初詣ルート3 一方通行の原因 (榎本と神原)
沈黙が重い。
列に並んでいる途中でトイレに行った私が戻ってくると、その場所には榎本君と神原君の姿しかなかった。
神原君の肩にはいつものようにギンが止まっており、私を見て「ポッポー」と声を上げる。
「え? 二人だけ?」
「それが、参拝するまで時間かかりそうだからってどっかに行っちゃったんだよね」
「はい。進みが速いので、もうそろそろ合流しないとお参りできないんですけど」
その場にいない人達の事を頭に浮かべながら、いい大人なのに我慢できないとは情けないと呟いた。
二人は苦笑すると彼らをフォローするような事を言う。
「ゴーチェさんも、ミシェルさんも、目に映る物が新鮮で興奮するんだと思います」
「そうだね。魔王様もはしゃいでたみたいだから」
「となると、三人と兄さんが一緒なのね。心労で禿げなきゃいいけど……」
どこかでくしゃみをしているだろう兄さんの心配をしていれば、スマホの震える音が聞えた。手提げバッグの中から取り出して見れば兄さんからのメール。
人が多過ぎる上に注目を集めてしまって大変らしい。先に熊手や御守を買っているから、私達はそのまま参拝してくるようにと書かれていた。
「お兄さんからですか?」
「うん。何か、マネージャーみたいな事になってる」
「あははは。外国人三人のマネか。お兄さんも大変だなぁ」
「写真撮影とか、丁寧に断ってるみたいだけど勝手に撮られたりして大変だって」
「うわぁ」
許可無く撮られた写真を魔王様がそのままにしておくとも考え難い。
きっと、そのデータだけ細工するんだろうなと思いながら溜息をついた。
皆でここを訪れた時にも好奇の視線が向けられているのには気づいたが、もしかしたらその時にも撮られたかもしれない。
ネットに乗って呟かれたりしたら最悪だなと思っていると、左隣にいる神原君の肩でくつろいでいたギンが小声で安心しろと呟いた。
「非常識な輩には、それ相応のランクで対処してある。お前の顔が世間に広まる事は無いから大丈夫だ」
「その位してもらわないと不愉快ですよね。僕もそういう人達は嫌いです」
「おや、撮られた事があるんだ? 神原君は」
「ええ……何回か。許可無く僕を映すと白飛びしたりするので、恐怖してる人もいるみたいですけど」
静かに怒る神原君を見ながらギンがけしからん、とばかりに胸を逸らす。ばさり、と軽くはばたけば後ろに並んでいた男性が目を丸くして彼を見つめていた。
「ほ、本物だ」
「とりさん! ほんとの、とりさんだ!」
「こら、駄目だよ。見てるだけだからね」
私と視線が合った男性は苦笑しながら頭を下げる。私も興奮する少女に視線を移しながら笑みを浮かべて会釈をした。
小さな手をギンに伸ばそうとする少女だが、父親らしい男性に怒られて眉を下げる。
うっかり平地で昼寝をしていた際に、子供達に囲まれ毛を毟られそうになった覚えのあるギンは素早く神原君の肩から胸元へと移動した。
彼の両腕に支えられ、落ち着いたギンは前に並んでいる若い男性と暫し見つめ合い「グルッポ」と低い声で鳴く。
青い顔をした男性は慌てて正面を向き、小さく震えていたのでそれに気づいた彼女らしい人が不思議そうに首を傾げていた。
「モテモテなのかな?」
「違いますよ! その、彼女達が何故だか僕に集まってくるので、妬んだ人達が晒してやろうとでも思ったんじゃないですかね」
「え、神原君は男子生徒の妬みを買ってるのかい?」
「一部ですよ。自分の想いが通じないからと言って、僕に当たられても困ります」
相当不機嫌な様子の神原君は目を鋭くさせて唇を噛んでいた。
何とか普通の生活が送れるようになっても、彼は学校で色々と大変な事になっているらしい。
私とは患者仲間という事でなつみから話しは聞いているが、魅力的な女の子達にアプローチされているなんて妬まれて当然だ。
神原君がもっと、榎本君や彼の弟のように美形で太刀打ちできない相手ならばそういう事はないんだろう。
「分ってますよ。どうせ僕が冴えない普通の生徒だからだって事くらい」
