187 巣食うもの
いくつにも分岐した世界はそれぞれの終わりを迎え、また新しい世界で違う選択肢が選ばれる。
気が遠くなるようなほどの世界の中で、たまたま順調に進んでいるのがココなのかと思うと気が重くなった。
これで順調なのかと顔を引き攣らせ悪態をつきたくなるのもしょうがない。
あらゆる世界の記憶を擁していると豪語したオジジの話によれば、別世界でくろうさに“インレ”とだけ名付けた場合の結末はあまりよろしくなかったらしい。
それでも世界は消滅する事なく残り、大打撃を受けたその世界を再構築するのに膨大な時間がかかるだけらしいが。
他の世界でも必死になって頑張ってる……頑張らざるを得ない私がいるんだと思うと同情してしまった。
「悪趣味」
「燃やすか?」
「無意味だと思うわ。こういう存在は、何をしてもしぶとく生き残るものよ」
「やはりそうか」
並走しているゴッさんが苦笑しながら小さく頷く。どうやらそんな予想はしていたらしい。
私も確証はないけど、多分あの様子では完全に消滅させることなど無理だと思っていた。
私の力では、だが。
胡散臭くて不気味だというだけの理由で消すこともないだろうし、情報を持っているなら引き出させればいい。
彼に何の思惑があってそんな事をしているのかは知らないが、こちらに危害を加えなければ問題ない。
ちらり、と後方を見ればイナバとインレフリスが何やら言い合いをしている。
フード付きもこもこワンピースというイナバの格好に比べ、インレフリスは良家の子女風のドレスのようなワンピースを着ていた。
イナバのワンピースはキュロットスカートになっているので、動いてもハラハラする事は無い。
近接攻撃が得意なのかなと思うくらいイナバの積極的な攻撃に対し、インレフリスは激しい動作には向かない服装だ。
スカートの丈は長く、編み上げのブーツを履いて補助、遠距離攻撃を主としているようだ。
その立ち居振る舞いがどうして色が違うだけでこんなにも違ってしまうんだろうと思うくらい対照的な二人。
動のイナバに静のインレフリスか、と一人思っているとそんな二人の言い合いをオジジは微笑ましげに見つめていた。
「インレ、後どのくらい?」
「四十五秒後には到着する予定です」
「レディの様子は?」
「完全に切断されたきり、応答がありません」
「問題はそれよね……」
くろうさがインレフリスとなって姿を人型に変えてから、レディとの繋がりが切れたと言っていた。
動きやすいように今は人型になっているインレフリスだが、イナバと同じく元の姿である小動物にも戻れるらしい。
そして念のために聞いた性別も、イナバと同じくどちらでもあってどちらでもないとの答えが返ってきた。
好きなほうでいいと言われても困る。
「イナバ、魔王様は?」
「えー。魔王様は一方的に接続してくる感じなので、わたしからは何ともですよ」
「あの人勝手だからなぁ」
「そうです! その通りなんです!」
魔王様の性格を知らなかったら、その一部でもあるイナバなのに役に立たないなんて思っていただろう。
しかし、知ってるだけに思わず溜息をついてしまった。あの人ならそうだろうな。
全てにおいてレディが優先される魔王様のことだ。
いちいち、イナバに構ってられなかったのと、放置していた方が面白い結果になるだろうとか考えてそうだ。
「ギンや神原君たちとも連絡取れないし。教授や榎本君は大丈夫だろうけど」
「先程から頻発している大きな揺れから推測すると、結構追いついめられているのかもしれませんね」
「あー、追いつめられてるのは敵であってほしいな」
バランスを崩してよろめていてしまうくらいの大きな揺れ。
それは、くろうさがインレフリスと名前を貰った後から始まった。
最初はただの地震かと思ったが、顔色を変えるオジジに嫌な予感しかしない。イナバは眉を寄せ、インレフリスは心当たりがあるように表情を曇らせていたけれど。
結局、ギン、神原君、レディたちが神と衝突している影響だろうと説明してくれた。
大きな力がぶつかりあって、それが世界に影響を及ぼしているのだろうと。
あまり派手にやりすぎると世界自体が耐え切れずに壊れるとオジジが言っていたが、今現在崩壊していると言ってもいい世界でのそれはトドメを刺すようなものだ。
分かっているはずのレディたちだって、そこまで考慮して動く余裕がないのかもしれない。
「決着つく前に世界が壊れるとか笑えない」
「それはそれで楽しそうだな」
「うわー、相変わらずですねゴッさんは」
自分と接続を切ったという事はレディが切羽詰っている証拠だとインレフリスが言っていた。
何かあった時のためのバックアップはインレフリスが持っているらしい。
いざという時のために自分の力の一部でもあり世界のバックアップを持っているインレフリスを守るため、レディが切ったと考えるのが妥当か。
となれば、レディは本当に自分の身を犠牲にする覚悟をしているような気がする。
考え過ぎかと首を傾げながら呟いた言葉に、誰も反論しなかったのが悲しい。
「今の神は、執念の塊じゃろう。亡霊のようなものじゃ」
「亡霊だったらさっさと成仏して欲しいんですけどね」
「そうできぬから、しつこく彷徨っておるのじゃろうて」
「厄介だなぁ……。本当、迷惑。自分の世界でやってくれって話でしょ?」
