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選択肢が拗ねました  作者: esora
本編
198/206

197 そしてせかいは

 思い浮かべるのはあの家族のこと。

 どこへ行くのか分からないのに、迷う心配をしていないことに苦笑して目を開く。


「便利なもんだなぁ」


 こんな事をしているから、お人よしだとゴッさんにまで言われる。

 そう思いながら私は左手に乗っているクラーの頭を撫でた。

 目の前には巨大な鉱石のような物が二つ、寄り添うように並んで立っている。

 クリスタルを思わせるようなその物体を見上げながら、私は二つの間で泣いているレディに声をかけた。


「いつまで泣いてるの? ボヤボヤしてる場合じゃないでしょ」

「っく……なんで、由宇さんが?」

「散歩」


 素っ気無くそう返して、見事なものだと私は再び巨大な塊を見つめた。

 雰囲気から察するに、向って左が神パパで右が神ママというところだろうか。

 ずっと続いていた地鳴りが静かになったところを見るに、魔王様が言った通り進行を遅らせることくらいはできているようだ。

 私達を裏切る事なく、こうして自らの命を賭して結晶化したところを見るに彼らなりに責任を取ったのだろう。

 だからと言って許せるかと聞かれれば否定するけど。

 結局こうなるなら、最初からしておけと心の中だけで愚痴り溜息をついた。


「ここまでのぼりつめると、こんな巨大な結晶になれるのね」

「それはこの二人が規格外だからじゃ。大抵のものはただ死ぬのみ。こんな上質な結晶にはなれん」


 私の頭上でそう答えるのはオジジだ。

 イナバと一緒にいたはずの彼がどうして私の頭上にいるのか分からないが、最初からワケの分からないものなのでしょうがないと思うことにした。

 どうせ問いつめたところではぐらかされるに決まっている。


「でも、書いてあった通りとはね」

「ふふん」


 オジジが蔵書している本に載っていた通りだと呟きながら、私は二つの巨大な結晶を見つめた。

 人の域を超え、神と呼ばれる地位に達した者でもなれる確率は非常に低いとされる結晶化。

 器である肉体をを魂に溶かし純粋な力と化すと言われる現象。

 私もこうして実際に目にするまでは眉唾で、作り話だろうとばかり思っていた。

 条件がそれこそ奇跡的に揃わなければ無理とさえ言われている現象が、こうして目の前に二つも存在する。

 こんなの奇跡でもなんでもない。

 結晶を蹴り倒したくなる衝動を抑えると、何故か笑えてきた。

 涙目で私を見上げているレディが変な顔をしたのが分かる。


「ホント、最後の最後にいい事したからこれでチャラとか。やっすいなぁ……はぁ」

「憎しみであれなんであれ、二人の事を覚えている限り二人が存在していたという何よりの証明じゃの」

「証明したからって何なのよ。割に合わないことばっかで嫌になるわ。これが愛ちゃんだったら違ったのかなぁ」

「そうじゃな。バッドエンドでこういう展開にはならなかったじゃろうな」

「じゃ、これでいいわ」


 愛ちゃんがこんな目に遭わないなら、という理由で自分を無理やり納得させて溜息をついた。

 突然オジジが本を吐き出したので、それを慌てて受け取り無造作に開く。