「まぁまぁ。あ、じゃあ初詣のお誘いもたくさんあったんじゃないの? 悪い事したかな?」
「由宇さん。煽ってますか?」
鋭い視線を向けられて背筋が寒くなる。
思わず姿勢を正しててしまった私に顔を逸らして笑っているのは右隣にいる榎本君だ。
口に手を当てて必死に笑いを堪えているようだが、バレバレである。
「ごめん。羨ましいなって、思ったからつい」
「そうですか? 実際この立場になってみると、面倒ですよ。平穏に学校生活を終えたあの頃がどれだけ幸せなのかが分ります」
「そりゃ勿体無い。あんなに憧れていたのに?」
「遠くで眺めている距離だから良かったんでしょうね」
華ちゃんとはあれからも仲の良い友達として接しているとギンから聞いたが、彼を取り巻く女子の勢力図にも色々変化があったようだ。
神原君に一番近いのが華ちゃんだというのは相変わらずらしいが、一番が駄目ならば二番三番でもいいからと水面下での争いが繰り広げられているらしい。
はっきりと彼女達に年上が好みだと告げた神原君だが、離れるどころか燃える女子の勢いに圧倒される日々だと言っていたのを思い出す。
「うーん。偽でもいいから、彼女を作ってしまうとか? だったら少しは落ち着くんじゃないの?」
「無理でしょうね。僕の心情を理解してくれているのは、成洋と桜井さんくらいですから。桜井さんには申し訳ないですけど、その……他の女子を防ぐ為の盾として一緒にいてもらったり……最悪ですね、僕は」
「あぁ、でも華ちゃんがそれを理解して了承してるなら、いいんじゃないのかな?」
「そうだね。入学したと同時に学校のマドンナと呼ばれた彼女なら、君の気持ちが痛いくらいに分かるだろうし」
優しくて困っている人を放っておけない性格の華ちゃんだから、きっと神原君の力になりたいと思っているだろう。
一生懸命神原君を支える華ちゃんの様子を想像していたら、思わず口元が緩んでしまいそうになったので慌てて眉間に力を入れる。
溜息をついて、抱えたギンを見つめた神原君は「見てるだけが良かったです」と呟いて顔を上げた。
「神原君には悪いけど、私は掠りもしない立場で良かったわ。最初の頃は主人公に憧れてたけどね」
「はぁ。憧れるものじゃないですよ? 本当に」
「でも、そのお陰で私は随分と助けられたけどね」
「主人公補正は本当に強力だね。いくら混じり合った世界だとは言え、運が誰よりも強くて魅力値も高いとは」
それだけ聞くと羨ましく思えるが、目の前の神原君を見ていると主人公にならなくて良かったと思う。
しかし、そうなるともう一人の主人公である愛ちゃんはどうなんだろうか。
複数の人物からアプローチを受けて困っているなんて聞いた事が無い。
今日も年始のあいさつをメールで交わしたが、これから榎本君の弟と一緒に初詣に行くと言っていた。
デートだと冷やかせば、そういうものじゃないと怒ってしまったが。
そんな事を思い出しながら無事に参拝を終えた私達は、空いているベンチに腰掛けて休憩する事にした。
「愛ちゃんは神原君みたいな状況にはなっていないのよね。彼女にも補正はかかってるはずなんだけど」
「あぁ、あのもう一人の主人公ですか」
「そう」
「神原君と彼女の違いは、世界の真実に気づいているか否かだけどね」
のんびりとした口調でココアを飲みながらそう告げた榎本君だが、私と神原君は顔を見合わせて首を傾げた。
神原君の膝の上で大人しく座っているギンは、途絶える事の無い人の列を眺めながら溜息をつく。
「直人も今や、管理者に近い立場になったからな。本能的にそれを察知して狙ってんのかもしれねぇぞ」
「あぁ、本能なら仕方ないわ」
「少しでも強く上質な相手を求めるのは自然だからね」
榎本君の言うように、それが自然な事だとしてもまだ高校生の彼らがそんな事を考えて行動するだろうか。
いくら本能だとしても見えない何かに操られているようで気持ちが悪い。
変な顔をしてしまう私に苦笑した彼は「基本的に男よりも女の方が回数は限られているからね」と言った。
