悔やんでも遅いですよ」
「ああ……本当に」
妻も恋人も必要ないだろうと言えば、魔王様は眉間に皺を寄せて私を軽く睨んだ。
主人であるレディさえいれば良い、と前に言っていた魔王様だ。それ以外の特別な存在が欲しいとは思えなかった。
そもそも、そういう相手を欲する前に興味が無いようにしか見えない。
ギンも魔王様は適当に遊んでいるだろうが、面倒な存在を作ろうとする男じゃないと言っていた。
「恋人が出来てその人が妻になるかもしれないでしょう?」
「……え、レディとそんな関係を望んでるんですか?」
「由宇、本気で怒るよ。レディは主人であって守るべき存在だ。恋愛とはまた違う、家族愛のようなものだと何度言えば君はっ!」
「すみません。魔王様の頭の中は、レディの事ばかりなので」
もちろん私だって本気で魔王様がレディと恋仲になりたがっているとは思わない。レディは魔王様の上司であり、魔王様にとってレディは敬い従うべき存在だ。
彼女が死ねと言えば喜んでそれを実行するだろう魔王様は、不機嫌な顔をしながら私を見つめていた。
「そんなに私はレディの事ばかり言っているかな?」
「ええ。自覚が無いのは重症ですね」
「……分かった。では、由宇の事を教えてくれないかな?」
「は?」
話の流れでどうしてそうなるのかが分からない。
首を傾げ間の抜けた声を上げる私に歩調を合わせながら、魔王様は笑顔で大きく頷いた。
「いや、私の事と言われても……情報なら言わずとも」
「もちろん。君の事は詳細まで全て把握しているよ。生年月日、家族構成、好き嫌いに性格。交友関係に至るまで、全てね」
「分かってはいましたけど、そうやって口に出されると嫌な気分になりますね」
「おや、不快かな?」
「普通は嬉しいと思わないですよ」
得意気に私の事なら何でも知っていると告げた魔王様は、引いた様子の私に気づいて首を傾げる。
綺麗に整えられていた黒髪が少し乱れているのに気づき手を伸ばすと、面食らったような顔をするのが意外だった。
髪が乱れていたからと手提げバッグからコンパクトを取り出し渡す。
鏡を見て眉を寄せた魔王様は、一つに束ねていた髪を解いてゴムを口に咥えた。
「……っと、ありがとう由宇」
「いいえ。相変わらずの長髪ですね」
「髪は色々有用だからね。伸ばしておいて損は無いよ」
私の髪は肩甲骨あたりまで伸ばされているが、それ以上伸ばした事は無い。幼い頃はもっと長かったかもしれないが、結局この長さに落ち着いてしまう。
私も魔王様やミシェルのようにもっと伸ばしてみようかなと、綺麗にセットされた髪を触った。
「さて、由宇の事を聞こうかな」
「だから教える事なんて何もありませんよ」
「それじゃあ、私が君にいくつか質問をしても?」
「ええ、いいですよ」
答えられる範囲でならお答えします、と目を輝かせる魔王様に数歩引く。
いい大人がこれだけ嬉しそうな顔をするとは想像していなかった。
何を聞かれるんだろうかと怖くなる。
「今君に気になる人はいるのかな? 好みのタイプは? 年上が好きらしいけれど、私は君の対象内なんだろうか」
「え? えっ!?」
「直人や稔はいいとして、ゴーチェとは随分仲が良いようだけど付き合ってるのかい?」
どうして色恋に関する事ばかりなんだろう。
一体何を知りたいんだ、と思いながら私は呼吸を整えて一つずつ丁寧に答えていった。
「恋愛として気になる人は特にいません。好みのタイプはその時によって変化します。そうですね、年上が好きですが魔王様なら対象内じゃないかと。ゴーチェとは主従以外の関係はありませんよ」
「……そうか、主従関係のみか」
「ええ。何を期待していらっしゃるのか知りませんが」
きっと今後の仕事に関わることだろう。そう思う事にしておこう。
大体、魔王様が私の恋愛事情を把握して何をしようというのか。
外側から固めて、本格的に私が管理者達の雑務から抜け出せなくなるように?
いやいや、魔王様ならそんな回りくどい事はしないだろう。
「交際経験は?」
「中学の頃に一度……って何なんですか!」
「それで、その相手とは?」
「魔王様!」
「いいから。これは非常に重要な事だ」
真剣な表情で腕を組む魔王様の眼光は、仕事の時のように鋭い。低く耳を打つ声に背筋を伸ばしながら眉を寄せていれば、魔王様が更に眉を寄せた。
ビリビリと肌を刺すような雰囲気に冷や汗が出る。
「それっきりですが」
「本当に?」
「はい。彼は転校してしまって、連絡も全くとってませんし」
どんな名前かと聞かれて思わず教えてしまったけれど、詰め寄られ至近距離で魔王様に見つめられたら嫌とは言えない。
そう、だから私は悪くない。
名前を聞いてどうするのかと思えば、魔王様は顎に手を当て空を見つめながらぶつぶつと呟いている。
魔王様から視線を外しつつ魔王様の独り言に意識を集中させた。
「……そうなると、なるほど。という事は……」
「……」
「分かった」
「はっ?」
「ありがとう、由宇。お陰で色々と分かりました。元カレは転校先で無事彼女ができたようだね。再会して火がつくと面倒なので恐らくもうそのままだろうな」
「え?」
にっこりと綺麗な笑みで告げられた言葉に私は顔を引き攣らせながら笑う。
鼻歌を歌いながら上機嫌になった魔王様はいいけれど、私の心労が酷い。
魔王様も兄さんを追いかけていってくれれば良かったのにと思いながら、晴れ晴れとした空を見上げた。
このままでは私の胃が溶けるかもしれない。
「魔王様、そろそろ集合場所に……」
「あぁ、由宇。御守がありますよ。買いませんか?」
「は、はぁ」
「色違いのお揃いにしましょうね。すみません、お願いします」
良く通る声で手にした御守を購入する魔王様を止める事はできない。
疲れたからもう何も考えずに魔王様の好きなようにさせていよう。
「はい、由宇の分です。私が勝手に買ったので御代はいりませんよ? ふふふ、お揃いですね」
「そうですね」
これと同じ物を持っている人があとどのくらいいるのか。
そんな事を考えてしまう私とは違い、魔王様は嬉しそうに笑っていた。
もしかして魔王様は誰かとこうしてお揃いのものを持ちたかったんだろうか。
自分とは違う人間という生き物に興味を持ち、人がする事を真似してみたいのかもしれない。
ふと気づけば、私達と同じように色違いの御守を購入して笑みを浮かべているカップルの姿が見えた。
「明日のお参りも一緒に行って良いですか?」
「えっ!?」




