196 滅びの歌
腹が立つ。
苛々する。
綺麗な終わり方なんて許さないと思っていた。
出会ったら、ぶちのめしてやると思っていた。
どれだけ自分が苦労したのか。
彼らのせいで犠牲になったものがどれだけあるのか。
苛烈な程に痛めつけて葬り去れば、すっきりするだろうとそれを支えにしていた時もあった。
少し落ち着いた今でも、元凶の彼らが結局幸せになるなんて許せないという狭量な私がいる。
あまりにも酷い顔をしていたせいか、神原君に「仕方ないですよ」とまで言われてしまう始末。
仕方なくなんてない。
そんな言葉で簡単に終わらせてしまえるほどの経験しかしてこなかったのか?
神原君だって想いを寄せるヒロインが次々に死んでしまったじゃないかと愚痴れば、ギンにループするから死んだわけじゃないだろと言われる。
違う。そうじゃない。
ループするからいいとか、そういう事じゃない。
「マスター。そういうお前が一番、彼らを許していると思うのだがな」
「別に許してない」
「由宇ちゃん……」
ガキのように拗ねてむくれているのは自覚している。
けれど、どうしようもない。
胸に渦巻くモヤモヤは、神夫婦を滅多打ちにした所でスカッとするわけでもないし、彼らを許したところで治まることもない。
苦くて吐き出したい薬を飲む時の様に、鼻を詰まんで呑んでしまうしかないのだ。
「うあああああっ!!」
急に大声を上げて叫んだ私は、ふぅと息を吐いて深呼吸を繰り返す。
こんな程度ではすっきりなんてしないのは分かっているが、何もしないで愚痴っているだけよりはましだった。
「じゃあ、僕も。ああああああっ!!」
私の隣に立って、腹の底から大声で叫んだのは神原君だ。やり場の無い気持ちを大声に出して発散していることが分かったんだろう。
驚いた顔をして彼を見れば、叫び終わってすっきりしたらしい彼と目が合う。
どちらからともなく笑い合って、神原君は「主人公も楽じゃないですよね」と肩を竦めた。
その肩に止まったギンが、大きく羽根を広げて私と神原君を包み込むようにすると何故か泣き出してしまう。
「お前らはぁ、っ、本当に、いい子だっ!」
「ギン、羽かゆい」
「鼻がムズムズする」
感極まっているギンに対して私と神原君は冷めている。
でも神原君はどこか嬉しそうに笑って、雄たけびを上げるように泣くギンを優しく撫でていた。
こうして見ると、本当に彼らはいい相棒だ。
「で、どうすんの?」
「切り替え早いな」
「崩壊してる最中だっていうのに、のんびりもしてられないでしょ。何も出来なかったら皆仲良く消滅なんだし」
あれ? それはそれで、いいのか?
