180 権限のありか
理由を聞いても想像していた通り、これといった感情はわかなかった。
私はもう壊れているんだろうかと思いつつ、頷きながら高橋さんを見る。
「そう、ですか。なるほど」
「あら……もっとびっくりするかと思ったけど、落ち着いてるのね由宇ちゃんは」
「いえ、私も自分で驚いてます。何でこんなに落ち着いてるんだろうって」
そんな事で、と怒りが湧き上がる場面なのかもしれない。
けれど、あぁ、そうか。なるほど、そういう理由でループさせたかったのね。と何度も頷いてしまう程度だ。
ただの研究者だった夫婦が、神になって理想の世界を創り上げてまでやりたかった事。
もどきが固執していた事。
レディの口から語られた昔話と、彼女の母親であると告白した高橋さん。
頭の中で少しずつ整理がつき始めた話の流れに、私は溜息をついて額に手を当てた。
「それは君の中で、どこかそうじゃないかと思っていたところがあったんじゃないかな」
「確かに、想像力逞しいのは認めますけど、そこまで考えつきませんよ」
「そうかなぁ」
「そうです」
元の世界を自分の理想につくり変える力はあるのに、ループさせるしかないというのが笑えてしまう。
神と呼ばれるくせに中途半端で力がない。
思わず鼻で笑ってしまった私に、高橋さんは驚いた表情をして、魔王様は苦笑する。
「ループさせない方法は、なかったんですか? 世界を捻じ曲げて好き勝手に創り上げるくらいなら、そのくらい容易いでしょう?」
「無理だったから、こうなっているんだよ。彼らに作られた私が言うんだ。間違いない」
「それは、どうですかね」
「……本当に厳しいね。私は相変わらず信用されていないのか。悲しいね」
「あら、何言ってるのよ。神に作られているんだから、信用できるわけないじゃない」
そんなの誰だって敵だと思うわ。
腰に手を当てて冷ややかな目で魔王様を見つめる高橋さんの声は冷たい。どこか、イライラしているようにも感じられて私は二人の様子を窺った。
魔王様の風に靡く綺麗な黒髪は、夜を閉じ込めたかのように深い色だが今は夕焼けに照らされて神秘的に見える。
私の髪よりサラサラしていて肌も艶がある魔王様はストレスとは無縁かと思うと腹が立ってくる。
今だって楽しそうに笑顔を浮かべて、不機嫌な表情をしている高橋さんを見つめていた。
この二人の間に思慕はあるんだろうかと現実逃避するような事を想像しだした私は、慌てて首を横に振る。
ダメだ、そんな事考えている場合じゃない。
それに高橋さんには旦那さんと成人した息子さんがいる。
しかし、レディは自分の娘だとも言った。
「高橋さんの経歴も、家族構成も全ては嘘なんですか?」
「え? ううん。それも本当よ」
「レディの母親なのに?」
「ええ。あの子の母親でもあり、高橋都として生きてここにいる私も本当よ」
「ミヤコ、そんな事言ったらよけいに彼女が混乱するでしょう?」
「あーそうね。でも……ややこしくするのも可哀想じゃない」
高橋さんの経歴も家族構成も本当。
という事は、優しくてがたいのいい旦那さんも、旦那さんに似て同じくがたいのいい二人の息子さんも本当に高橋さんの子供か。
信じていいのか分からないが、嘘をつく理由もないだろう。
そうなるとやはりレディと高橋さんの関係が分からなくなってくる。
ややこしくなるような関係とは、一体何なんだろう。
「うーん。レディの肉体はもう既になくて、今彼女はティアドロップの塊なんですよね」
「ええ、そうですよ。貴方と同じです。命に溶けているティアドロップは貴方よりも考えられないくらい多いですけどね」
「でしょうね」
全ての鍵はレディにある。
レディと神たちの対立。
ティアドロップでできているレディと、その研究をしていたという神夫婦。
そこをどう繋げればいいのか。
「ユウ。レディは元々人間でした。私の創造主でもある神たちが、ティアドロップを埋め込んだのですよ」
「え、埋め込んだ? レディも神に作られた存在なんですか?」
私の想像とは違う。
てっきりレディは神の娘だとばかり思っていたけど、違うんだろうか。
現にレディは元神逹と敵対して、今は世界の管理者をしている。
それは神に作られた彼女が創造主に抵抗して噛みついたから?
