195 執念の果て
「何これ」
「何と言われてもな……。あやして、いるんだろう」
その場にいた全員がすぐに飛びかかれる準備をしていたというのに、神パパが取った行動は意外すぎるもので脱力してしまった。
いつの間にか隣に居た高橋さんなんて、片手で顔を覆って深い溜息だ。
ほとんどの人物がポカンと口を開け、渦中のレディですら唖然とした表情をしている。
そんな中、魔王様だけは穏やかな表情でその光景を見つめ、どこか懐かしそうに目を細めていた。
しかし油断はできない。
インレフリスを吹っ飛ばしたのは、こちらの反応を見るためなのかそれとも他に何かあるのか。
「ははは、大きくなったなぁ本当に」
「……私、もうそんな子供じゃありません。離してください」
「そんな事言わないで、ね?」
レディを軽々と抱え上げた神パパは、てっきりそのままレディを人質に取るかと思っていた。
しかし彼は「たかいたかーい」と楽しそうに笑いながらレディを持ち上げている。嬉しそうな神パパとは正反対に、レディは眉を寄せ軽蔑した様子で彼を見下ろしていた。
「本当に、鬱陶しいので」
「ひどいっ!」
「関係ない俺まで心が抉られるように痛むんだが」
「……日頃の行いじゃない?」
俯きながらぽつりと呟かれた言葉に、神パパは目を見開いてグスグスと鼻を鳴らしていた。
全く関係ないはずのギンの呟きに神原君が淡々と答える。
羨ましいやり取りだなと思いながら、ふと私は昔を思い出していた。
幼い頃の記憶に父親の姿はほとんどない。
だからこそいない事も平気だと思っていたが、オジジが言っていた事を思い出して眉を寄せる。
流石にいなくなってから暫くは、父親がいないことを不思議がって泣いていたらしい。
全く覚えていないが、父親が行方不明になる前は私もあんなことをしてもらっていたんだろうかと疑問に思った。
覚えていないなら、されていないのも同じかなぁと思っていたら神パパはレディを抱えたまま素早く口を動かした。
「ん?」
「どうかしたのか?」
「んー。気のせいかも」
気のせいかと思ったが、一瞬レディの表情に陰りが落ちたような気がして私は彼らを凝視する。
もしかして、家族三人今までの責任を取って一緒に消えますとでも言うのだろうか。
彼らにとってはニセモノであれ、三人でいられる事に意義があるのだろうからそれはそれで幸せなのかもしれない。
だが、これだけの事をしでかしておいて、それで終わりというのは身勝手過ぎる。
最初から最後まで引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいて、身勝手なまま消えるというのも彼ららしいのかもしれないけれど。
けれど、そうやって消えられてしまったら私のやり場の無い怒りはどこへぶつければいいんだろう。
彼らによってもたらされた苦痛の経験や、果ての無いループに感じた絶望は誰が救って癒してくれるのだろう。
そのくらいは自分で何とかしてくれなんて、酷過ぎる。
まぁいいか、で済ませてしまうにはあまりにも割が合わなくて私は眼を鋭くさせた。
「都、もう……いいだろう?」
「……」
「終わりにしよう」
結界の中で横になっている妻に声をかけた神パパの声は、静かで優しい。諭すような響きに、高橋さんが不愉快だと呟いた声が聞こえた。
他世界とは言え、自分には変わりない。
名前を呼ばれただけでも、まるで自分が悪いことをしているように感じてしまうのかもしれなかった。
ちらり、と教授を見れば彼は大きく頷きながら目元を指で拭っていた。
親子のやり取りに感激したのか、それとも夫婦の姿に自分達を重ねたのかは分からないが泣くほどかと首を傾げてしまう。
「終わり? そうね、遊びはもう終わりにしましょう」
「そうじゃない。私達が、終わるんだ」
「私達が終わる? 何が終わるの? この世界? そうね、この世界はもう駄目だわ。耐久性も低下しているから、住むには適さない。やっぱり、安全な所じゃないと」
パキン、パキンと何かが割れるような音が響く。
周囲を見回せば神ママが捕らえられている半円状の透明な膜に亀裂が入っているのが見えた。
「教授!」
「無理に手を出せば危険だ」
「分かっていますが、しかし!」
飛び出そうとするのを堪えて榎本君が鋭く教授へ視線を向ける。
さっきまで涙ぐんでいた教授は表情を一変させて、苦虫を噛み潰したようにドームの中心を見つめる。
ぐるりとドームの周囲に立っている柱も負荷に耐えかねて今にも折れてしまいそうだ。
あれは結界か、と思いながら私はレディの名前を呼ぶ。
私の声に顔を上げた彼女は、神パパに抱えられたまま私を見つめて無言で首を横に振った。
「ちっ」
何も対処できない、という意味ではない。
何もするなという事だろうと私は舌打ちをする。
絶好のチャンスをみすみす逃すのか、と呟けば高橋さんは複雑な表情をしてレディを呼んだ。