何を言いたいのかは大体分かるが、そんな事を言われても神原君が困るだけだろう。
「それは、分りますけど。僕にも僕の意思がありますし」
「ちゃんと断っているんだろう?」
「もちろんですよ! 曖昧に流したりなんてしてません。丁寧にはっきりお断りしています」
「相手を傷つけるのは嫌だと思っても、なあなあになるよりはマシだからな」
誰にでも気があるように見えて、たくさんの女の子に囲まれた状態を維持する。
世の男が羨みそうな状況だが神原君はそういうものは見ているだけでいいのだと言う。
私だったらどう思うかと聞かれてしまって、たくさんの男に囲まれた自分を想像した私はぶるりと身を震わせた。
想像しただけで寒気がするとはどういう事か。
「耐えられないわね。無理だわ。気楽な一人万歳……」
「でしょ? そうなんですよ。地雷をどうやって回避するかで精一杯で、桜井さんと成洋がいなかったら発狂してました」
「転校とか、考えないのかな?」
「できればしたくないです。僕ばかり目立ったようにモテてしまうのは異常だって、騒いでいる人もいますけど……学校自体に不満は無いので」
ギンによればこれでも抑えられた方らしい。
彼に助けてもらった記憶はすっかり忘れているが、さよみちゃんと志保ちゃんが華ちゃんに次いで彼に群がろうとする女子を遠ざけてくれていると言った。
最初は笑いながら聞いていた私と榎本君も、自分達の想像を遥かに超えるような状況に顔を引き攣らせてしまう。
「そんなに、酷いんだ」
「一度見に来てくださいよ。女性恐怖症になりそうです……」
「攻略対象だけじゃなく、一般生徒からも好意を寄せられてるからな」
「神原君の事だから頼まれたら嫌とは言えなそうだし、そういう所を相手に利用されているんじゃないのかい?」
「それは否定できません。けど、クラスの男子達は今ではもう僕に同情的ですよ」
ははは、と笑う彼に覇気が無い。
どれだけ凄い生活を送っているのか気になったが、群がる女子の中になつみがいないのだけが救いだ。
クラスが離れていて、あまり接点が無いのが吉と出たのだろうか。
「キャッキャウフフじゃなくて、サバイバルなのね」
「……興味あるね。本能を剥き出しにした女子高生同士による、熱いバトル……か」
「二人とも、いい加減にしてもらわないと僕だって怒りますよ?」
「ごめんごめん」
「あぁ、そうだ! いい機会だから、羽藤さんに教えてもらうといいよ」
ポンと手を打った榎本君が私を見つめてそう提案する。
そんな事を言われても何を教えればいいのか私にはさっぱり分からない。
神原君の膝の上にいるギンだけが分かったかのように「あぁ」と苦笑した。
「私が教えられるような事なんて無いんですけど」
「いや、あるよ。羽藤さんの完璧で誰も穿つ事ができない、スルースキル」
「はぁ?」
「あ、確かに。由宇さん、僕にそのスキルを教えてください!」
スルースキルを教えればいいと言われても、そんな大層なスキルを持っていただろうか。
自信満々に頷く榎本君とギンが嘘を言っているようには見えないので、持っているんだろう。
身を乗り出しながら期待に満ちた瞳を向けてくる神原君に、無理だと言って断るのも可哀想な気がした。
「うーん。自覚が無いから言われるほど凄いとも思わないんだけど……」
「いえ、由宇さんのスルースキルは他の誰も真似できないほど強固な守りです。素晴らしいと思います」
「うん。僕もそう思う」
「俺も前から思ってた」
これは困った。
スルースキルのコツ、スルースキルのコツ、と呟きながら首を傾げた私は一つの事に思い当たる。
「スルースキルと関係あるかは分からないけど、恋愛の順位が低いせいで色々シャットダウンしてるかもしれないかな?」
「順位が低い?」
「うん。今優先すべきは歪みの修正で、次に管理者の雑用でしょう? それから大学の勉強と、家族と友達と、バイトとって思ってて恋愛事は見てるだけで充分なのよね。だから、常に下になってる」
「で、でも、その……好意を寄せてる人だっているかもしれないじゃないですか。アプローチされる事だってあるかもしれないじゃないですか」
