183 おてんば娘
爆風が収まり視界を塞ぐように立ち込めていた煙も消えてゆく。
大きくへこんだ地面には、ボロボロになった警備ロボットの姿が見えた。
リリアーヌは静かに佇んで今にも壊れそうな強敵の姿を見つめていた。その目にはうっすらと光るものがある。
拳をぶつけ合う事で両者の間に友情に近いものが育まれたのだろう。
ゆっくりと点滅するように淡く光る頭部の球体に、彼は力強く頷いて拳でトントンと自分の胸を叩いた。
そして、手にしていたお気に入りのレースのハンカチをふわりと投げる。
「直人、早くしろこっちだ」
「分かってるって。え、何ここ歪んでる?」
「いいから飛び込め!」
「……え」
警備ロボットの背後にあったはずの巨大な球体がいつの間にか消えていた。
ただ他と変わらぬ真っ白な景色が続いているだけで拍子抜けした二人だが、空間の歪みに気づいたのはギンだ。
彼は歪んでいる場所に静かに近づいて注意深く観察する。
何か危険なものは無いかと探っていた彼だが、どこか懐かしい感覚がして首を傾げていた。
ゆらり、と揺らめく陽炎のようにちょうど人が通り抜けできる程の大きさの歪み。
あの警備ロボットは何のためにここに配置されたのかと考え、ギンは低い声で唸った。
そんな彼の視界にひらりとした白いものが飛び込んで、消える。
一瞬の出来事に気のせいかと思いかけた彼は、顔色を変えると慌てて後方にいる神原を呼んだ。
彼の目にもここの箇所だけ歪んでいるのが映っているらしい。
絶対嫌だ、こんな所入りたくないと表情に表れていたが、年相応だと笑っていられる余裕が今のギンには無かった。
「直人!」
「……分かったよ!」
鋭い声で飛び込むように告げれば一歩退く神原だったが、ちらりと背後を振り返って何かを決心したらしい。
大きく頷いたかと思うと、彼は無言で歪みに飛び込んでいった。
ギンも間髪入れずにその後を追う。
「貴方の想い、無駄にはしないわ。アタシ、貴方の分まで生き抜いてみせる。そう、ダーリンの為にも」
一人強く決意したリリアーヌが、甘えるような口調で神原を呼びながら振り向くとそこには誰もいない。
どこまでも白い空間に、化け物と破壊された警備ロボットのみが残された。
歪みの中に飛び込んだ神原は、強烈な眩暈に襲われてその場に蹲ってしまう。
支えになるようなものを探すが生憎周囲にそんなものはない。
吐き気と世界が回る感覚に気を失いそうになった彼の視界を白が覆う。
それと同時に胸部に感じる重み。
「ゆっくり呼吸しろ。大丈夫だ、お前は耐えられる」
「……ったく、言ってくれるよ」
「当然だ。俺の相棒だからな」
「お前が僕の相棒なの」
気がつけば仰向けに倒れている事に気がついた神原が、ムッとしながらそう返す。そんな彼の様子を見て満足そうに頷いたギンはそっと彼の上から飛び降りた。
ゆっくりと上体を起こす神原の横でギンは大きく羽を広げたかと思うと、素早く羽ばたいた。
何をしているのかと、まだ重い頭に手を当てながら見ていた神原は小さな悲鳴が聞こえてきて顔を上げる。
見れば宙に浮いたギンの羽が、飛び道具のように飛んでいくではないか。
敵を攻撃する際に良く見られる光景だが、何かおかしいと神原は呼吸を整えた。
「ギン?」
「心配すんな。お転婆じゃじゃ馬がチョロチョロしてたんで……なっ」
そう言った瞬間にギンの姿は弾丸のように飛んでゆく。獲物を見つけ狙いを定めて体ごと飛んで行くとは珍しい、と思いながら神原は立ち上がる。
少しよろめいたが、じきに治まるだろう。
足取りも重いが歩けないわけではない。
ゆっくりと歩を進めてギンが飛んでいった方へ向うと、賑やかな声が聞こえてきた。
「うわーん。ひどい! ひどいよギン!」
「うるせぇ。お前、散々心配させといて何やってんだよ」
「えーっと……お散歩?」
「ンなワケねーだろ! で、ナナシはどこに行った?」
ナナシによるレディの誘拐だと判断したのはギンだ。それらしい痕跡をあからさまに残されていたのは罠のようにも思えたのだが、自分を除け者にして二人で何か企んでいるのが悪い。
由宇たちにもそう伝えておいたので、彼女達もピリピリしていることだろう。
心の中で、ナナシが由宇に嫌われてしまえば良いのにと思いながらギンはじたばたと手足を動かす少女を見下ろした。
悪びれた様子もなく首を傾げる少女に舌打ちをして、きつく問い詰めると「しらなーい」と返される。
「あいつが勝手に行動するわけがねぇ。何を命令した。んで、どうしてこんなとこにいる」
「それはこっちのせりふだよ! もうっ。ギンだけじゃなくて、おにいちゃんもいっしょじゃない」
「……お前、単身乗り込むつもりだったんじゃねーだろうな?」
たどたどしい言葉を発しながら両頬を膨らます姿は可愛らしいが、ギンは表情一つ変えない。真っ白なワンピースを着たリトルレディは分が悪いと理解しながらも、何とか誤魔化そうと必死だ。
ゆっくりこちらへ向ってくる神原へ注目を逸らし、その隙に逃げ出そうと考えていたのだがギンはレディを直視したまま動かなかった。
「そんなことないよー」