その呼びかけにも彼女は首を横に振る。
「一緒に連れてきてしまったの? あなた」
「ああ。終わらせるためにね。私達はもう、終わらなければいけない」
「どうして?」
尋ねる声はきょとんとしていて本当にどうしてそんな事を言うのか分からないとでも言いた気だ。
演技をしているのかと神ママを観察しても、真意など読めるはずも無い。
厄介な存在だな、とゴッさんの呟きを耳にしながら私は次の行動を迷っている神原君たちを見た。
彼に受け止められたインレフリスは小さく震えながら真意の読めないレディを見つめている。
イナバは珍しく静かに神ママと神パパを交互に見比べているようだった。
「君の言った通り、この世界は崩壊の危機にある。いや、もう崩壊している途中だ」
「そうよ。だから、また新しい場所でやり直せば良いわ。今度は上手くいく」
「今回の反省点を生かして?」
「ええ、勿論。流石、他世界とは言えあなたなのね。頭の回転が速くて親近感が湧いちゃう」
くすくすと笑う声が不快で顔を歪める。
あっけなく崩れ落ちた結界を物ともせず、神ママはゆったりとした足取りでレディたちの元へ向っていった。
けれど、彼女が近づいてくる分だけ神パパは下がって行く。
三人が揃ってメデタシメデタシですか、と半ば自棄気味に心の中で悪態をついていた私は、その意外な行動に首を傾げた。
それは神ママも同じだったらしい。
「もう、他世界には渡れない。渡る力が無いのは、君も分かっているはずだ」
「大丈夫よ。ここにはこんなにたくさん、良質な利用できる力がある」
「それは私が認めません」
「あら、どうして? アキラだって、パパとママと一緒にいたいでしょう?」
「いいえ」
はっきりと、首を横に振りながら告げた拒絶。
笑みを浮かべて両手を軽く伸ばしていた神ママはレディの返事に首を傾げた。
綺麗だった目が暗く淀み、濁ってくる。
狂った、壊れた、どうしようもない。
そんな事を言っていた神パパを思い出して私はもう一度はっきりと拒絶の意を示すレディの声を聞いていた。
「どうして?」
「私はこの世界を守りたい。私のせいでこんな事になって、許してもらえるなんて思っていないけど」
「いいえ、いいえ。貴方は何も悪くないわ。それに、世界の代わりなら他にいくらでもあるのよ? 今度はどんな世界がいいかしら」
「都。この子はもうアキラじゃない」
「何を言っているの?」
哀れむような瞳でゆっくりと首を横に振る神パパは、大人びた表情をしてはっきりと自分の意思を伝える娘に小さく笑みを浮かべた。
子供の成長は本当に早いと呟いた声に、視界の隅でギンが僅かに反応したのが判った。
「私はリトルレディです。アキラでは、ありません」
「ふふふ。可愛らしいニックネームね。そうね、じゃあそう呼ぶことにしましょうか?」
「レディ。無理だよ……声なんてとうの昔から届かない」
彼女が得たいのは唯一つ。
自分がお腹を痛めて産んだ、愛する娘。
レディに固執するのは他世界での自分たち夫婦の娘だから。
けれど、限りなく本物に近いだけで本物じゃない。それは分かっていても、レディの中にアキラという娘の姿を見る事ができるから求めるのだろう。
神パパに大人しく抱えられたままのレディは眉を下げて唇を噛む。
「……あぶねっ!」
レディを見つめながら神ママはスッと手を振る。
それだけで大地が振動し、鋭い稲妻が無数に突き刺さる。
命中したら痺れてしまうなんて程度じゃ済まないそれらは、私達にぶつかる事なく全て床にぶつかった。
戸惑い動揺し、慌てた様子で振り返った神ママが、その場にいる一人一人を見つめてレディへと視線を戻す。
そうして、ゆっくりと再び私を見つめた。
ぴり、と肌に感じる僅かな痺れ。
腕から指先にかけてじんわりと温かくなってゆく感覚に、私は咄嗟に瞑った目を開けた。
私の突き出した右手から展開された防御膜を破ろうと、神ママが無表情で私を見つめている。
色々な属性の魔法を放ち、時には強力そうな武器を手に攻撃を仕掛けてくるが私の展開した防御膜には傷一つ付かなかった。
防御膜に跳ね返された魔法は、他の人たちに被害を及ぼす事なく消えてゆく。
「わお」
「術者のお前がそれだからな。まったく」
ティアドロップの力をどう扱えばいいのかは、私が良く知っているだろうと魔王様に言われたことを思い出す。
どういう意味だろうと思っていたが、こういう事らしい。
体の中の力の流れに逆らわず、思うがままに放出する。
感覚のみでの使用はどうかとも思ったが、教えてくれる人がいないんだからしょうがない。
「なんで! どうして!」
髪を逆立てて割れた爪も、血に染まる指先も気にせずに神ママは必死に防御膜を破ろうとしている。
破って何をするんだろう。
あんな形相をしてるくらいだから、私を殺したいんだろう。
今殺されたら、ループできるだろうか。
世界が崩壊している最中のこの状態で?
