188 足止めと時間稼ぎ
多勢に無勢。
この状況でどうやって戦えと? と言ってくる神パパは大仰な仕草で私達を見つめる。
その動作すべてが馬鹿にしているようにしか思えないのは気のせいだろうか。
挑発だとしたら、成功しているが乗るわけにはいかない。
「長くなりそうならば結構です。私達は暇ではありませんので」
「聞いておいてなんだけど、別に私もどうしても知りたいわけじゃないから」
「それは随分とつれないね」
冷静な口調で告げるインレフリスの声に私は苦笑しながら頷いた。
聞いてすぐに答えが返ってくるとは思っていない。
けれど、何となく聞いてみたかった。ただそれだけだ。
何が何でも答えを聞きたいほど彼らに興味は無い。
大体の事情はオジジのお陰で知ることができたし。
もっとも、オジジが見せてくれたあの本の情報が事実だったならばという前提があってこそだが。
「急いては事を仕損じる。急がば回れと言うじゃないか。ゆっくりと語らおう」
「時間稼ぎしてる暇があるなら奥さんと合流したらどう? 本物じゃない娘だって一緒にいるんだろうし」
「私には私の役目があってね」
「私に何か期待してるなら無駄よ」
「おやおや、随分と自意識過剰な子だ」
「あ、そうなの。じゃあ」
一歩前に踏み出した瞬間に頬を何かが掠めた。
少し遅れて後方から聞える爆発音に、イナバたちが息を呑む声がする。
ゆっくりと上げられた手の人差し指から何かが放たれたのだろうが、それが何なのか良く分からない。
私の前に出ようとするゴッさんを右手で制するものの、彼はそれを無視して私の右前に出てきた。
眉を寄せて彼を見上げれば「面白そうな事を独り占めとは趣味が悪い」と言われてしまう。
こんな状況でもそんなふざけた言葉を返せるのはこの人物くらいだろう。
低く通るゴッさんの言葉に後方にいたイナバは笑い声を上げ、インレフリスは唖然とした様子をしていた。
「退いた方がいいんじゃないかな?」
「そう? 無駄だって、貴方は理解しているはずだけど」
「……強気になったものだね。ついこの前まではネガティブで内に篭り、何かあれば逃げようとしていたというのに」
「まぁ、それは今も変わらないけど。開き直って自棄になっただけじゃない?」
攻撃してくる気配は相変わらず見られないが、冷や汗が頬を伝う。
それでも、声や動作が震えずにいられるのは少しは強くなった証拠なのか。
再構成される前の私だったらこの場の空気に耐えられず、顔を青くしてガタガタ震えていることしかできないお荷物だっただろう。
いくら強がっても力がなければどうしようもない。
口の中がすぐに乾いてしまうがこの程度ならまだ大丈夫だ。
ゆっくりと再び歩み出す。
わざと外すように放たれた空気の塊も気にせず、私は妙に落ち着いた気持ちで相手を見据える事ができた。
この人は殺すつもりなんてない。
ただ、遊んでいるだけだ。いや、遊びの延長でどんな反応をするのか楽しんでいる狂った研究者か。
「由宇さんそれ以上近づいてはいけません!」
「大丈夫」
「なっ」
インレフリスの心配してくれる声にヒラヒラと手を振りながら私は少しずつ距離を詰めて行った。
飛んでくる空気の弾丸を楽しそうに避けているゴッさんのお陰で、緊張感は和らぐ。
こういう場でも楽しめるその性格が羨ましい。
そう思ったが、ゴッさんも既に狂っている人に入るんだったと思い出し似たもの同士かと苦笑した。
「次は、当てちゃうよ?」
「どうぞ」
目はキラキラとして口元が歪んでいる。
その先が見たい、とでも言わんばかりの様子は私が知っている教授と似ていたがしょせん別人。
ここまで狂気に染まるような表情は見た事がない。
家族よりも研究が優先になって自分の知的好奇心を抑えられないことを悔いていたが、だからと言って自重することは無かったんだろう。
きっと、ママとパパの考えは同じに見えて違ったのだ。
ただ喪ってしまった娘に執着してどこまでも追い求めたママと、それすら自分の好奇心と興味の対象でしかないパパ。
だからと言って彼が自分の娘を気にかけていなかったわけではないはず。
いや、そう思いたいだけかと寂しい気持ちになった。
息を吐きながら鼻で笑った瞬間にいくつもの塊が飛来してくる。その様子がスローモーションで見えた私は、広がる感覚に従うがまま意識を集中させた。
「……へぇ、驚いた。これは本当に驚いた。そっか、そうかぁ」
「気持ち悪いな」
「ゴッさんが言うの?」
白い肌に赤い線をつけながら神パパは本当に嬉しそうに笑う。
眉を寄せる私が思っていた事を口にしたゴッさんを見上げれば、不満そうに軽く睨まれた。
戦闘場面での貴方も大体あんな感じなんですけどね。
自分の事は良く分からないというが、そういう事なのか。