「レディは管理者で、でも元々は神に作られた存在で、そのお守り役として作られたのが魔王様?」
「作られた存在とはまた微妙ですが、まぁそうですね」
「高橋さんがレディの母親を名乗るなら、完全敵なんですけど……」
「うーん。そこがまた複雑なんだけど、一時期本当にあの子は私の娘だったのよ」
ティアドロップを利用して作られたのがレディ。
娘だったレディを実験体にするなんて、想像しただけでゾッとする。
自分達の理想のために神逹はそんなことまでするのか。
高橋さんが母親になった過程も気になるが、ティアドロップ実験の際に死んだはずのレディの中身はどこからやってきたのだろう。
「レディの中身はどこから?」
「私は彼女の守役です。ですから当然、レディの魂も特別大事にお守りしていましたよ」
うっとりとした表情でその頃の事を思い出すかのような魔王様が気持ち悪い。
レディが神の娘だというのは分かったが、大事にされてるような気がしなくて腹が立つ。
ティアドロップ適合実験の為に、何度も肉体を壊されて作り直される。
いくら魂は魔王様が大事に守っているとはいっても、いい気持ちにはならないだろう。
理想のためなら何を犠牲にしても構わないとでも言わんばかりだ。
これでまだ心を失う前だというから恐ろしい。
「そんな風に嬉しそうに言うから、ロリコンとか言われるんですよ魔王様」
「えっ! そういうつもりはないのですがね」
「大丈夫よぉ、由宇ちゃん。私がしっかりしているうちは、そんな事は許さないから。うふふふふふ」
ガツッと痛そうな音が聞えたかと思えば、高橋さんが笑顔を崩さず魔王様の脛に蹴りを入れているのが見えた。
よろめいた魔王様は不快な顔はするがやり返したりはしない。
女性に対して手を上げたりはしない心情なのか、それとも力関係で高橋さんが上なのか。
レディを主とするならその母親を自称している高橋さんには危害が加えられないか。
そんな事を考えながら私は引き攣った笑みを浮かべた。
「魂なんて、そう簡単に抜き取れるというか保存できるものなんですか?」
「私だから可能だったんでしょうね。神達の影響下にある世界ですから、ループの為の動力として人々を再生しなければいけません。その辺りの管理はその頃から私に任されていましたから」
さらり、と魔王様は恐ろしいことを告げる。それも創造主である神逹に与えられた力なんだろうか。
不思議に思う私に気づいた魔王様は肯定するように、神達の方が遥かに上だと笑った。
封印されて弱っているとは言え、今でも影響を与えられるくらいの力があるわけだから気分が沈む。
これからそんなバケモノを相手にしないといけないのか。
大人しく寝ていて欲しかった。
「でもそこに、高橋さんが関わってくるのがどうしても分からないんですけど」
「ユウ。貴方と、雫の関係性ですよ」
「えっ! そうなるとつまり、高橋さんは他世界で神をやってる研究者夫婦のママ?」
「あらあら、色々混ざっているわね。ふふふ」
そうか、なるほど。他世界で研究者夫婦の妻だった人か。
ということは神様は元々この世界の人物ではなく、二人で自分たちの世界からこの世界に来たという事になる。
なんともまぁ、はた迷惑な事だ。
もっと違う世界はなかったのかとか、どうせなら一から世界を創り上げればいいのにとか思う事は色々ある。
ぶつぶつと愚痴のように呟いている私の言葉を聞きながら、高橋さんは「そうよねぇ」と同意するように頷いた。
私と、雫。
高橋さんと、ママ。
雫の存在がなかったら、高橋さんとママの関係性も笑って否定していただろう。真剣な表情で説明されてもきっと信じていなかったに違いない。
そう言えば突然消えてしまった雫は、大丈夫だろうかと心配になる。
いつでも落ち着いていて余裕がある彼女のことだ。何があってもどうにかなるだろう。
「あの、高橋さんは元々それに気づいて?」
「まさか。こんな衝撃的な事を知ってたら結婚して子供なんて産めないわよ。あの子達二人とも成人していて良かったわって変に安心していたところよ」
「お子さんが小さかったら、発狂していたかもしれませんね」
「そうよね。タイミングがいいって言っていいのかしら」
「でも……根本が同じ存在なら、発狂はしないんじゃないかと思うんですけど」
常識の範囲外にいるあんな存在になれるくらいだ。
世界が違うとは言え、高橋さんにもその可能性はあるはず。
私の言葉に高橋さんは複雑な表情をして溜息をついた。世界を歪めて今も暴れている存在が他世界の自分なのだ。無理もない。
「ではユウ。雫が貴方とチェンジしたとしたら、貴方のようにこなせると思いますか?」
「無理ですね。分かりました」