どれだけの世界を巻き込んで自分たちの欲望を叶えたのだろう。
やっと叶えられたかと思った世界も、敵に回ってしまった愛しの娘のお陰で破綻してしまったけれど。
人としての理性はとうに失われ、人のような形をした化け物に変化してしまっても尚、追い求めるもの。
家族三人の平凡だけれど幸せな家庭。
私だって、ループのない平凡な日常を送りたいわ、と心の中で悪態をつく。
口に出したところでどうにもならないのは知っているが、八つ当たりすらできないのはストレスが溜まった。
あれもこれも、元凶である神にぶつけるしかないんだろうけれど力の差を想像しただけで萎える。
ちょっとは強くなったつもりでいても、管理者たちと並ぶには遠い。
「由宇お姉さん」
「分かってる。ゴッさん」
「承知している」
イナバの声に私は頷いて隣にいる黒い影を呼んだ。何か言う前に頷く気配と静かな言葉が返ってきたので私は呼吸を整えて速度を緩める。
がらん、とした広いホールのような場所に誰かが立っている。
頭の天辺から爪先まで白一色の周囲に溶け込むような姿をした人物は、随分前から私達に気づいていたのだろう。
私達の登場に動揺することもなく、背を向けたまま話しかけてきた。
「思っていたよりも、早くて驚いたよ。私にとっては好都合でも、彼女にとっては不都合だろうね」
「神……っ、こんな所にまで」
「それはないんじゃないかな? 元々私達をここに閉じ込めたのは君達だろう?」
顔色を変えて焦るような声色のインレフリスに、神と呼ばれた存在は大仰に手を上げて肩を竦める。
閉じ込めたという事は、やはりここは神を封じた【隔離領域】で間違いがないのか。
「閉じ込められるようなことをする方が悪いんですっ!」
「ははは、確かに。確かに、その通りだ」
笑われたイナバは威嚇するように目を吊り上げて神を睨んでいる。
素直にレディの元へ到達できないだろうなとは予想していた。
また中ボス程度の化け物が、ドンと鎮座しているのかと思えばいきなりラスボスとは驚きである。
響く声は朗々として、神はゆっくりと振り向き微笑んだ。
肌は病的なまでに白く、その目だけが鋭く光っている。
神々しさを感じていた最初の頃が馬鹿らしく思えるくらい、今の私の目には狂った研究者にしか映らなかった。
これはある程度彼らのバックボーンを知ったからかもしれない。
何が彼らを突き動かしこんな状況にしているのか。
そうなると、オジジに感謝しなければいけない事になる。それは、なにか悔しい。
「驚いてくれないなんてちょっとショックですね」
「いやいや、充分驚いているよ。そしてその完成度の高さに嫉妬すらしている」
思ったより落ち着いた私の言葉に、小さく目を開いた神が楽しそうに笑った。
研究者夫婦の夫であり、もどきがパパと呼んでいた存在。
そして、圧倒的な力で榎本君を押し退け私を一瞬で消し炭にした当人だ。
見上げた先にいたあの姿は今も鮮明に思い出せる。
「世界が違うとは言え、自分でしょう? 自分自身に嫉妬とは、研究者って良く分からないですね」
「ははは。そういうものだよ。羽藤由宇さん」
「他世界で貴方が私の義父になっているのも皮肉なものですよね、亀島教授」
そう言ってから目の前にいる彼は一研究者であって、教授という肩書きはないかもしれないと思った。まぁ、細かい事はいいだろう。
彼が元凶の一人であり、こんな状況になっても自分達の理想を叶えようとする様は感心してしまう。
私にはそこまで執着するものはないから。
無駄だ、無理だと分かったらすぐに諦めてしまうから。
これから先、何が何でもと思うようなものが私にもできるのかなと思うが実感が湧かなかった。
私は私で、こんな感じのまま歳を取っていく様な気がする。
いつまで経っても結婚できなさそうな未来がちらりと過ぎったが、気のせいだろう。
「ほぉ。他世界の一つでは、私は君の父親になっているのか。それは面白い話だ」
「知ってるかと思いましたけど。あの世界には接触していないようで安心しました」
接触されていたら雫がどうなっていたか分からない。
彼女の父親だって、もしかしたら消されていたかもしれないからだ。
「レディはあなた方と一緒になるつもりはありません」
「分かっているさ。あの子は娘、けれど本物ではない」
「ならば何故固執するの? 無駄なことをして他世界まで飛んで、世界を歪めて理想をつくり幸せな家族まで演じていたのに」
相手に攻撃する気配は見られない。それが不気味だが、イナバとインレフリスが警戒したまま即座に防御できるような態勢を取っている。
私がこうして無駄話をする余裕があるのも、あの二人がいるからだ。
私とゴッさんだけだったら、こんな暢気に会話なんてしていられない。
インレフリスの言葉にも動じた様子はなく、彼は薄っすらと笑みを浮かべ大きく頷いた。
「ふむ。君の好奇心を満たそうか」
「ココロは無いでしょうけど会話はできるんだからお願いしたいわ。どっちにしろ、どいてくれないんでしょうし」
「まぁ、そう怖い顔をしないでくれ。信じてはもらえないだろうが、私に攻撃する意思はないよ」
降参だとばかりに両手をあげて微笑む姿に緊張が走る。
私は気持ちを落ち着けるために溜息をついたが、それを聞いた神は何故か腹を抱えて笑い出した。