誰か特定の人物だけ残ってしまうという悲しみよりは、知らないうちに皆一斉に消えてしまう方がいいのかもしれない。
何も知りたくなかった見たくなかったと頭を抱えて喚いていた私は、もう遠い過去のようだ。
あれほど望んでいた状況が得られるかもしれないというのに、それでは嫌だと思う。
提示される選択肢は面白くないものしか無くて、もっとセンスのあるものは無いのかと選択肢に喧嘩を売ってみる。
とは言っても心の中で好きなことを言っているだけだ。口に出さなければ平気だろうという強気からか、目の前を軽く手で払うだけで消えてしまった選択肢に溜息をついた。
「それについては私達が責任をもって何とかするよー」
「当然よね」
「同情してくれた方が私達にとっては、大ダメージなんだけどねぇ」
「それは担当が別なので」
「えっ?」
血に塗れた右手を軽く振っていると、高橋さんがハンカチを渡してくれる。あまり無茶をするものじゃないわと咎められたが、たまにはいいかと思ってと返せば笑ってくれた。
神ママの体内から取り除いたティアドロップの塊は、そのままクラーの口の中に突っ込む。
もぐもぐと咀嚼する彼の頭を撫でながら、神パパの手当てにより呼吸が落ち着いた神ママを見る。
白かった髪は灰色へ変わり、病的な白さだった肌にも色がついていった。
ティアドロップを取り除いただけでここまで変わるとは、と驚く反面生き延びるなんて中々しぶといと思わず唸ってしまう。
私としては殺すつもりなど全く無かったが、ティアドロップを取り除いた結果どうなるのかは分からなかった。
万が一そのせいで神ママが死んでしまっても、それはそれでしょうがない。その程度の感情で私は彼女の体を貫いたのだ。
裏世界の高校で、くろうさに指示された時を思い出して、何となくその感覚でやったと言えばインレフリスとイナバは揃って口を大きく開けていた。
「ぼ、僕ですか? え? え、いや、まぁ……レディ含めあなた方がした事は許せませんけど、世界が元に戻るならチャラにしてやってもいいかなと。いや、全然たりませんけどね」
ははは、と笑みを浮かべながらさらりと毒を吐く神原君に彼の肩に乗っていたギンが「まぁな」と頷く。
榎本君は神原君の言葉を聞いてプッと吹き出し、ゴッさんは呆れたように「あれが勇者とはなぁ」と呟いていた。
許せない中に一応管理者であるギンも入っているんだけど、との言葉にギンは相棒である事を強く訴えかけて自分だけは許してもらおうとしている。
今まで数々の困難を共に乗り越えてきた仲じゃないかと、嘘くさい涙と共に語るギンを見つめていた神原君は「ハマムマッハシ」と笑顔で呪文を唱えていた。
何故だろう。
その呪文を聞けば聞くほど、涎が出てきてお腹が空いてくる。
「責任を持ってって、どうすんのよ。カミサマでも無理でしょ」
「奥の手があるからね。奥の手は最後までとっておくものだよ」
切り札はタイミングを見極めて使用しなければ無駄になるけど、とわざわざ私を見つめてウインクまで飛ばしてくれた神パパは相変わらず緊張感が無い。
教授もああなる可能性があるんだろうかと、視線を移せば目が合った。
私が何か言う前に教授はブンブンと首を横に振る。
考えている事が分かってしまったらしいが、最近の私は培った演技力が低下しているせいですぐに気持ちを悟られてしまう。
油断しているのか面倒なのか、と考えて恐らく後者だろうなと一人納得した。
「だったらさっさとお願いします。もたもたしてる暇ないんでしょ?」
「おっと、そうだね」
「レディが全力で世界を支えてくださっていますから、すぐに崩壊する事は無いでしょうが時間を遅らせるのみでしょうね」
今すぐにこの世界が消えてもおかしくないんだろうと苛々しながら言うと、魔王様が優しく丁寧にそう教えてくれた。
レディを見れば、彼女は罰が悪そうに俯いてスカートをぎゅっと握り締めている。
そんな事されるとまるで私が悪いことをしているような気がしてしまう。
「神ママが、消えた?」
「あぁ、心配ないよ。先に送っただけだから」
神パパに抱きかかえられていた神ママの姿が光の粒になって消えてゆく。
やっぱり消滅かと思わず視線を逸らした私に、神原君の驚いた声が聞こえた。
なんでもない事のように笑う神パパに違和感を覚える。
仮にも最愛の妻が消えたというのにどうしてそんなに笑えるんだろう。
それに、先に送るとは一体どこにだ。
「もしかして、ここまで来て逃げるつもりですか?」
「かもねー」
希望を持たせて放置。
彼らならあり得る。
うんうん、と何度も頷きながら私は焦る神原君に同意した。レディが、それはないと告げるが彼女の言葉ですら今は怪しい。
神と一緒にいるだけに怪しさは倍増なのも分かる。
