193 詰み
志を同じくしていたはずなのに、どこで違えたというのか。
最初から。
優しく笑う声がどこからか聞こえたような気がして、男は目を閉じた。
どうしてこうなってしまったのか。
全てはパンドラ鉱石が発掘された遺跡が悪いのかと思ったレディは、それは違うと頭を横に振って意識を集中させる。
倒す事が無理なら、もう片方を倒す前に封じ込めてしまうしかない。
もう片方を倒してしまえば残りもまた自動的に消えてしまう仕組みになっているとありがたいが、そうもいかないだろうと苦笑した。
彼女の隣では白い衣に身を包んだ青年が、肩に純白の羽を持つ鳩を止まらせて目の前の結界に手を翳している。
色々と思う事はあるだろうに、素直に従って協力してくれる彼には本当に感謝していた。
レディたちの後方では亀島と榎本が倒した化け物の残骸を使って何かをしている。
使える物は使う、と躊躇い無く答えた亀島の手によって作り出されたのは結界を補強する八つの柱だった。
何をするのかと神原が首を傾げる一方で、結界の中で横たわり眠ったように動かない神ママを見つめていたレディはその場をギンに任せて柱の元まで移動する。
重そうな柱を軽々と持ち上げ亀島の指示に従い床に打ち込んでゆく榎本は、最後の一本を打ち終えて額に手を翳した。
まるで、どこぞの環状列石のようである。
「ギン、しっかりね!」
「言われなくても分かってる」
立てられた柱に手を当ててどこの言語なのか分からない言葉を紡ぐレディ。
慣れた様子で全ての柱を回り終えると、神原とギンの元へと戻って彼女は両手を目の前の結界に翳した。
結界を包むように並んでいた柱が僅かに光を帯び、柱の表面に浮かび上がった紋様が淡く発光し始める。
離れた方が良いのかと移動しようとした神原に、ギンはそのまま結界に手を当てているようにと告げる。
自分も一緒に封印でもされてしまうような感覚になりながら、神原は呼吸を整えた。
「ふぅ」
「リラックスしていいぞ」
「無理言うなよ」
苦しみもせず、眠っているようにしか見えない神ママが目を覚ましたら自分は無事でいられるだろうか。
最初の攻撃を防げさえすれば、活路はあるかと頭の中でシミュレートしながら彼はレディの様子を窺う。
小さな少女にしか見えない彼女に、自分が驚くくらいの力があるのは前に説明されたので分かっていたつもりだった。
けれど、さっぱり分かっていなかったんだなと神原は苦笑する。
いきなり笑った彼に変な顔をするのはギンだ。
見た目の印象は随分と強く残るらしい、と彼に告げればギンは何となく分かったような声を上げて頷いた。
ぶつぶつと、「俺もそれに同情したクチなんだよなぁ」と遠い目をしている。
レディに後は仕上げだけだから離れても大丈夫と笑顔で言われた神原たちは、その言葉に甘えて亀島たちがいる場所まで移動した。
自分の背丈を有に越える程の柱を軽く叩いてみるが硬質な音が響いただけで、びくともしない。
もっとも、こんな所で倒れられても困るがと神原は不思議そうにその柱を見つめていた。
「敵の残骸を利用するなんて、凄いですね教授」
「いやぁ、初めて見たときから気になってたんだよね」
「消滅させないように破壊するの大変だったんですよ? 教授」
「分かってる、分かってるよ榎本君。君の頑張りには敬服している」
本当に分かっているのかな、と呟きながら溜息をつく榎本は軽く肩を竦めて視線をレディへ向けた。
一時的に封じ込めて動きを制限するとは言え、これだけ大掛かりなことをしなければ難しい。
「へぇ、すごいですね」
「僕も自分の優秀な才能には眩暈がしてしまうよ」
「は、はぁ」
領域ごと閉鎖する規模でないだけまだマシかと思いながら少女を見つめていた榎本は、亀島と神原が会話している声を聞きながら目を細めた。
教授はいつでもどこでも教授らしいと思わず笑ってしまう。
「バカ、取り込まれんぞ。さっさと戻って来い」
「……っ! バカじゃないもん!」
榎本が彼女に声をかけるよりも早く、ギンが乱暴にそう告げて少女の注意を引く。一瞬目が合ったギンと榎本だが、ギンが笑ったのを見て榎本も無言で頷いた。
頬を膨らませながら戻ってきたレディは神原の肩に乗っているギンへ攻撃を仕掛けようとピョンピョン跳ねている。
肩まで手が届くことがないので余裕のギンは大きな欠伸をしていたが、床に膝をついた神原がレディより視線を低くしたことで状況が変わる。
「えっ、えっ? 直人サン?」