分かりたくないけど分かってしまった。情けないが、雫に私の代わりを務めろと言っても無理な話だ。
私がなりたい理想の彼女を演じることすらできないだろう。
逆に雫は卒なくこなしそうなのが想像できるので、ちょっと腹が立った。
笑顔で手を振っている彼女の姿が浮かんで、あのくらい精神的にも強くなれたらなと今の自分を情けなく思う。
「環境によって変化しますからね。比較対照して観察すれば、いい退屈しのぎになりそうです」
「人で遊ばないで下さい」
「そうよ、由宇ちゃん聞いてちょうだい。私、事実今それやられてるのよ?」
「……神ママと高橋さんの比較ですか? 別物みたいなものなので、比べてもあまり意味がないと思いますが」
姿形は似ても似つかない。色素が薄れ白い肌に白い髪、目は残念ながら赤くなかったがそれでも見ただけで気持ちが悪いと本能が拒絶する存在。
目の前で表情を変化させながら会話している高橋さんと世界が違うだけで同じ存在だとは考えられなかった。
「私の場合は、夢なんだけどね。毎日というわけじゃないけど、同じ夢ばかり見る事が多くなって。悩んで色々調べてたらナナシ達に接触されたというわけ」
「ミヤコは根本が神の一柱と同じですからね。同じ世界に同じ人物が二人いるという事で、微妙に同調してしまったのでしょう」
「うわぁ……それは、大変ですね」
同じ世界に同一人物が二人もいるのにどちらかが消えていないのは、私と雫のように名前が違うからだろうか。
それともレディが何らかの対処をしたのか。
「最初は眉唾だったんだけれど、彼らと接触してから夢見る感覚が短くなってね。夢の中で私は“彼女”になっているのよ。だから、私が止めなくちゃなんて使命感帯びちゃって、協力してるってわけなの」
「はぁ……素晴らしいと思います。私とは大違いで」
「そんな事ないわよ。由宇ちゃんだって想像してごらんなさい。もう一人の貴方のせいでこの世界がめちゃくちゃにされているという事実を理解したらどうなるか」
それは、申し訳ないと自ら命を絶つかもしれない。死んでループしてしまう事から抜け出せないなら、もう一人の自分を殺しに行くしかないか。
「神は高橋さんたちに何かしたりしたんですか?」
「いいえ。彼女たちは自分の理想と大切な宝物しか眼中にないから気にも留めていないわ」
「私は随分と酷い事されたような気がします。直接手は下されないですけど」
「由宇はバグですからね。彼らにとったら暇潰しの遊びなのかもしれません」
暇つぶしの遊びとは、これほどぴったりな表現はない。
彼らがもどきの好きにさせていたのは、私が死んでも世界がリセットしてループするのを知っていたからか。
遊び程度だったのが、段々と本気になってきたのはやはり私が思い通りにいかなかったからだろう。
とうとう重い腰を上げて元神が粛清に来たので私はこんがり焼かれたというわけか。
結局こうして復活してしまった私の事を鬱陶しく思っているに違いない。
「……今回で、片付きそうですかね」
「片付けますよ。レディはそのつもりでここに来たんですから」
「そうそう。ここはね、外の管理権限があった場所なのよ」
「え? いや、無かったんですけど」
「万が一の時を考えて、薄暮県全域に権限を散らしているんだよ」
全域に権限を散らしている?
権限とは目に見えなくて形が無いもので、けれど実際その場に行けばそうと分かるようなあやふやなもの。
そう聞いていたが、そんなに分散されているなんて知らなかった。
何故そのことを教えてくれなかったのかと魔王様を睨みつければ、不思議な顔をして首を傾げられる。
「説明、したよね?」
「外部世界の管理権限がセントラルタワーにあると言うのは聞きました」
正確にはいくつかの候補地がある中で、セントラルタワーが一番有力だという話だったはず。
榎本君も地図を見ながら県の中心地に位置するだけに、確かにそこしかないだろうねと言っていたような気がする。
権限がバラバラにされて、いくつかの地に置かれているなんて話は聞いていない。
魔王様は「言ったと思うんだけどね……」と呟いた。
後出しかよ! と突っ込む気持ちよりも面倒なことならどうして先に言ってくれなかったんだと溜息しか出ない。
「分割されてたなんて初耳ですよ」
「おかしいなぁ」
「分かりました。じゃあ言われたけど聞いてなかった事にしておきます」
「ごめんユウ。そうじゃない、そうじゃないんだ」
イライラしてくる。
私が悪くなればいいのかと、子供のような態度でそう返すと魔王様は慌てた様子で機嫌を取ってきた。
高橋さんは慰めるように私の肩を優しく叩く。
そして、二人で魔王様を冷たく見つめ続けた。