「バレバレな嘘つくなよ。あと、ガキの真似はやめろ」
「まねじゃないもん。がきだもん」
「リトルレディ」
いつもよりワントーン低い声。
これでは誤魔化しが効かないと悟ったレディは溜息をついて眉を寄せた。
不機嫌そうな彼女を目にした神原は驚いたように声を上げると、少女の無事を確認してホッと胸を撫で下ろす。
その姿を見ていたレディは罰が悪そうに俯いてしまったので、ギンも溜息をついた。
一人状況が良く分かっていない神原はしゃがんでレディと目線を合わせるようにすると、どうしてここにいるのかと優しく尋ねた。
「えっと、まよいました」
「ここは神の元へ辿り着く近道なのかな? もうすぐなら、ちゃんと準備していた方が良いよね?」
「え、っと……わかりません」
「準備って言ってもあんまりすることないんだけどさ。でも、だいぶ休めたから何とかなるよねギン」
「そうだな。今更嫌だと言って逃げ帰ってもどうにもならねーからな」
レディとの会話が成り立たないのは別に気にしていないらしい。
にっこりとした笑顔を浮かべたまま尋ねる神原に、曖昧な表情をするレディ。
困った様子の彼女から視線を外してギンに問いかけた神原に、ギンは何度も頷いて答えた。
自分を他所に進んでいく話に少女がおろおろしても、二人は念入りに注意事項を確認する。ギンから聞いていた神と対峙する時に気をつけなければいけないことはいくつもあるが、一番大事なのは呑まれないことだと彼は言っていた。
一度目も、二度目も。
近い距離でその姿を見た時も神原はその圧倒的な存在感に呑まれ、上手く身動きが取れなかった。
それでも、話しかけることができただけで大した進歩だとギンは褒めてくれたが。
「主人公だからって、気負うな。まぁ、無理かもしれねーけど俺とレディがいれば何とか押さえ込めるだろ」
「分かってる。無理はしないつもりだよ。自分のできる範囲でやろうと思う」
「おう。流石は直人。雑魚も湧くだろうからそっちの処理を頼むかもしれねーな」
「頑張ってみるよ」
神原とギンを交互に見ながらレディは唖然とした表情をする。
大きく瞬きをして会話に割って入ると、彼女は神原を見つめて帰るようにと言い始めた。
たどだどしい言葉遣いだった彼女の姿が少しだけ成長する。
お願い、と両手を合わせて懇願する姿に神原は小さく笑って静かに首を横に振った。
ここまで来て後には退けないと言った彼に、レディは泣きそうな声で呟く。
「神様は、私の両親なの」
「うん、知ってるよ」
「え?」
「ギンから話は知ってる。正直よく信じられなかったけど、そう考えると納得がいく事もあるからね」
それでも正直、神原は半信半疑だ。
レディ本人の口からそう告げられても、笑い話か冗談のように受け取ってしまう自分がどこかにいる。
それで済ませられるならどれほど楽だろうと苦笑しながら、神原はレディの小さな手を優しく握った。
自分よりもきっと年上で経験も豊富に違いない存在が、心細そうな表情を浮かべている。
その姿に、もしかしたらいたかもしれないはずの妹を重ね合わせ彼は「大丈夫だよ」と告げた。
「由宇さんたちも外の世界で健闘してるはずだから、心配ないよ」
「外に!?」
「落ち着けレディ。情報は得てるだろう? ちゃんと馴染んでる」
「うん……」
何を心配したのか察したギンが人名を口にせずにそう言うと、レディも静かに頷いた。
由宇の体が消し炭になって、知り合いの教授と生徒のお陰で再構成されたというのを知っているのは、彼らを除くと管理者くらいだ。
この場にいるレディとギンしかその情報は知らない。
戦いに巻き込まれて何とか逃げ出したと神原には嘘をついていたので、由宇が消し炭になったことは言えなかったのだ。
自分と同じ境遇の由宇に強い信頼と関心を寄せている神原の心情は、レディもギンも知っている。
これからボス戦だという時に、余計な情報を与えて不安定にしたくなかったのだが万が一という場合もある。
相手がそれを察して揺さぶりをかけてくる場合が怖い。
そうなったらなったで仕方がないが、何とか持ちこたえられるだろうと望みをかけてギンは彼の肩に飛び乗った。
「お前一人じゃ無理だ。だから俺と直人も行く」
「嫌ならそれでもいいけど、勝手について行くだけだからね?」
「なっ」
「ありがとう」
肩に乗る純白の相棒と軽くそうやり取りをする二人を見つめていたレディは、少し嬉しそうな顔をして深く頭を下げた。
勝算は低いが、行くと決めた彼女の意思は固い。
それを無理に引き止めるような二人ではない。
それに彼らもまた自分を見過ごすことは無いだろうとどこかでレディは思っていた。
嫌がられても勝手についてくるなんてまるであの時のようだ、と不謹慎にも懐かしくなってレディは小さく笑う。
協力して欲しいと無理矢理巻き込んだギンを、安全な場所に隔離しようとして酷く怒られた。
懐かしくて、どこか嬉しかったあの感覚と似ている。
胸元に手を当てて「あったかいね」と呟くレディに神原は首を傾げ、ギンは目を細めて「生きてんだから当然だろ」と笑った。