私が距離を詰めた分だけ追ってきたイナバは左腕に絡みつくように抱きついて、「えへへ」と笑う。
インレフリスは後方にいて、軽く振り向いた私に驚いた表情で返してくれた。
「音速で放った力を停止させた挙句そのまま返すなんて素晴らしい!」
「説明どうもありがとうございます」
「正確に言えば停止ではなく、速度を低下させただけですけれどね」
すぐに落ち着きを取り戻したインレフリスも説明どうもありがとう。
本当に化け物じみてきたなぁ、と切ない感情に浸っている私を横に神パパはギラギラとした目を輝かせている。
あぁ、これは駄目な見本だとどこか冷めた気持ちで私はイナバを見下ろした。
視線に気づいて顔を上げたイナバより早く、頭上に乗っかっていたオジジが間延びするような声を発する。
「ありゃ、相当キておるなぁ」
「見れば分かるけど」
「そうですよオジジさん。分かってたんじゃないですか?」
「いや……想像以上でちょっと引いてしもうた」
本来ならここで激しい戦闘場面に移るんじゃないですかね、と思いつつ私は跳ね返された塊のせいで乱れた服装も気にしない神パパへと視線を向ける。
彼はその被害を一つ一つ調べ、最後に頬へ手を当てると恍惚そうな表情になった。
うっとりとして指先についた血を見つめて私へと視線を移す。
思わず逸らしてしまった私は悪くない。
「もっと、見せてくれないか?」
「通りたいだけなので、お断りします」
「私を殺さなくては世界は元に戻らないよ? ループも終わらない」
「そうやって本気にさせて殺されたいだけでしょう? 見え透いてて反吐が出ますよ教授」
くだらない貴方の作戦に乗る気は無い。
面倒過ぎるぞと後方にいるインレフリスに視線を向ければ、その視線の意味を理解したかのように黒ワンピースの美少女は苦笑した。
カツカツ、と靴音を響かせて私とゴッさんの間にやってきたインレフリスは困ったように眉を寄せて神パパを見つめる。
「貴方はまだ逃げるおつもりですか? 前回も逃げたでしょう? 何もできないと嘆いておきながら真っ先に離脱したがっている。奥様が可哀想では?」
「……可哀想? 彼女は今とても幸せなんだよ。あれが可哀想だと思える君たちの頭はどうかしているね」
いや、とっくにいかれてる人にそう言われると癪だわ。
自分は常人ですとでも言いたげにキリッとした表情してるのも、気分が悪い。
何かのギャグかと首を傾げてしまう程だ。
それでも神パパは白い衣についた汚れを手で払いながら余裕の態度を崩さなかった。
「だから、その奥さんを置いて一人逃げようとしてるあんたが情けないって話でしょ。尻尾巻いて逃げ出す旦那を持って奥さんが可哀想ってこと。分かります?」
「あぁ、そういう事か。それなら心配ないよ。彼女の頭にはもう私なんていない。あの子の事ばかり考えているから私が消えても気にしないさ」
「……もしかして、拗ねてるんですか? だったらドン引きなんですけど」
びくっと大きく肩を震わすな。
思わず心の中で突っ込みを入れてしまった私は、頭が痛くなった。
何で本当にこう緊張感というものがないのか。
もっと殺伐としていてスリルあるやりとりが展開される状況じゃないのか、今は。
頭を抱えて「あー!」とやり場の無い気持ちを声に出して落ち着かせようとする私に、オジジとインレフリスがびっくりしたのが分かった。
相変わらず傍を離れないイナバは腹が立つくらいにニヤニヤしている。
ゴッさんは動じず腕を組んだまま神パパを見据えていた。
「普通さ、こういう場合って血みどろの戦いになるんじゃないのかな。殺伐としててさ、狂気に満ちた命のやり取りとかがされるんじゃないの?」
「あんたが言うな」
「イテッ! 酷いよ由宇、他世界とは言え父親である私に向かって!」
「この世界では違いますから」
パシン、とイナバから手渡された花の種らしきものを投げつける。
あえてそれを全身で受け止めながら眉を下げて非難する神パパに私はそう返した。
やり返してくる気配はなく、彼は鼻を鳴らしながら目元を押さえていた。
そう言えば神パパは眼鏡をしていない。世界が違えばそんな先生もいるんだろうと思った私は、勢い良く飛んでくる種を避けて舌打ちをした神パパの顔面に分厚い本をめり込ませた。
背表紙から見事にぶつかっていた本に、思わずガッツポーズをすれば隣でイナバが「ストライク!」と言ってくれる。
「奥さんの目的はレディと貴方と三人でまた幸せな生活を送ることじゃないの?」
「……そうだった、かな」
綺麗に後方に倒れていった神パパはぴくりとも動かなかったが、声をかければ何でも無さそうに元気な声が返ってきた。
上体だけを起こして自分の顔面にぶつかった本を手に、眉を寄せていた彼はその表紙を見て僅かに顔を強張らせる。
勝手に本を取られたオジジが何か言っているがイナバと私は知らないふりをした。