ゲームをすれば画面越しで現実ではあり得ないような恋愛が出来る。
砂を吐くような甘さだったり、胸が張り裂けそうな悲恋だったりと望みのものを、望むままに。
「もしかしたら、そんな人もいたかもしれないけど恋愛という二文字を最初から排除して接してるから気づかないと思うわ」
「えっ?」
「くははは、羽藤さんらしいよね。どんなに魅力的な異性を前にしても、揺らぐ事は無い。最初から恋愛対象として見てはいないからね」
意識して対象から外しているわけではない。
他に優先する事が多いから自然とそうなってしまうだけだ。
目を大きく開いてぽかんとした表情をする神原君に、全く参考にならなくてごめんと謝れば逆に謝られてしまった。
「ほら、死亡エンドループばかりだったでしょ? 恋愛事は死亡フラグの引き金になりやすかったから、自然と避けるようになったのかも」
「あぁ……そうでしたね」
「いきなり真似するのは難しいだろうから、暫く羽藤さんを観察してたらいいんじゃないかな?」
「えっ?」
私が神原君に観察されてしまうとは、何だか恥ずかしい。
ぱぁと顔を輝かせた彼は、私の反応を見て視線を下げてしまった。
「いや、まぁ……大した事ないと思うけど、それで分かるかもしれないなら」
「え、いいんですか!?」
「う、うん。でも、期待はしないでね。私自身良く分かってないから」
「はいっ!」
大きく頷いた神原君はじっと私の顔を見つめてスルースキルを見につける気満々の様子だった。それを提案した榎本君は私達のやり取りが面白いのか、口に手を当てながら笑っている。
しかし、二人と一羽に言われるくらい酷いスルースキルを持っていると思うとちょっと切ない。
どうやればそのスルースキルを緩められるんだろうかと考えていればギンと目が合った。
「俺は今のままでいいと思うぞ?」
「まぁ、神原君みたいなのはごめんだけど。あったかもしれない出会いを自ら遮断してたとしたら、もったいないなぁと思って」
「そんなの今更だよね? 気づくのはいつも終わってから、だよ?」
「僕も、由宇さんは今のままでいいと思います」
小さく息を吐くギンに唸っていると、神原君が慰めてくれる。
榎本君は相変わらず私をからかって遊んでいるので参考にはならない。彼は本当に何を考えているのか分からなくて困る。
私の害になるような事はしないと、前に言っていたような気がするが気のせいだったか。
「そう? それなら、今のままでいるわ」
「はい。是非」
「うんうん。分るのは僕らだけで充分。だよね、神原君?」
「……そうですね」
自分の弟とはまた違ったタイプの神原君をからかって遊ぶ榎本君。それがいつもの光景で、いざとなればちゃんと息を合わせて連撃する彼らがこうして仲良くしているのが意外だ。
私の知らない何かを共有しているように見えて、羨ましい。
女の私は仲間外れかと一人心の中で拗ねているとギンが難しい顔をしていた。
「何はともあれ、二人とも今年もよろしくお願いします」
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「よろしく。今年も僕は痒い所に手が届くようなサポートを心がけるからね。頼ってくれていいよ」
丁寧に頭を下げて返してくれる神原君に対して榎本君は軽い。爽やかな笑顔でウインクなんてされても乾いた笑いしか出ない私の乙女らしさは一体どこへいったのか。
これが駄目なのか、と思いながら苦笑していると兄さんから電話がかかってきた。
「うわ、のんびりし過ぎた。兄さんが禿げちゃう!」
「あ……そう言えば予定していた集合時間過ぎてますね」
「まぁ、いいんじゃない? お兄さんには悪いけど」
電話の向こうで何をしているのかと悲痛な声で尋ねる兄さんを宥めながら、私は二人と並んで歩き出す。
階段を下りようとすれば同時に両脇から手を差し出され、笑ってしまう。
顔を見合わせた二人の手に自分の手を重ねた私はお姫様気分で集合場所へと向かった。