 また面倒ごとかと思いつつ、指示されたページを探していると鼻を鳴らしながらレディが立ち上がった。


「由宇さんは、何をしにここに来たんですか? そもそも、ここは……」

「世界の中核。全ての始まりにして、終わりの地?」

「……由宇さん?」


 小さくか細い声で私の名前を呼んだレディが何か怖いものでも見たかのように、二つの結晶にくっつく。

 幼子が親の背後に隠れるようなその動作が、見た目年齢そのものに見えて私は笑いながらページを捲った。

 世界を管理しているリトルレディともあろう者が、どうしてそう怯えるんだろう。

 そう思ったが、他の管理者も知らないようなことを私が口にしたから当然かと苦笑した。


「オジジが蔵書している本に色々書いてあるのよこれが。信じてなかったから適当に流し読みしてたんだけどさ、ここまで詳しいとなるとね。利用しない手はないじゃない?」

「本に……」


 世界は崩壊を続けている。

 失敗するのが目に見えているなら、何をしても構わないだろうと思っている自分の頬を軽く抓った。

 諦めるためにここに来たんじゃない。

 そう思って私はオジジを軽く叩いた。もう一冊本を吐き出したオジジをレディは不思議そうな表情で見ている。


「はい、これ」

「え、あ……はい」


 分厚い本を受け取ったレディは、「丁寧に扱うんじゃぞ」と頭上でうるさいオジジに頷く。

 その場に座ってゆっくりと本を労わるように優しい手つきで扱うレディを、オジジは素晴らしいと褒め称えた。

 反対に私は全くなっていないと説教が始まる。もっと敬意を表して丁寧に扱え、と頭を叩かれながら怒られるのがうるさい。

 私なりに丁寧に扱っているつもりなんですけどね、と笑顔で言いながら閉じた本の角でトントンと軽く掌を叩いた。

 何故かガタガタ、と震えだすオジジにその本を返して次の本を受け取る。


「どうじゃ?」

「うん。多分、何とかなると思う」


 パラパラ、とページを捲りながら眉を寄せる私にオジジは楽しそうな声で尋ねる。

 こんな状況を楽しんでいるなんて非常識だと言えば、常識に当てはまらないから問題ないと返された。

 確かにその存在自体が非常識だ。


「ほぉ……お前さんにしては珍しく前向き発言じゃな!」

今の私(・・・)だからね」


 ふわふわ、と宙を漂って大結晶の周囲を飛んでいたクラーは暇になったのか、食い入るように本を読んでいるレディの元へと移動する。

 物凄い速度で本を読み進めていく彼女に、クラーはカタカタと歯を揺らして注意を引こうとしたが無理だったようだ。

 ちらり、と私を見上げたのが視界の隅に映ったので、邪魔したら駄目と告げるとつまらなそうに転がった。


「……偉大なる賢者(マスタービブリオン)。噂には聞いていましたが、まさか実在するなんて」

「ホッホッホ。なぁに、ワシはただの古びた本棚じゃ」

「何、有名人だったの?」

「世界の終わりが近づくとどこからともなくやってきて、消滅と共にまた消え去ると言われています」

「うわ、趣味悪い」


 見つけたら幸福じゃなくて不幸だ。

 オジジがいたら、それは世界の終わりを意味する。

 まるでオジジが世界に終わりを運んでいるみたいだなぁと思うと、察したらしいオジジが頭上で慌て始めた。

 