この世界を大切に思ってくれているのはレディの本心だろうが、実の両親でないとは言え見捨てられない情も残っているんだろう。
そんなレディだからこそ、ギンは協力しようと決めたんだろうがこの現状で許すわけにはいかない。
大鎌の柄を強く握り締めた神原君が近づいていけば、へらりと笑って神パパとレディがその場から消え失せた。
ガクン、と大きく揺れる領域に私は慌ててゴッさんにしがみ付く。
「魔王様!」
「大丈夫ですよ、この後に及んで嘘をつくほど彼らも馬鹿ではありません」
「でも消えたんですよ? 家族三人消えて、残されたのは僕たちだけです。嵌められたじゃないですか!」
「落ち着け直人。神はともかくとして、レディがこの世界を見殺しにするのだけはあり得ない」
同じ管理者だからそう肩を持つのか。
小さく呟かれた声はギンのみに届くはずだったのだろう。
困った表情をして相棒を見つめるギンに、探し出して追うべきだと歯軋りをする神原君。
私も魔王様やギンが言ったようにレディがこの世界を放ってどこかへ行くのはあり得ないと思う。
インレフリスもレディはそんな事をするような人じゃないと呟くが、確証が持てないのか不安そうな顔をしている。
そして神がこの世界を放置して他世界に逃げるというのも、恐らく無いだろう。
神ママをどこへ送ったのかは知らないが、今の彼らに残されている力は少ないはず。
そんな状態で他の世界に移動できるわけがない。
「信じて助かるのを待つか。世界と共に果てるか。中々出来ない体験だ」
「教授!」
「インレ、世界の設定を出してみろ。何もしないよりはマシだ」
「……分かりました」
ギンに叱咤されたインレフリスがハッとして現在の世界の状況を画面に映し出す。
内世界と外世界の境界が少しずつ壊れていっているのが映し出される映像と、波形で分かる。
何とかそれを食い止めようと必死に画面を操作しているインレフリスの表情は真剣そのものだ。
「駄目です……ここまで激しく侵食し合っては、手の施しようがないです」
悔しそうにそう呟きながらもインレフリスの手は止まらない。何か方法は無いかとインレフリスの近くに神原君とギンが駆け寄った。
ふと、私は視線に気づいてそちらの方向を見る。
首を傾げた高橋さんが、何か含むように私を見つめてどう思うかと尋ねてきた。
貴方なら何か分かっているんじゃないの? とその目が言っているようで私はドキッとする。
思い当たることはあるが、確証がない事は言いたくない。
世界が滅んでいるような状況で、勘ですなんて馬鹿にするのも大概にしろと誰だって思うだろう。
けれど、胸に引っかかるものは消えそうにもなかった。
「恐らく神たちが世界を支える柱になって、崩壊を食い止めるつもりでしょうが難しいですね」
「神たちが? どうやってですか?」
「それは、神の力があれば崩壊を食い止める程度ならば可能だからですよ」
「神に作られた貴方だからこそ分かるとでも?」
「ええ。方法は不明ですが、自分達の力を全て放出すればできるでしょうね」
封印されて能力が低下しているといっても神は神だということか。
訝しげに魔王様を見る神原君に、魔王様はいつもの調子で穏やかにそう告げた。
そのやり取りを榎本君と教授は頷きながら聞いている。
「レディがいても、食い止める程度の事しかできないんですか?」
「ええ、いてもです。確かに、レディも柱になればより磐石でしょうね。柱は多いに越したことはありません」
世界を支える柱と魔王様は言っているが、人柱にしか聞こえないのは気のせいだろうか。
能天気にしか見えないあの神パパが、責任を取って世界を支える柱となり崩壊を防ぐようにはとても思えないけれど。
「あの二人はレディを柱にはしたくないでしょうから。レディも自ら柱になって、ギリギリどうかな? ってところですかね」
「二人と言っても、神ママはもう……」
「いいえ、神パパの様子から神ママは完全に消えたわけではありませんよ」
腕を組みながら遠くを見るようにそう言った魔王様に私達は首を傾げた。
まるで見てきたように言うもんだな、と訝しげな神原君の目が言っている。
しかし、魔王様の言葉を信じなければ神パパ一人で頑張ってもらうしかなくなる。
「まぁ、予想ですからね。本当は消滅していて、結局神パパ一人なのかもしれませんが」
「おいナナシ、お前笑ってる場合じゃねーだろ。最悪、レディだって」
「分かっていますよ。しかし、それが彼女の望みならば私に止める権利なんてありません」
「お前……」
元々世界は一つだった。
そこを歪められ、戻ろうとした世界は戻れず継ぎ接ぎの状態になった。
そのままで世界を存続させるのは不可能だったので、各領域が生まれる。
そして今、バランスを取っていた二つの世界が引き合って一つになろうとしている。
引き合った原因は?
