179 親子
高橋さんの娘がレディ。
おかしな話だと思いながら胡散臭い表情を浮かべて、静かに後方へ退いた。
私の警戒心が高まった様子を見て、高橋さんがおろおろし始める。
「由宇ちゃん?」
「ミヤコ……」
「えっ、私が悪いの!?」
魔王様の呆れたような呼び声に体を震わせた高橋さんは、私と魔王様を交互に見た。
彼女は自分が一体何を言っているのか理解しているんだろうかと不安になる。
うろたえている様子は演技には見えないが、警戒するに越したことはない。
「ちょっと、無理がありますよね」
「えっ!?」
「何が目的なんです?」
高橋さんの子供は成人した男の子が二人じゃなかったのか。
それが嘘だったのかと目を細めると、気づいた高橋さんが慌てた様子で近づいてきた。
だから、その分私は退いて距離を取る。
「あのね、息子が二人いるのは事実なのよ」
「そうですか」
「ちょっと、ナナシ! 笑っていないで何とかしてちょうだい!」
助けを求めるように魔王様に視線を移す高橋さんの叫び声は切羽詰っていた。
笑いながらこちらの様子を見ていた魔王様は、小さく息を吐くと私を見る。
何がしたいのかさっぱり分からない魔王様に見つめられても、目を逸らさず無言で見つめ返した。
もしかして、こういう心理戦なのかもしれない。
わけの分からない事で私を惑わせて弱らせようというのか。
「ユウ。ミヤコが言っていることは、ほぼ真実だよ」
「もどきとレディは神の娘です。レディから聞いた話では一人っ子ですから、娘が二人いる時点でおかしいですえけど」
「うんうん、なるほどね」
「レディが敵に回ったから、神様がレディの代わりにもどきを作り出したのかと思ってましたけど」
「おお、凄いね。そこまで分かっていたとは」
想像でしかなかったことを肯定されて、少しほっとした。
全てはレディからの情報のお陰だが、魔王様は満足するように大きく頷く。
しかし、それと高橋さんの告白をどう繋げればいいのか。
高橋さんが言いたいことは何となく分かるけど、でも彼女がレディの母親ではない。
「レディの親は神です。となれば、高橋さんは神ということになりますよ?」
「そうね。色々複雑だけど、それは否定しないわ」
「いえいえ、それはないでしょう。確かに高橋さんに似てるなとは思いましたけど、髪も肌も衣も真っ白で貴方とは違います」
「私に……似てた?」
何の役にも立てない私が榎本君に守られていたあの時。
体を貫かれ、消し炭にされた相手の姿は今でも覚えている。
ぼんやりと見上げたその視界が、吸い込まれるようにその人物へと注がれた。
天井の無い白い背景に、溶け合うかのような白い存在。
発光しているが邪悪なものではなく、断罪を許さぬ冷たい光だったのを覚えている。その攻撃に感情が宿ることはなく、ただ消滅のみを目的として対象を破壊するような感じだった。
浄化の炎とでも呼んだらいいのか、そういう炎に黒焦げにされてしまった私の体を直接この目で見たんだから間違いはない。
まぁ、体が死んでいる以上、精神体で見たと言っても変な話だ。
「そうですね。姿形は全く違っていたんですけど、何と言うか雰囲気が高橋さんに似ている気がして。でもそれはそれで……」
「それで?」
「……いえ、何でもないです」
あの時目にしたその姿は、今目の前にいる高橋さんとは似ても似つかぬ姿だったけれど雰囲気は同じだった。
姿形はあの人で、雰囲気は高橋さんという妙な感じだった。
もし、それが事実なら高橋さんとその人物は夫婦という事になる。
こちらの世界ではそれぞれ一緒になっている相手が違うだろう。だから私は混乱してしまったのを思い出す。
難しい顔をして小さく唸る私に、高橋さんは「何でも言ってちょうだい」と言ってくる。
「見たのは一人なんですけど、高橋さんの姿がダブるというか雰囲気が高橋さんに似ていて」
「なるほど。あ、もしかしてパパの姿だった?」
「パパ? かどうかは分かりませんが、男の人でしたね」
一人なのに二人の気配がしたのはどうしてなのか。
もしかしたら神が私の近しい人の姿をとって本当の姿を誤魔化したのかもしれない。しかしそうなると、どうしてそれが高橋さんとあの人だったのか疑問に思うところはある。
もどきの言っていたパパとママ。
神原君が直接目にしたママ。
レディは神の娘という本人からの告白。
そして、そのレディは自分の娘だと言った高橋さん。
「凄いわ!」
「は?」
「凄い凄い! 本当に凄いわ由宇ちゃんっ!」
「え?」
いい年をした女性がぴょんぴょんと飛び跳ねながら私を抱きしめる。
豊満な胸を強く押し付けられて痛くて苦しい。
私が男の子ならもっと喜んでいたのかもしれないけど、想像以上に強い力で抱きしめられていて身動きが取れなかった。
苦しんでいる私の姿を見て割って入ってくれた魔王様は、溜息をついて高橋さんを窘める。
私より年上の高橋さんがシュンとして俯いてしまう姿は正直可愛かった。
叔父さんがこの場にいたら鼻の下を伸ばしてデレデレしていたことだろう。
「あの、何が?」
「神に対する抵抗力があるって事よ。ナナシから聞いてはいたけどここまでだなんて。アレは普通の人は直視する事も出来ないのよ?」
「え、でも神原君は普通に見たって……」
「それは、神原君だからじゃないかしら」
どういう意味だそれは、と思うが同時にあぁなるほどね、とも思ってしまう。