「違う! ワシは良い子の本棚じゃ!」

「へー」


 不幸の象徴か、と呟けば必死に自分は違うと怒り始める。

 あまりにもうるさいので読んでいた本をオジジに押し付けるようにして返した。

 レディも読み終わったのか、冴えない表情をして本を抱えている。


「私が、あの時迷わなかったら……」

「そんな事言ってたらキリないわよ。さて、やりますか」

「そうじゃのう」

「……途中で消えたりしたら、許さないわよ。どこまでも、探し出してやる」

「ふぉおお……怖いのぉ、怖いのぉ」


 そんなのは無理だと思っているのか、オジジはふざけた口調でパタパタと小さく暴れる。

 本気なんだけどなと静かに呟けば、オジジの動きが止まった。

 少し上を向くと覗き込むようにしたオジジと目が合う。

 にっこりと綺麗な笑みを浮かべた私に、引き攣った表情をしたオジジが小刻みに震え始めた。

 そんな様子を見ていたレディが、何か言いたそうに私を見ている。


「どうやってここまで来れたか? 来れる気がしたから」

「そんな適当な!」

「適当でもないわよ。切り札は私の手の内にあるし、まだ奥の手も使ってないもの」

「え?」


 自分達の生殺与奪を握っているとまで神パパに言われ、苦々しい表情をされてしまった切り札をポケットから出してレディに見せる。

 すると、大きく目を見開いた彼女が驚いた様子でカードを凝視した。

 どうやら見覚えがあるようだ。


「そ、それどうしたんですか!?」

「雫が、父親から私に渡すようにって頼まれたんだってさ。元々は中身の無い封筒だったんだけどね、気づいたらカードになってた」

「え、他世界の由宇さんのお父さんは、ええと、パパ?」

「そう。この世界では大学教授。雫の世界では彼女の養父。神夫婦の世界では研究者の亀島幸俊よ」


 これが何の役に立つのかはさっぱり分からないが、御守がわりに持っていて良かったと思う。

 お陰で神夫婦の攻撃はほとんど無効にできて随分と優位に立てた。

 それでも世界の崩壊までは食い止められなかったが。


「それ、私がパパから御守だって持たされて……でも、最初に二人と対峙した後で気づいたら無かったやつです」

「え、じゃあ元々は神パパの? うわぁ、だったら良い様に使われたって訳ですか」

「それは、マスターキーなんです。内部世界と外部世界を制御する為の。とても複雑なプロテクトがかかっていて、所有権は私から……変わってませんね。おかしいな。他の人の手に渡ると消えちゃうって言ってたのに」


 真価を発揮するのはカードの所有者がそれを手にした時だけらしい。

 薄っぺらくてそんな凄い物には到底見えないが、レディの持ち物なら返すべきだろう。私が持っていても使えないし。

 あぁ、もしかして神パパは私がこのカードを所有しているのを知っていたから生殺与奪だとか言ったのかな。

 こんなカードで彼らを倒せるなんて到底思えないが、あの時はこれだけが頼りだった。

 これさえ持っていれば元とはいえ神にさえ抵抗できると心強かったのは事実。

 今思えば、それすら彼の術中だったような気がしてならない。

 何のため?

 こうやって、私が本来の所有者であるレディの元に返すためか。


「レディ。それで何とかできる?」

「やってみます……」


 渡されたカードを見つめていたレディは覗き込むように身を乗り出したオジジに笑って、そのカードを大切に胸元へと押し当てた。

 小さく発光してレディの体の中へ吸い込まれるように消えたカードに、彼女は微笑を浮かべる。

 懐かしくて、温かい。

 そう呟いたレディの声と感情に呼応するよう、大結晶が淡く色を変えた。

 見る角度によって色を変える大結晶はそのものが生き物のように感じるから不思議だ。見た目はただの結晶でしかないのに、そこに神夫婦がいるかのように思える。

 彼らの意識も魂も何れは結晶に溶けて消えてなくなってしまうだろう。

 そっと結晶の表面に触れると温かく、脳裏に神パパの姿が浮かんだ。

 彼は満足そうに微笑んでいたのでまだ笑ってる場合じゃないんですけど、と心の中で呟けば「あ、そっか」なんて軽く返される。

 本当に、どこまでも能天気だ。


「あ、レディ。先に言っておくけど貴方は結晶化できないわよ。分かっているとは思うけど」

「わ、分かってます。でも、やってみます!」

「いや無理だって」

「確かに私はまだ不完全ですけど、でもやれます! 躊躇してる暇なんて無いんです!」


 私は管理者だから。

 罪深き夫婦の娘だから。

 世界を歪めて継ぎ接ぎにしてしまった責任を取らなくちゃいけない。

 そんなレディの心の声が聞こえてくるような気がして私はゆっくりと息を吐く。

 確かに完全に世界を元に戻すには心血を結晶化して神夫婦と同調し、世界を再構築させるしか手は無い。

 決意を新たにしたレディの瞳は力強い光を放っており、私は「だから無理だって」と呟きながら伸ばしていた手を止めた。

 オジジに世界の状況を尋ねると、神原君たちが必死に繋ぎ止めているから崩壊速度は低下しているが油断はできないとのことだ。


「……なんで? 何で私、こんなに役に立てないの?」

「はいはいはい。満足しましたかね、お嬢様。満足したね? もう、いいね?」

「何で? 何ででしょう?」


 宣言通り結晶化しようと意識を集中させて二つの大結晶の中心部に移動したレディは、カードの力も得て不足した力を補えると考えたのだろう。

 足元から少しずつ結晶へと変化していったのは束の間で、すぐに元に戻ってしまった。

 涙目でしゃくり上げるレディに近づいた私は、しゃがむと早口でそう尋ねる。

 唇を噛み締めながら、涙を拭った彼女は悔しそうに私を見つめてギュッと拳を握り締めた。

 私はその手をそっと取ると、優しく包み込む。

 小さくて、羨ましいくらいすべらかな肌。温かくて、ぷにぷにしている。


「何か忘れている事は? リトルレディ」

「わすれてること?」

「奥の手は、私」

「由宇さん?」


 そう、私。

 どうしてすぐに気づかないのかと苦笑しながら、私は少しずつレディと同調してゆく。オジジが頭上から補助してくれているお陰で、初めてにしてはわりとスムーズにできたと思う。