「これでいいかな?」
「うん。ありがとう」
笑顔で礼を言ったレディは両手でしっかりとギンを捕まえて神原の肩から下ろす。じたばたともがき助けを求める相棒を無視して、神原は再び亀島と話し始めた。
ギンが由宇の行方不明になった実父だと知っている榎本は、助けて彼女の好感度を上げるべきかと考えた。
しかし、何も知らない神原に怪しまれるのも嫌なので何も見なかったふりをする。
ギャーギャー騒いでうるさい少女と鳩だが、ああやって喧嘩できる相手がいるのは羨ましい。
そう言えば自分にそんな相手はいないなと思った彼だが、ふと由宇の姿が浮かんで彼女がそのポジションかと納得したように手を叩いた。
「後は、羽藤さんたちが神パパ連れてきてくれるのを待つだけか」
「大人しく連れて来られる神様っていうのも想像しにくいですよね」
「追い詰めているのか、追い詰められながら行き先を誘導しているのか。どちらかと言えば、後者かな?」
レディはくろうさと接続を切っているので連絡は取れない。
神原や亀島、榎本も由宇たちと連絡を取る術は持っていなかった。ここに高橋がいたならば彼女が繋いでくれていたかもしれないが、生憎彼女もいない。
唯一連絡を取れたギンの情報を元に、神ママの一時封印という事になったのだ。
都合よく由宇たちが神パパと接触してくれていたのがありがたいが、彼らにとっては寧ろ二手に別れて力を削ぐのが目的だったのだろうとレディは言う。
神原とレディがいる組と、由宇やナナシがいる組では圧倒的に後者が不利だ。
インレフリスとなったくろうさとイナバ、それに高橋も一緒にいるものの彼らが束になってもレディの力を超えることはできない。
となれば、未だ存命しているだけでも凄いという事なのだろう。
再構築される前ならまだしも、今の由宇が弱いとは思わない亀島と榎本だが神パパとまともにやり合って勝てるのかと聞かれれば難しいと答えるだろう。
管理者の一人であり、レディの守役でもあったナナシが潰されれば後を潰すのは容易いはず。
もう少し時間に余裕があったら、色々カスタマイズできたのにと残念そうに呟く亀島を軽く窘めて榎本は結界の中心部へ目を向ける。
気のせいか、眠っていたはずの神ママが動いたような気がする。
一時的なものとは言え、結界は万全で綻びは無い。
いつ破られてもいいように身構えてはいるが、張った本人であるレディは未だギンと口喧嘩していた。
「何だか、ゲームみたいですね」
「そうだね。単調で眠くなってくるよ」
「座標が分からなかったら無駄になりますから、お願いしますよ教授」
「うん。分かってるんだけど、たまにさ……間違った座標を教えたくならない?」
「バッドエンドになったら、全部この教授のせいだから恨んで良いよ神原君」
「はい。そうします」
「ええっ!」
ふざけているからそんな事を言われるのだとばかりに溜息をつく榎本は、槍を抱えるようにしながら天を仰ぐ。
果ての無い天と周囲は相変わらず真っ白で目がチカチカしてしまう。
青空くらい見えたら良いのにと思っていた彼は、視界の隅で何かが光った様な気がして首を傾げた。
ゴッさんの肩に乗って運ばれながら、私はオジジから提供されたマップを広げて先行するインレフリスを見つめる。
気づけばなぜかイナバが私の座っている方とは逆の肩に乗っていた。
鬱陶しかったら振り払っていいと言ったが、ゴッさんは私より軽いから平気だと失礼な事を告げてイナバを許した。
わぁい、と嬉しそうな声を上げたイナバは心配そうな顔をしてインレフリスを見る。
心配なのかと尋ねれば「そんなわけないです」と何故か怒られてしまった。
仲が良いのか悪いのか良く分からないが、良い方に入るんだろう。多分。
イナバの頭の上ではオジジが魔王様と取りこぼしは無いかと話している。低く唸りながら目を瞑ったオジジは大きく頷いて「無い」と答えた。
そもそも、自分が所有している本に書かれていることが間違いなわけがないのだと言う。
だからつまり、自分が言う事も間違いないと胸を張るように威張るので私は溜息をついた。
その言葉をそのまま素直に信じる事ができればどれ程良いだろう。
「疑うのかこのワシを!」
「全てそのまま信じたら、貴方の手の内で皆転がされてるって事になるけど」
「そうだね。黒幕はオジジだよね」
「なっ!」
ここにきて、神のその裏に存在する黒幕が発覚したのである。