所謂、選ばれた者で主人公補正とやらのお陰だろう。
継ぎ接ぎのデータであるゲームの主人公にその恩恵があるらしいので、神原君でなければやはり抵抗できないということか。
そして、本来は愛ちゃんだったはずの立場に私がいる。
それを思い出すたびに私は申し訳ない気分になり、愛ちゃんをこんな目に遭わせなくて良かったなと安堵もする。
イレギュラーのバグだからこそいい仕事をするんだ、と笑顔で言ってくれた教授を思い出して複雑な気持ちになった。素直に同意する事はできなかったけれどやっぱりそれが私の強みなんだろう。
自分がバグなのを胸を張って自慢できるわけがないけれど。
「最初に見た時は私も靄でしか見えなかった気がしますけど」
「慣れたんだろうね。君の中には私の欠片が既にあり、その後レディの欠片も手にした」
「仕組まれてた?」
「まさか。だったらもっと早い内にそうしていたさ」
ですよね。
魔王様の言葉に苦笑しながら私は穏やかな共鳴音に耳を傾けた。
この場にいなくともその音は止む事無く鳴り響いている。慣れてしまったのか、自分の一部だからなのかは知らないがうるさいとは思わない。
それこそがレディが生存している何よりの理由だと優しく告げた魔王様に、私は不思議に思っていた事を尋ねた。
「どうしてギンに何も言わず、レディとここに来たんですか? ギンが、魔王様がレディを誘拐して寝返ったみたいな事言ってましたよ」
「相変わらず私も、彼の信用がないなぁ」
「普段の行いのせいよ。安心して由宇ちゃん。ギンさんには私から連絡しておいたから」
「あ、そうなんですか?」
というか、連絡できたのかという驚きの方が大きい。
高橋さんはどうやら私より相当スペックが高いようだ。
それもそうか、レディのママを自称してるくらいだし。
いまいち彼女の存在が良く分からないが、とりあえずレディに関わっているんだろうなということは分かる。
「私が執拗に殺されていたのは、バグを排除する為?」
「そうかもしれないわね。でも、管理者達が手を下したわけじゃないのは事実よ」
「優良な手駒を排除するなんて愚かな行為は意味がないからね」
考えを切り替えるためにふと浮かんだ疑問を口にする。
あっさりと肯定する高橋さんに、魔王様も小さく鼻で笑った。
何度殺しても記憶を失う事無く蘇ってしまう私を、毎回色んな手を使って殺してゆく。
器として必要な私が神に殺される理由が良く分からない。
殺してしまえば器が空になるとでも思ったんだろうか。
自分は体力温存して、実行はもどきに任せるやり方をしても上手くいかなかったので相当怒っているだろう。
今はそう執着もしていないようだが、それは華ちゃんか愛ちゃんが狙われているということだ。
もしくは彼女達に相当する人物と考えられる。
「理由は分かりませんが、もし貴方たちを苦しめた黒幕が神だとしたら、そうする事によってループを生じさせたかったのかもしれませんね」
「ループ……」
「そうね。神原君と由宇ちゃん。神原君の場合は想いを寄せたヒロインか自分が、由宇ちゃんは自分が死んでしまうとループしちゃうんだものね」
「ええ。二人が死亡した場合は強制的に世界全体にループしてしまいますね」
そうだ。もし神様たちが世界をリセットさせたいのだとしたら、私や神原君を追い詰める理由も分かる。
何度もリセットを繰り返して、彼らは一体何をしたいのか。
自分達が力を取り戻し返り咲くためとも思えない。
私と神原君。
ループとリセット。
管理者と神。
そして神が望むこと。
どれもよく分からないが、ある事を思い出して私は首を傾げた。
「そもそも、特定の条件下でリセットとは聞きましたけどその特定の条件下って何ですか?」
「あぁ……それは」
「あ、私が聞かなくても関係ない事なら別にいいです」
どうしてもその話になると管理者たちは言葉を濁す。
現に見上げた魔王様も視線を逸らして困ったように頭を掻いている。
言いたくないというのが雰囲気に表れていて、私も無理をしてまで聞きたいという欲求はなかった。
だから、私やこれから、これまでの事に関係がないのなら聞かなくても問題はないはず。
まぁ、こんな状況になって関係ないとは言い切れないだろうけれど。
気にしなくてもいいことなら、気にしない。
「話してもいいんじゃない? 今更この子に隠す事なんて無いでしょう?」
「しかし……」
「あぁ、もう。頭硬いわね。いいわ、私が教えるから」
渋る魔王様に溜息をついて高橋さんが真っ直ぐに私を見た。
真剣な雰囲気に気持ちが少しだけしゃんとする。
高橋さんの後ろでは魔王様が相変わらず「しかし……それは、うん」とぶつぶつ何か呟いていた。
ループする原因をそれほど口にしたくないんだろうか。
「大丈夫ですよ。誰のせいでループしてたとしても、恨んだりはしませんから」
「え?」
高橋さんが口を開くより早くそう言っていた私に、自分自身びっくりしてしまう。
何で私はこんな事を言っているんだろうと思いながら、きょとんとした顔をする高橋さんに私は変な顔をしていた。
何でこんな事を言ったんだろう。
「もう、今更なんですよね」
「由宇ちゃん……」
ループもリセットも日常の一部のようになってしまうほど、慣れてしまった。
当然、無いに越した事はないけど今更その理由を知ったとしてもどうでもいいというのが正直なところだ。
高橋さんと魔王様の同情するような視線がつらい。