 ハッとした表情をするレディに微笑めば、彼女は大きく何度も頷いた。


「そっか、由宇さんだ」

「そうでした。残念ながら力だけを渡すわけには……いや、それでもいいか。私の中には貴方と魔王様の力の欠片が溶けているから、このままどちらも取っていいわよ?」

「何言ってるんですか! そんな事したら……」

「私は消えるわね」


 跡形もなく、神夫婦のように結晶化する事もなく。

 存在そのものが、欠片も残さず消え失せてしまうが惜しいとか言っている場合じゃない。

 まぁ、正直嫌だし惜しいに決まっているが不思議と心は凪いでいた。

 こんなエンディングもたまにはいいだろう。


「嫌です。絶対に嫌です」

「お前さんの消滅エンドはレディによって潰されたというわけじゃな」

「ははは。それは残念」


 レディと手を繋いで彼女の力の流れを感じ取る。

 残念ながら、同調したとしても私が何かできるわけではない。

 後のことはレディにやってもらわなくては。

 やり方は全て彼女が知っているとオジジが言っていた事を信じて、優しい瞳で私を見つめる彼女に大きく頷いた。

 私の力をレディの方へ少しずつ流し、レディから同じ量の力が注ぎ込まれる。

 緩やかに循環してゆく力は温かくて気持ちが良い。

 視界が白けてきたと思えば、私とレディが淡く発光していた。

 いくつもの光の粒が足元から生まれ、上へとのぼってゆく。


 キィンと綺麗な音を立てて大結晶が色鮮やかに輝いたのを見た私は、そのまま白い光の洪水に呑まれた。

 繋いだ手だけは暖かく、柔らかいまま。






 ふと、目を開ける。

 見慣れた天井に溜息をついて、またこのパターンかと脱力してしまった。

 気配に驚き隣を見れば、何故か榎本君が椅子に座ってリンゴを剥いている。

 私が起きたことに気づいた彼は甲斐甲斐しく上体を起こすのを手伝って、カーディガンを羽織らせてくれた。


「……あれから、どのくらい経ったんだっけ?」

「もうそろそろ一ヶ月だよ」

「起きる度に同じ事ばかりだな」

「仕方ないわ。寝ると毎回同じ夢ばかり見るんだもの」


 個室部屋なので余程うるさく騒がない限り、他人の目を気にする事は無い。

 相部屋じゃないのがちょっと寂しかったが祖父母の強い勧めとなればしょうがないだろう。

 常連さんだね、なんて和泉先生に冗談で言われた時には背筋がゾクリとした。曖昧に笑って返しておいたが、彼がまた担当医だとは私は呪われているのかもしれない。

 ベランダから入ってくる風に息を吐きながら、ちょこんとレディの膝の上にいるギンを軽く睨む。

 私の右手を握っているレディは窘めるようにギンの名前を呼ぶが、彼はフンとそっぽを向いてしまった。

 その表情がどことなく泣きそうに見えたので、私は内心で苦笑する。随分と心配してくれていたのは知っているから、怒る気にはならない。


「母さんは?」

「買い物に行ったよ。僕に留守を任せてくれなんて、信用されてる証拠だよね!」

「ほんと、取り入るのは上手いよね」

「どうもありがとう。まぁ、君と仲が良い親戚の女の子を連れてきた大学の友達ってことだけど。はい、うさぎさんできたよー」


 にこにこと笑顔で綺麗にできたうさぎリンゴを見せてくる榎本君に、私とギンは揃って溜息をついた。

 レディはその様子を微笑ましげに見ている。


「今日は直人も来るらしいからな。賑やかになるぞ」

「病院で賑やかって言うのもねぇ」

「それより……その、昨日来たあいつは誰だ?」

「ん? あぁ、松永さんと東風さん?」

「へぇ。昨日松永君来たんだ」


 そう。どうやらモモから話を聞いたらしくわざわざお見舞いを持って来てくれたのだ。

 仕事が半日で休みだった兄さんは始終笑顔だったが、その笑顔に松永さんが気圧されていたのは今思い出しても申し訳ない気持ちになる。