自問自答を繰り返しながら、私は鬼気迫る神ママの姿に自分の母親を重ねてみたがしっくりこない。
秀でた才能があると逆に大変ですね、と呟けば「私じゃないわよ!」とゴッさんを盾にするようにしている高橋さんに怒られた。
「降ろして! 離して!」
レディは神パパに抑えられたままもがいている。力を使おうにも邪魔をされて上手くいかないらしい。
神パパと目が合えば、彼はふっと笑みを浮かべた。
馬鹿にするようなものではなく、自嘲するようなそんな表情に見えて私はゴッさんの頭を軽く叩く。
無言で軽く私を見上げたゴッさんに頷けば、彼は丁寧に私を降ろしてくれた。
「ありがと」
「無理するな」
爪先が、床に触れた瞬間に淡い青の波紋が広がってゆく。
魔王様が降りるなと言った意味が分かった私は、こみ上げる笑いを噛み殺して血走った目で私を凝視する神ママを見つめた。
防御膜は私が手を下ろしても適度な距離を保って展開し続けている。
それすらも、頭のどこかで当然だと思いながら私は防御膜を彼女の目の前で解除した。
嬉しそうに笑うその顔は、とても美しくて恐ろしい。
けれど、背景を知った今となれば物悲しくも映る。
「あぁ、貴方を基に研究を重ねればきっとあの子が……そうよ、あの子だって」
大きく両手を振りかぶった神ママに、もどきと戦い方が似ているなと思いながら生温い感触に眉を寄せた。
離れた場所から私を呼ぶ声が聞こえるがそれに答えている暇は無い。
左手でクラーを抱えつつ右手を引き抜くと、ゴポリと音がして目の前の神ママが崩れ落ちた。
意図せず抱きしめられているような形になったなと思いながら私はあっけなく倒れてしまった神ママを見下ろし、その姿を綺麗だなと思ってしまう。
私も狂気に当てられてちょっとおかしくなってしまったのかもしれない。
白一色、瞳の色だけが元のままの神ママは胸部に鮮やかな赤い花を咲かせ白い床に倒れていた。
「あは、あははは! あははははっ!」
横向きだった体が仰向けになり、くぐもった笑い声が高らかなものになる。
血を吐きながら笑う姿は強烈に頭に焼きつくには充分で、私は赤に塗れた右手を降ろして彼女の横に膝をついた。
「都……」
「……うそ」
こうなる事を分かっていたかのように近づいてきた神パパは、漸くレディを降ろし荒い呼吸をしている神ママを静かに抱き起こす。
悪い夢を見ていたようだと呟く彼女に、大きく頷いてそれを肯定する神パパ。
「あなた方のその夢のせいで、酷い事になってるんですけどね」
「あぁ、そうね。そうだわ。許されない事をしたんだもの、当然よ」
「やっぱり、君がティアドロップの欠片を保有していたのか。いくら探しても見つからないわけだ」
綺麗に終わらせてなんてたまるか、とばかりに私が軽く睨みつければ神ママは憑き物が落ちたかのように穏やかな表情で笑う。
その瞳に狂気の色は見られない。
馬鹿な事をしたと何度呟いても、もう遅いと心の中で苛々する私の背中を高橋さんが慰めるように撫でてくれた。