神による世界への干渉だろう。
自分たちで起こした出来事だから、当然元に戻せるだろうと考えるのが普通。
しかし、一度押してしまったボタンを元に戻すことが出来ないのと同じで、彼らは自分たちでさえ制御不能な状況を引き起こしてしまった。
恐らくレディを加えた三人でなら、再び理想の世界を創ることが可能だと考えたんだろう。
けれどレディはそれを拒絶し、神ママは歌った。
世界を呪う、滅びの歌を。
「まだ、確定はしてない」
「そうです! そう簡単にエンディング決められたらたまったものじゃないですよ!」
「でも、どうするつもりなんですか?」
インレフリスの後方にいた神原君が振り返ってこちらを見る。
どうやら私の話はしっかりと聞いていたらしい。
何でとか、どうして、と私の言葉に対する説明を求めないのはそんな余裕もないからか。
「手詰まりですよ。もう、ルートは確定してどうしようもない。そうでしょう?」
「神原君、貴方の選択肢には何て出てる?」
「選択肢……っ!」
眉を寄せた神原君が視線を彷徨わせて、顔を引き攣らせ息を呑む。
その様子だけでどんな選択が提示されたのか想像するに易い。
本当に何の役にも立たない選択肢だ。それを目安に行動しろと言われてもふざけるなと怒鳴りたいレベル。
いや、作ったスタッフを恨んでも恨み足りないだろうかと思ったところで、その中の一人にギンがいた事を思い出した。
ゲームでのシステムは世界に溶け合い独自の進化を遂げる。
世界運行を邪魔するでもなく、オマケ程度のものから実際の登場人物が生身の人間として存在することまで様々だ。
「喧嘩、売られてるんですかね? 自殺するか、皆殺しにして生き残るかだそうですよ」
「わぁ! 流石は主人公。一人だけ生き残る術は残ってるんだ」
「貴方のって事は由宇さんにも?」
「あぁ、私はさっき壊したから。ノイズ音が暫くうるさかったけど、今はもう消えたわ」
ウイルスに感染したかのように、ネガティブな表示しかしない選択肢なんて必要ない。
選択肢通りに行動しなければならなければペナルティがつくわけでもなく、どちらかの行動しか取れないように制御されているわけでもない。
選択肢を表示するだけで害は無いとは言え、あんなのが何かの度に現れていたら精神的に有害だ。
「さてと、じゃちょっと行ってくるわ」
「え、どこにですか?」
「ちょっとそこまで」
世界を救いに行ってくるなんて、大それた事は言えない。
それにそんなセリフは神原君のような人物にこそ、合う言葉だ。
第一、大口を叩いておいて結局無理でしたなんてなった場合には、非常に格好悪いだろう。
「イナバ、留守番よろしくね」
「……はいっ! いってらっしゃーい」
いつものように告げる私に、一瞬戸惑いを見せたイナバだったがすぐに笑顔で大きく頷いてくれる。
力強く手を振るイナバを見て、私は目を伏せた。