 東風さんは慣れた様子でいつものように話しかけてくれたけれど。

 あの二人が帰ってから、母さんとなつみが来るまで兄さんは凄く機嫌が悪かった。

 別にいいと思うんだけど。

 浮いた話が無いよりは、あったほうが安心すると思うし。

 

「うん。モモが教えちゃったらしくて。兄さんが機嫌悪くなったからモモには今、見舞い禁止令出してるの」

「あらら。それはそれは」

「というか、ギン。それを知ってるってことは見てたんだ?」

「たっ、たまたま通りかかったんだよ」

「監視?」

「駄目だよギン。仕事は山のようにたくさんあるんだからね! それに、由宇さんの迷惑になるから駄目っ!」


 もっと言ってやってください。

 ムッと眉を寄せて膝に乗せているギンを叱るレディに私は何度も頷きながら、リンゴを食べた。

 未だに実感は無いが、世界の再構築は成功しループは消えた。

 本当に消えたかどうかは来年にやってくる五月五日を越えるまで分からないが、多分大丈夫だろう。

 管理者達は事後処理と新しい世界の管理運営にてんてこ舞いらしい。

 その代表でもあるレディが暢気にこんな所にいていいのかと尋ねれば彼女は笑顔で答えた。


「最優先事項だから。いいんです」

「完治した暁には、私も神原君と同じように管理者の手足として働かせられるのか……」

「自ら望んだくせに良く言うぜ」

「ですねぇ」


 ギンの言葉に頷いて私は笑う。

 頬を撫でる風に夏の匂いを感じて、窓へ目をやると気持ちがいい青空が広がっている。

 夏休みだというのにほとんど病院だね、と呟く榎本君に勘弁して欲しいわと笑いながら返した。

 そう告げながらこんな状況も悪くはないと、初めて入院した事を嬉しいと思ってしまう。ほんの少しだけ、だけど。

 もしかして病院でキャッキャウフフな恋愛模様が起きるかもしれない。


「あ、駄目だ」

「どうしたの、羽藤さん?」

「ううん」


 いや、それは恐ろしい未来が待っているような気がしたからだめだ。

 元に戻って、ループも消えた今ならそんな負の状況になんてならないよねと自分を元気付ける。

 ふと、顔を上げて何となく出入り口の方を見れば、少しだけ開いたドアからギョロリとした目がこちらを凝視していた。

 一瞬びっくりしたが、あの目と雰囲気は間違いなく兄さんだ。

 榎本君を凝視しているようだけど、今日のターゲットは彼なのか。

 何度も会ってるのにどうして敵対視するのか。

 父親がいないからといって、やりすぎだ。

 

「羽藤さん?」

「ごめん榎本君。兄さん、迷惑かけてるでしょ?」

「ん? ああ。心配ないよ。ああいう人のあしらい方は慣れてるから」


 それは何となく、納得してしまう。

 兄さんの気配を先に感じていたらしいギンはレディのカバンの中から顔だけを出していた。

 笑う榎本君に状況が悪化しなければいいけれどと不安になる。ネガティブな事を考えるのはよそう、と笑ってみたが廊下から聞き慣れた声がして身を竦める。


「おっと、その前にイベント発生?」

「え、殴られたいの? 榎本君」

「大丈夫だよ羽藤さん。そんな怖い顔しなくても」


 兄さんと、和泉先生が鉢合わせた最悪の状況がやってくるのに笑ってられるか。

 どうか室内まで笑顔の応酬を持ち込みませんようにと祈りながら、私は心配そうに背を撫でてくれる榎本君を睨みつけた。

 世界は何事もなかったかのように続くのと同じで、私の災難もこれから続いていくらしい。

 胃の辺りを擦りながら、恋愛は暫く画面越しで充分ですと私は大きく頷いた。







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