ナレーションのようにそう告げる私に、オジジは身を震わせながら「ワシじゃない! ワシと違う!」と必死に何か言っている。
彼と波長が合うのか仲良くしているイナバですら、懐疑的な目を向けて頭上からオジジを引き摺り下ろそうとしていた。
「高橋さん、少し休憩しますか?」
「ううん、大丈夫よ。コレの力少し流用してるから」
「え?」
「都の為ならエーンヤコラ」
何か訳の判らない歌を歌いながら神パパは上機嫌である。これは追い詰められた人物の開き直りではなく、力があるからこその余裕としか見えない。
彼が言うように私にそこまでの力があるのかと眉を寄せながら、一定の速度を保ったまま駆けてゆくインレフリスにも声をかけた。
休憩するかとの問いにインレフリスは「無くて結構です。このまま進みましょう」と淡々と返す。
冷静に見えるがやはりレディの事が心配なのだろう。
「そろそろ、かな? 準備はちゃんと整えた方がいいよ」
「アイテム補充したいところですけど、お店ないですしねぇ」
神パパの言葉にのんびりとそう返したイナバは、足を止めたインレフリスを見てゴッさんから降りる。気遣いのない着地にグラグラと揺れたオジジはそれでもイナバの頭上から離れない。
引き摺られていた神パパは、ぶつぶつと呟くインレフリスの元に近づいて「あれ?」と首を傾げた。
「ごっめーん。勘付かれたみたいで道が塞がれちゃって……ガフゥ!」
「役立たず。インレちゃん、ナナシ、何とかできる?」
ノリの軽い神パパがコツンと頭を叩いてペロリと舌を出した瞬間、彼の顔面に鋭く高橋さんの蹴りが飛ぶ。
軽々と三メートルくらい飛ばされた神パパを放置して、地図に記されている出口に当たる箇所を見た高橋さんが尋ねた。
インレフリスは悔しそうに無言で首を横に振り、魔王様も床やその周囲を軽く歩いて腕を組む。
出口が塞がれて通れないとは酷い詰みだ。
クリアもできないからここで終わりという事か。
「細工された形跡はありますが、そうですね。これは恐らく、神ママのものでしょう」
「おお、魔王様分かるんですか!」
「はぁ。イナバ、貴方は彼の一部でしょう? 彼の生みの親が誰なのか忘れたのですか?」
「なっ、覚えてますし。分かってますし!」
睨み合う白と黒のうさぎの間に割って入ったゴッさんに乗ったまま、私は吹っ飛ばされた神パパを見る。
だが、飛ばされ彼が倒れていた場所にその姿は無い。
やられたか、と焦った瞬間に悪寒が走り耳元で声がした。
「油断させてサクッなんて、よくあるよね」
「……無理だと証明してくれてどうもありがとうございます。それすら自演かもしれませんけど」
「ホント、疑り深くなっちゃったね。誰も信じられない、までは行ってないか。いや、もうそこは越えちゃったのかな?」
わざと癪に障るような言い方をしているのだろうか。
私を煽って怒らせて何がしたいのか、とゴッさんの頭に手を乗せながら私はにっこりと笑みを浮かべた。
背後で浮遊していた神パパは、その笑顔と受け答えがお気に召さなかったのか溜息をついて着地する。
音も無く、ふわりと床に足を着いた彼に近づくのは綺麗な笑みを浮かべた高橋さんだ。
危険だからと制止する私に笑顔を向けて、彼女はゆっくりと息を吐く。
「切り札は固定化されているから無理よ。分かっていたはずではないのかしら?」
「それでも試したくなるのが私だからね」
「今ここで、退場してもらっても構わないのだけど」
「私無しであの子たちのところにいけるとでも?」
「思ってるのは分かってるはずよ」
神パパを目の前にして物怖じしない高橋さんが心配で私は魔王様へ目を向ける。しかし、魔王様たちは出口がある箇所を念入りに調べている最中でこちらを見ようともしない。
他世界の自分が神ママだというだけで、ここにいる高橋さんに特異な能力があるとは思えず私は不安になった。
違う世界とは言え、自分の妻に当たる人物に手出しは出来ないと神パパを侮っているなら危険だが高橋さんに限ってそんな事があるとも思えない。
勝算があるのかと固唾をのんで見守っていると、先に神パパの方が目を逸らして溜息をついた。
「ボスらしいこと、させてくれないかな?」
「合流してから合体でも変身でもしてちょうだい」
「あれ、それはマズイんじゃないの? 妻と分離している状態で片付けておかないとさぁ」
「同化できないくせに、言うわね」
知っているのよ、と低く呟く声にも神パパは動じた様子を一切見せず「そっかぁ」とだけ告げて真意の読めない笑みを浮かべた。




